あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

さくらだより 歌だより

2011-03-25 01:17:42 | 植物

 地震後すぐの日曜日、スーパーの掲示板に「ひかんざくら花見会」という小さなチラシが貼られているのを見ました。
 
 あ、ここ!
 去年かおととしか、みっちゃんさんが紹介されていた場所です。 その日は行く時間がなくそのまま忘れていたのですが、ふと思い出して行ってみました。 
 それは工場の敷地内にあって、多分日曜日に一般の人に公開していたのだと思いますが、 平日は入ることは出来ません。でも、外からなら見られるかもしれません。 ちらっとでも見えるといいけどー


 おお~ 
 場所は簡単にわかりました。



 これほどまでにたくさんあろうとは!


 
 満開とはこのことです。



 2,3日前、新聞のコラムで読んだのですが、今、心が「共感疲労」に陥っている人が増えているそうです。 共感疲労とは。「他者の苦しみに接して動揺し、感情移入しすぎて精神的ダメージを受ける」ことだそうです。
 この2週間、遠く離れた場所の災害のむごさを、繰り返し繰り返し目の当たりにしてきました。 たとえ見知らぬ人であっても、その窮状に心痛めない人はいません。 けれど、
「いつか被災者の役に立てる日まで淡々と、堂々と『日常』を営む。 たやすくはないが、大切なこと」
と、コラムには書かれていました。
 
 小さな紙切れが教えてくれた幸せ。 美しい花を美しいと愛でることのできる日常に感謝です。 



 残酷な牙を剥くのも自然ならば、心を癒してくれるのも自然ではないでしょうか。
 無事だった地方こそ心も元気になって、日本経済を支えましよう(と、えらい飛躍ですが)


 ところで、この週末、ふたつのコンサートが開かれます。


 西条ライジングスターズコンサート
  愛媛県西条市出身の音大生、西条高校生、西条市内中学生による声楽とピアノコンサートです。      無料だそうです。 若い人たちから元気をもらいましょう。 お時間の取れる方、おでかけください。


 もう一つ
 全日本少年少女合唱祭全国大会・今治大会 
  日  平成23年3月26日(土)~3月27日(日)
  場所 今治市玉川町 玉川グリーンピアのホールにて
 我が少年少女合唱団は、土曜日の午前、賛助出演いたします。  会場はさほど広くはありませんが、後方に一般席が設けてあるそうです。
 子どもたちのピュアな歌声は、きっと心癒されるはず。     

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寒い春

2011-03-19 08:29:11 | ペット

 1週間、テレビにはりついている間に、すっかり辺りの景色が変わっていました。


 さくらんぼの花



 花は咲いたけれど、真冬のような寒さで、雪がちらついていました。 被災地の皆さんはどんなにか寒いことでしょう。 



 地震から1週間、始めは津波の脅威を繰り返し流していた放送局も、生きのびた人々の姿を間近に見せるようになりました。 それを見ると、命は助かっても本当の苦難はこれからだと思わざるを得ません。
 そうした報道はまた、極限の状況の中で、名もない普通の人々が持つ崇高なものが輝きを放っていることをも知らせてくれています。
 冷たい水の中をはだしで、胸に抱いた赤ちゃんにしっかりと毛布をかぶせて逃げてきたお母さん。
幼い孫を上にいる人に託して水に飲まれていったおばあさん。 目の見えない息子と、車いすのお母さんとが互いに目となり足となって逃げ延びた話・・・・・ そして、避難所では、少ない食料を分け合い、自分の分までも子どもに与えて耐えている人たち。 率先して配食や清掃を手伝う中学生。 被爆の危険の中、決死で安全確保にあたる消防隊員、警察官、自衛隊員・・・・・
 あまりにも後手後手に回る対策にいらだちも募ります。
 
