「職業の道楽化」は可能である。
つまり、仕事を趣味のように、遊びのようにすることはできる。
「職業の道楽化」は、本多静六氏が言った言葉である。
本田氏は、日本初の林学博士で、造園家である。日本の「公園の父」といわれる。
設計・改良に携わった公園は、日比谷公園、明治神宮、大濠公園ほか、多数。
株式投資家でもあり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築いたことでも有名。
本田氏は、次のように言う。
私の体験によれば、人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。
富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。
職業道楽化とは、学者が言うところの、職業の芸術化、趣味化、遊戯化、スポーツ化もしくは享楽化であるが、私はこれを手っ取り早く「道楽化」と称する。
名人と仰がれるような画家、彫刻家、音楽家、文士などが、その職業を苦労とせずに楽しみながら道楽でやっているのと同様に、すべての人がそれぞれ自分の職業あるいは仕事を道楽にするということである。
「仕事をするのが楽しくてたまらない。」と思える人は幸せだろうか?
私は、間違いなく幸せだと考える。
「楽しくてたまらない」というまでは行かなくても、「仕事をすることが楽しい。」と思える人は幸せである。
なぜなら、人生の3分の1以上の時間を仕事が占めることになるからだ。(8時間働いた場合です)
3分の1が楽しい時間であれば、かなり幸福度は高いだろう。
しかも、仕事が楽しい人の場合、8時間以上働くこともあるだろう。
そういう人は、8時間という仕事の時間も「道楽(遊び)」である。
8時間を超えた時間も「「道楽(遊び)」である。
人生が楽しいだろうなあ。
さて、職業を道楽にする方法も本田氏は述べている。
その方法はただ一つだという。
それは、以下の通り。
職業を道楽にする方法はただ一つ、努力(べんきょう)である。
あらゆる職業はあらゆる芸術と同じく、はじめの間こそ多少の苦しみがあるが、歓喜も幸福もすべて努力を通して初めて得られることを自覚し、自分の職業を天職と確信し、迷わず疑わず専心努力していれば、「断じて行えば鬼神もこれを避く」とか「精神一到何事か成らざらん」と言われるとおり、早晩必ず仕事がよく分かって上手になる。
上手になるにしたがって、初めは自分の性分に適しないように思われた職業も次第に自分に適するようになり、自然と職業に面白みが出てくる。一度その職業に面白みが出てくれば、もはやその仕事は苦労ではなく道楽に変わる。
「本多静六の努力論」 本多静六著 p.94
方法はただ一つである。
努力しさえすればよいのである。
昨今の「働き方改革」は、若者の努力する機会を奪ってはいないだろうか。
努力する機会を奪うということは、職業の道楽化を阻むことでもある。
若者にも仕事を通しての幸せを感じてほしい。(もちろん、望まない長時間労働は、私も反対ですけど)
つまり、仕事を趣味のように、遊びのようにすることはできる。
「職業の道楽化」は、本多静六氏が言った言葉である。
本田氏は、日本初の林学博士で、造園家である。日本の「公園の父」といわれる。
設計・改良に携わった公園は、日比谷公園、明治神宮、大濠公園ほか、多数。
株式投資家でもあり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築いたことでも有名。
本田氏は、次のように言う。
私の体験によれば、人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。
富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。
職業道楽化とは、学者が言うところの、職業の芸術化、趣味化、遊戯化、スポーツ化もしくは享楽化であるが、私はこれを手っ取り早く「道楽化」と称する。
名人と仰がれるような画家、彫刻家、音楽家、文士などが、その職業を苦労とせずに楽しみながら道楽でやっているのと同様に、すべての人がそれぞれ自分の職業あるいは仕事を道楽にするということである。
「仕事をするのが楽しくてたまらない。」と思える人は幸せだろうか?
私は、間違いなく幸せだと考える。
「楽しくてたまらない」というまでは行かなくても、「仕事をすることが楽しい。」と思える人は幸せである。
なぜなら、人生の3分の1以上の時間を仕事が占めることになるからだ。(8時間働いた場合です)
3分の1が楽しい時間であれば、かなり幸福度は高いだろう。
しかも、仕事が楽しい人の場合、8時間以上働くこともあるだろう。
そういう人は、8時間という仕事の時間も「道楽(遊び)」である。
8時間を超えた時間も「「道楽(遊び)」である。
人生が楽しいだろうなあ。
さて、職業を道楽にする方法も本田氏は述べている。
その方法はただ一つだという。
それは、以下の通り。
職業を道楽にする方法はただ一つ、努力(べんきょう)である。
あらゆる職業はあらゆる芸術と同じく、はじめの間こそ多少の苦しみがあるが、歓喜も幸福もすべて努力を通して初めて得られることを自覚し、自分の職業を天職と確信し、迷わず疑わず専心努力していれば、「断じて行えば鬼神もこれを避く」とか「精神一到何事か成らざらん」と言われるとおり、早晩必ず仕事がよく分かって上手になる。
上手になるにしたがって、初めは自分の性分に適しないように思われた職業も次第に自分に適するようになり、自然と職業に面白みが出てくる。一度その職業に面白みが出てくれば、もはやその仕事は苦労ではなく道楽に変わる。
「本多静六の努力論」 本多静六著 p.94
方法はただ一つである。
努力しさえすればよいのである。
昨今の「働き方改革」は、若者の努力する機会を奪ってはいないだろうか。
努力する機会を奪うということは、職業の道楽化を阻むことでもある。
若者にも仕事を通しての幸せを感じてほしい。(もちろん、望まない長時間労働は、私も反対ですけど)
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