あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

7月のあじさい

2015-07-22 21:44:26 | 植物
 あじさいつながりで時季遅れのあじさいを。

 が、その前に
 
 

 先週の台風の被害です。石鎚山に守られている(最近本気でそう思っています)この地方では被害と言ってもこの程度です。つくづくありがたいと思います。
 今年は勝手に生えてきたひまわりがやたらとよく育ちまして、大輪でもないのに二メートルを超える高さになりました。それで一応支柱は立ててたんですが、あまりにも雑だったかしら。



 根こそぎ倒れてしまいました。でも、もう花が終わりかけて種ができるところでしたので、このまま実の熟するのを待つことにします。

 さて、わがやのあじさい
 数えてみたら15本ありました。ほとんど同じ花はありませんが、今年仲間入りした「万華鏡」という花がピンクと青と3本ありますので、全体としては13種類かしら。これを一箇所にまとめて植えたらずいぶんと見応えがあるのでしょうが、新しいのを手に入れる度に隙間を探して植えたものですから、だれも注目しません。(家族でさえも)
 
 そのあじさいも7月中旬を過ぎてだいぶみすぼらしくなってきました。

 「すみだの花火」



 まさに散り際の花火

 「アナベル」



 純白の花ですが、夏になるとグリーンに変わります。これは時宜が過ぎてもさわやかですてき。

 その隣にあるやまあじさい



 アナベルに似ていますが、もっと華やかです。これも純白からグリーン変わっています。
花付もよくて枝という枝全部花が咲いてるんじゃないかと思うほどです。おまけに軟弱な茎に子どもの顔ほどの花をつけるものですからぜ~んぶ地面に付くほどお辞儀をしてしまって、泥にまみれている始末。 でも、きれいでしょう?

 お辞儀と言えばこれも。さわやかうす水色の花でしたが、今グリーンが混じってきてこれはこれで綺麗です。



 とにかく花が大きすぎるのか枝が軟弱すぎるのか。去年の冬剪定をしたのもはほかのものも全部垂れ下がってしまいました。

 これなんか、裾にフリルがたっぷり付いたスカートのようになってしまいました。それでも6月中はよかったのですが、フリルが枯れ花が目立ち出すとだめですねえ。



 かしわばあじさい



 これも純白だったのが紫がかったベージュが混じり魅力的な色になってきました。 そしてやはり垂れ下がっています。しかも五房しか花が咲かなかった。どうも剪定の仕方を間違えたんじゃないかしら。

 最後にもうひとつミステリアスに変色した花を



 こういうのを秋色あじさいというんですよね。強い日差しに当たるとすぐ枯れてしまうのですが、梅雨明けが遅い今年はこの状態が長く続いています。
 しかし、1輪で見るととても魅力的なこの色も、あまりにたくさんあると



 う~ん、なんだかなあ。
 早めに切り取ってアレンジで楽しみましょうか。
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父と花巡り

2015-07-14 22:13:04 | 植物
 今年91歳になった父は、自分のことを100歳に近いと思っています。で、「何歳なん?」と聞いてみると94歳だという。そりゃあね、十の位を四捨五入すれば100歳だけど、そんなことしたらわたしだって100歳だわ。
 「まだまだ90を過ぎたばかりよ」とそのたび訂正しますが、一度インプットされた100歳は消えません。そして、父の記憶は5分と持ちません。
 どきどき父を誘ってお茶を飲んだり、近場の花巡りに出かけるのですが、帰ってくる頃にはどこへ行ったかすっかり忘れていて、ヘルパーさんに
 「どこへ行ってましたか?」と聞かれても、
 「ええとこよ。」
と応えるだけです。適当に会話を合わせるのはすごいとは思うけど。
そこで、駐車場に車を止めるとき
 今日は○○へ行ったんよ。」とおさらいをするのですが、部屋にたどり着いたときにはやっぱり「ええとこよ。」といつもの会話が交わされるのです。

 そんな父が唯一記憶にとどめていた場所



 4月の重信川です。今年の春は雨が多くて、雨の合間のたった一日の晴れ間でした。



 ずうっとずうっと桜並木が続いています。よちよち歩きの赤ちゃんがかわいかったです。
このときだけは、どこに行ったかと聞かれないうちから
 「桜がきれかった(綺麗だった)わい。」と報告していました。

