あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

お正月支度ーしめかざり

2007-12-31 22:37:06 | くらし

 実はわたしは、しめなわを作るのは上手なんです。 というのは、このあたりの学校では、老人クラブの皆さんが子どもたちにしめなわ作りを教えてくれることが多く、わたしも一緒に作っていたからなのです。


 わたしの父もしめなわ作りは上手でした。 中予地方独特のしめなわの他に自分で工夫した豪華な玄関用を作っていました。しめなわは男が作る物と決まっており、女のわたしは見るだけでした。


 今では、男子も女子もしめなわを作ります。 ある学校では、男子はおじいさんたちからしめなわ作りを習い、女子はおばあさんからお手玉作りを習っていました。 今の時代にもそんなことが・・・とびっくりしてしまいました。 そこで男子にもお手玉を、女子にもしめなわを作らせて欲しいとお願いしたところ、あっさりOKされました。 ただ今までそうしてきたからという理由で男女別々の物を作っていたらしいのです。
 そして、学校では「しめなわ」と言わず「しめかざり」と言うことが多いです。「しめなわ」には元来宗教的な意味があります。 でも、宗教的な意味よりも、お正月の飾りとして親しんで欲しいという事だと思います。


 初めて老人クラブからしめなわを習ったとき、わたしは、子どもの頃から見なれた中予地方のしめなわを作ろうとしていました。
 
 1 わらを揃えて持ち縄をない始める場所をわらでしばります。


   わたしがわらの真ん中あたりをしばっていたら、
   「先生、そりゃ下すぎるぞな、もっと上の方をしばらんと。」「ええ? そうなんですか~。」(ちょっと不満なんだけど)             


 2 縛ったところから上をなっていきます。 途中、わらを1本、3本、5本と足して垂らします。
   「先生、わらを足すのがおそいわい。 もうちょっと早よう足さんと。」「ええ? そんなにしたら形がゆがんでしまいますよ~。」
   「それでええんじゃがね。 熨斗(のし)の形になるじゃろ?」


   裏から見たところ。 のしの反対になっていますね。 



   なるほど、それで見本がどれもこれもゆがんでたのね。 中予地方のしめなわは、垂らしたわらがほぼ中央にくるのできれいな円になるのです。


 3 最後まで縄をない、垂らしたわらと一緒にまとめて縛ります。 さらに紫と金の紙を巻き、水引で縛ります。  


 4 山草(うらじろ)をつけます。 玄関用の大きいしめなわには、うらじろの他にだいだい、ゆずり葉をつけます。


   


 こちらでは裏口などに飾る小さいしめなわにはうらじろとゆずり葉しかつけません。 でも、中予では小さい葉つきみかんをつけます。わたしは子どもの頃からこの葉つきみかんが好きで、しめなわにつけた残りを食べるのが楽しみでした。 結婚してから、わたしが当然のように葉つきみかんを買って帰ったら、義母がえらく不機嫌になりました。 こちらではみかんは巳正月(新仏さんの正月ー12月の巳の日にする)につけるので縁起が悪いのだとか。 全く正反対の習慣に唖然。  


 そして、ゆずり葉。 こちらでは「わかば」といって欠かせない物ですが、生家ではつけませんでした。 年に一度、それも数枚の葉を使うためだけに我が家ではこんなに大きな木を植えています。



 こんなふうに峠ひとつ隔てたあちらとこちらではしめなわに違いがあるのです。 でも、ここ2,3年異変が・・・・
 産直市場などで中予型のしめなわが売られるようになったのです。 遠く松山あたりからもお客さんが来るからでしょうか。 「新居浜はこれじゃないんよ。」などと言いながらしめなわを見ている人もいましたから、新居浜市のしめなわもまたちがうのでしょうね。


 ネットショップのしめなわを見てみると、こちらはわらで作ったリースがいっぱい。 これこそ「しめ飾り」ですね。 デザインも豊富できれい。でもお高い! 


