仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

半崎美子は素晴らしい歌手である。特に聴いてほしい曲はこれ。

2021年01月31日 | 音楽
 半崎美子は素晴らしい歌手である。

 メロディーが素晴らしい。

 歌詞はもっと素晴らしい。

 初めて聴いた曲は「お弁当箱の歌」だったろうか。

 今日も聴き直してみたが、お弁当を作ってもらっていた高校生時代の頃をのことを思い出して涙が出てきた。

 


半崎美子さんの歌の中で、一番好きな曲は「母へ」である。

 母への感謝にあふれた曲で、聴く度に涙が出る。



 自分はカラオケも好きなので、好きな曲は歌ってみたいのだが、この「母へ」という曲は歌えない。

 なぜなら途中で泣いてしまって、歌えなくなるだろうからだ。

 ぜひ半崎美子ファンが増えてほしいと願っている。

 ※ 上の曲名をクリックすれば、youtubeで聴くことができます。

 こちらからもどうぞ

 「お弁当箱の歌

 「母へ

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買う前にチェックしておけば良かった。サクラレビューを見抜くサイト「サクラチェッカー」

2021年01月30日 | 通販・買い物
 アマゾンで買い物をすることが結構多い。

 田舎に住んでいるので、周りの店にはない品物(特に書籍)を手に入れられるのは重宝している。

 最近、簡易型のバドミントンネットを購入した。

 レビューは5点満点中の4.5点。

 しかも1950円。

 庭や近所の公園で遊ぶためにはいいのではないかなと考え、購入した。


 しかし、なかなか届かない。

 

 そこで、思い出した。

 「サクラチェッカー」の存在である。

  Amazonなどの商品レビューには、「サクラレビュー(やらせ)」が混じっていることがある。

 そのサクラレビューを見抜けるサイトが「サクラチェッカー」である。

 サクラチェッカーで、購入した品物のサイトを判定してもらった。

 すると、驚きの判定が出た。



 「サクラ度は80%です。サクラに注意!」という判定である。

 つまり、サクラレビューが多い可能性が高いという判定である。


 アマゾンでは、「ベストセラー」商品のラベルが貼ってあったので、安心していた。

 心配になってきた。

 ちゃんと届くかなあ。

 ちゃんと遊べる商品なのかなあ。


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月刊誌「致知」2月号「自靖自献」からの学び・・・富士通アメフト部が日本一を果たした原動力とは

2021年01月29日 | 修養
 富士通フロンティアーズのシニアアドバイザーである藤田智氏の言葉も心に残った。


 選手達に言い続けてきたことが三つあります。「いまに集中」「思い切りよく」「最後までやり通す」。



 特に、「いまに集中」については、次のように述べている。



 「いまに集中」というのは、最初にお話ししたように、優勝という大きな目標を掲げつつも、その日その日にベストを尽くすということです。

 一日を大事にしよう。それもできていないのに優勝したいという資格があるのかと。

 最初の頃のチームは、せっかく波に乗っていても一つ悪いプレーが出るともうダメになって逆転負けを喫したり、状況に左右され過ぎるところがありました。

 そういう時って、前のプレーのことを悔いていたり、先のことを心配していたりして、いまが疎かになっているんですよ。

 人間、土壇場になったら自分の地が出ます。

 普段の練習の時からいまに集中することで、試合でも普段通りによい結果を出せるんです。
          p.48



 「いまに集中」というのは、実は難しい。

 過去の失敗をいつまでも引きずってしまい、それがいまに集中することを妨げる。

 また、未来に対しての不安(多くは起きることのないことに対する不安)を感じて、いまに集中できないでいる。

 やるべきことを書き出し、優先順位を決めて取り組んでいく。いまやるべきことに集中する。

 藤田氏の言う「いまに集中」は自分も心がけたい。

 

 過去を悔やんだり、未来への要らぬ心配をしたりしそうになったら、口にするようにしよう。「いまに集中、いまに集中」と。

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年をとってきて硬くなった体をほぐす方法と継続するこつ

2021年01月28日 | 健康・病気
 年々硬くなっていく体を改善したいと考え、真向法を始めている。

 真向法は、たった4つだけの柔軟体操である。

 (どんな体操かは、リンク先 → 「真向法」で確認してね。)