 どこへ連れて行っても記憶にとどめないのでは張り合いもないのですが、そのときはとても喜んで顔も生き生きとしますので、これはこれでいいか、と。それに、結局はわたし自身が行きたいところを選ぶので、いい連れにもなっているのです。
 
 で、とてもすてきだったところを二箇所ご紹介。
 今治市のルピナス畑が満開だとの新聞記事を読んで当てずっぽうででかけましたが、うまくたどり着けました。



 一反くらいの畑でしょうか。まるで大都会のビル群のような景色でした。


 アラスカで見た野生のルピナスは、晴れた空のような深い深いブルーでしたが、園芸種のルピナスは色とりどり。


 ああ、いいなあ。昔は登り藤と言っていましたね。わたしはこの花が大好きなのですが、我が家に植えてもなぜかうまく育ちません。

 6月には、新居浜市の山田町に、地域の人がお世話しているあじさいロードがあるというので見に行きました。



 この看板の周辺だけかと思ったら、



 木立の中に一キロばかり遊歩道が続いていました。父は長くは歩けないので持参した折りたたみ椅子に座らせておいて、わたし一人で散策を。



 なにか幻想的。ここは高速道路の斜面を利用して植えてあるので、背景は味気ないコンクリートです。でもたくさんのあじさいと木々に隠されてあまり見えません。

 あじさいって土地の酸性度、アルカリ度によって色が決まってしまうので同じ色の花しか咲かないのが普通ですがここには赤系も青系もあるのはどうしてなんでしょう。単調な色合いではないのが楽しいです。



 ちなみに我が家は全部青です。植えたとき赤い花もあったはずなのに青しかありません。

 わたしはたくさんの種類の花をちまちまと植えていますが、一種類の花をどどーんと植えるのもいいものですね。

おまけ



 今治港に寄港した日本丸。残念ながら満帆の時には行けませんでしたがそれでも美しかったです。
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炭焼き体験その2

2015-07-07 22:31:54 | くらし
 古い話題ですが、せっかく書きかけたものなので、続きを書いておこうと思います。

 さて、炭焼きの作業の傍らでは・・・



 竹ご飯を炊いていました。そして別の場所では



 焼き芋です。アルミホイルに包まれたお芋が見えるでしょうか。

 そして大量の白菜漬けとたくあん



 これは毎年おいしくて好評らしく、試食する人が群がってご飯の時に足りるんだろうかと心配になるほどでした。
 それに塩レモン水も。夏の水分補給にはこれが一番、と作った人が言っておりました。

 まだまだ、大鍋二杯もの甘酒もありました。

 たった500円の参加費でこれだけのごちそう。しかもトラオは無料だったのです。初めのうちは会費を払ってないトラオが一人前にごちそうになるのが心苦しくて、焼き芋はわたしが一口かじっただけで分けてやり、お父さんも半分こしてやり、トラオはそれをぺろりと平らげたばかりか、よそのおじさんからも半分いただいて食べる始末。

 竹ご飯は、 



 わけてやりませんでした。あまりにもおいしそうだったので、わたしも全部食べたかったのです。でも大丈夫、トラオの分もちゃんと用意されていました。そしておとなと同じ量のご飯を、これまたぺろりと平らげました。

 食後には、和菓子の詰め合わせをまっさきにトラオのところに持ってきてくれて「好きなんお取り。」
 もちろん遠慮せず取りました。一番おいしいそうなのを。

 で、食べるばかりしていたかというとそうでもなくて、とても貴重な体験をさせてもらいました。

 はじめは竹を切るのを見ていたのですが、そのうちお父さんに一緒に鋸を持ってもらって切るまねごとをしだしました。それを見たどこかのおじさんが、
 「ぼく、一人でしてみるか? やってみい」
 その一言にやる気になったトラオ。するとおじさんは
 「おとなは一切手出しせられんぞい。」あら、きびしい。
 さらにそばにいたどこかのおばさんが
 「どれ、どのくらいかかるか時間を計ったげよう。」うわあ最後までやり通すかなあ。 
 
 見よ、4歳児のこの勇姿


「鋸をおさずに引けよ。」「足をもっと開け。」「ゆっくりでええけんの。」「うまいうまい。」「だいぶ切れたよ。」「もうちょっとじゃ。」

 大勢のおとなたちの声援に励まされて格闘すること20分。ついに竹がころりと地面に落ちました。
 「ようやった。」みんなで拍手。
 トラオは「もっとやりたい」と、結局竹1本全部一人で切り落としたのです。
 