 わたしも、しめなわのあまりのわらでミニ飾りを作ってみました。 


 


  今年も残りわずかですね。 ブログを始めて半年、つたない文章を読んでくださった皆様、コメントを寄せてくださった皆様、ありがとうございました。 来年も変わらずおつきあいくださいませ。


 では、よいお年をお迎え下さい。

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お正月支度ー丸い餅

2007-12-30 08:39:46 | くらし

 たのんでいた正月用の餅ができあがりました。


 


 子どもたちが小さい頃は、自宅でもちつき機でついていたのですが、ここ10年近くは、知り合いのお菓子屋さんに餅米を持って行ってついてもらっています。 機械で同じ重さにちぎられた餅はどれも同じ大きさで、きれいに丸められています。丸めるのは人の手のようで、工房は出来上がった餅や作りかけの餅でたいへんな有様でした。


 こちらは神棚用。 私の生家でも、ほかのうちでも床の間に鏡餅を飾ると思うのですが、うちでは神棚に12重ねの餅を供えます。 12の月の神様にひとつずつということでしょうか。 義母もわけはわからずこの家の習慣に従ってきたということでした。



 子どもの頃、わたしは餅を丸めるのが上手でした。それを見て母方の祖母が、「女の子は餅を丸めるのが上手な方がええ。」とほめてくれました。なぜ「女の子」なのか、なぜ「餅を丸めるのが上手」なのか十分理解できなかったのですが、「ものごとを丸く収めるのが上手なように」、との教えだったように思います。


 このあたりでは、もちは、「しゃぎもち」とか「おしもち」とか言って、ちぎった餅をざっと丸めたらぎゅっと平たく押します。形はあまり気にしないようなのです。そのほうが雑煮にしたら煮えやすいからというのですが、子どもの頃からふっくら丸く丸めてきたわたしには、いびつな餅が並んでいるのは気に入りませんでした。 お菓子屋さんのもちはさすがにきれいな円形で、しかも均等に平らにしてあります。きれいに並んでいます。


 さて、もちはくっつかない程度にさめて、まだ柔らかさが残っています。このくらいの柔らかさで雑煮1回分ずつポリ袋に詰めていきます。 若い頃、夫は一度に10個ぐらい餅を食べていました。 今は体重管理のためせいぜい、3,4個です。 このポリ袋の餅を冷凍します。(うちには冷蔵庫と別に冷凍庫があるのですよ。) 冷凍した餅は、前の晩から室温で解凍すると、朝には解凍できて今の柔らかさそのままなのです。 


 

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甘い大根

2007-12-29 00:31:31 | 植物

 畑にいつのまにか生えてきた大根。 ここ2,3年勝手に生えてきていると思うのですが、いったいいつ誰が種を蒔いたのやら。 今年一番早いのは真夏に生えました。 なんどかブログに登場しているど根性大根です。 そのあとも、あちこちに芽が出て、草の中で立派に育っています。 ほったらかしのため味はあまりよくなく、ちょっと辛い大根です。 それでほとんどはにわとりのえさになっているのですが・・・


 一本だけ他のと違う大根が生えてきました。 葉っぱはひときわたくましく、紫がかった葉柄です。 あまり虫にもくわれず、みごとに葉を広げています。



 先日特別大きい大根だけを引いてみましたら、真ん中がパックリ割れたり、下の方が腐ったりでどうも食べられそうにありません。 (真ん中のがごく普通の大根) 紫がかった葉っぱの大根は、根っこの部分も紫でした。 ふしぎ???



 無理して食べなくても、田んぼで育てたおいしい大根がありますから、しばらく放置しておいたのですが、 捨てる前に、紫色の大根だけはやっぱり味見をしてみようと、 きれいに洗いましたら・・・・ けっこうきれいな色をしています。



 輪切りにすると、中は白いです。 ちょっと「す」が入っていますね。 ちょっとかじってみたら、またまたふしぎ。


   あま~い 



 でも、大根にしては甘いという程度です。 畑の大根はどれも辛みが強かったのに、辛みは全然ありません。 どういうこと?


 「す」の入ってないところを短冊に切って大根サラダにしたところ、家族からは大変好評でした。


 なぜこんな大根が生えたのでしょう。 突然変異かしらー。   しまった、 そのまま春まで置いていたら、おいしいサラダ大根の種がとれたかもしれないのに。


 


 

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3度目の干し柿作り

2007-12-28 00:27:59 | くらし

近くに、都会に出た遠縁の家の畑があるのですがー

1本の愛宕柿の木が残されています。 その木が気になってしょうがなかったのです。 というのは、

 めちゃくちゃ実がなっているのです。 1本の枝にこんなに!

