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石井十次に学ぶ 「十次が7歳の時のエピソード」・・・この母にして十次あり

2022年09月17日 | 修養

前回までの続きです。

 1回目、「石井十次に学ぶ・・・愛と無私と行動力の人」を書きました。
 
 2回目、石井十次に学ぶ 「孤児救済のために医学の道を捨てる」・・・判断の基準は損得にあらず
 
 3回目、 数年間でも大きな仕事はできる・・・「年だから…」と言わない
 
 4回目、 石井十次に学ぶ 「残った一人一人が石井となって・・・」・・・事業と人を残す
 

 今回は、 5回目。

 

 十次が7歳の時のエピソード・・・この母にして十次あり

 

 

 十次の母である乃婦子さんは、とても優しい方だったそうです。

 近隣の貧しい家庭の子供達に対しても我が子のように面倒を見ていました。そんな母親に育てられた十次の小さい頃に、こんなエピソードがあります。

 7歳の頃、天神様のお祭りの日、十次は、新しい着物に、母親が何日もかけて織った紬の帯を締めて出かけました。

 境内に行くと、古い浴衣の上に縄の帯を締めた同級生の松(まつ)ちゃんがいじめられています。

 「祭りの日に、そんな縄の帯締めてたら、天神様の罰が当たる」と、せめられているのです。

 それを見ていた十次は、松ちゃんの縄の帯と自分の新しい帯を取り替えてました。

  (この行動力も十次らしいなあと思います。)

 

 家に帰り、帯がない理由を母親に話しました。この時、きっと十次は申し訳ないという気持ちだったと思います。

 母親が何日もかけて織ってくれた帯ですから。

 しかし、母親は、次のように言いました。

 

「お前、いいことをしたね」と褒めたのです。

 

 このような母親に育てられたことも、その後「孤児をひきとり、育てる」という福祉の道を進んだ理由ではないかと思えます。

 

 孝経には、親孝行に関して、次の言葉があります。

「身を立て道を行い、名を後世にあげ、もって父母をあらわすは、孝の終わりなり」

(立派な社会人になって、人の手本となり、「あんな立派な子どもを育てた親は素晴らしい。」と親が社会で誉められるようになるのが親孝行の最後の目標である。)

 

 石井十次は、親孝行という点でも素晴らしい生き方をした方だと考えています。

 私も、ささやかでよいから、自分にできる範囲で「身を立て」「道を行い」まわりの方に感謝されるような生き方を心がけたいです。

 

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