 斧で竹を割るのはさすがに危ないのでお父さんと一緒に



 ここでも遠くでおばさんが見守ってくれています。

 作業が一段落したら、小さな道をたどって山の中を探検したり、お宮の石段で遊んだり・・・
 最後にちょこっとコンテナ運びのお手伝いをしたらおばさんたちが
 「まあ、お手伝いしてくれるん。」「ぼくえらいねえ。」と最大級のほめ言葉をくれるし。 
 ありがたい一日でした。今日のトラオのように、子どもは本来、周りのおとなたちに厳しくも優しい目で見守られて育つべきなのです。ちょうどその頃おきた痛ましい事件を思い起こして、そんなことを考えたのでした。
 
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悲喜こもごも

2015-07-02 22:20:03 | くらし
 お久しぶりです。
 やっと冬眠から覚めました・・・・って、もう春を通り越してる。

 その間、どうしていたかというとー

 2月、下の娘が、私たちにとって3番目となる孫を産みました。

 今度は女の子。



 ところで、孫が3人にもなると、ブログ上での呼び方もややこしくなりました。そこで、この際名前を変更したいと思います。
 ぶじおjrは、おなかにいた頃「トラオちゃん」と呼ばれていましたので、「トラオ」
弟は「ウマオ」そして女の子は「ヨウコ」と呼ぶことにします。
 
 ところが、トラオがヒトメタニューモウィルスなるものをもらってきまして、おとなにとっては単なる風邪らしいのですが、乳幼児は悪化することが多いらしく、ウマオもあわや入院という事態になってしまいました。幸い入院もせず治りましたが、今度はわたしにうつりまして、新生児にうつっては大変、と、娘は里帰りして1週間ほどでマンションに帰って行きました。わたしの方はその後3週間も体調が優れず、ぐずぐずと過ごしておりました。

 
 新米パパとママは二人で育児をがんばり、3月には初節句を祝いました。



 それから、わたしの父91歳、わたし○○歳、ウマオ1歳の誕生祝いを同時に行いました。父とウマオの年の差90歳! 娘たちどちらかの誕生月が3月なら4世代同時の誕生祝いですが、残念。

 お祝い続きの3月ではありましたが、わたしはまたもや風邪を引き、またまた3週間も引きずってしまいました。さらに、母も冬の間ずっと体調が優れず、初節句のお祝いには参加できたものの、それ以後寝たり起きたりの生活が続きました。そして4月

 「今日はちょっと気分がいい」というのでお花見に連れ出しましたが、翌日から入院。
退院後も酸素ボンベを装着しての生活になりました。

 今はデイサービスにお世話になり、畑仕事とは違った新たな楽しみを見つけたようです。

 いいこともありました。ぶじこが趣味でやっているフェルトの作品が手芸店の公募に入選、コンベクション岡山に展示されたので、みんなで見に行きました。





 ぶじこはもう一つのコンテストにも入選して、これは東京のホビーショーに展示されたんですよ。さすがに今度はぶじこ一人で行きましたが、孫二人、初めてばあちゃんちにお泊まりで
わたしはなかなかたいへんでした。
 さらに、トラオのかいたお母さんの絵が、スーパーの作品展で金賞を受賞。ぶじこ一家はノッテます。

 もうひとつ特筆すべきこと。午前中だけウマオを預かることになりました。





 まだ歩けないウマオを抱いたりおんぶしたりしての毎日は堪えました。昼はウマオのお昼寝の横でわたしも眠ってしまい、夜は夜でテレビの前でいつの間にか居眠りしている生活。とてもパソコンをさわったり、レザークラフトをしたりする体力も気力もありませんでした。

 それでも5月には、銀行のロビーでミニ作品展を開くことができました。


 
 今まで作ったものの中からできるだけ多様な作品をお見せできるように選んだものです。
 
 またヨウコは無事百日のお食い初めを迎えました。
標準よりも大きかったトラオとウマオに比べれば、本当に小さくいたわしい赤ちゃんでしたが、今では丸々と肥えてよく動きよく笑い、元気に育っています。

 そんなこんなで悲喜こもごもの春が過ぎて、気がつけばもう夏。ずいぶん長いことお休みしましたが、またブログを再開したいと思います。気ままな更新になろうかと思いますが、よろしくおつきあいくださいませ。
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