あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

沖縄旅行番外編 食べたもの 買ったもの 

2023-05-13 23:56:00 | 沖縄旅行 2023

 今回の旅行、グルメ旅ではありませんので、ガイドブックに載るようなお店には行っていません。なにしろ一日目からコンビニ弁当ですからね。推して知るべし。一軒だけ人気のお店に予約しようとしたのですが、2日前には予約でいっぱいだったそうです。

 ただ、沖縄料理の主な物は食べておきたい、ということで、ホテルのビュッフェでは沖縄っぽいものは必ず食べてみました。記録として残しておきます。さらっと読み飛ばしてください。
 
 2日目の朝、昨日のコンビニの仇をとるように色々なものを食べました。
 
 手前のはジューシーと呼ばれるひじきの入った雑炊。出汁は豚からとるらしいです。普通は炊き込みごはんなのかな?雑炊はちょっとご飯が柔らかすぎて好みではありませんでしたが、スーパーで買って帰ったジューシーのもとで炊いたご飯はおいしかったです。
 ピンクの器のは油味噌。これも豚の脂と細かい肉が入っていました。しかし、これを食べるのなら白いご飯にしなくては。ちょっと失敗。
 


 ヨーグルトソースはもちろんマンゴー
 水饅頭の餡は紫芋です。紫芋を使った食べ物は色々ありました。特にスイーツ類。ジュースはシークヮーサージュース。トラオがこれをいたく気に入って、帰るまで毎日シークヮーサーばかり飲んでいました。畑に一本植えますかね。
 スイカ、わたしには初物です。甘かった。

 
 自販機にも沖縄のお茶、さんびん茶が売られています。ほんのりジャスミンの香がするお茶でした。


 2日目のお昼は沖縄そば。フクギの森にある人気のそば屋さんで。
 わたしは三枚肉そば


 トラオはソーキそば。


 娘は沖縄そば定食。ウマオはそばを少しだけ。

 お肉がほろほろ。おいしかったです。
 
 1日目から気になっていた沖縄ぜんざいを
道の駅許田で食べました。氷金時かな?と思ったのですが、小豆餡ではなく金時豆を甘く煮たものの上に白玉団子と氷が乗っていました。おいしかったけど全部食べたあとは身体が冷えました。氷のシーズンには早すぎました。


 
 2日目の夜は「やっぱりステーキ」で、ステーキ100グラム。残念ながら、沖縄で有名な88ステーキではありません。とにかく夜の知らない道でも迷わず行けるところを探しましたから。
 これで100g。お隣の女性が、山盛りのご飯とステーキ300g食べているのを見ちゃった。そのくらい食べるものなんですねえ。
  
 別に節約するつもりではなく、多少弱りかけた胃にはこれで十分だつたのです。孫たちはハンバーグとステーキのセット。
 レアの状態で出てきて、自分で、小さく切って熱々の皿で好みの焼き加減にします。このシステム、とてもいいです。というのも、わたしはよく焼かないと肉を食べられないので。
 安く上がりました。
 このお店、スーパーの2階にあって、この後地元の食材をたくさん買いました。





 サーターアンダギーのもと 唐辛子のオイル漬け…  お土産になかなかよかったです。


  
 ガンガラーの谷のそばのカフェでベトナムのバインミー。そろそろ疲れが胃にきてます。トラオと半分こ。

 
 3日目の夜は、前回アップした市場の魚料理です。そうそう、オリオンビールも飲みました。
 
 4日目の朝食から

 紫芋のバター


 ジーマミー豆腐と 右のは温野菜に雑穀のトッピングをしてたかな? 下の二つは?
 



 上の右は確かパパイヤの炒め物だったと思います。へちまも食べたと思うのですが、どれがどれだかわからなくなりました。
 下左は紫芋のコロッケ
 カップの中、温野菜の下にらふてーがあつたかもしれません。

 
 ハイビスカスティー。きれいな色。うちにもハイビスカスはいっぱい咲くのですが、どうやったらお茶にできるんだろう。


 以上。
 
 特に豪華な食事もせず、お土産は食べるものばかり。沖縄ガラスなど魅力的な物はありましたが、もう物を増やしたくないので買いませんでした。30年も前に買った沖縄ガラスの瓶と、焼き物の花瓶はお気に入りで、今も飾ってあります。お陰でお小遣いもあまり使わず、かなりの節約旅でしたが、今のわたしには身の丈に合った旅でした。
 男の子の孫たちと泊まりがけで旅するのは最後かもしれません。楽しい旅ができて本当によかったです。

 長々と引っ張りましたが、沖縄旅行記はこれで終わりです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
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沖縄旅行12 4日目

2023-05-12 23:20:25 | 沖縄旅行 2023

 沖縄旅行最終日 国際通りをぶらぶらして昼過ぎには空港へ行く予定です。

 この日を思い出して残念なのは、すぐそばに屋台村があり、伝統工芸館がありでそこを観光する時間もあったはずなのにどちらにも行かなかったこと。で、何をしていたかというと

 ホテルの向かいにある公園をぶらぶらしてました。

 市民のための公園だと思います。

 大きなヘビのような遊具があって、緑の多い公園でした。

 





 私が気になったのは、沖縄中どこにでも見られたこの花。公園の草むら一面に咲いていました。わたしは多分シロノセンダングサだと思ったのですが、これがなかなかややこしいのです。

 うちの方では白い舌状花のないコセンダングサがほとんどですが、たまにこのタイプのセンダングサがあります。だけど一回りも二回りも小さいのです。

 これはホテルの庭に咲いていたのを適当に潰して押し花にして持って帰ったものですが

 一番大きいところで4センチもあります。
 
 それで、うちのほうにあるのがコシロノセンダングサ、沖縄のはシロノセンダングサだと勝手に思いました。そこで娘がいつものKちゃん先生にラインしたら「アワユキセンダングサ」だの「タチアワユキセンダングサ」だのと言う返事が返ってきました。 
 アワユキセンダングサは侵略的外来種に指定されているそうです。繁殖力が強く在来種を駆逐する困った植物らしいです。九州南部、沖縄。小笠原諸島、先島諸島に定着しているそうです。しかも一年中咲いているとか。なるほど、これはアワユキセンダングサ、もしくはタチアワユキセンダングサという花だったのか。なお、帰ってから調べたところシロノセンダングサもコシロノセンダングサも同じものらしいです。

 よくよく見ると、咲いている場所でちょっとずつ違っているのです。

 残波岬の花

 





 白い舌状花(以後、便宜上花びらと言います)は5枚が多かったです。

 

 ガンガラーの谷の花

 花びら6枚、しかも形が桜のように切れ込んでいます。

 
 これはコスモスそっくり

 
  花びら8枚



 では公園の花はどうか。わたしは観察を始めました。

 花びら6枚

 
 花びら8枚

 
 花びら7枚
 
 
 なんという虫かしら。

 
 花びらが細いです。葉を見るとうどん粉病みたいになっているので、病気のせいでこうなったのかもともとなのかわかりません。



 いろいろなバリエーションを探していたら思わぬ時間を食ってしまいました。
 
 路上生活の猫。寒そうでした。
 
 まだまだお昼までには時間がありましたが、娘はもう空港に行くと言います。しまった、公園で時間をつぶしたりせず、伝統工芸館にでも行けばよかった。
 19キロ近いスーツケースと大きなバッグをごろごろ押して(重くて引っ張れません)駅まで行きました。それぞれ自分が持てる荷物を持っていましたから誰も手伝ってくれませんし、段差を持ち上げるのは大変でした。
 歩きながら、お土産物屋さんばかりだなあと思いました。でなければ飲食店。観光客がいてこその商売です。
 「これは・・・コロナの頃は本当に大変だっただろうね。」
 
 ゆいレール
 
 
 沖縄の空港は、これでもかというくらいランが飾ってあります。これ全部コチョウラン。



 ずいぶん早く着きましたが、それでよかったのです。搭乗手続きにめちゃくちゃ時間がかかりました。というのも、来るときに機械でチェックインしたら4人ともばらばらの席になりまして・・・生まれて初めて飛行機に乗る子たちがですよ。 幸い親切な方が席を変わってくださいました。ほんとうはいけなかったのだろうけど。
 帰るときはそんなことのないようにカウンターでチェックインすることにしたのですが、それが長蛇の列でした。そして昼ご飯を食べることもできずに飛行機に乗り込んだのでした。
 お弁当もこれしかなくて、しかも買うのにも並ばなければなりませんでした。
  
 

 そして最後の駐車場トラブル

 松山空港で、車を置いた場所がわからなくなりました。私と一緒に荷物番をしていたトラオ、母の入っていった三階建ての建物を見て「俺たち2階に停めてそこが屋上だったんだから、三階建ての建物を探すのはありを得んじゃろ。それに空港に入ってからもかなり歩いたから、入り口から一番遠いあの建物だと思う。」

 それもそうだ、ちょっと見てくるね。と私が探しに行って、簡単に車が見つかりました。トラオ、ナイス推理。車を探すのに30分はかかったと思います。

 こうして私たちは無事帰ってくることができました。うれしいことにまだ桜がきれいで、私たちはわざわざ遠回りして重信川の桜を見て帰ったのです。

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沖縄旅行11  牧志公設市場と三つのホテル

2023-05-11 09:15:07 | 沖縄旅行 2023

ゆ さて、ガンカラーの谷の後、那覇へ引返してレンタカーを返します。この時間の制約があったため、沖縄ワールドにも寄れませんでした。孫たちごめん。結構大人向けの旅だつたかも。

 レンタカーを返した後、タクシーでホテルへ行きました。夕方の混雑の道を難なく連れて行ってもらえました。
 
 パームロイヤルHAHA国際通り 
 
 エントランスから何やら東南アジアの雰囲気が漂っていました。
 
 


プールがあって


 本物やらレプリカやらの美術品が随所に飾られていて

 
 
 
 ホテルの一角にクロアチア領事館が入っているそうです。
 エレベーターに乗るには部屋のカードキーを差し込まなければなりません。セキュリティーは厳しいと思いました。
 
 ホテルはにぎやかな国際通りに面しており、ゆいレール(那覇空港と市内をつなぐモノレール)の牧志駅へも歩いて5分という立地の良さ。ホテルの前には沖縄屋台村。近くには島唄のライブも聞ける食堂など、食べるところには事欠かないようでしたが娘には思惑があって、あえて公設市場へ行くことにしました。その公設市場もホテルからは10分もかかりませんでした。
 
 大通りから、斜めに通っている小路を行き・・・
 なぜか30年前の道の記憶がありました。そうそう、昔ここで、中がオレンジのサツマイモやら、地元で冠婚葬祭に食べるというお菓子やらを買って流しのタクシーに乗って、運転手さんが地元のとまちがえましたっけ。あの日大通りではデモが行われていて、デモ隊がサンシンの音楽とともに歩いて驚きました。
 
 お土産屋さんの立ち並ぶ小道を奥へ奥へと歩いていくと、新しくなった牧志市場に着きました。 市場の入り口近くのブースは魚屋さんばかりです。赤や青の魚が並んでいました。昔これが珍しくて、見るだけで楽しかったのです。あの時はもちろん生ものは買うことができませんでしたが今回は買います。というのは、買ったものをここで料理してもらって食べることができるのです。娘は学生のころ海に潜るために来たことがありますが、その時に熱帯魚を料理してもらって食べたのだそうです。それを子供たちにも体験させたかったそうなのです。
 
 私たちが買ったのはこの二つ。
 イラブチュー(アオブダイ)とヤコウガイ

 
 夜光貝! 生きていたら光るんでしょうか。
 アオブダイは文字どおり深い青色をした魚です。店員さんがそれをもってすぐ二階に案内してくれました。
 
 アオブダイの半身とヤコウガイの半身をお刺身に。ヤコウガイはウマオの顔の半分くらいの大きさでした。
 


 
 
 娘が海ブドウが食べたいと言ったらサービスでつけてくれました。プチプチと口の中ではじけておいしいんですよね。
 
 のこりは唐揚げと
 豪快! 

