仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

モノを捨てる時の考え方と作法

2016年03月30日 | 修養
 引っ越しをしている。

 と言っても、勤務校が変わるので、仕事道具の引っ越しである。

 本、ファイル、文具等様々なモノがある。

 ここ数年間使っていなかったモノは、処分するようにした。

 なかなか捨てられないでいる自分は、モノが増えがちである。

 引っ越しをするたびに、「モノを減らそう」と思うのだが、うまくいかない。

 最近、聞いた話で、「これならモノが減るかもしれない」という「モノ減らしのコツ」を知った。

 中谷彰宏氏の話である。

 

 自分を幸せにするモノや情報、データや写真はみんなとっておく。

 それは自分にとって○という評価になるモノである。とっておくのは当たり前である。


 自分を幸せにしないモノ、いやな気持ちになるモノは捨てる。

 それは自分にとって×という評価になるモノである。これも捨てるのは当たり前である。


 中谷氏は、「自分を幸せにしないモノは捨てる」と言っている。○でもなく、×でもない、△の評価になるモノであろう。



 ○や×は捨てる捨てないがはっきりしている。

 中谷氏は、「△も捨てよ」と言っている。

 捨てることで、新しいモノとの出会い、情報や人との出会いが生まれるという。運気が上がるそうである。

 


 もう一つ、捨てる時には、「今まで有り難う」という作法が必要とのことである。 

 
 「自分を幸せにしないモノは捨てる」

 「捨てる時には、有り難うという」

 この2つのルールを知っただけでも、捨てる決断がしやすくなる気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お爺ちゃんお婆ちゃんの幸せこそが大切な理由は・・・。

2016年03月29日 | 修養
 保護者や地域の方と話していると気づかされることがある。

 それは、「お爺ちゃんやお婆ちゃんが幸せそうな家庭は、子も孫も幸せ」ということである。

 小学生やその親がお爺ちゃんお婆ちゃんの話をすることがある。

 そのときに、

「うちのお爺ちゃんは、牛を飼っていて、孫と一緒に牛飼いをするのがとても楽しみなんですよ。」

「牛を売ったお金で、孫の野球のユニフォームを買ってあげるのを楽しみにしています。」

「お爺ちゃんお婆ちゃんの誕生会を家族でしていますよ。」

等々・・・、

 お爺ちゃんお婆ちゃんが生き生きとしているエピソードを聞く。

 お爺ちゃんお婆ちゃんが、子や孫から尊敬され、大切にされている話を聞く。

 そういう家庭の子や孫は、なぜか間違いなく幸せそうである。

 お爺ちゃんお婆ちゃんの幸せと、家族の幸せはかなり相関関係があるような気がする。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何回も聴いてしまうAKBのこの曲

2016年03月25日 | 音楽
AKBの歌は、何回も聴くことはないが

桜の木になろう」は、別である。

別れの季節にぴったりの曲である。

教員として、保護者として聴くと、なおさら心にしみる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将来幸せになるだろうと予想できるのは、どんな子か

2016年03月23日 | 修養
 この子は、将来幸せな人生を送るだろうなあと予想できる子がいる。

 勉強ができるできないは関係ない。

 共通しているのは、掃除をまじめにする子である。

 掃除ができる子は、自分の体力と時間を使って、周りの人のために頑張れる子である。

 周りの人からもかわいがられる。

 逆に、頭はいいんだけれども、掃除をさぼる子もいる。

 いつか気がついてくれればいいのだけれども、そのままだと、必ず周りの人から嫌われる。

 そういう子を見ると、かわいそうだなあと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空腹感を一日に一回は味わうと体調がよい

2016年03月20日 | 健康・病気
 時々、わざと一食抜くことがある。

 空腹感を味わうためである。

 また、わざと一食の量を減らすことがある。

 これも、空腹感を味わうためである。

 一日に少しの時間でよいから、空腹を味わう時間をもつようにしている。

 これが、自分の体調管理にとても役立っている気がする。

 だからといって、他の人に勧めているわけではありません。健康法は、人それぞれ合うものと合わないものがあると考えているので。

 ただ、肥満で悩んでいる人には、少しの時間でよいから、空腹を感じる時間を持つ習慣は、きっと役に立つと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供への指導がうまくできる人と、そうでない人の違いは何か