 が、
 ほっとしたことも・・・・・

 わたしが密かに愛読しているブログがあります。 3匹の犬を飼っていて、多分宮城県の、港が見える公園近くに住んでいる方。 愛らしいワンちゃんの写真を残したまま更新がなく、心配でたまりませんでした。
 住まいも知らず、どんな人かも、もちろんわからず、ただブログで記事を読むだけの、そんな細いつながりの人でさえ安否が気がかりなのです。 身内と連絡の取れない人がどんなに辛いことか。


 そのブログが久々に更新されました。 ワンちゃんも含めてみんな無事だとのこと。


 よかった~


 そして、 うちのワンコも。

 東京へ行く前日の昼過ぎ、悲しそうな、苦しそうな犬の鳴き声を聞いて、
 「またソウチョウがどじをして、柱に絡まったのかな。」なんてのんきに見に行ったら、ソウチョウは鎖を精一杯伸ばして心配そうに母親のチャイを見ているではありませんか。 
 悲鳴はチャイだったのです。
 そのチャイはわけがわからないけれど転げ回っています。 行きつけの獣医さんは、ちょうど午前の診察が終わったところ。 でも、夕方の診察までは待てないと判断して電話を入れました。 時間外でしたが見てあげるとのこと。 嫌がるチャイをなだめながら(いつものことです)病院へ走りました。 
 落ち着いて観察してみると、チャイは後ろ足が立たず、ぽたぽたとよだれを垂らしています。
 
 おお!これはー


 先生は、一目見るなり、

 脳梗塞をおこしとるねえ。


 ええっ!


 先生はよく人間の症状と比べながら説明をしてくれるのですが、脳梗塞の症状は犬も似ているようです。 よだれを垂らすのは、飲み込むことができないからだとか。 ただ、「さすがに四つ足動物だけあって、強い」とのことで、マヒがなおるそうです。
 よかった。 命拾いしました。
 そして、東京に行っている間入院させることにしました。


 3日後、迎えに行くと、本当に歩けるようになっていました!
 ただ今は、散歩も喜んででかけるのですが、お気に入りの場所に着くとへたり込んでしまいます。 ほんの50メートルあるかないかだのに。
 帰りはその半分くらいでまたへたりこんで、残りはわたしがだっこして帰ります。
 
 チャイは今14歳。なんとか今年の寒さは乗り切ったとほっとしたのもつかの間、また真冬並みの寒さになって、体調が心配でしたので、新しい襟巻きをあげました。
   


 笑わないでくださいね。 今度はセーターの袖ではなく、娘のニット帽をほどいたもの。 チャイはどうしても洋服を着てくれないのです。 2,3年前から、なんとか襟巻きだけはしてくれるようになりました。 これなら、恰好はわるいけど肩まで覆うので暖かいはず。
  なんだか襟元にスカーフを巻いている人間のおばあさんみたいです。


 お彼岸がきたというのに寒い春。 早く暖かくなりますように。 

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緊急東京レポート

2011-03-13 11:34:04 | 旅行

 東京へ行ってきました。


 「帝国ホテルに泊まるお江戸満喫の旅」 

 1日目は観光バスで東京見物、2日目は全日自由行動。 ホテルは帝国ホテルだって!
実は、この時期是非行ってみたいところがあって、このお値段でこの内容なら、と飛びついたわけです。 キャンセル待ちまでして実現した東京旅行、さてその顛末は?


 1日観光は浅草や築地、皇居、途中スカイツリーも見られて、最後に国会議事堂の衆議院内部見学。 寒いと予想していた東京は、ぽかぽかのいい天気で、
 わたしって、なんて旅運のいい女だろうなんて悦に入ってたんですよ。


 2時半すぎ、東京見物の中でもっとも楽しみにしていた国会議事堂に着きました。
 まず、長~いエスカレーターで地下2階くらい下りたところの広間に案内されました。

 そのエスカレーターに乗るとき、がたっと何かが倒れる音がして、 あれっ、わたし何かにぶつかったかしらと辺りを見回しましたが、どうもなんともなさそうだったのでそのままエスカレーターに。