 
 バター炒め



 とてもおいしくて、子供たちが大半を食べてしまいました。
 私が、貝殻をもらえませんかとお願いしたら、きれいに洗って袋に入れてくれました。やったー、記念に飾っておきましょう。
 
 おなか一杯になったところでお土産屋さんを覗きながらぶらぶら歩きました。ここで最後のお買い物です。しまったねえ、早々と水族館で買わなくてもここへ来ればなんでもありましたのに。それに前日の夜にはスーパーで地元の人が日常買っているスパムやレトルトのラフテーなども買いましたし、きれいな箱入りの品でなくてもよかったのです。
 
 ここで話は遡ります。今回泊ったホテルのことを少し。
 ホテル選びに際して私たちが一番こだわったのは立地でした。次の日の最初に観光する場所に一番近いところを、と選んだのは大正解。
 
 1日目に泊った、美ら海水族館の隣のロイヤルビューリゾート美ら海。当日は満室でした。
 
 バタバタして外観の写真を撮ることも忘れていましたが、ただ寝るだけではもったいないホテルでした。部屋からすぐプールに行けるようになっています。手前の四角いものは、水着のままでくつろげる小さなあずまやのようなもので、各部屋に一つついており、ハイビスカスの垣根で仕切られています。
 
 
 プールの向こうはビーチです。
 
 ロビーの片隅にはプレイルーム。
 館内スタンプラリーが行われていて、子供たちは朝食後の短い時間で館内をくまなく見て回りました。
 
 
 
 部屋は床も壁も天井も白で統一されており、サンゴ礁の海の壁が楽しい。
 
 
 生まれて初めてこんなホテルに泊まったウマオは大喜び。水族館よりも何よりもホテルが気に入ったのです。
 着いていきなり夜中の2時就寝というハードなスケジュールでも、歩いて5分で水族館に行ける距離にあったため寝坊もできました。(結局は車で行ったけど)
 
 2日目に泊ったのは首里城に近いダブルツリーbyヒルトン。順調にいけば夕方でも歩いて散策に行けるかな、という気持ちでした。
 
 坂道を下っていくと広い駐車場がある、この景色に見覚えがありました。なんと30年ほど前に泊ったホテルと同じだったのです。そのころはグランドキャッスルとかなんとか。





 
 高台にあるために那覇市内が見渡せます。
 
 夜景がきれいでした。
 
 同じ方向、朝
 
 








 一日目のホテルがよほど気に入ったのか、早くホテルに行きたくてたまらなかったウマオです。
「ウマちゃん、今度のホテルはもっと豪華かもよ。」と予想していた割にはシンプルな普通のホテルでした。
 
 電気を消すと天井にこんな模様が浮かびます。



 ここはカードキーで、人数分だけカードが渡されましたが、さっそくウマオが1枚なくしてしまい弁償する羽目になりました。
 
 無理にこのホテルでなくてもよかったかな?という気もしましたが。
 というのは、首里城公園まで歩いていくには距離があり、到着も遅かったので、夕方の散策とはいかなかったのです。ライトアップされているから夜でも行けはしましたが、まずは食事です。近くに飲食店がないので車で街に出なくてはなりません。夜の知らない道を走るのはかなり勇気がいりました。結局は、シンプルにたどり着けて、駐車場がわかりやすくて、ステーキの食べられるとのころ、という良い場所を見つけ、無事に食事ができました。おまけにそばのスーパーで地元の人が食べているのと同じ食材をお土産に買うことができたし、ライトアップされた守礼の門も遠くから見ることができたのです。
 もし、食事優先で国際通り近くのホテルに泊まったとしたら、翌朝は、常に渋滞するという道を時間をかけていく羽目になったでしょうから、首里城の近くでよかったと思いました。
 
 この日は私一人でツインの部屋を占領できました。早くも山ほどに増えた荷物を整理しなければならないので助かりました。何しろ娘たちの買ったものが・・・・
 9本のサイダー。
 美ら海水族館の自販機で買ったサイダーがとても気に入ってお土産に買ったらしいのですが、めちゃくちゃ重くなることは想定外だったらしい・・・・とても手で下げて歩ける重さではなく、しかたなく私の衣類を予備のバッグに入れて、スーツケースの中にサイダーを入れることにしたからです。もう~~~ 最終日のホテルがパームロイヤルでよかった。重い荷物をゴロゴロ押して歩いても5分で駅に着くのですから。それでも大変でした~ 空港で重さを計ったら19キロ近くあったのですよ。今思えば、各自1本ずつホテルで飲めばよかった。
 
 というわけで、ホテルにも大満足の旅でした。
 
 
 ※ 記事数が多くなりましたのでカテゴリーを分けました。今までの記事はカテゴリー「沖縄旅行2023」でお読み頂けます。
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沖縄旅行10 旧海軍司令壕跡

2023-05-09 01:02:00 | 沖縄旅行 2023
 沖縄旅行3日目 実際の行程とは順序を変えています。
 
 旧海軍司令壕跡公園
 ガンカラーの谷に行く前にここに来ました。
 
 なぜかここだけ手元にパンフレットがありません。わたしの知っている乏しい知識と、ネットを頼りにまとめましたが、ここでは沖縄戦の経過や惨状を述べるのが目的ではありません。史実については曖昧で誤解もあるかもしれないことをお断りしておきます。
 
 
 
 長い階段を上った先にある慰霊塔。
 ここは旧海軍司令壕跡公園です。

 
 沖縄旅行の計画にあたって、娘と私は悩んでいました。 第2次世界大戦で唯一、住民を巻き込んだ地上戦があった沖縄。それに触れずにはいられませんが、気が重かったのです。
 しかし、「沖縄でどこへ行きたい?」と聞いたときトラオは即座に「旧海軍司令壕跡」と答えました。牛に引かれてではありませんがトラオの希望に応えるようにしてここを訪問場所に加えました。 
 
 階段を上がると海の見える広場に来ます。 
 
 慰霊塔や仁愛の碑の横を通り

 
 ビジターセンターへ。

 
 ここは公園として遊具や昆虫採集広場などが整備されているそうです。さほど広くはない駐車場は満車ではなく、ただ広々と静かでした。
 
 壕は旧海軍関係者によって遺骨収集され、公園として整備された施設だそうです。児童生徒向けの平和教育なども行われているそうです。
 重い気持ちで入ったものの、悲惨な戦闘の写真はありませんでした。意図的なのか、戦場の写真そのものがないのかわかりませんが、ほとんどが降伏後の住人の姿、収容所の暮らしなどでした。米兵との交流を写した写真も多数ありました。それはそれで考えさせられることがたくさんありましたが。

 
 歳をとると若い頃には見えなかったものが見えてくるものです。70年間の経験が共感と同情とを増幅されるのです。 親を失った子の写真を見ればそれが幼かったわが子に重なり、老人を見れば頼る者もなく捕虜になったその不安がわがことのように思えます。残されたこの人たちはこの後平穏な人生を送ることができたのだろうか、一人一人の行く末が気になりました。
 昔、沖縄旅行をした時はひめゆりの塔ができたかできないかの頃で、旅行社の作ってくれた行程を貸し切りタクシーでまわりました。その中に戦争に関わる施設はありませんでした。けれど、その時運転手さんが話してくれたことを今も覚えています。沖縄の人で、一人でも家族を失くさなかった人は一人もいないと。沖縄戦では住民の四人に一人が亡くなっていたそうですから。ここに写っている人たちも悲しみを背負って生きたに違いないと、勝手に想像して目の奥が熱くなりました。
 
 私がもっとも心を打たれた写真
 


 難民キャンプなどの写真でも見られる青空教室です。どんな状況下でも学び続けようとするのは世界共通なのかもしれません。いや、困難な状況だからこそ、祖国再建の決意を持って学んでいたのでしょう。学びは大人にとっても子どもにとっても希望の象徴のように思えました。
 
 
 展示を見ながら下へ下へと下りて行きました。



 見学者は多くはありませんでした。その中にトラオと同じ年頃の少年がいて、誰よりも熱心に見入っている姿が印象的でした。

 
ここからは地下壕へ入ります。

 
 3000人の兵士によってつるはしで掘られたという壕です。現在公開されている部分は300m、まだ公開されてない場所があると言うことです。



 当時のままの形状で保存されています。
 わたしは同じような施設をベトナムで見ました。ホーチミン市の大統領府、現在は迎賓館として使われているその建物の地下に、非常時に備えた部屋がありました。その時感じたことをこのように書いています。
 
「それはなんとも奇妙な感覚を呼び起こさせる施設でした。 わたし自身は戦争を知らないにもかかわらず、何か、今自分が戦争に関わっているかのような、妙に生々しい臨場感がありました。」
 
 しかし、ここはそんな生ぬるい表現で伝えられるものではなかった。
 
 
 兵士たちは普段は周辺の民家などで過ごし、爆撃があるとこの壕に逃げ込んできたそうです。時には廊下にまで人があふれ立ったまま眠る兵士もいたとか。
 ジオラマで再現されたものではない、本物の戦場がここにありました。
 


 幕僚室 1945年6月13日 ここで太田司令官以下6人の幕僚が手りゅう弾で自決しました。手りゅう弾の跡や血痕がそのまま残っています。



 暗号室 作戦上重要な部屋だったのでしょうが、中を写していません。
 


 医療室
 とはいうものの驚くほど狭いのです。 6畳もない部屋のように見えました。





 壁に太田司令官が、自決する一週間前に海軍司令部に送ったという電報の現代語訳が掲げられていました。ここの展示では唯一、沖縄戦の悲惨さを言葉で伝えているものです。できれば画像を拡大して原文で読んでいただきたいです。
 ところが! 最後の一文が写っていません。
 


 ここでわたしは初めて、通りすがりにざっと見た「仁愛の碑」がその電文であったことに気づきました。改めて「仁愛の碑」を見てみます。最後はこのように締めくくられていました。「沖縄県民、かく戦えり。県民に対し特別のご高配を賜らんことを。」
 


 この電報は東京の司令部に届いたのだろうか、届いたとしてもだれもどうにもできない事態になっていたはず。そうとわかっていても伝えずにはいられなかった県民の困窮と献身。司令官の良心と、後世に託す願いを見た思いです。われわれはその願いにどう応えてきたのだろうか。ちくりと、申し訳なさと後ろめたさとがよぎりました。
 
 
 発電室
 


 
 
 下士官隊員室 ここも狭い。
 
 
 まるで牢獄のようです。



 
 司令官室
 

 
 作戦会議もここで行われたようです。

 
 信号室
  写真なし
 
 出撃出口 格子の向こうの狭い扉が出撃出口。兵士たちは勝ち目のない戦闘に出て行き、ほとんどのものが帰ってこなかったそうです。
 
 
 先ほどからアジア系の人と思われる家族が前を歩いていました。小さな子供にときおり説明をしたりしていたのですが、ここで丁寧に手を合わせて出ていかれました。平和を願わない人なんてどこにもいない。それなのに今まだ愚かな戦争を続けているという現実。歴史から学ぶことをやめてはならない、悲惨な記憶は後世に伝えなければならない、そんな思いを強くしました。
 
 再び駐車場へ戻って遠くの海を眺めました。来た時とは全く違う気持ちで海を眺めました。那覇へ上陸したという米軍はあの海の向こうからやってきたのだろうか。圧倒的な戦力を見ながらここに立てこもった人々はどような気持ちで一日一日を生き延びたのか。
 
 
 駐車場横の草地ではセンダン草にタテハチョウが。

 
 これは何というチョウでしょう。美しい模様でした。この模様を写すためにしばしチョウを追いかけました。
 


 こうしてのんびりとチョウを追いかけることのできる幸せ。今の日本の平和は沖縄の貴い犠牲の上に築かれたのだということを忘れてはならないと思いました。

 だからね、ガンガラーの谷へ写真映えだけを求めてやってきたお嬢さんに、わたしは少々腹を立てたのですよ。

 長く重い文章をここまで読んでくださってありがとうございました。



 
 






 
 
 
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沖縄旅行9 ガンガラーの谷

2023-05-04 17:09:00 | 沖縄旅行 2023

 

 順序から言うと次は旧海軍司令壕跡ですが、ここは特別な場所、旅の締めくくりに最後に述べたいと思います。

 ガンガラーの谷、ここは私が行きたかった所です。古代の鍾乳洞が崩れ落ちそこに亜熱帯植物が茂るという特異な景観の谷。ガイド付きのツアーでのみ入ることができます。

 沖縄ワールドと共用の駐車場を抜けて森の中へ。

 



 駐車場の脇にはセンダングサの花が咲いていたのですが、残波岬で見たのとは少し雰囲気が違うようなのです。が、これについてはまた後で。

  とまっているチョウはイシガケチョウ



 洞窟へと下りる道

 



 短い道でしたが別世界に入り込むようなワクワク感。

 途中にクワズイモの花が咲いていました。

 



 

 首里城公園ではすでに実になっていましたが、こちらではまだ花でした。

 と、いきなり目の前に洞窟が現れました。傘のように見えているのはツアー参加者だけが入れるカフェです。 

 



 

 いったん受付をして食事をしに外へ出ました。当日訪れた人は予約で一杯でお断りをされていました。よかった、早くに予約していて。

 予約の2時前にまたここへ来ました。先のグループが出発するのを待ちます。あれ?1日3回のツアーではなかったのか。なんだかひっきりなしに出ているみたい。

 





 出発前に概要のガイダンスがありました。そしてお茶の入った水筒が配られました。

 

 ガンガラーの谷は、古代の鍾乳洞が崩れ落ちてできた谷です。だから鍾乳洞の一部も残り、亜熱帯のジャングルもありですが、古代の人々が住んでいた形跡が残っており、今も発掘作業が続けられています。

 



 

 ケイブカフェをでるとそこは熱帯植物の茂る森

 











 

 川も流れていました。この川は地上から続いているそうです。かつて、牧場のあった場所から汚水が流れ込み、一時この谷は閉鎖されていたとか。今は、その問題も解消されています。先には、車が通る県道の真下に出る場所もあり、 地元の人の生活のすぐそばにある不思議な谷でした。

 



 

 森の中を行くと二つの洞窟がありました。

  イガキ洞(母神)中は礼拝所になっているそうです。入れません。



 イグナ洞(父神)入り口でカンテラを渡してもらい、数人ずつ入ります。狭いです。


 どちらがどうだか忘れたけど、ともに、子宝祈願、安産や子供の成長をねがう人々がお参りする場所だそうです。
 名前すら覚えにくい。



 
 大岩をくぐり抜け


 また違った空間に。


 森の主、ガジュマルの大木。ここで撮影タイム。ガイドさんに記念写真を撮ってもらいました。


 広角で撮ってくれたという写真。おお!足がめちゃくちゃ長い。
 


 
 
 一組ずつ撮影する間にお茶を飲み休憩しました。そして、ガジュマルの前でにこやかにポーズをとるお嬢さんを複雑な思いで眺めました。
 
 二人連れのお嬢さんたち、背中の2分の1が正三角形に開いたトップスにおしゃれなビーチサンダル、もうひとりはベリーショートのパンツにピンヒールのかなり高いの。よくここまで足を怪我せずに来れたなあと感心したり、カやアブに襲われたらきれいな肌がどうなるだろうと思ったり(本当に刺されたらおもしろいのに) 見つめるわたしの顔、ちょっと意地悪な顔になっていたと思う・・・
 というのもついさっきまで太平洋戦争中最大の激戦地だった沖縄の悲惨な歴史に重い気持ちでいたものですから。
 
 大きく穴の開いた空間。穴の上は日常の生活が営まれています。これが映画ならさしずめ現代から古代へタイムスリップする通り道の穴。
 
 
 左の階段は現地の人のお墓です。今もお参りされているのだとか。

 そして私たちはスタッフ手作りだというツリーテラスへ。え?こんなに大勢上がって大丈夫なの?と思いましたが、階段は頑丈で、テラスは広かったです。下はジャングル。遠くに海が見えました。
 
 


 
 最後の洞窟 
 ここは今も発掘調査が行われています。
 
 
 湊川人を葬ったと思われる石棺と人骨が出てきたところ。

 
 湊川人の暮らしの遺跡はここから少しはなれた海近くにあります。ツリーテラスから見た湊川フィッシャーと呼ばれる遺跡。海の手前に橋がありますが、その右のたもとあたりに、沖縄で発見された湊川人の遺跡があるそうです。
 
 
 発掘現場を見学したところでツアーは終わりです。出口を抜けるといきなり世俗の世界に帰ってきました。そこは沖縄ワールドの裏手の方でした。
 30年前はここへきてハブとマングースの戦いとかをみた記憶があります。大蛇を首に巻いて撮った写真が残っているはず。娘はもう一度ハブを見たいようでしたが、別に入場料を払わないといけないと聞いて断念。
 
 ここにもヒスイカズラの美しい花が咲いていました。
 


 

 

 

 

 

 

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沖縄旅行8 金城ダム

2023-05-01 00:59:00 | 沖縄旅行 2023

 今回の旅行でウマオが一番行きたかったのが金城ダムです。昨日もいくつかダムのそばを通ってそのたびに喜んでいましたが、金城ダムだけは下りて事務所までいかなくてはなりません。なぜならダムカードがもらえるからです。

  車で約20分。あの清掃員さんたちが言っていたように、歩いていける距離ではありませんでした。ただし、登山のつもりで一山越えれば別ですが。

 道から見下ろしたところ。途中に急な階段が。向こうの建物が管理事務所でしょうか。



 天端。車は進入禁止ですね。



 ここもコンクリートではなく、亀甲模様の石畳でした。


 ダム湖 あまり広くないです。
 

と?


ウマオたち、坂を降り始めました。
えー、ここを行くのか。天端を通らずに?
 
しかたなく降りてみると、下は公園になっていて、車で来ることができたのでした。
 


 何の花でしょう。



 木には何やらくっついています。下の方の白いもの。



 びっくり! これ、コチョウランですよ。

 別の木にも



 わたしたちがフウランを木に着生させるように、こちらではコチョウランをくっつけているのでした。コチョウラン自体は日本原産ではないですから、自然にこうなったわけではないと思います。ここではコチョウランも外で冬越しできるんですねえ。

 下に下りて正面から見たダム
 




 こちらから見るダムは、まるで城跡のように風格があり、堂々としていました。

 コンクリートの打ちっぱなしではないんですね。




 下りた分だけ階段を上って管理事務所へ。息がきれました。
 ここで解説を読んだり





 珍しい花を見たり



 景色を見ながら、散歩していた地元の方とお話ししたり
 
 




 
 その方のお話によると、高級マンションだそうです。
 
 
 住宅街のすぐ近くにあるダムなのでした。
 



 トラックの横に大きなバルブのようなものがあってなにやらぶら下がっているので見に行きました。

 
 平和への願いはこんなところにもありました。



 

 今度は天端を通って車に戻りました。



 古いように見えますが、つなぎの部分はコンクリートでした。平成12年完成、首里城を模して造られたということで、まだ新しいダムでした。
 ウマオが、「ばあちゃんのダムカード、○○君にあげていい?」と聞いてきました。もちろん。
一番の仲良しに、良いお土産ができました。
 









 













 

 

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沖縄旅行7 首里城その2 

2023-04-27 00:23:10 | 沖縄旅行 2023

 昔、守礼の門だけを見て(確か)次の場所に行ってしまったわたし。歩いてみて実に広いことにびっくりしました。本土のお城とおんなじだ~ いや、ここより狭いお城はいっぱいあります。

 先ほど入ってきた場所を見学デッキから見ています。

 広場の右側は城壁が低くなっており、市内が見渡せるようになっています。

 

 先ほどの石畳と同じような亀甲模様の壁に挟まれた階段を登っていくと

 展望台に出ました。

 街のどこからでも城が見えるということは、城の上からも街がよく見えるということで

 民の暮らしも押し寄せる敵もよく見えるということで

 
 治世と防衛という、城としての機能を備えるということは全国共通だと思いました。が、逆に言えば、どこからでも見える街のシンボルとも誇りともいえる正殿が焼けた日、どれだけたくさんの人々がその炎を悲痛な思いで眺めたことでしょう。



 沖縄らしいといえば、足元には玉砂利ではなくて

 

 サンゴのかけらが敷いてありました。

 

 順路に従って城壁の外に出ました。

 どこのお城もですが、城壁は強くて美しい。

 これを見ると、昨日見られなかった世界遺産の城址群が想像できて、あきらめることができました。昔来た時はここまで入らなかったものですから、これほど素晴らしいとは思ってなかったのです。

 また別の門をくぐって外へ。

 3日間天候は不順の予報でしたが、良い天気になってきました。しかも、腰痛・右足のしびれ・左かかとの腱鞘炎という3重痛だった私の足はー

 昨日1万歩以上歩いたにもかかわらず絶好調。旅は佳境に入っています。

 城壁の外側の道を歩いていると、クワズイモの花と実を見つけました。

 テンナンショウのような実がつくんですね。

 道端に大アカギの木があってびっくりしました。え?こんなところに?

 でも私の思っていた大アカギではないようです。これは枯れたアカギでした。戦前は枝が城壁に届くほど大きかったそうですが、戦争で焼けてしまい、その枯れ木にアコウという植物が着生しているのだそうです。これはこれで歴史を物語る貴重な木でした。

 

 さらに行くと右手にかなり急な下り坂がありました。

 娘とトラオが行ってみたところお寺だったそうです。ということは円覚寺跡かな?首里城周辺には歴史的な、魅力的な場所があちこちにあって、時間があれば是非行ってみたかったです。

 が、ウマオの第一希望、「金城ダム」へ行かなくてはなりません。事前に調べたところ歩いて行けるのではないだろうかと思い、清掃のお仕事をしていた人に聞いてみました。(なぜか清掃の人に声をかけることが多かった)

 すると、歩いては行けない、あの山を越えた向こうだというではありませんか。それじゃ急ぎましょう、ということで駐車場へ帰ることにしました。

 ここへきてまたまた駐車場トラブル。今度は私が、駐車場がわからなくなってしまいました。先を歩いていた娘たちを見失ってしまったのです。順路に従って歩いていただけなのに・・・・

 本当は順路に従ったらいけなかったんです。駐車場は別の場所にありました。娘に電話し、もと来た道を守礼門まで引き返し、そこからやり直し。やっと来た道を思い出しました。
 

 

 

 

 

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沖縄旅行6  首里城その1

2023-04-25 21:48:13 | 沖縄旅行 2023
 沖縄旅行3日目の予定 
  首里城公園-金城ダムー旧海軍司令壕跡ーガンガラーの谷ーレンタカー返却
ーホテル
 
 3日目も盛りだくさんの計画です。昨夜泊ったのは首里城公園に近い、ダブルツリーbyヒルトン。 2日目の昨日、朝の行動が遅かったのを反省、今日は9時10分頃には駐車場に着いていました。
 
 古の琉球王朝の絵が掲げられている建物を抜けると守礼門です。
 
 




 
 右のほうに王朝の衣装を着て撮影している人がいました。また、絵のような格好の男性がそこかしこに立って、多分お願いをすれば説明もしてくれたのだろうと思います。が、日程の込んでいる私たちはゆっくり解説を聞く間がありません。
 
 
 門はいくつもあって次にくぐったのは歓會門。その後ろに殺風景な、やたらと大きな建物が見えていました。

 
 きれいに花の植えられた道を通ると
 
 




 
 
また門

 
 瑞泉と額が掲げられていました。 門に続くのは長い石垣。

 
 次は漏刻門

           

 本土の城とは違うと言われますが、いくつもの門をくぐらないと本殿へ近づけないのは、どこも同じですね。守りのためにはこういう構造になってしまうのでしょう。
 
 だんだん修復現場が近づいてきました。緩やかな階段ではありますが、しっかりと足元をみて歩いていて気づきました。
 
 これ!
 
 亀甲模様を組み合わせている。
 それも不等辺6角形なのです。これを隙間なく敷き詰めるのはとてつもなく面倒な作業だと思いますが、どうやったんでしょう。

 
 修復現場までやってきました。
 
 
  
 
 このあたりから記憶が怪しくなってきました。撮りためた写真とガイドブックの地図とを見比べてみるのですが、どこがどうなんだか。
 それで焼失した正殿の修復に関する写真だけを順路に関係なく集めてみます。 
 
 
 焼け落ちた建物の代わりに写真がお出迎え。後ろの窓がなければ本物みたいですけどね。工事場です。



 
 係の人が今日の作業内容を案内してくれています。(実は写真)
 
 広い体育館のような作業場
 
 
 手前に柱に使うイヌマキが置いてありました。 
 
 とにかく広い、大きい、長い
 
 
 この柱を加工しているところは写真で説明してありました。
 
 
 機械には任せられない手作業がたくさんあるんだなあと思いました。気の遠くなりそうな大掛かりな工事でした。これを昔の人は人力だけやり遂げていたのです。きっと熟練の大工たちが心血を注いだに違いありません。それは、本土の城も同じ。これからは松山城の見方が変わってきそうです。
 
  
 
 
 建物全体はこんなに広い。
 
 
 
 城壁よりもはるかに高くそびえていました。
 
 
 
 この建物、昨日、ホテルからも、食事場所へ行くときも見えました。守礼の門はライトアップされていてそのそばに何とも無粋なものがあるなあと思っていたのですが、それがこの修復現場だったのです。残念ながら写真を撮り忘れていました。
 
 こちらは焼け落ちた瓦などを展示しています。
 
  
 これも焼け残った龍の口髭部分

 
 正殿が再建されたらその威容をまた見に来たいものです。私は30年くらい前に一度沖縄に来たことがありますがその時には正殿はなかったと思います。ですから一度も正殿を見たことがないのです。
 
                               首里城その2へ続く
 


 


 
 


 
 










 


















 














 
 
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沖縄旅行5 海と森の次は ー 滝

2023-04-20 21:42:00 | 沖縄旅行 2023

 もし、もしも、時間があれば行きたかった世界遺産の城跡群(グスク)のどれか。那覇に帰る途中にいくつかあります。一つでいいから寄りたいなあ、と思っていましたが、相変わらず予定は押しており、どうも希望は叶いそうもないです。

 もし、昨日残波岬に行かなければ、そしたら昨日のうちにフクギ並木に行って、今日は渋滞せずに残波岬に行けて、そうしたらグスクにも行けたんじゃないかなぁ。わたしとしては未練が残りました。うとうとしながらそんなことを考えていたら
「ここから1キロじゃけん」と何やらぶつぶついうこえが。そして
「着いた!」
出ました。相変わらずのいきあたりばったり
のくせ。
 


 轟の滝ですつて! どこにでもあるんですねえ。もう一つの轟の滝は高知県にありました。


 わざわざ飛行機に乗って観光に来るような場所ではなくて、完全に地元の人が遊びに来る場所でした。うちの方で言うと、森林公園として整備されている「白猪の滝」と言ったところ。しかも山も歩かずに駐車場から滝まで徒歩1分で行けるんですと。
 
 ここに住む生き物や植物の案内もありました。



 昨日見れなかったイボイモリや、ヒメアマガエルもいるんですって。一方、うちの方でもふつうに見られるセンダンや、アカメガシワなどもありました。
 
 ほら、もう滝が見えています。


 1500万年前からある一枚。高さ80メートルだそうです。


 滝の見える見晴台もありました。


 水が流れ落ちる左の方にガジュマルの根っこらしきものが見えました。やはり沖縄らしい景色でした。



 あたりは公園としてきれいに整備されています。
 上は滝の反対側へ行く道です。


 下は子供達が水遊びすることもできるようです。



 道の横には、田んぼ跡を利用した睡蓮畑がありました。


 もうたくさんのスイレンが咲いていました。
 はやっ!







 水の中を覗き込んでいたら、トラオの手にいきなりカマキリの赤ちゃんが。


 池の中にはオタマジャクシがいっぱい。


 昨夜お世話になったトクさんにラインして名前を確認しました。見たかったヒメアマガエルだそうです。
 
 トラオは生き物を見つけるのは目ざといのです。次にトラオが見つけたのはシリケンイモリの赤ちゃん。まだエラが体の外についています。すごい、ウーパールーパーよ。



 生き物だけではありません。

 駐車場近くにたつた一株咲いていたこれは?


 管理事務所の女性に聞いてもわかりません。なぜかこれだけ説明看板が剥がれていたからです。


「もしかしてアオノクマタケランて、いつてませんでした?」とわたし。
「そうそう、そんな名前だったです。」
わたしは、奄美大島でよく似た植物を見ていたのです。ただ、あの時は秋だったので花はなく、実だけがなっていました。
 
 ヒカゲヘゴのゼンマイ。巨大です。


 これは多分テイカカズラ。


 早くも花が咲いていました。


 そして道が行き止まりになってジャングルになろうかと思われる草むらに、こんな看板がありました。


 イスカンダル?いや、イルカンダ。
図鑑ですら見たことも聞いたこともない名前でした。
 
 草むらを、ジャングルへと分け入ります。するといきなり目の前に
 
 ブドウのような、しかし巨峰の2、3倍はあろうかと思うほど大きい房がぶら下がっていたのです。
 
 しかも、それは、木の枝のように太い蔓から直接ぶら下がっていました。



 その蔓の長い事。




 咲く時期が不定期なのでいつ見られるか分からず、幻の花と言われるそうです。今年は沖縄のあちこちで咲いているとか。でも、生えている場所そのものが限られているので、この花を見られたのは非常にラッキーなことでした。
 というわけで、実に有意義な寄り道をしたのでした。

 
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沖縄旅行4 海と森

2023-04-18 16:06:00 | 沖縄旅行 2023

 沖縄旅行2日目 午後の予定はフクギ並木散策と瀬底島

 フクギ並木は集落の家々を囲む防風、防火林だそうです。 朝ドラの「ちむどんどん」の撮影にも使われたとか。(私は見ていません) 方角としては、もう一度ホテルのほうに逆戻りします。

 ところが、

 植物園の出口がわからない。もと来た方へ引き返し、また引きかえし・・・結局一番端っこから出ることができましたが、道は大渋滞。親切な人に割り込ませてもらって、普通なら5分ほどで着く距離を15分くらいかかって着きました。この渋滞、美ら海水族館の駐車場へ入るための渋滞でした。早めに入場しててよかったぁ。

 フクギ並木の、駐車場から一番近いわき道を覗いてみたところ 。

 なんだかいい雰囲気。ワクワクします。
 
 
 並木をまっすぐ行って備瀬埼海岸までは30分はかかりそうです。ここへくる前、ウマオと娘が、「走ろうか」と冗談で言ったところ、トラオは「おれは、ばあちゃんと牛に乗る。」と言ったそうで、それを聞いて大笑いしました。 今日は牛さんはお休みだったのかな。つながれてのんびりしていました。歩くにはちょっとだけしんどい。だってすでにさんざん歩いてきたんですから。 なのでレンタサイクルに乗って15年ぶりくらいのサイクリングです。いや、石見銀山に行ったときちょこっと乗りましたからそんなにも経っていないけど、よろよろ運転にはちがいないです。
 後ろから娘が撮ってくれた勇姿?はがっかりするほど年寄りっぽくて(当たり前だと娘に言われた)とてもご披露できるものではありませんでした。それに・・・・なんだかサドルが小さいねえ~ いやおしりが大きいのか。それにしても・・・・
 わたし、自転車のチョイスを間違えたみたいです。背の高い子供用だったのだと思います。高さは合わせて調整してくれるのでママチャリを選んだらよかった。とっても不安定で乗りにくかったのです。タイヤが小さくてしんどかったし、おしりも痛かったです。
 
 ともあれ目当てのおそば屋さんに行ったら満席なので私たちは先に海岸へ行くことにしました。席が空いたら電話してくれることになっています。 海岸については後で述べるとして
 
 このフクギ並木、時間がたつにつれて人も車も増えて来て、わたしのおぼつかない運転では危なくてしょうがなかったです。並木は縦横にあるのでしょっちゅう横道からぱっと子供がでてくるし・・・レンタサイクルの管理をしているおじさんは横道に入ると迷うからメインの通りだけを行くようにと忠告してくれましたが、はじめに見たあの雰囲気を味わいたくて、自転車を返した後で一本裏の通りを歩いてみました。
 


 
  人通りも少なく、気持ちの良い道を途中まで歩いて引き返しました。
 
 
 この木は何の仲間かな? 私の知っている木に似たようなのがありません。
 
 根元はこんなにごつごつしていて

 
 葉っぱはタイサンボクを小さくしたみたいなのです。



 二本の木が寄り添うように立っているところから夫婦福木と看板が立っていました。 この並木は個々の家を仕切るためなのであまりずかずかと踏み込まないのがマナーだと思います。さしずめうちの方で言う「杉垣」の役目をしているのでしょう。
 
 
 並木は備瀬の海岸にそって続いています。多分横道を突き進めばどこからでも海岸に出られたでしょうが、私たちは並木の入り口まで行って、そこから海岸を目指しました。
 お天気が少し回復したので海の色が明るくなっていました
 
 ここからも伊江島が見えました。右奥には灯台も見えますが、時間がかかりそうなのでこのあたりで生き物探し。
 ごつごつした磯でした。
 
 
 黒い貝がびっしり。



 
 巻貝も沖縄ではカラフル

 
 見たことのない貝ばかりです。
 
 ゴカイの仲間かなあ。
 長くてシマシマで。初めて見ました。
 
 
 これはこの後行った瀬底島のビーチで見つけた貝。こんなにいろいろな模様があるなんて! 

 
 瀬底島には瀬底大橋という橋を渡っていきました。

 
 まあ、水のきれいだったこと。
 
 
 波打ち際を撮ってみました。
 
 
 どこまで水がきているかわかりますか? この透明感。
 
 そしてサンゴで形作られた小さな洞窟
 
 
 
 
 
 さらさらとした細かい砂と点在するサンゴのかけら

 
 そういえば昔、サンゴの砕けたのを「星の砂」として売っていましたっけ。娘たちが小学生のころ沖縄に来たことがあって、買って帰ったように思います。
 
 ところで、沖縄には「サンゴ染め」という染物があるそうなのですが、それに使うのが上のお饅頭みたいなサンゴのようです。でこぼこが面白い模様になりそう。

 私たち、瀬戸内海の多島美を見慣れているし、しまなみ海道も渡っているし、で、景色そのものはまあ、こんなものね、という感じ。すみません、冷めた感想で。実はわたしは別に行きたいところがあったので、もっと時間が欲しかったのです。





 
 
 
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