 特に自分が困っていたのが、前屈が難しく、靴下をはくのが少しつらくなってきたことである。

 1ヶ月ほど続けてところで、変化が見られた。

 朝、靴下を履くときに余裕で前屈できるのである。

 

 真向法は、毎日3分間でもいいからするのが良い。

 必ず1日のうちのどこかで行えるように位置づけるのである。

 私の場合、必ず晩酌をする。

 ビールを必ず飲む。

 ということで、風呂上がりにビールを1本飲む間に、真向法をする。

 「飲みながら真向法とはけしからん」と言われても、構わない。
 
 必ずできるのはこの時間が一番だからである。



 だんだん体が柔らかくなってきている。

 この調子で続ければ、もっと柔らかくなりそうな気がする。


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部下としての心がけは、この2つ

2021年01月27日 | 修養
 教頭として、校長の補佐をする役目をしている。

 そのために心がけていることが2点ある。

 対外的な心がけと 校内的な心がけの 1つずつである。



 対外的には、校長が胸を張っていられるようにすることである。

 例えば、校長達の研修会の中で、実践を発表する場合、自校の実践を誇らしく紹介できるようにすることである。

 自校の子供達を誇らしく紹介できるようでありたい。

 決して恥をかくような思いはさせない。

 だから、コンプライアンスの遵守なども重視している。



 校内的には、校長の考えをすべての実践に反映できるようにしてもらう。

 例えば、校長の考えとして、「ほめて伸ばす。(賞賛・承認による指導の重視)」だったとする。

 どの実践にもその考えが反映されるようにする。

 挨拶指導一つをとっても、「ほめる」「認める」指導が入っているかをチェックし、必ず取り入れ、重視してもらうようにする。 


 いずれもこの2点の心がけで、結局は、子供がより育つようになる。

 それこそが校長をはじめ全職員の願いでもある。

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ブラインドタッチができるように練習します

2021年01月26日 | デジタル・インターネット
 恥ずかしながら、いまだにキーボードを見ながら文字入力をしている。

 画面を見たまま、キーボードを見ないで文字入力することを「ブラインドタッチ」というそうだが、

 その「ブラインドタッチ」ができないのである。

 仕事で困ることはないのだが、タイピングが速いに越したことはない。

 そこで、練習することにした。

 インターネットでタイピング練習 イータイピング e-typing で腕試しをしてみる。


 その結果がでた。

 キーボードを見ながら打つと「B+」

 速くはないが、そんなに遅くもない。
 
 「個人的な用途でのパソコン利用には問題のないレベルです。正確さを意識して更にスコアアップを目指しましょう。」と評価された。



 だが、見ないでやると、悲惨な結果に。

 結果は「E-」

 一番低いレベルである。

 評価は、「タイピングが生まれつきできる人はいません。誰もが努力してできるようになっていきます。ここからスタートです。」だそうな。



 まずは、「ホームポジション」すらできていない。

 そこから始めよう。

 今のところ、ベネッセの「マナビジョン」など、いくつかのサイトで試してみるつもりである。

 練習しやすそうなサイトがたくさんあるようだ。

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月刊誌「致知」2月号「自靖自献」からの学び・・・リーダーシップというのは先天的なものか後天的なものか

2021年01月25日 | 修養

 滋慶学園グループ総長の浮舟邦彦氏がリーダーシップについて書かれていたところが勉強になった。

浮舟氏は次のように言っている。


 私はリーダーシップというのは決して持って生まれたものではなく、自分をリーダーシップのある人に育てていくことは可能だと思っています。

 物事に主体的に取り組んだり、チームのマネジメントに積極的に関わったりして、平素から自分を磨いていくことによってリーダーシップは養われていきます。

 リーダーの条件は、よい職場をつくっていくことだと考えています。

 リーダーによって職場の雰囲気というのは変わると思うんです。

 明るい職場にするのか、暗い職場にするのか、そこにいるリーダーによって大きく左右されることを自覚し、よい職場づくりに努め、そのことを通じて社会に貢献していくことではないでしょうか。

 p.45


 


