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研修というのは、研究と修養である。研究と修養は、どう違うのか。

2021年01月24日 | 修養
 研修というのは、研究と修養を意味する。

 研究と修養は、どう違うのか?



 端的に言うと、

 研究は、他者をよりよく変える勉強

 修養は、自分をよりよく変える勉強である。



 だから、「本を読む子供に育てるには、どうすればよいか」を学ぶのは、研究である。

 それに対して、「教師自らの読書力を高めるには、どうすればよいか」を学ぶのは、修養である。



 私が師として尊敬している野口芳宏先生は、次のように言う。

 「教師は、研究に比重を置きすぎて、修養をあまりしていないのではないか」

 「教師は教えることは大好きだけれども、教わることは嫌いに人が多い。そうではいけない。」

 「研究会は盛んだが、修養会がない。修養をもっと重んずべきだ。」


 野口先生が心配するのは、結局、「教育とは感化である」という信念があるからだ。






 「あまりうちのクラスの子供達は本を読まないんですよ。」という教師に限って、

 「最近『面白かった』『ためになった』という本は、何ですか?」という問いに答えられない人が多い。

 自分自身が読書の楽しさを味わっていなければ、当然子供達にも読書の楽しさや意義を伝えることはできないだろう。



 小学校の教員になってよかったなあと感じるのは、自分自身も成長できるところである。

 子供に「挨拶をしなさい」という以上は、教師もよい挨拶のお手本を見せなければならない。

 「掃除をしなさい」という以上は、掃除ができなければならない。

 もっと言うと、掃除の素晴らしさや楽しさ、意義を実感した上で子供に指導しなければならない。

 挨拶もいい加減で掃除も不真面目だった私自分が、少しはましになってきたのは、小学校の教員になり、野口先生の教えに従って、修養にも力を入れてきたおかげである。


 教員には研究も修養も大切なのだ。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
出典について (武井塁(45才))
2022-05-17 10:10:44
はじめまして、ネット検索でたどり着きました。キーワードは、「研修 研究 修養」です。
現在、企業に勤務して、毎年10名ほどの新入社員研修の計画および実施に携わっております。
ですが、もともと、通信設備の技術職との兼務であり、教育の専門知識も持ち合わせていなかったため、通信教育制の大学で教育学部を専攻しています。
大学でのレポートおよび、勤務先での研修資料に、
「 研究は、他者をよりよく変える勉強
 修養は、自分をよりよく変える勉強である。」
の部分を引用したいのですが、ご了承いただけますでしょうか。また表記の指定などあれば、ご指示ください。合わせまして、もし上記の「」内が、オリジナルでなく、参考にできる出典があるようであれば教えてください。
 とくに、「他者」については、企業では、「組織、設備、サービス」などと同意とも捉えられると考えました。これまで触れてきた、「研修は、研ぐ=自発的に学ぶ、切磋琢磨する」というような、受講のための心構えや姿勢を示す言葉とは違い、すっと納得できました。お示しくださり、ありがとうございます!
出典について (truth777tos)
2022-05-21 18:27:34
武井塁様
コメントをありがとうございます。
返信遅くなりすみません。
引用承知しました。どうぞお使いください。
出典は、野口芳宏先生です。
講義を伺った際に教えていただきました。
研修を端的に説明するための違いを述べるためにおっしゃっていたと思います。

「「他者」については、企業では、「組織、設備、サービス」などと同意とも捉えられると考えました。」とありますが、納得しました。学校では、主に児童生徒が他社になりますが、学校にも当てはまると感じました。ありがとうございます。
ご快諾ありがとうございます。 (武井塁)
2022-05-23 15:24:07
ご返信ありがとうございます。
野口芳宏先生出典と伺い、調べてびっくり、私の卒業した小学校の校長先生でいらっしゃいました。
早速、手元の資料に記載させていただきます。
このたびは、親切にご対応くださり、本当にありがとございました。企業内教育において、研修は少し日常と離れた空間や時間で行われるため、参加して席に戻るまでの帰路で、せっかく学んだ内容や熱量が薄らいでいくことを感じることがあります。しかし、他者をよりよくする研究と、自己をよりよくする修養となれば、日常の時間(勤務中も人生も)との連続性が生じ、切れ目のない活動であって、研修に行ってきますとか、現業の戻るとかの概念すら、一体化できるように感じました。そんな、日常を教材とした研修ができるような環境づくりをすすめていこうと奮闘しております。今後も、訪問して記事を拝見することを楽しみにしております。
修養の方法について (truth777tos)
2022-05-24 19:00:12
武井塁様
 武井様が書かれた「日常の時間(勤務中も人生も)との連続性が生じ、切れ目のない活動であって、研修に行ってきますとか、現業の戻るとかの概念すら、一体化できるように感じました。」に同感です。

 日常の挨拶や返事、履物揃えも修養になると考えています。
 私の場合、掃除(特にトイレ掃除)、ゴミ拾い、そして読書(特に月刊誌「致知」を読むこと)を修養のための方法として考えています。日常生活を丁寧に送ることが大事ではないかと思うようになってきました。

 ちなみに、野口芳宏先生は、モラロジー研究所の研修会で学んでいるとおっしゃっていました。

 それぞれの人にあった修養の方法があると思います。

 武井様に置かれましては、日常を教材とした充実した研修をされることと思います。ご活躍をお祈りいたします。

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