ぽかぽかと春らしい陽気の日、ヨウコを連れてつくし採りに行きました。もう頭が開いてしまってだめだろうと思っていたのですが、よく見ると案外まだまだ食べられるのがありそうでしたので。
わたしだけの秘密の場所ーではないけど、ここでつくし採りをするのはわたしくらいかな。
犬の散歩コース 除草剤や農薬散布をする田畑 勝手に入ったら叱られそうなところ 草ぼうぼうでどろぼう草がひっつくところ すべてをクリアしたよいところ
なんと菜の花だらけになっていました。
肝心のツクシはーいっぱいありましたけど、頭の開いてない若いのは探さないとありませんでした。ヨウコは頭が開いているのと開いてないのとの区別がまだつきません。
「いいよ、どれでも採って。」料理するとき頭を取り除いたら大丈夫でしょ。
いいツクシを探してどんどん端っこを歩いて行くと
これ、いいね。こんないい場所にヨモギがあったなんて。今晩の献立は春の野草の天ぷらにしましょう。
なおも行くと
きゃあ、もうこんなに出ているのか。
イタドリの新芽がたくさん見つかりました。これはおいしいの。採って帰りましょう。
さらにさらに
芹。母の好物でした。
一方ヨウコは
ツクシは飽きて菜の花を採るのに夢中です。
「いいよ、はしっこならね」中の方はよその畑なので、放置されているとはわかっていても遠慮しました。
「ハチがおる!」
「知らんふりしてたら刺さないから大丈夫。」
「ちょうちょがおった! まってまってちょうちょさん」
「あ、ミノムシ。」「ははは、それはねえ、カラスウリの干からびたの。」
近くでキジがキーキーと鳴きました。
頭上ではヒバリ。
菜の花に集まるミツバチの羽音。
もうすっかり春ですねえ。
袋を二つしか持っていませんでしたので、一つには菜の花をいっぱい。これもつぼみをとったら漬け物とかおひたしにできたんだけど、それはやめました。
足元にはノビルも。
とにかく春の味覚の宝庫だったのです。もう一つの袋になにもかもごちゃ混ぜに放り込んで帰りました。
洗いながら丁寧に仕分けして、ヨウコにはイタドリの皮を剥いてもらいました。その間にわたしはツクシの袴取り。といっても、わたしは袴の部分をちぎって捨てるだけ。ツクシは袴から袴までの節々で短くちぎられるんですが、どうせゆがいたあと短く切るんだからね、はじめっから短くしてたっていいんじゃない?というのがわたしの考え。(こういう所の現れる奇妙な合理主義。)いつか弟も同じことを言って、さすが兄弟だなあと妙に感心したことがあります。
袴取りはさっさと終わってその日のうちに天ぷらにしました。
上から、地物の海老と芹の掻き揚げ 右 ツクシの天ぷら 下 ヨモギの天ぷら 左 たけのこの天ぷら
たけのこは買ってきました。
意外においしいのはヨモギ。にがみも独特の匂いもほんのわずかに感じる程度で、みんな大好きです。たけのこは地元産をゆがいたのを買ってきました。だしと醤油とみりんで薄味をつけてから揚げるととてもおいしいです。小エビは多分今日水揚げされたもので、生きがよくてもちろんおいしいです。ただ、せりが・・・・めちゃくちゃ苦かった。やっぱり湯がかないとあくが強いようです。
そしてツクシは?