 「このエスカレーター、よく揺れるねえ」 とわたしが言ったら、
 「さっき、外で工事してたでしょ。それのせいじゃない?」と、バスの中でお友だちになった人が言いました。
 でも~~ なんでこんなに横揺れするのか。 おまけに手すりまで揺れ出したし。
 「地震じゃない?」とわたしが言ったとき、先に下に下りていた案内の係の人に怒られました。 


 「地震です!早く下りてください!」 
 
 でも、前の人が急いでくれないんですもの。 みんなどうも言われていることがピンと来ないみたいでした。


 エスカレーターを下りてみると、何も掴まらずに電車に乗っている感じでした。 とっさにわたしは上を見て電灯の下でないことを確認。 つぎに潜り込めるものはあるかと探しましたが、その部屋は体育館のようにだだっ広く、壁際に簡単な椅子が置いてあるだけでした。 先に下りた人は椅子に座り、そこまで行けなかった人は床にしゃがんだり柱を持ったりして(柱の近くにいて大丈夫なのかと一瞬思いましたが)揺れが収まるのを待ちましたが、今まで経験した地震の中で一番揺れが長かったように感じました。


 その後、施設内点検の間お待ちくださいと言われて、警備の警察官に付き添われて待っていました。その間に携帯で調べた人に、震源地が宮城県沖だと言うことを教えてもらいました。


 東京って(東北から)近いんだねえ~ と、わたしたち、わりとのんきにしてたのですが、
 
 「申し訳ありませんが、今日はお見せすることができません。 向こうの建物にひびが入っていまして・・・・・」 ありゃ


 その代わりに、建物の外を廻って、特別に正面からの写真を撮らせてくれることになりました。



 このどっちかの道が、天皇陛下の通られる道だそうで、本当なら我々が入ることはできないのです。昨年か一昨年か、きれいに汚れを落としたとかで、真っ白いきれいな建物でした。


 係の人はそのままわたしたちのバスに乗り込んで、パンフレットの説明やら回りの建物やらの説明やらをしてくれました。
 「退社時間でもないのにこんなに人がいるということは、地下鉄もとまったようですね。」との説明に、わたしたちもようやくことの大変さに気づき始めました。 でもその時点で、わたしたちはまだ観光気分だったのです。 あとはホテルで寝るだけでしたから。



 帝国ホテルは、皇居や永田町の政府役所からも近いところにあります。係の人は結局ホテルまで付き合ってくれて、バスを降りましたが、????なぜ? 単に説明のためだけだったのかしら? 


 16時15分頃、ホテル裏側のタクシー乗り場がすごいことになっていました。 行列は建物をぐるっと廻って、何十メートルにもなっていました。 そしてホテル前を歩く人、人、人・・・・ 
 後でニュースで知ったのですが、都内の別の場所では、タクシー待ちに5時間並んだ人もいたそうです。



 ホテルでは今、1室1室点検をしていますので、しばらくバスの中でお待ちくださいと言われて、小一時間バスの中にいましたが、一向に中には入れそうもありません。 運動も兼ねてホテルのトイレに行きました。
 中は、なんとまあ、臨時にテレビが運び込まれたロビーでは、じゅうたんの上に車座になってテレビを見る人や、そこかしこで携帯を手にする人、レストランの営業を待って並んでいる人などおおよそ老舗のホテルには似つかわしくない光景が広がっていました。 (テレビを置く台がむきだしではなく白布が敷かれていたのはさすがだと思いましたけど)
 トイレも、公衆電話も長蛇の列でした。


 どうも長丁場になりそうだし、コンビニに出かけた人から、品物が少なくなっていると聞いたので、わたしともう一人単独参加の方とで何処かへ食べに行くことにしました。


 ずっととまったままの新幹線。 ホテルに着く前から、食事に出かけた17時40分までそのままでした。 窓に灯りがついているところをみると、中にまだ乗客が残っているのかもしれません。



