あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

亥の子の思い出

2008-11-08 00:19:34 | くらし

 最近ぽかぽかの小春日和が続きました。


 毎日午後からはアトリエにこもってレザークラフトをするというのが目標ではありましたが、この天気のよい日に外の仕事をしておかなければーと、毎日畑に出ていました。


 とりかけの西村早生。もう少しとっておかなければ柔らかくなってしまいます。



 こんどもコンテナいっぱいとって干し柿にしました。 すでに柔らかい実が多く、焼酎の渋抜きはむずかしいでしょう。 脚立に登っておそるおそる採りましたが、高いところは鳥にあげるしかなさそうです。


 すでに、おいしくなったのからつついております。



 柿の木の近くにお茶の木があるのですが、びっしりと花をつけておりました。


 ちょっと地味なような、派手なような花です。 クマンバチが飛んできていました。



 柿の木のとなりのビワの木にははやくもつぼみがついています。 これから半年以上の時間をかけて実になっていくのです。 



 足元にはコシロノセンダングサ? センダングサの仲間は実をつけるとひっつき虫になって、来年の春あたり歩くとえらいことになりますから、ただちに引き抜きます。 でも、抜くのが惜しいようなかわいい花でした。 



 頭の上ではジョウビタキ
 ヒン ヒン カタカタカタ・・・
 と、一日中啼いています。 
 昨日まで、どこを見てもおだやかな、気持ちのいい秋の日でした。


 今日は久々の雨でした。 そして立冬です。 また、亥の子の日でもあります。 


 わたしが覚えている亥の子の行事。


 直径30センチくらいの丸い石に縄をかけ、こどもが描くお日様のように縄を何本も延ばします。 その縄を7,8人?の子どもたちが持って、一斉に引き上げたり下ろしたりするともちつきのように石で地面を搗く格好になります。 そして家々を回って、歌を歌いながら石で搗いてその家からお菓子やお金をもらうのです。


 これがいつのことだったか。
 小さい頃をすごした松山でのことのようでもあり、小学校時代のことのようでもあり、教員生活の中で出会ったどこかの地域のことのようでもあり・・・・


 夫に聞くと「亥の子」という言葉すら知らないといいます。 ところが、隣の集落には亥の子歌が残っていたらしいのです。(今も残っているかは不明です) 亥の子の行事は、小さな小字(こあざ)の単位で行われたようです。 同じ小学校区でも、いのこをする集落としない集落とがあります。 不思議ー。


 いのこうたー思い出せる限り書いてみます。 ただし記憶は曖昧です。


 いのこ いのこ いーのこもちついて


 ○○さーんと言う人は  (大黒さんだったかおいべっさんだったか、いのこさんだったか?)


 一で 俵をふんまえて   (ふんふん、食べ物に困らないのね)
 二で にっこりわろて   (いつもにこにこ前向きに)
 三で さかずきくみかわし (みんなと仲よくするということね)
 四つ 世の中良いように (世の中全体の幸せを願ってるのか~)
 五つ いつもの如くなり  (平凡が一番幸せ)
 六つ 無病息災に (健康で事故なく)
 七つ 何事ないように (天災も人災もないようにということかな)
 八つ 屋敷を建て広げ (だんだん繁栄してきましたよ)
 九つ 小倉を建て並べ (ますますお金持ちに)
 十でとうとうおさまった~(おしまい)


 と、このように幸せの姿を数え歌で表したものでした。 ずいぶん欲張りな歌。 この歌を歌って、家々の幸せと繁盛を祈るのです。


 近頃ではハローウィンとかいうキリスト教の行事が日本でも広まりつつありますが、それと近い時期に行われるこの行事はなぜすたれてしまったのでしょうか。
 ハローウィンでの子どもたちが「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ」と、なかば脅し文句でお菓子をもらっていくのに対し、いのこはその家の幸せを願う歌を歌っておかしやお金をもらいます。 集団ににぎやかにやってきた子どもたちに対しては 、どこかの国のように強盗と間違えて銃を向ける人はいないでしょう。 年長の子が年下の子をリードして自治意識を育てることもできます。 いのこってとってもすてきな行事だと思うのですが。


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コメント (4)
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