水分が多くてからっと揚がりません。頭の部分にちょっぴり苦みがあって、大人は春の香りだなあと思いますが、ヨウコは
両手で大きく「ばつ」を作りました。はあ、やっぱりね。
考えてみたら、ツクシってあまり美味しい物じゃないです。春の野で、春の空気や気配を楽しみながら摘んで、いっぱい採れたと喜んで(後の苦労も考えないで)、そんな春の雰囲気や行為、丸ごと食べるからおいしいのではないかと思います。
残っていたツクシと芹で卵とじを作りました。
それから皮を剥いたイタドリは熱湯をかけて2,3分おき、小さく切って1日水を替えながらさらして酸味を抜き、砂糖や醤油、削り節と一緒に甘辛く煮付けました。
これがおいしいの。
母は大量に採ったつくしを冷凍してわたしにくれていました。イタドリも米袋いっぱいくらい処理してわけてくれていました。ヨモギはよもぎ餅になってわたしの所に届きました。春の味覚は母の思い出とともにあります。
わたしもいつか孫たちにヨモギ団子を作ってやりましょう。残ったヨモギを湯がいて冷凍しておきました。
わたしだけの秘密の場所ーではないけど、ここでつくし採りをするのはわたしくらいかな。
なんと菜の花だらけになっていました。
肝心のツクシはーいっぱいありましたけど、頭の開いてない若いのは探さないとありませんでした。ヨウコは頭が開いているのと開いてないのとの区別がまだつきません。
「いいよ、どれでも採って。」料理するとき頭を取り除いたら大丈夫でしょ。
いいツクシを探してどんどん端っこを歩いて行くと
これ、いいね。こんないい場所にヨモギがあったなんて。今晩の献立は春の野草の天ぷらにしましょう。
なおも行くと
きゃあ、もうこんなに出ているのか。
イタドリの新芽がたくさん見つかりました。これはおいしいの。採って帰りましょう。
さらにさらに
芹。母の好物でした。
一方ヨウコは
ツクシは飽きて菜の花を採るのに夢中です。
「いいよ、はしっこならね」中の方はよその畑なので、放置されているとはわかっていても遠慮しました。
「ハチがおる!」
「知らんふりしてたら刺さないから大丈夫。」
「ちょうちょがおった! まってまってちょうちょさん」
「あ、ミノムシ。」「ははは、それはねえ、カラスウリの干からびたの。」
近くでキジがキーキーと鳴きました。
頭上ではヒバリ。
菜の花に集まるミツバチの羽音。
もうすっかり春ですねえ。
袋を二つしか持っていませんでしたので、一つには菜の花をいっぱい。これもつぼみをとったら漬け物とかおひたしにできたんだけど、それはやめました。
足元にはノビルも。
とにかく春の味覚の宝庫だったのです。もう一つの袋になにもかもごちゃ混ぜに放り込んで帰りました。
洗いながら丁寧に仕分けして、ヨウコにはイタドリの皮を剥いてもらいました。その間にわたしはツクシの袴取り。といっても、わたしは袴の部分をちぎって捨てるだけ。ツクシは袴から袴までの節々で短くちぎられるんですが、どうせゆがいたあと短く切るんだからね、はじめっから短くしてたっていいんじゃない?というのがわたしの考え。(こういう所の現れる奇妙な合理主義。)いつか弟も同じことを言って、さすが兄弟だなあと妙に感心したことがあります。
袴取りはさっさと終わってその日のうちに天ぷらにしました。
上から、地物の海老と芹の掻き揚げ 右 ツクシの天ぷら 下 ヨモギの天ぷら 左 たけのこの天ぷら
たけのこは買ってきました。
意外においしいのはヨモギ。にがみも独特の匂いもほんのわずかに感じる程度で、みんな大好きです。たけのこは地元産をゆがいたのを買ってきました。だしと醤油とみりんで薄味をつけてから揚げるととてもおいしいです。小エビは多分今日水揚げされたもので、生きがよくてもちろんおいしいです。ただ、せりが・・・・めちゃくちゃ苦かった。やっぱり湯がかないとあくが強いようです。
そしてツクシは?
水分が多くてからっと揚がりません。頭の部分にちょっぴり苦みがあって、大人は春の香りだなあと思いますが、ヨウコは
両手で大きく「ばつ」を作りました。はあ、やっぱりね。
考えてみたら、ツクシってあまり美味しい物じゃないです。春の野で、春の空気や気配を楽しみながら摘んで、いっぱい採れたと喜んで(後の苦労も考えないで)、そんな春の雰囲気や行為、丸ごと食べるからおいしいのではないかと思います。
残っていたツクシと芹で卵とじを作りました。
それから皮を剥いたイタドリは熱湯をかけて2,3分おき、小さく切って1日水を替えながらさらして酸味を抜き、砂糖や醤油、削り節と一緒に甘辛く煮付けました。
これがおいしいの。
母は大量に採ったつくしを冷凍してわたしにくれていました。イタドリも米袋いっぱいくらい処理してわけてくれていました。ヨモギはよもぎ餅になってわたしの所に届きました。春の味覚は母の思い出とともにあります。
わたしもいつか孫たちにヨモギ団子を作ってやりましょう。残ったヨモギを湯がいて冷凍しておきました。