2016年03月16日 | 教師修業
 これまで勤務した学校校(小学校)は、「登校班」というのがあった。

 これは、朝、登校する時に近くの子供が集まって一緒に登校するシステムである。

 高学年のお兄ちゃんお姉ちゃんたちと、低学年の子達が一緒に登校するので、安全である。

 ある時、この登校班がうまく機能していないという話を聞いた。

 本来は、高学年児童が先頭と最後尾にいて、真ん中の低学年、中学年の子達を学校に連れてくるのである。

 問題は、「高学年児童が、低学年のこと一緒に来ていない。(先にどんどん歩いて行く。)」という点である。


 
 そこで、緊急に全校児童に集まってもらって指導する時間があった。

 各教職員が担当する地区があるので、担当する登校班毎に職員が入って指導をする。

 うまく指導できる職員とそうでない職員がいた。

 最も大きな違いは、「見届け」だった。

 

 うまく指導できる職員は、「登校班」で来る意義や必要性を語るだけではない。

 その後に、次のようにいう。

 「明日から、班長さん(高学年児童)は、下級生が安全に登校できたかどうかを、先生に一言伝えに来てね。」

 この一言を述べて、翌日報告を受ける。

 安全に登校できていれば、褒める。

 何日か継続すれば軌道に乗る。それまでは見届けて褒め、励ます必要がある。

 
 
 うまく指導できない職員は、言いっ放しで終わっていた。

 その後の見届けがないので、改善が見られない。(改善があるかどうかも確認していない。) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

希望を感じさせてくれる短編映画『未来のカケラ』

2016年03月15日 | 映画
 本日届いた「みやざき中央新聞」社説で紹介されていた短編映画を見た。

 「未来へススモーション!!新しい東北」短編映画『未来のカケラ』本編
 
 である。

 小学5年生の岩間颯太君の作文「震災から4年と半年(感謝を忘れない)」が原作である。

 希望を感じさせてくれる15分間だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感動する会社は、なぜ、すべてがうまく回っているのか?

2016年03月13日 | 読書
 藤井正隆氏の著書「感動する会社は、なぜ、すべてがうまく回っているのか?」(マガジンハウス)を読んだ。

 うまく回っている会社には特徴がある。

 
○ 従業員を大切にする

○ 顧客価値を高める

○ 地域・社会貢献を行う

 これらに向けて愚直に改善を続け、人や社会に優しく、利益を出し、永続・発展する企業の実例となる会社が15社紹介されている。

 どの会社の取組も素晴らしい。

 どうやったら、そのような会社が作れるのか、いくつもヒントは書いてある。

 例えば、プレミアム焼酎「百年の孤独」の蔵元「黒木本店」の社長は、次のように述べている。


 行き詰まった時には、「考えて考えて、試して試して、悩んで悩んで、やってやってやり抜いて、精根尽き果てた時に初めて新しいアイデアが生まれる」


 このようなトップがいる会社の実例を学べる本である。

 会社に限らず、学校でも学級でも、あらゆる組織を活性化させるヒントが学べると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素晴らしい中学生を見た