 どの枝も重みで今にも折れそうです。 そうこうしていたら、その家の人が里帰りして柿も収穫し、あまりにも多いので処理しきれないからとコンテナに2杯ほどうちに持ってきてくれました。 しかも、干し柿にできるようにへたには茎をつけてくれています。 わたしはありがたくちょうだいし、3回目の干し柿作りをすることにしました。
 1回目はかびが生えて失敗。
 2回目はみごと成功して、今、冷凍庫の中です。 不思議なことに干し柿は冷凍庫に入れても硬く凍らず柔らかいまま。 白く粉がふいてとてもおいしいです。 
   

 重くて運べないのでとりあえず車庫の端に置いておきました。 
 

  翌朝
  あらら、犬小屋の周りに柿が何個も。

 草のようなものが散らばっているのは、わらです。

  ジムソウチョウがいたずらをしたようです。  置いた場所が犬小屋に近すぎたみたい。 

 夕方見たら、半分近くかじっていました。 渋くなかったのかしら。 

 干し柿作りは、柿がたくさんありすぎて、少しずつ4日もかけてむぎました。 前に使った洗濯物干しはいっぱいになり、残りをどこに干そうかと考えているのですが、今使ってないビニールハウスの中はどうかしら。 風通しは悪いけど、空気は乾燥しているはず。 ちょっとだけ試してみます。 

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四角いキュウリ

2007-12-24 00:57:23 | 植物

 キュウリを箱詰めしていて、手触りのおかしいキュウリを見つけました。
 見かけはふつうのきゅうりと変わらないのですが・・・・・



  輪切りにしてみるとー


  あ~ら、四角い。



 なぜ四角いキュウリになったかはなぞです。 ただ、きゅうりが簡単に変形してしまうことはたしか。

 地面に着いたキュウリは、ほとんど曲がってしまいます。



 伸びていった先に茎があるだけでも曲がってしまいます。 そのほか、つるにじゃまされたり、葉っぱにじゃまされたり、 ささいな障害で曲がってしまうのです。



 そのぐらい除けろよ、と言いたくなってしまいます。 まるで、ナイーブで周りに影響されやすい思春期の青少年のようなんですね。 そして曲がったキュウリは、先に針金を通しておもりをつけると簡単にまっすぐに戻るらしいです。 おおー、過ちを犯してもやり直しできるって事じゃないですか。 ますます人間ぽい。 
 それで針金の後は残らないの?と聞きましたら、残らないんだそうです。 傷口も回復すると言うことですね。 ただ、今はこんな手間のかかることはしません。 何しろ、キュウリは下の方から実をつけるので、しばらくの間、地面に着いて曲がってしまうキュウリがたくさんとれるのです。 曲がったキュウリも、値段は安いですが買い手がついて、お弁当や施設の給食などに利用されるということです。 それぞれに生かす道はあるということですね。  


 ところで、 いよいよ押し迫って参りましたが、皆さん、年賀状は出されましたか? わたしは、まだ書いてないのです。 ブログなんかより年賀状を書かなければー。 というわけで、毎日欠かさず更新してきたブログをお休みして年賀状を書くことにします。 と、無理矢理追い込まなければ書かないんですね、毎年。 では、また2,3日後に。

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吉村作治トークショー

2007-12-23 01:40:56 | くらし

 行ってきました。「吉村作治の 早大エジプト発掘40年展

 これは、展覧会のなかで唯一写真を撮ってよいもの。 ほら、観光地に、顔だけくりぬいてあって、自分の顔をはめ込んで写真を写すっていうあれです。 今回の第一の目玉展示品、青いミイラマスクをかたどっています。

 ちょうど今日、吉村作治先生のトークショーとサイン会があるというので、それに合わせて行きました。  うちの娘たちは小学生の頃からエジプト大好き、そして吉村作治先生のファンなんです。 でも姉のぶじこはあいにく仕事なので、下の娘といっしょです。 でも間に合うかどうか、ちょっと不安。

  トークショーは定員120名、整理券をもらわないと入れません。 美術館に着くと広いエントランスホールはすでに長蛇の列。 最後尾に着くとちょうど係員の方がいて、わたしたちぐらいまでは大丈夫と言ってくれました。 整理券配布まで25分、あまり長く待たずにもらえそうです。 ラッキー。

 25分の間に代わり合って関連商品販売コーナーを見てきました。 そして、図録を買ってサイン会の整理券ももらいました。 そうこうしているうちにトークショーの整理券も配られ、それをもらって会場へ。 座席を確保してから展示を見に行きました。 

 この展覧会は、吉村作治先生と早稲田大学の発掘調査隊40年の発掘の軌跡が展示されています。 印象的だったのは、人の絵が描かれた階段。 踏んで登りたくないね、と話しながら見ました。 それと、ミイラを包んでいた布の切れ端。 なんだかぞくっとしました。 小さなものなのになぜか迫るものがありました。 