 有楽町駅に近い高架下のビアホールが開いていたので、そこで何か食べることに。
 赤ちゃん連れの若いお母さんがいて、わたしは一瞬

 「ビアホールに赤ちゃん連れなんてなんたること!」
と思いましたが、実はみんな本当に困っていたのです。 可愛くて元気のいいおかあさんで、お父さんとここで合流して、帰る手段を相談していました。 お父さんが歩いて帰って、車で迎えに来ると言う案がでていましたが、どうなったのでしょう。 
 歩いて帰ろうとしたんだけど寒くてたまらないからお店に入らせてもらったと言う人もいました。さらには、電車が動き出すまでここで飲み明かすつもりなのか、ビールで盛り上がっているグループもいました。


 ビアホール故におつまみメニューがほとんどでしたが、とりあえずお腹を満たすことができて満足してホテルに帰ったのですが、みんなまだバスの中でした。 その時点で、わたしの予想では、部屋に入れるのは9時くらい・・・・・・


 バスの中ではテレビをつけてくれていました。 その映像を見て初めて、今回の地震がただならぬものであったことを知ったのです。


 ホテルから若い女性がお詫びのあいさつに来られ、水と紙コップを用意してくれました。多分エコノミー症候群の予防と思われます。ですから、遠慮なくお水は何度も頂くことにしました。



 1日案内をしてくれたガイドさん、まだ20歳そこそこの若くて、可愛くて、気だてがよくて本当に感じのいいガイドさんでしたが、宮城県北部の出身だと言うことでした。 わたしたちが国会議事堂でバスを降りている間に実家に電話したけど繋がらないと、心配そうでした。 あの映像を見て、どんなにか辛かっただろうと思います。 それでも気丈に笑顔を見せて、わたしたちに水をついで廻ってくれました。


 再びホテルの彼女が現れて、「ようやくお部屋へご案内することができます」と言ったのは、21時少し前。 ね、予想通りでしょ。 それも、客室用のエレベーターはまだ復旧してないので、業務用のエレベーター1基を使ってくださいとのこと。
 業務用エレベーターでリネン室に着き、シーツなどが山積みされている中を通って客室へ行くという、値打ちのある観光でしたよ。


 係の女性には「お客様の疲れた顔を見ると申し訳なくて・・・・」と何度も頭を下げられて、返って私のほうが気の毒になりました。
 いったん部屋に入ったわたしは、非常出口の確認もかねてその階の探検に。


 


 黒いうねっている部分が多分JRの線路と有楽町駅。 その下で食事をしたのです。 赤い光は渋滞した車のライトと思われます。
 疲れてはいましたがテレビの画面から目を離せませんでした。 見る度に広がる被害の大きさ。 ガイドさんの家族、無事だったのかしら。

 夜寝ている間も何度かミシミシという音がしました。それもけっこう長く。 ああ、揺れてるなと思ったけど、頭上に落ちてくるものはないし、まあいいか、とそのまま眠ってしまった・・・・・


 一夜明けて朝食を食べに本館へ行くと、なんとまあ、廊下や広間には毛布をかぶった人があちこちに。 昨日はなにかのパーティーがあったらしく、きれいに着飾った若い女性が、ピンヒールの靴を脱いで毛布にくるまっていました。 そういえば大学の卒業シーズンですよね。 帰る手段のなかった人がホテルで一夜を過ごしたようです。 
 高級ホテルが、満員時のフェリーと化していました。
  


 エントランスにはこの日の交通状況が張り出されて、



 ここ、とっても豪華できれいな場所なのにねえ。
 結婚式もあるらしいのですが、留め袖姿の女性が、親族が来られそうもないと電話で話していたりしてー もうだれも予定通りには行動できないのではないでしょうか。 でも、自分は予定通りにいくと信じて疑わなかったわたしって・・・・・・


 山手線が復旧しないため、地下鉄を乗り継いで、やっと着いた東京芸術劇場。 ここのギャラリーで「日本革工芸展」が開かれているのです。 わたしの東京へ来た第一の目的はこれでした。



 何か張り紙がしてある・・・・・・

 「都庁の指示により安全確認の点検のため、臨時休館します。」

                          


 予定通り無事に返ってきたからそれでよしとしなければなりませんね。
 帰ってからも、テレビをつける度に被害は大きくなるばかりで、命からがら逃げのびた人の、言葉にならない静かな涙を見ていると胸が詰まります。
 そして、今度の旅行で一番印象に残ったのは、自分のことを2の次にして職務を全うしようとする人たちの姿でした。 国会議事堂の職員の皆さん、ホテルのスタッフの皆さん、街に出て交通整理や警備に当たる警察官、観光のお世話をしてくれた添乗員やバスの運転手、ガイドさん、交通機関で働く人たち・・・・  そして街の人たちも、みんなとても困っているはずなのに、静かに冷静に行動しています。日本人て捨てたもんじゃない。 しみじみとそう思いました。 
  
                       




 けさ、関西電力に勤める知り合いからということで、節電を呼びかけるメールが届きました。 と言うことで原文を載せていたのですが、 


   りんごさんからのご指摘があり、このメールはどうもチェーンメールでまわっているもののようです。
 節電自体は枝野官房長官が国民全体に呼びかけていますので、悪いものではなく、むしろ積極的に取り組むべきものですが、情報に誤りがありました。
 
 関西電力のホームページでチェーンメールについて注意を呼びかけています。  これ以上情報を広めないために、内容を削除させていただきました。 すでにメールの文面をお読みになった方、たいへん申し訳ありませんでした。

 

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感動のトルコ周遊14 今夜の宿泊は

2011-03-10 00:03:44 | 海外旅行トルコ

 パムッカレを後にして、バスは次の観光地へ。 移動距離410キロ、海を離れて内陸部に向かいます。 
 今夜の宿泊はコンヤです。・・・・と、シャレを言わないつもりでも、つい、言ってしまう町、コンヤ。


 コンヤには、紀元前6000年頃からヒッタイトやフリギア(世界史に出てきたような気がする)が居住していた形跡が見られるそうです。その後、ペルシアやアレクサンダー大王、ローマ帝国の支配下に置かれた後、アラブ人の侵攻をうけ、ついでルームセルジューク王朝の首都になって繁栄しました。が、その後モンゴル人に侵略され、ついでオスマントルコ帝国の領土となりました。 コンヤは東西交易の中心地であり、文化の十字路だったのです。


 SBさんの説明では、このように様々な民族の支配を受け、混血して今のトルコ人があるのだそうです。ですから、トルコでは、人と人との調和を非常に大切にするのだとか。
 コンヤの歴史を考えると、なるほどとうなずけます。


 コンヤに着いて、まずホテルに荷物を降ろし、メブラーナ博物館を訪れました。 
 緑のタイルで覆われた尖塔が印象的。 



 時刻は既に4時をまわって、回廊には明かりがともされていました。 この建物には入らずわたしたちが入ったのは緑の尖塔の建物でした。



 メヴラーナ博物館は、イスラム神秘主義の一派で、メヴレヴィ教という教団を創始したメヴラーナ・ルーミーの霊廟です。 もともとはこの教団の修行の場であり祈りの場であったそうですが、今はこの教団は解散し、霊廟が博物館として公開されています。


 中へはいるには、靴カバーをはかなくてはなりません。



 みんながみんな、この青いビニールをはいている恰好は、かなりへん 
 トルコでは宗教施設にはいるときはスカーフで髪を覆わなければならないと聞いていたのですが、その必要はありませんでした。 ここはもう、博物館で、寺院ではないからです。
 
  緑のタイルの建物が霊廟なのですが、内部の撮影は禁止です。
 内部は装飾的にデザインされたアラビア文字が、壁一面に書かれていました。 
 一段と高いところには、なんとたくさんの棺が並べられていました。これらはこの教団の指導者のものだそうです。 棺の上には、生前かぶっていた帽子が飾られて、誰の棺か分かるようになっています。
 奥の方にひときわ大きく、美しく飾られているのがメヴラーナ・ルーミーの棺でした。

 うぉ~、もしかしてわたしたちは今、大勢の死者と対面しているわけ?

 間近にたくさんの棺を見て、ちょっと心がひるみましたが、遺体はこの中に入っているわけではなく、棺の真下の地下に埋葬されているとのことです。 ちょっと安心しました。


 外へ出た頃には、もう日が暮れかけていました。 が、もう一つ行くところがありました。


 インジェ・ミナーレ博物館。 ここはもとは神学校でした。
 この細くて長い尖塔が名前の由来です。 美しいタイルで覆われていました。 



 それにしても、こんなに遅く入らせてもらえるのかしら。
 と、思ったらー


 外から写真を撮るだけでした



 正門に彫られた幾何学模様のレリーフは、トルコを代表するすぐれた美術だそうです。
しかし、ここは人通りの多い歩道の上、ゆっくりと観察するには不向きな場所でした。

 むしろ、すぐそばで見られるコンヤの夜の風景がなかなか興味深かったです。


 道路清掃中。 超大型掃除機みたいなので木の葉を吸い込んでいます。



 トルコの救急車



 すぐそばにマクドナルドの店もありましたが、ピンぼけでした。 


 そして、ホテルに帰ってきました。 リクソス。 高級ホテルです。 


 回転ドアのガラスに印刷されているのは、メヴレヴィ教のセマー(日本語で旋舞と呼ばれる)という祈りを捧げる人の姿。 メヴレヴィ教では、神と対話するために何時間もくるくると回り続けるのだそうです。
 で、回転ドアのこの人は、24時間、人が出入りする度に廻っております。
 トルコへ出発する前、偶然ですがテレビでコンヤの町を紹介している番組を見て、セマーのことを知りました。 
 ついでにいうと、回転ドアの向こうには、空港にあるようなセキュリティーチェックのゲートがあります。 わたしたち日本人のツアー客はフリーパスで入れましたが、個人客はゲートを通らされていました。
 こういうことに出会うと、なんだかんだ言っても、日本は平和で安全なんだなとつくづく思いました。


 エレベーターの中です。 どれが本物のわたしでしょう?



 前後、左右、上下すべてガラス張り。 ちょっとでも怪しいそぶりをするとすぐわかってしまいますね。 装飾的に楽しいだけでなく、安全だなと思いました。



 このホテルは、本当にすてきでした。 飾られている花ひとつとってもおしゃれで、アメニティグッズまで写真を撮ったのは、このホテルが初めてです。 もちろん、プールもジムもただで使えたそうです。残念! 早々と寝てしまいました。
 そしてクロゼットに衣類乾燥室が これも残念、気づくのが遅かった。


 せっかくのいいホテルなのに、あまり活用しないまま翌朝になってしまいました。


 出発してバスの窓から覗いたら、ホテルのすぐそばにある電車の駅には、朝市がたっていました。



 ああ、散歩をする時間もなかった・・・・・            ーつづくー

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すてられたみかん

2011-03-06 08:16:12 | 生き物

 広い道を車で走っていて、 


 おっと・・・・ 鳥の群れ発見。  すみません、またまた鳥ネタです。


 幹線道路の近くにこんなにも鳥が集まったところを今まで見たことがありません。
 すぐさま車をUターンさせて確かめに。

  原因はこれでした。



 畑の、道に近いところに捨てられたみかん。 このみかんに鳥が群がっていたのです。
 でも、すぐそばを車が通るものですから、そのたびに一斉に飛び上がってはまた下りてきて、すぐに次の車が来るものだからまた飛び上がって、それの繰り返し。
 それでその辺りバタバタと鳥が飛び回っているように見えたのです。


 梅の花が咲いて、菜の花が咲いて、春の野原で鳥が遊んでる・・・・・・


 


 そんなのどかな光景に見えるでしょ? ところが


 



 山のように捨てられたみかんは3カ所。 そのどれにもこんな風にヒヨが群がっているのでした。


 畑の中の道に車ごと入らせてもらってしばらく写真を撮りました。
 そばに車が走ってくる度に避難するのは、満開の梅の木。



 
 こうしてみるとなかなかかわいいのですが。



 あれだけたくさんのヒヨが群がっているのを見ると、脅威を感じました。 そして農家の人が気の毒になってきました。


 あれだけたくさんのみかんを収穫するだけ収穫して、ジュース用にさえも出荷されず、産直市にさえ売りに出されなかったのはどうしてでしょうか。 どうにもならないくずみかんにしても量が多すぎると思います。 農家の人は骨折り損にしかなりません。
 捨てられたみかんも哀れです。 少しでも役に立つことはできなかったものか。 せめてヒヨのえさになって、このみかんがある間他の作物の被害が減るといいですが。

 そんなわけありませんね。



 ケール畑では、また別のヒヨの群れがせっせと葉っぱをつついておりました。 今年は、松山市のような街中でも野菜が食べられているそうです。


 山のようにあったみかんも、4,5日後に見たときには跡形もなくなくなっていました。

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感動のトルコ周遊13  パムッカレウォーキング 

2011-03-03 23:20:29 | 海外旅行トルコ

 パノラマで撮ったパムッカレ全景ーではありません。 まだここから左手にぐるっと石灰棚は広がっていました。 



  


 人が並んでいるところが、足湯のできる場所です。 晴れた日だと水に青空が写ってとてもきれいなんだそうですが、あいにくの曇り空。 写真を撮っても真っ白にしか写らないでしょうとガイドのSBさんは言っていました。
 全くその通りだったので、この写真は棚の形が見やすいように少しコントラストを調整しています。



 この壁を抜けると180度石灰棚が見えます。 石灰棚の際まで都市が会ったことを物語る遺跡です。



 壁の向こうには、きれいに整備された公園もありました。 公園につきものの池も、ここでは温水でできています。



 


 それから左手に石灰棚を見ながら遊歩道をぐるっと一回り。



 
 温水の流れている所には湯気が立っています。 前回も書きましたが、近年の開発ラッシュで流れる水量が減ったため、今は日によって流れる場所が変わるように調整しているのだそうです。
水の流れなくなったところは、黒く汚れています。 



  


  石灰棚の反対側にはこうした遺跡が残っていて、博物館もあるのですが・・・・・



 時間がない!
  
 見事な石灰棚はいくら見ても見飽きないくらいだし、写真もいっぱい撮りたいし、でも集合場所は遥か向こう。
  時折立ち止まって写真も撮りながら、駆け足に近い速度で歩いたのではないかしら。 すばらしいダイエットウォーク  さほどに石灰棚は広かったのです。


  やっとの思いで集合場所の「アンティーク プール」という建物に着きました。

  しかし、

  長蛇の列のトイレに行くのを優先するか、この、温水の中に遺跡が沈んでいるというプールを見るのを優先するか、究極の選択を迫られるほど時間は押し迫っていました


 で、どうしたかって? もちろん遺跡プールを見ました。 もう一生見られないかもしれないのに。


 このプールはお金を出すと入ることができます  貴重な遺跡のわりには、かなりアバウトな保存だと思うけど・・・
 誰もいないように見えますけど、実際は大勢の観光客がここから見ていますので、ここで泳ぐにはかなり勇気がいりそうです。


 さっさとここに着いてお土産まで買う余裕のあった皆さんは、どこをどう歩いてきたのでしょうね。


  ーつづくー 


 

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