2016年03月11日 | 修養
 小学校と中学校の合同で行う遠足があった。

 午前中は、卒業する中学3年生へのお別れ式や小中合同で行うレクリエーションがあった。

 そのレクリエーションは、中学2年生の生徒会が企画運営する。

 素晴らしいレクリエーションだった。

 小学1年生から中学3年生までが2人くらいずつ入っているグループを作り、そのグループで長縄飛びや的当てゲーム、ボウリングや○×ゲームを楽しんだ。

 生徒会のメンバーがそれぞれのゲームの場所に行き、ゲームの説明や進行をする。小学1年生も楽しめるような易しく、楽しいゲームだった。

 また、それぞれのグループにいる中学生(特に中学3年生)が、小学生も楽しめるようにアドバイスをしていた。

 分からなければ教えてあげる、頑張ったら褒めてあげる、いいプレイがあったら、中学3年生が、小学生とハイタッチをしている。

 それを見ているだけで心が温かくなった。

 中学生のお兄ちゃんお姉ちゃんに、すっかり懐いた小学生たちは、レクリエーションが終わっても中学生と遊びたがっていた。

 こういう素晴らしいお手本を見せてくれる中学3年生を見て、2年生や1年生も育っていくのだろう。

 そして、小学生も中学生にあこがれる。

 素晴らしい循環ができているなあと感じた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GIFTの法則

2016年03月09日 | 読書
 「GIFTの法則」平野秀典著を読んだ。

 「表現の極意」が書かれている。

 帯には、次のように書かれていた。

 どんな素晴らしい想いも、価値も、商品も、理念も、他者に伝わらなければ意味がありません。

 情報過剰時代には、人の体温が伝わるような表現力のある人が、

 仕事を成功に導き、最高の人生を生み出すことができる可能性を持っているのです。



 他者に伝えるために重要なのが、目の前のたった一人に伝えるようにすることだそうだ。

 次のように書いているところがある。


 プロのミュージシャンは、コンサート会場に1万人の観客がいても、たった一人の大切な人に歌いかけようとして歌います。

 たった一人の大切な「あなた」に届いたメッセージは、そのメッセージに共感する人たちと心をつなげた時、、結果的に大勢のたった一人に感動が伝わります。p.30



 そういうメッセージを届けるためには、

 当たり前のことを101%だけ当たり前以上に表現する。p.113

 心がけることは、

 顧客は、商品を買うのではなく、その商品を使うと体験できる「シーン」を買うのです。p.115




 「伝わる表現の極意」が、実例もたくさん紹介されながら書いてあったので、わかりやすかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釣りの、どこがおもしろいか

2016年03月08日 | 趣味
 「大江戸釣客伝」(上・下)夢枕獏著を読んだ。

 この中に、釣りの面白さを主人公に語らせている描写があった。

 釣りの面白さをこれほどわかりやすく表現している描写はないなあと感じた。


「釣りの、どこが面白い」

 重ねて綱吉が問うてきた。

 采女は、困った。

 何かを答えて、綱吉を怒らせてしまうことを恐れたのではない。自分の中に答えが見つからなかったからである。

 確かに、自分は釣りのことを面白いと思っている。しかし、自分は、その釣りのどこを面白がっているのか。

 魚がかかった時、手元に伝わってくる、あのぶるぶるという感触であろうか。

 魚を、水中から抜きあげた時の、あのなんともいえぬ喜びであろうか。それとも、ごつん、あるいはこつこつんと手元に届いてくる魚信(アタリ)であろうか。

 どうやったらうまく手元に引き寄せられるか、もしかしたら、この魚はすぐに逃げてしまうのではないか・・はらはらしながら魚とやりとりしているあの心の動きや、心の臓の高鳴りであろうか。

 いやいや、釣り場に向かって、船に乗っている時であっても楽しい。

 それを言うなら、出かける前日に、あれこれと道具を引っ張り出してきて、仕掛けを作りながら、明日の釣りのことを考えているのも楽しい。

 釣りに行かなくとも、伴太夫や十郎兵衛と、ただ釣りの話をしている時だって楽しいのだ。

 そういう話のおりの大きな楽しみの中には、逃げてしまった魚のことを語ることも含まれている。

 “あのとき、逃げたヒラメは大きかった”

 ”いや、それほどの大きさではござりませぬ。このくらいでござりましょう。”

 ”何を申すか、それは、そちが釣ったヒラメではないか。”

 ”いえいえ、私が釣りましたのはこれくらいで。”

 ”そんな大きなヒラメなどおるか。”