 1階をぐるっと見て、次はサイン会へ。 わたしは、サイン会というのは初めてです。 なんと係の人が、各自のカメラで写真も撮ってくれました。 それも、「ハイ、撮りま~す」と、こんな写真ですよ。

  吉村先生の方から手を差し出されて、握手もしてもらいました。 大きくて硬い手でした。 そして、これが先生のサイン。

  トークショーは、40年間、現地の人々やエジプト政府と信頼関係を築きながら発掘してきたことを具体例をあげて楽しく話されました。 一口に信頼関係と言っても、ものの考え方も習慣も違う人々と築くのは並大抵ではなかったようです。 ドロボウのようなことをされたり、詐欺まがいのことをされたり(日本の常識ではどろぼうでも、現地の人にとってはそうではないらしいのです)・・・・ でも、その語り口は温かく、本当にエジプトが好きなんだなあと思いました。

  トークショーが終わると再び展示室へ。 2階には、未盗掘の墳墓から発見された青いミイラマスクが展示されています。 本当に青く、凜とした表情の美しいマスクでした。 そして意外と小さかったです。 

 あちらこちらを行ったり来たり、楽しいけれどあわただしい日でした。

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プレゼント攻防戦

2007-12-22 00:33:12 | くらし

 行きつけの美容院に行ったら・・・・・


 おお、サンタが壁を登ってる! もうすぐ窓に届きそう!! あら、このサンタ、袋をしょってない。 これじゃ、サンタのかっこうしたドロボウみたいじゃないの。 でもこの姿、小さい子が見たら喜ぶでしょう。 サンタはああやってうちにも来るのかと。 



 子どもたちが小さい頃、クリスマスが近づくと決まって繰り返される会話がありました。


 父   「ぶじこちゃん、今年はサンタに何をおねがいするんぞ?」
 ぶじこ 「○○」
 父   「それはくれんのじゃないか?」
 ぶじこ 「どして?」
 父   「サンタさんはみんなにプレゼント持って行くけんの、あんまり高いもんあげたらお金がなくなろ?」
 ぶじこ 「そしたら△△にする。」


 姉のぶじこは即断即決。 ほしいものもはっきりしていて、サンタとしては非常に扱いやすい子どもでした。 サンタさんの入る煙突がないからと窓の鍵をあけておき、お茶とケーキをお盆に入れて、「さんたさんありがとう おちゃとけえきをたべてください」 と手紙を書いて置きました。 朝起きてプレゼントを見つけると大喜びで
 「どしてサンタさんは好きなものがわかるんじゃろ?」
と、つぶやいていましたが、それ以上深く考えることもなく単純に喜んでいました。 サンタさんがお茶しか飲んでないのに気づいてがっかりし、「サンタさんもほうぼうでごちそうになるけん、お腹いっぱいじゃったんよ。」と言われて、これまた素直に納得し・・・・といった具合です。 


 しかし、妹の方はなかなかてごわかったのです。 同じような質問に彼女は、2階建ての家が欲しいとか、星がほしいといったたぐいの、時には夢のような、時には壮大な願いを言うからです。
 「○○ちゃん、お金で買えるもんじゃないとサンタさんが困るじゃろ」
 「ほしいもんがいっぱいあってわからん。」
 ある年などは絶対に欲しいものを言おうとしませんでした。
 「ひみつにしとっても、サンタさんがほんとうに欲しいもんを持ってきてくれるかためしてみる。」
 これにはまいりました。 
 ですから、妹の方は、いつも一番欲しいものをもらったわけではないのです。 浮かない顔をしているので、「うれしくないん?」ときくと「うれしいけど、一番欲しいものじゃない。」と言うんです。
 <しょうがないでしょ、言わないんだもの。>


 ある年のこと、ぶじこが言いました。
 「Mちゃんとこはサンタが来んのじゃって。 お父さんがおもちゃ買うてくれたんじゃと。 どして来んのじゃろ。」
 確かに、毎年毎年のプレゼント攻防戦を考えると、正体をばらして子どもと交渉する方がよっぽど簡単なんだけどなあ。 毎晩毎晩子どもの希望を聞き、自分の懐具合を考えながらそれとなく希望を変更をさせ、こっそり買い物をして、24日の夜中まで車のトランクにしまい、なかなか寝付かない子どもたちの様子をうかがいながら自分の眠気と闘い・・・・・
 でも、
 「サンタさん、来とった!」
と、プレゼントをかかえて台所に駆け込んでくる子どもたちの顔を見ると、やっぱりサンタさんであり続けようと思ったものです。 サンタという見えないものを信じていた子どもたちと、夢を壊すまいと懸命だった親たちと、クリスマスは両方に幸せを運んでくる日でした。


 さて、愛媛県は12月25日が2学期の終業式。 つまりこどもたちは、プレゼントをもらった喜びに浸るのもそこそこに登校してくるのです。
 「先生、サンタさんに○○もらったんよ。」
 「わたしは××。」
口々に話しかける子どもに交じって
 「サンタなんかおらんのよ。あれはお父さんなんよ。」
と、口走る子どももいます。 そんなとき、わたしは、
 「サンタさんのこと信じてたらサンタは来るんよ。 でも、信じんかったら来んのよ。 だからお父さんやお母さんが代わりをしてくれるんよ。」
と、答えることにしていました。 すると、別の子が、
 「うちはサンタも来んし、お父さんもお母さんも何にも買うてくれん。」
 「・・・・・・・」
 公立の学校にはいろいろな境遇の子がいるのです。
 子どもたちに通知票を渡し、さよならをすると、いろいろな意味でほっと一息できました。

 美容院は、入り口も中もクリスマス一色。


  


 夜はこんなふうに輝きます。



   

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キュウリのハウス栽培

2007-12-21 00:01:17 | 植物

 我が家はキュウリ栽培農家です。 わたしもキュウリの収穫を手伝っています。

 朝、ハウスの中にはいると、気温は18度前後、湿度は85パーセントから99パーセントもあります。 めがねがさあーっと曇ります。 

 向こうまで見るとこんな感じ。 今のところキュウリは元気です。 今のところというのは、キュウリがたくさんできだすとだんだん木が弱ってきたり、病気になったりするのです。 なぜかキュウリを、「木」と言っています。

 空へ向かって競争するように伸びています。

 キュウリの花。 よく見るととてもかわいいです。

 やがて花の元に小さなキュウリがつきます。

 小さなキュウリといえば、忘れられない思い出があります。 
 わたしが小学6年生の時、家庭科でサンドイッチを作ったのですが、そのときのキュウリがとても小さかったのです。 それもそのはず、サンドイッチ作りは3学期に行われました。 担任の先生は男の先生で、ふだんは家庭科も担任の先生が教えてくれていたのですが、そのときは女の先生がいっしょでした。 そしてその先生が言われるには、「今は冬で、キュウリがどこにも売ってないのです。 少ししかありませんがしかたがないのでこれで作ります。」
 キュウリは、15センチくらいの本当に小さなものでした。 教科書にキュウリを使っているから無理をして準備してくれたのだと思いますが、教師になって考えたことは、あのサンドイッチ作りは夏頃学習する教材だったのではないかということ。 どうして3学期にしたのかは疑問です。 先生はいったいどこであのキュウリを手に入れたのでしょう。 べつにキュウリでなくてもよかったんじゃないかと思いますがね。
  
 今だといつでもキュウリは手に入ります。 そしてサンドイッチ作りの授業は3学期も終わり頃、卒業のお祝いの会食のためにすることが多いです。 

 そのハウス栽培が今、ピンチです。 11月末から1ヶ月足らずの間に、暖房機用の重油の見積もりが3回訂正されて送られてきました。 もちろん原油高のためです。  農産物には、生産コストの概念がありません。 キュウリの価格は、市場での需要と供給の関係で決まります。 これっておかしいんじゃない?と夫に言ってみてもしょうがないのですが。 
 

 重油が高くても赤字にはならないと思いますが、生活できるほどの利益があがるんだろうか? 温室みかんは採算がとれずすでに栽培をやめているそうです。 キュウリ農家の中には、暖房費の少ないトマトなどへ切り替えたところもあるらしいです。
子どもの頃サンドイッチの材料が手に入りにくかったのは不便と言えば不便だったのでしょうが、冬にキュウリがなくても、トマトがなくても、いちごがなくても十分暮らしていけたことを考えると、いつでも何でも手に入る現代は、ずいぶん贅沢なものだと思います。 地球規模で考えたとき、 暖房してまで欲しいものを欲しいときに手に入れるような生活は改めていかなければならないのではないかと思いますが、うちはそれで生活しているわけですから、なかなか複雑な心境なのですよ。 
 とりあえず、すきま風を防ぐためにビニールを貼り直し、すこしでも暖房費を節約しているところです。

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サザンカの木が・・・・

2007-12-19 23:54:31 | くらし

 デッサンの勉強を始めました。 月に1回ですが、宿題があります。 できれば毎日、少なくとも週に1枚はデッサンをすること、というのです。 そこでひたすらサザンカの花を描いているのですが、少々モデルに不自由をしています。 というのは・・・・・・


 うちのサザンカの木がこんなだからです。 うちにはサザンカが5本もあって(なぜか植えた覚えもないのもあります) どれも八重咲きの難しそうな花ばかり。 そのなかでも比較的花びらの少ない、描きやすそうな花を咲かせる木が、剪定でこんなにさびしくなってしまいました。 去年から剪定にきてくれているおじさんに言わせると、2,3年たったら棚ができる(つまり、松の木のような枝振りになる)らしいのですが、マツ風の枝振りにサザンカの花なんてねえ。 庭木の仕立て方としては普通なのかもしれませんが、わたしはいやです。 おと年までこのサザンカはこんもりと茂っていたのです。



 放っておけばこんなに盛大に花を咲かせるのに。 



 これは、廃屋の放置されたサザンカのうちの赤い花です。


 木蓮もこの通り。 去年よりは花芽が残っています。



 去年は、3,4輪しか咲かなかったんですよ。 そのほかの木もー 
 「梅切らぬバカ」といわれるほど剪定に強いはずの梅が、花どころか、梅雨になるまで新芽がでませんでした。 金木犀も、さつきも花が咲かず、ユキヤナギは2,3本の枝が「気をつけ」のように突っ立っている・・・・ というわけで、今年はこれは切っちゃダメと何本かの木は残してもらい、木蓮も花芽のついた枝は切らないようにお願いしてやっと残ったのがこの有様。
 でも、おじさんばかりを責められないのです。 夫はとにかく枝を切るのが好き。 どれもこれもじゃんじゃん切ってくれと要求します。 いつもこれで対立するのです。 おじさん、板挟みで困ったことでしょう。


 ただ、剪定でうれしかったことがひとつ。
 2年ほど前に隅っこに植えておいた万両が大きくなって、いっぱい実をつけていました。 こちらはすっかり忘れていたのにー。


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つぐねいもの収穫

2007-12-19 01:13:11 | 植物

 うちのビニールハウスに、段ボールが3個おいてあります。 なんでも隣の柿畑のMさんに頼まれて、お芋を保管しているのだとか。 わたしはてっきりさつまいもだと思っていました。 さつまいもは寒さに弱く、冬になると腐ってしまうのです。 ハウスは気温が15度以下にならないように加温されますので、お芋がくさらないのです。


 その段ボール箱の芋が、つぐね芋だということを今日初めて知りました。 春まで保管しておいて、種芋として植えるらしいんですね。 そういえば春先にお礼にと言ってたくさんのつぐね芋をいただきましたっけ。
 その芋を食べきれなくて放っておいたら、芽が出だしました。 そこでわたしは芽の出た芋を畑に適当に埋めておいたのです。 ことしの5月ごろのことです。

 芋は腐らずに、芽は土の上に出ました。 そしてー、
 草ぼうぼうのなかで、なかなかしぶとく生きていたようです。 これは10月の写真です。 そのあたりの草にまきついてすくすくと伸びております。



 つるが枯れてきましたので、芋をほってみることにしました。
 掘るほどのことはなかった。 簡単に芋が出てきました。 なが~い根っこが元気なところを見ると、もう少し土の中においてもよかったかなあ、と思いました。 手前の芋と比べるとずいぶん小さいです。 手前の芋は、Mさんが今年収穫したのを下さったものです。 



 つぐね芋は、長芋と同じとろろ芋なのですが、粘り気が相当強く、すりおろしてはしで持ち上げてもなかなか切れません。 おたまですくうと、全部がくっついて持ち上がってきます。 うちではすりおろしたものをだし汁や卵でのばしてごはんにかけて食べるのですが、 口がべたべたします。 おいしいんですけどね。 
 


 粘りが強いので、てんぷらにもできます。


 てんぷらにするときは、ねばいほどよいので、だし汁も卵も入れません。 しょうゆもごく控えめにして、少量のめんつゆか白だしを入れます。 正方形のすしのりをさらに4つの正方形になるように切って、その上に芋をのせ、くるんで油で揚げます。 わがやでは、このつぐね芋のてんぷらがみんな好きです。 たっぷり食べたいところですが、芋がなかなかうまくのりの上にのってくれないので、たくさんは作りません。 



 来年は本格的に植えてみようかと思っています。 

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