 「リーダーシップというのは決して持って生まれたものではなく、自分をリーダーシップのある人に育てていくことは可能」

 とのことである。

 素晴らしいリーダーである方が、このように述べて下さると勇気が出る。

 自分にリーダーシップがあるかどうか、心配しなくてすむからである。

 ただ、必要なのは、「自分を磨く」とのことである。



 また、「リーダーの条件は、よい職場をつくっていくこと」とある。

 確かに、働きやすい職場を作れる一番の力を持っているのは、リーダーであろう。



 私自身が考えるリーダーの条件は、「責任感の自覚」である。

 よい職場を作ることはもちろん、結果を出すこと、結果を出せる組織を作り上げること、人材を育成すること等、すべてはリーダーの責任である。

 組織のすべてにおいて責任を持っていると自覚する必要がある。

 すべての責任を負っているという覚悟と言ってもよいかもしれない。

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研修というのは、研究と修養である。研究と修養は、どう違うのか。

2021年01月24日 | 修養
 研修というのは、研究と修養を意味する。

 研究と修養は、どう違うのか?



 端的に言うと、

 研究は、他者をよりよく変える勉強

 修養は、自分をよりよく変える勉強である。



 だから、「本を読む子供に育てるには、どうすればよいか」を学ぶのは、研究である。

 それに対して、「教師自らの読書力を高めるには、どうすればよいか」を学ぶのは、修養である。



 私が師として尊敬している野口芳宏先生は、次のように言う。

 「教師は、研究に比重を置きすぎて、修養をあまりしていないのではないか」

 「教師は教えることは大好きだけれども、教わることは嫌いに人が多い。そうではいけない。」

 「研究会は盛んだが、修養会がない。修養をもっと重んずべきだ。」


 野口先生が心配するのは、結局、「教育とは感化である」という信念があるからだ。






 「あまりうちのクラスの子供達は本を読まないんですよ。」という教師に限って、

 「最近『面白かった』『ためになった』という本は、何ですか?」という問いに答えられない人が多い。

 自分自身が読書の楽しさを味わっていなければ、当然子供達にも読書の楽しさや意義を伝えることはできないだろう。



 小学校の教員になってよかったなあと感じるのは、自分自身も成長できるところである。

 子供に「挨拶をしなさい」という以上は、教師もよい挨拶のお手本を見せなければならない。

 「掃除をしなさい」という以上は、掃除ができなければならない。

 もっと言うと、掃除の素晴らしさや楽しさ、意義を実感した上で子供に指導しなければならない。

 挨拶もいい加減で掃除も不真面目だった私自分が、少しはましになってきたのは、小学校の教員になり、野口先生の教えに従って、修養にも力を入れてきたおかげである。


 教員には研究も修養も大切なのだ。
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他人の言葉が気になる。・・・授業のテンポをよくするためには言葉を削る

2021年01月23日 | 授業づくり
 他の人が電話をしているときに、気になる言葉がある。

 違和感があるのだ。

 1つめは、「○○様の携帯でしょうか?」である。

 中には、「○○様の携帯でよろしいでしょうか?」という人もいる。

 「○○様ですか?」でいいのではないかと感じてしまう。



 2つめもある。

 「お世話になります。」である。

 電話をかけたときに、多くの場合、次のように言われる。

 「お世話になります。」

 「別にそんなにお世話になることはないんだけどなあ」と感じながら、話を続ける。



 こちらが次のように「○○小学校の○○です。」と言い終えたとする。
 
 すかさず「お世話になります。」と返ってくる。
 
 返さないと悪いので、こちらも「お世話になります。」と返してしまう。

 この2~3秒の会話が不要だと感じてしまう。

 この「お世話になります」の儀式はなくても仕事の話はできるのに。


 だから、最近は電話をかけたら次のように言葉を続けて言うようにしている。

 「○○小学校の○○ですが、○○様はいらっしゃいますか?」

 こう言えば、相手は「お世話になります。」を返しにくくなる。

 早く用件を伝えられる。

 教師であれば、不要な言葉は削る努力をするべきである。


 多くの方にとっては、上の2つの言葉は気にならないかもしれない。

 しかし、教師であれば、こだわった方がよい。

 教師であれば、不要な言葉は削る努力をするべきである。

 無駄な言葉を使えば使うほど、授業のテンポは間延びするからだ。

 無駄な言葉を削ったときに、テンポのよい授業ができるようになる。

 例えば、「これから算数の授業を始めようと思います。」の「思います。」は不要である。

 思わなくても授業は始めなければならないからだ。



 もっといえば、「始めます。」の言葉すら要らない。

 時間割に書いてあって、子供達も算数の授業が始まることは分かっているからだ。

 どうせ言うならば、次のように言う。

 「65ページを開けます。」「1番の問題を全員で読みます。さんはい。」



 更に言うと、自分はその言葉も不要だった。

 なぜなら、その時間に学習するページと習熟問題集のページを示していた。

 休み時間のうちに、黒板の右端に、書いておくのである。

 子供達は、休み時間のうちに、そのページを開いている。

 「チャイムが鳴り終えると同時に、問題を全員で読み始める」という学習のルールを決めていたので、すぐに学習に入ることができる。

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「9歳の男の子の話」・・・月刊誌「致知」2月号「自靖自献」からの学び

2021年01月22日 | 修養
 「致知」2月号のなかで、中村正和氏が「後世に継いでいきたい日本の心」とうテーマで書いた文章の中に、思わず涙してしまったエピソードがあった。

 長くなるが、引用する。



 ベトナムから日本へ帰化した警察官が語った話でした。東北大震災直後のある夜、その警察官は食料を配る手伝いのために避難所へ向かいました。
 そこにはようやく届けられた食料を受け取るために、たくさんの被災者が列をつくっていました。
 その最後尾に目をやると、九歳ほどの男の子が厳寒の中をTシャツ・短パンという軽装で佇んでいます。
 気になって声を掛けた警察官は、その子が語り出した悲惨な体験に言葉を失いました。
 地震の後、お父さんが小学校に車で迎えに来てくれた。
 けれどもその時、大きな津波が来て、お父さんを車ごと呑み込んでいくのを三階のベランダから見た。
 海の近くの自宅にいた母親や弟妹もたぶん助からないと思う……。
 その九歳の男の子は、不安を打ち消そうと涙を拭いながら、悔しさと寒さに震えながら、必死に話してくれたのです。
 不憫に思った警察官は、男の子に自分のコートを掛けてやり、用意していた食料のパックを渡しました。
 きっと喜んで食べてくれるだろうと思ったのです。
 ところが、その男の子はどうしたか?

 何と、彼はその食料。パックを紀給用の箱に置きに行ったのです。
 そして、戻ってきた男の子は、警察官にポッリと言いました。
 「僕よりお腹をすかせてる人がたくさんいるだろうから……」と。
 何ということだ!警察官は、もう涙で少年を見ることができませんでした。
 両親も弟妹も行方不明で、不安と悲しみに打ちひしがれ、空腹と寒さの中で絶望している九歳の少年が、それでもその困難に耐え、自分のことよりも他人を思いやることができる。
 このような悲惨な境遇に置かれた幼い少年でも、己を捨て、人のために生きようとする。
 日本人は何と偉大な民族なのだろう。
 その話は警察官の口からベトナムに広まり、現地の新聞でも紹介されました。
 新聞は「人情と強固な意志を象徴する男の子の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった」と綴り、こう問い掛けています。
 「我が国にはこんな子がいるだろうか」
この話を知ったベトナムの人々は、男の子と日本に称賛を惜しまず、裕福とは言えない人々からも多くの義捐金が寄せられました。
 p.33




 恥ずかしながら、自分だったら、食料をバクバク食べてしまったかもしれない。

 小学校の教員をしていて、よく感じることだが、教科の勉強や体力は、教師の方が優れている。(発想する力は別です。子供の方が優れています。)

 しかし、道徳に関しては、教師よりも優れている子供はたくさんいる。

 つまり、知・徳・体のうち、「徳」は、子供の方が優れている場合もたくさんある。

 例えば、自分がつらいときでも、周りの子に優しくできる子もいる。

 逆境の中でも、大人だったらあきらめそうな場面でも、挑戦する子もいる。



 この「9歳の男の子」も、きっとそんな素晴らしい道徳心の持ち主なのだろう。
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進退窮まっている状態から道を開く・・・月刊誌「致知」2月号「自靖自献」からの学び

2021年01月21日 | 修養
 月刊誌「致知」2月号も学ぶべき内容がたくさんある。

 その中でも、特に心に響く言葉と私の感想を記しておきたい。


 例えば、數土文夫氏の言葉


 歴史に目を通すと孫臏((そんびん)中国の戦国時代の兵法家)は、その兵法の才能を妬んだ龐涓(ほうけん)に編されて両足を切断する罪を負わされなからも、そこから見事に立ち直っている。

 江戸時代、全国各地の村を復興した二宮金次郎も、財政難に陥った米沢藩の改革を成し遂げた上杉鷹山も皆、一進退窮まった状態から道を開いてきた。

 これは希望でしたね。特にいまのような人生百年時代となると、私の感覚では十年に一度くらいの割合で進退窮まるような出来事が起きると思うんです。

 そういう時、かつてのリーダーたちがどう苦難に立ち向かったのかを学んでおくことは大きな力になるでしょうね。

 歴史は人生の修羅場を疑似体験させてくれる。これは私の強い実感でもあるんです。

  月刊誌「致知」2月号p.19





 重要な仕事であればあるほど、逆境に立たされる。

 これは、本当である。

 鍵山秀三郎氏も次のようにいっている。




 「大事なことはすべて手間がかかって難しいもの」

 大事なことで、手間がかからずに楽なことは何もありません。

 大事なことは例外なく、手間のかかるものです。

 そして、打ち込めば打ち込むほど困難に遭遇するようになっております。

    「凡事徹底」日めくりカレンダー p.22

 


 この數土文夫氏や鍵山秀三郎氏の言葉を、真に理解できた人は、次のようになる。


 「逆境になるほど燃える」


 逆境になると、成長するチャンスであることが分かっている。

 逆境に遭遇するのは、自分が重要な仕事をしているからなのでと分かる。




 自分としては、逆境に合うのは、正直つらい。

 昔は、つらいだけだと思っていた。逃げそうになっていた。

 しかし、50歳を超えると、逆境こそが自分を飛躍させてくれることが分かり始めてきた。

 數土文夫氏によると、「10年に1度くらいの割合で進退窮まるような出来事が起きる」そうである。 

 そろそろ自分にも起きるかなあ・・・。

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この質問にギブのある答えができるか。・・・どんな食べ物が好きですか?

2021年01月20日 | 修養
 昨日のブログ「一流と三流を瞬時に見分ける「たった一つの質問」・・・マコなり社長の動画から学ぶ」の続き

 質問にはギブのある答えをしよう。

 というテーマで書いてみる。

「どんな食べ物が好きですか?」



 その1

 自分は、ショウガが好きです。

 どれくらい好きかというと、スーパーに行ったら、気づかないうちに買い物かごに入れちゃってます。

 そして、刻むかおろすかして何にでも入れてます。シメサバ、煮物、カレーに味噌汁。

 ご飯にかけて食べたいくらい好きです。  


 ウーン、平凡な答えだなあ。




 その2

 10月に取れるえびの産ヒノヒカリの新米が好きです。

 かなりおいしいです。ご飯をおかずにして、ご飯を食べるくらいです。つまりご飯だけで何杯も食べられます。

  香りも味も歯ごたえも最高です。

 この時期だけは、糖質制限のリミッターをはずして食べます。

 おかげで体重が3キロは増えてしまいます。




 ヒノヒカリのおいしさを知らない人にはピンとこないかなあ。




 嫌いな食べ物も答えると、こうなります。(基本、好き嫌いはないんだけど)

 嫌いな食べ物は、酸っぱいモノ全般です。酢の物、レモン、酸っぱいミカンは苦手です。

 おそらく、前世で腐った酸っぱい物を食べて死んだことがあるんじゃないかと思います。

 

 ウーン、インパクトがない!

 

 ま、もっとギブのある答え方ができるよう、考える練習をしよう。
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一流と三流を瞬時に見分ける「たった一つの質問」・・・マコなり社長の動画から学ぶ

2021年01月19日 | 修養
 最近よく見ているyoutubeの動画「マコなり社長

 面白くてためになる動画をたくさん提供してくれる方である。

 今日は、「一流と三流を瞬時に見分ける「たった一つの質問」」という動画を見た。

 その質問とは、




「あなたの好きな食べ物は何ですか?」である。

 その質問に対して、どんな答え方をすればよいのか。

 一流の答え方の特徴は次の通り。






 一流の回答というのは、

 具体的でインパクトがあって、思わず「え、どういうこと?」「バカなの?」ってなるようなユニークな回答をします。

 びっくりしたり、笑ってしまったするようなものです。

 ありきたりではなくて、クスッと笑ってしまったり、もっと話を聞きたいと思ってしまったりするギブ(何かを与える)のある回答

 相手の気持ちに応えたいというギブ回答

 ギブにあふれたインパクト・魅力のある回答をするためには、準備が必要

 1番大事なのは、「人を笑顔にさせよう」「面白いと思ってもらいたい」というギブの精神





 答え方にもギブ(利他の精神)があるところが素晴らしい。

 この一流の回答ができるようにするためのテクニックも紹介している。

 興味がある方は、是非動画を見てほしい。


 ちなみに、いつ聞かれてもいいようにするため、よく聞かれるような質問については、あらかじめ準備しておくべきだという。

 よく聞かれる質問とは、次の通り。

■準備しておくべき質問
◎好きな食べ物は何ですか?
◎趣味は何ですか?
◎好きなアーティストは誰ですか?
◎休みの日は何やってるんですか?
◎好きな映画は何ですか?
◎お仕事は何をやっていますか?
◎将来の夢は何ですか?
◎好きな異性のタイプは?
◎地元はどこですか?
◎最近あった面白いことは?
◎好きなスポーツは?
◎尊敬する人は誰ですか?

これから先、このブログでも、これらの質問例に答える回答例を書いていこうかな?

 (実際にメモやノートには書いていこうと思うけれども、ブログにアップするかどうかは分かりません。)
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アジを買ったのに、レシートに記入されていない、アジの値段をレジの人が打ち忘れている。・・・というときにどうするか。

2021年01月18日 | 修養
 昨日、家人と夕食の材料を買い出しに行った。

 いい鯖があったので、4本買って3枚におろしてもらった。(シメサバを作るのも食べるのも大好きなので)

 隣には、まるまると太ったアジ380円があったので、それも購入。

 脂がのっていそうなので、きっと刺身にしたらおいしいだろう。

 他にも、白菜、椎茸、肉、ネギなどの鍋の材料を買ってレジに向かった。

 支払いを済ませ、家人は食材を買い物袋へ投入。

 私は、レシートのチェック。



 そこで、重大なことに気づいた。

 アジ(380円)の表記がないのである。

 3回見直したけれども、無い。

 つまり、アジの値段分を自分は払っていないことになる。

 レジうちのお姉さんに「アジの値段が入っていないのではないですか?」と、言おうとしたけれども、現物のアジは、すでに買い物袋の底にある。

 効率重視の家人は、てきぱきと食材を買い物袋に詰め続けている。

 普段ならば、すぐにレジのお姉さんに言うのだけれども、すべての食材を取り除いて、アジを買い物袋の底から取り出さなければならない。

 そこまでしてお姉さんに言うのは面倒くさい。

 しかも、ミスはこちらではなく、お姉さんがしたミスなのだし。



 ここで考えること3秒。


 私の心の中の悪魔と天使が戦った。

 結局勝ったのは、天使。

 決め手になったのは、天使のささやいた一言

 「このまま帰ってアジの刺身を食べても、おいしくないでしょ。」

 そうなのだ。

 おいしく食べるには、やはりきちんと対価を支払わないといけない。

 後ろめたい気持ちで食べるアジはおいしくないだろう。

 お酒もまずくなる。

 


 ということで、買い物袋の底からアジを取り出し、レシートも見せて、レジのお姉さんに納得してもらった。

 「すみません、申し訳ないです。」というお姉さん。

 そのお姉さんに、アジの代金380円(+消費税)を支払い、再び買い物袋に詰めていった。



 その夜食べたアジの刺身は、もちろんおいしかった。






 この話、いつか道徳の授業で話せないかなあ。

 「正直」をテーマにしたの授業の終末なら使えそうな気がする。

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職業の道楽化は可能である。ただし、1つの条件がある。(本多静六氏に学ぶ)

2021年01月17日 | 修養
 「職業の道楽化」は可能である。

 つまり、仕事を趣味のように、遊びのようにすることはできる。

 「職業の道楽化」は、本多静六氏が言った言葉である。

 本田氏は、日本初の林学博士で、造園家である。日本の「公園の父」といわれる。

 設計・改良に携わった公園は、日比谷公園、明治神宮、大濠公園ほか、多数。

 株式投資家でもあり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資で巨万の富を築いたことでも有名。

 本田氏は、次のように言う。




 私の体験によれば、人生の最大幸福はその職業の道楽化にある。

 富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠く及ばない。

 職業道楽化とは、学者が言うところの、職業の芸術化、趣味化、遊戯化、スポーツ化もしくは享楽化であるが、私はこれを手っ取り早く「道楽化」と称する。

 名人と仰がれるような画家、彫刻家、音楽家、文士などが、その職業を苦労とせずに楽しみながら道楽でやっているのと同様に、すべての人がそれぞれ自分の職業あるいは仕事を道楽にするということである。





 「仕事をするのが楽しくてたまらない。」と思える人は幸せだろうか?

 私は、間違いなく幸せだと考える。

 「楽しくてたまらない」というまでは行かなくても、「仕事をすることが楽しい。」と思える人は幸せである。

 なぜなら、人生の3分の1以上の時間を仕事が占めることになるからだ。(8時間働いた場合です)

 3分の1が楽しい時間であれば、かなり幸福度は高いだろう。

 しかも、仕事が楽しい人の場合、8時間以上働くこともあるだろう。

 そういう人は、8時間という仕事の時間も「道楽(遊び)」である。

 8時間を超えた時間も「「道楽(遊び)」である。

 人生が楽しいだろうなあ。



 さて、職業を道楽にする方法も本田氏は述べている。


 その方法はただ一つだという。

 それは、以下の通り。




 職業を道楽にする方法はただ一つ、努力(べんきょう)である。

 あらゆる職業はあらゆる芸術と同じく、はじめの間こそ多少の苦しみがあるが、歓喜も幸福もすべて努力を通して初めて得られることを自覚し、自分の職業を天職と確信し、迷わず疑わず専心努力していれば、「断じて行えば鬼神もこれを避く」とか「精神一到何事か成らざらん」と言われるとおり、早晩必ず仕事がよく分かって上手になる。


 上手になるにしたがって、初めは自分の性分に適しないように思われた職業も次第に自分に適するようになり、自然と職業に面白みが出てくる。一度その職業に面白みが出てくれば、もはやその仕事は苦労ではなく道楽に変わる。

「本多静六の努力論」 本多静六著 p.94





 方法はただ一つである。

 努力しさえすればよいのである。

 昨今の「働き方改革」は、若者の努力する機会を奪ってはいないだろうか。

 努力する機会を奪うということは、職業の道楽化を阻むことでもある。

 若者にも仕事を通しての幸せを感じてほしい。(もちろん、望まない長時間労働は、私も反対ですけど)
 
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