 むしろ、逃げてしまった魚について語っている折の方が、互いに声も大きくなり、話も長くなる。

 大きな魚が、海面まで寄ってきて、ぎらりと太い腹を見せたとたんに、針が外れて逃げてしまうことがある。
 
 魚が天に跳ね上がり、竿を持っている右手がやけに軽くなる。この天地や自分が、この世から、一瞬喪失してしまったような気がする。

 あの空しさもまた、釣りに妙味を加えているような気もする。

 そうすると、一度の釣りというより、釣りという全体で考えれば、つれない釣りもまた面白いと言うことになる。



 困ったものである。この本に書いてあるように、どんな時も釣りは楽しいのだ。

 釣りの面白さを知った人は、その後もずっと面白さを感じてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10代の若者におすすめの本「君と会えたから・・・・・・」

2016年03月07日 | 修養
 喜多川泰氏の作品は、心に響く。

 この本「君と会えたから・・・・・・」もそんな本である。

 しかも、この本は、よりよく生きるための指針を教えてくれる本でもある。

 例えば、「七つの教え」がある。

・ 自分の本当に欲しいものを知る。

・ 夢を実現させる方法を知る。

・ 経済的成功の真実を知る。

・ 魅力あふれる人になる。

・ 手段を目的にしない。

・ できないという先入観を捨てる。

・ 人生において決してできないことなどない。

 これらの教えがストーリーの中で語られていく。


 面白かった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完璧主義より全力主義

2016年03月06日 | 修養
 「完璧主義より全力主義」

 完璧を目指すのではなく、全力を尽くすことを重視する。

 自分も心がけたいと思う。

 全力を尽くすからこそ、周りの人は感動する。

 第一、自分自身が達成感を味わえる。

 この言葉は、ザ・リッツ・カールトン・ホテル元日本支社長の高野登氏の言葉である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

組織のトップに立つ者の心境

2016年03月04日 | 修養
 あるファッションメーカーの社長さんの言葉

 夜宴会があってどんなに遅くなっても、必ず会社に立ち寄って、四十名の社員の日報を全部見てから帰ります。

 これは欠かしたことがないですね。その日の売り上げと粗利がいくらで、在庫がどのくらいあるのか。もう心配でしょうがない。

 そういう気持ちがないと、リーダーは務まらないと思います。
 
 いくら口先だけでいいことを言っても、足元から崩れていってしまう。
 

 大企業の社長は経営不振になったり不祥事を起こしたりすると、よく「責任をとってやめます」とかいって言いますけど、気楽ですよね。オーナー社長はそれでお終いじゃない。すべて自分の身に降りかかってくるわけですよ。

 だから、私の信条は「すべての責任は我にあり」です。


 東京原宿に本社を構えるニットメーカー「ジム」の会長である八木原保氏の言葉である。

 こういうピリピリとした張り詰めたところがないと組織のトップにはなれないのだろうなあと思う。

 創業して50年になるそうである。すさまじい精神力である。

 50年も継続していると、張り詰めた精神状態が「普通」の状態になっているのだろうなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

褒めていたら、こんないいことがあった。

2016年03月03日 | 学級経営
 ほぼ毎日のように、勤務校での昼休みは、子供達と遊ぶようにしている。

 なぜかと言うと、授業中は見えない子供の素顔が見えるからである。

 ・・・という理由もあるが、本当は、自分が子供達と遊ぶのが楽しいからである。

 最近は、サッカーをすることが多い。

 今日は、うれしいことがあった。

 遊んでいる時、いいプレーを見たら、その場で褒めるようにしている。

 「ナイスシュート」

 「ゴール前のいい位置にいたね。だからシュートできたね。」

 「今の守り、良かったよ。」「ボールとゴールの間に入ったから、相手はシュートしにくかったよ。」

 「そのしつこさがいい!」

 などと言っている。

 今日は、褒めまくっていたら、次のように言われた。

 「そうやって褒めている先生が偉い!」

 そうやって見てくれる子がいるのがうれしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする