仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

家族でカードゲーム

2024年04月03日 | 家庭教育

 ちょっと前、家族5人でカードゲームをした。

 面白かった。

 「はぁって言うゲーム」は、それぞれの朗読力が試される。

 ルールはこちら(ウィキペディアより)

 各プレイヤーがAからHのカードをこっそり引き、自分がどんシチェエーションでお題の台詞を演じるかを決め、他のプレイヤーにそれを当てさせるというもの。例えば「はぁ」がお題の場合、Aのカードを引いた人は「なんで?」の「はぁ」、Bのカードだと力をためる「はぁ」、CからHのカードはそれぞれ呆然、感心、怒り、とぼけ、驚き、失恋の「はぁ」を演じる。基本的には身振り手振りは禁止だが、お題によってはポーズが指定されていたり、逆に言葉を発さずにジェスチャーだけで伝えるお題もある。

 

 学校で子どもたちとやるのも面白いと思う。

 会話文の読み方が上手になるような気がする。

 

 もう一つ、「ito」は、参加者の価値観のズレが楽しめる。

 ゲームの紹介はこちら → ito

 

 我が家には、もう成人した子もいるが、一緒に楽しめた。

 カードゲームは他にも面白そうなものがあるので、家族が集ったらやってみたい。

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南国小林市でもできるりんご狩り

2021年11月01日 | 家庭教育
南国宮崎県でも、りんご狩りができる。
 
早速「生駒高原」に行ってきた。

確かに、美味しそうなリンゴがなっている。

入場料500円(りんご1個付き)で、りんご1kgにつき1000円だった。



美味しそうなりんごが、たくさん実っている。


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「苦手なこと(外遊び、体育)から逃げる子がいる」という親へのアドバイス

2021年03月20日 | 家庭教育
 以前、他校の保護者から相談を受けた事がある。

 「うちの子は、運動が苦手で、外遊びも嫌いです。体育の時間は何かと理由を付けてサボろうとしているようです。どうしたらよいでしょうか?」

 まず、保護者の言い分を十分に聞いた。遮ることなく。

 話し終えてからの自分の答えが、だいたい次の通り。



(学級担任との連携)

 学級担任は、そのことを知っていますか?(知らない?)

 まず、学級担任にそのことを伝えて下さい。

 必ずAさんに合わせて、指導をするはずです。

 ときどき、体育や外遊びでどんな遊びをしたかを聴いて下さい。
 



(家庭でできること・・・親子での外遊び)

 それから、家庭でもできることとして、近くの公園に家族で一緒に遊びに行くといいと思います。

 まだ3年生ならば、お母さんと一緒に出かけるのは嬉しいと思いますよ。(お出かけは好きとのことだった)

 おにぎりなんかを持って行って、一緒に食べるのもいいですね。

 遊具が好きならば、遊具の充実した公園が県内には結構あるので、公園巡りをするのもいいと思いますよ。

 公園で家族と一緒に遊ぶ楽しさをたくさん味わったり、遊具で遊んで体の動かすことを楽しむのもいいと思います。




(苦手なことも体験させる)

 そもそも、小学校では、「食わず嫌い」で、体験したくないからさせないというのはもったいないです。

 国語でも算数でも体育でも、「嫌いだからしない」というのはもったいないです。

 大人になったら、嫌いなことを仕事にする必要はありませんけど。

 子供のうちは、次の2つの点で、少々嫌なことでも体験させた方がいいと思います。

 1つめは、自分の可能性を知るためです。

 やる前は、苦手だと思っていたけど、面白かった、才能があった、と言うこともあります。

 2つめは、自分の得意なこと、不得意なことを知るためです。

 いろいろな体験をまんべんなくさせて、「自分が苦手なことは何か?」を確かめるのも勉強です。

 心理的、身体的にできないことをする必要はありませんが、できることには挑戦させることをオススメします。



 とまあ、こんな感じでアドバイスをした。

 納得してもらえたような表情をされていたけれども、これでよかったのかなあ。


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図書館で見たお母さんの素晴らしい躾の指導・・・靴並べ

2020年12月19日 | 家庭教育
 図書館で、本を探していたら、お母さんらしい方の声が聞こえた。

 どうやら子供コーナー(靴を脱いで過ごせる場所)にいる我が子に、話しかけている。

 「靴を揃えようね。」

 二人の男の子が、両手で靴を揃えていた。

その後は、子供が本を読み、お母さんが見守っている。

 しっとりと落ち着いた雰囲気で読書をしている。

 その近くには、小さな靴が2足、きれいに並んでおいてある。



 このお母さんの素晴らしいところは、

○ すぐに声をかけて揃えさているところ。

○ 穏やかな声かけで揃えさせているところ。 

だと感じた。

 きっと普段から靴並べの躾を意識しているに違いない。

 靴並べができるということは、「モノとのつきあい方の基礎が身に付く」と言うことである。

 きっと、この図書館で見た子達は、すくすくと育つだろうなあと感じた。


 

 (ちなみに、挨拶と返事は人とのつきあい方の基礎)
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教師の一言が大きな励ましになる・・・保護者ができる教師の活用法

2020年11月01日 | 家庭教育
 ある会社の社長は、社員の子供が入学する際に、ランドセルをプレゼントするそうである。

 そのプレゼントには、社長の次のようなエピソードがあったからである。


 終戦から間もない頃、当時あんパンが10円だった頃に、ランドセルは約2000円。

 社長の長男が入学するときにランドセルが買えず、将校用背嚢(はいのう:行軍の際に背負う方形のかばん)を持たせたそうである。

 駄々をこねる長男の後ろ姿を見送った。

 社長はさぞかしつらかったことだろう。

 ところが、その夜社長が家に帰ってくると、長男は「先生に一番立派だとほめられた。」と大喜びだった。

 先生の優しい気遣いに救われたそうである。

 その出来事から、社員に同じ悲しみを味わう家族を出してはならないとの思いで始めた「ランドセルのプレゼント」である。



 もし、教師の一言がなかったら、長男はずっと恥ずかしい気持ちで学校に通っただろう。

 しかし、一言のおかげで、その瞬間から、誇らしい気持ちで過ごせたことと思う。



 小学生のうち、特に低学年のうちは、教師の言葉は大きく影響する。

 前にもこのブログで書いたと思うが、この影響力を使わない手はない。

 家庭で、良いことがあったらほめる。

 そして、学級通信の返信欄などに、一言書くのである。

 「昨日は、うちの子は何も言わなくても洗濯物たたみの手伝いを始めていました。この調子で続けてもらいたいです。」

 「昨日は、玄関の靴並べを進んでしていました。最近、進んで手伝いをしています。」
 
 これだけ書いていれば、勘のいい教師ならばきっと学校でもほめてくれる。
    
 教師の一言で、良い行動が強化される場合がある。

 ただ、くれぐれも、「叱って下さい。」は、やめた方がよい。教師と子供の人間関係が崩れる場合がある。
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家族で外食

2020年07月24日 | 家庭教育
 今日は外食、鰻を食べに行った。

 年に1回、家族の恒例行事として行っている。

 こういうイベントをすることで、家族揃って出かけることになる。

 楽しめる行事を家族でいくつか作っていくといいと思う。

 例えば、盆正月の集まりに加えて、誕生日のお祝い、母の日、父の日などなど・・・。

 今日は、子供達は、鰻丼、大人は鰻定食

 あっという間に、きれいに平らげた。

 ちょっと前なら、「おなかいっぱい、もう食べられない。」

 と言っていた子どもたちだが、今では親よりたくさん食べるようになった。


 


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子育ては、最高の楽しみであり、最高の社会貢献

2020年04月04日 | 家庭教育
 子育ては、最高の楽しみであり、最高の社会貢献でもある。

 自分はそう考えている。

 今、子育ての真っ最中で苦労している父親と母親は多いだろう。

 楽な子育てはない。(楽しい子育てはあります)

 子育ては楽ではないけれども、最高に楽しい。

 残念ながら、「子育ては楽しかった、充実していた」と、心の底から思えるのは、子育てが終わりかけた頃になる(ことが多い)。

 子育て真っ最中の時は、子育てに四苦八苦して、その楽しさを味わうにはゆとりがない。

 (これが、子育ても3人目、4人目ともなっていくと、ゆとりが生まれます。)



 多くの親は親ばかである。我が子の仕草一つ一つがかわいい。 

 それでいいのだ。

 何かにチャレンジして頑張っている姿を見るのもいい。

 うちの子4人は、水泳を楽しんでいる。

 選手コースのメンバーとして大会に出たり、練習でベストが出たりするだけで喜んでいる。

 姉と兄弟で練習方法について、語り合ったりする姿を見るのも微笑ましい。

 何かしら、少しずつ成長する姿を見るのは嬉しい。

我が子が頑張って成長していく姿を見るのは、楽しい。



 少子化が進む今、子育ては社会貢献の一つでもあると考えている。

 社会貢献したいから子育てをしているのではないが、結局は、かなりの社会貢献をしていることになる。

 若い世代を育てるということは、これからの社会の担い手を育てるということである。
 
 最高の社会貢献ではないか。


 これから先、子育てをする親

 里子を預かって育てる里親世帯には、

 消費税をゼロにするとか、所得税や相続税を免除するなど、何らかの優遇措置があってもよいと考えている。

それくらい大胆なことをしなければ、少子化は止められないのではないか。
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お彼岸に墓参り

2020年03月21日 | 家庭教育
 今日はお彼岸ということで、墓参りに行った。

 しかも、ちょっと特別な墓参りである。

 墓石を作り直したということで、新しいお墓に、ご先祖の骨壺を入れていった。

 墓誌も新しくなった。

 (墓誌とは、お墓の横にある石板である。亡くなったご先祖の名前となくなった日付や年齢が書いてある)

 墓誌を見ると、1827年生まれの五代前のご先祖が、初めに書いてある。

 隣の鹿児島県から移住してきた人である。

 明治になる2年前のことである。

 父に尋ねると、3日間かけて、馬車でやってきたとのことだった。

 四代前のご先祖は、その時すでに生まれていた。

 四代前のご先祖は、その時4歳。馬に乗せた籠の中で座って移動である。

 3日間も籠に乗っていたので、ずっと籠の中で揺られていた。

 揺られているので、へりに頭をこすられ、血が出たそうである。

 結局その部分だけ、頭髪は生えてこなかったとのことである。

 移住後も、相当な苦労をしてきたらしい。

 今のように、機械はない。

 山や荒れ地を開墾して、田や畑を作った。水も引いた。

 木の切り株などもあっただろう。

 岩ももちろんあっただろう。

 山や荒れ地を、人力で開墾した昔の人の苦労は、想像できないくらい大変なモノだっただろう。



 そういえば、自分が小さい頃は、ひい爺ちゃんや爺ちゃんは元気だった。

 身の回りのモノは、縄でもわらじでも、いろいろ作っていたのを思い出す。

 大工仕事もうまかった。

 山に行って、山菜も採ったし、鳥や動物を捕まえるための仕掛け罠も作っていた。

 

 というような話を、自分も子供や孫(まだいないけど)に、語って聞かせてあげようと思う。

 そうやって、がんばって生きてきた人たちの子孫なんだよ。

 ということを語ることで、命がリレーされてきたことを感じてほしい。
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地域に住む大人の教育力は落ちたか?高まったか?

2020年03月14日 | 家庭教育
 地域に住む大人の教育力は落ちたか?高まったか?

 どちらだろうか?

 私の考えは、「高まっている面もあり、落ちている面もある。」である。

 二極化が進んでいると言っても良いかもしれない。


 高まっている面について

 高まっている面は、学校に関わって下さる外部の方の教育力である。

 最近の学校には、地域の一般の方が授業に入って下さることが多い。

 例えば、高学年児童が将来の仕事について学習をする場合、何時間かある学習のどこかで、保護者や地域のお店の方を呼ぶ。

 そして、自分の仕事について語ってもらう学習をすることが多い。

 仕事内容、やりがい、どうしたらその仕事に就くことができるか、などを子供達に語ってもらい、子供達からの質問にも答えてもらう。

 それ以外にも、地域の特色ある施設や自然、文化遺産などについて詳しい外部の方をお招きすることは多い。

 例えば、果物を作っている農家の方、神楽などの舞をしている方、地区の史跡に詳しい高齢者の方、水道課の方、地域にある天然記念物の研究者、などなど数え切れないくらいの方がいる。

 最近は、そういう学校に関わって下さる外部指導者の方々が多く、その教育力の質も高い。



 落ちている面について

 では、落ちている面についてはどうか?

 それは、子供達の指導ができる地域の大人が少なくなっているという面である。

 地域の子供達に関して問題があるとする。

(例えば、車が通るようなところで、キャッチボールをする、スケートボードで遊んでいる等である。)

 それを大人が見かけたとする。

 昔なら、自分が子供の頃なら、近所の大人が許さなかった。

 「こらっ、そこは危ないだろう。○○公園で遊べ」

等と言って叱られた。

 今は、どうか

 叱る大人は少ない。

 その代わりにどうするか。

 近くの学校に電話をするのである。

 「お宅の学校の子が、○○で○○をしていますよ。」

 そうすると、学校の職員が出かけていって、指導をする。

 このような事態が重なって、多忙化する要因の一つとなっている。

 昔は、悪いことをすると、地域の大人から

「お前はだれんとこの子か?」 と聞かれたものである。

 今は、悪いことをすると、地域の大人から

「お前は、どこの小学校の子か?」 と聞かれる。



 本来ならば、地区に住んでいる大人が、その場でその子を指導をしてほしい。



 指導がしにくくなった社会状況もあるだろう。ヘタをすると不審者扱いされるのではないか。という不安もあるかもしれない。

 それでも、知っている子だったら、大人として指導をしてほしいのだが、指導する人は昔に比べて圧倒的に少ない。

 そういう点では、地域に住む大人の教育力は落ちたと考えている。
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多くの子育てで当てはまる法則

2020年03月02日 | 家庭教育
 子育てをしていて、また他の家庭を見ていて、

 子育てには法則があるなあと感じる。

 そのなかでも、多くの子育てで当てはまる法則は、次である。

 「子供は、親がやったとおりにする」

 親がいくらいいことを言ったとしても、子供はその通りにはしないことがある。

 しかし、親がやっていることを子供は真似することが殆どである。(もちろん例外は少しある)

 

 例えば、「『おはようございます』って元気よく挨拶をするのよ」

 と、親が言ったとする。

 しかし、親が小さな声で元気なさそうにしていれば、ほぼ子供は親の挨拶と同じになる。

 「『おはようございます』って元気よく挨拶をするのよ」と言っても言わなくても、

 親自身が元気よく子供に挨拶をし、近所の人にも挨拶をしているところを子供が見れば、その真似をする。

 (思春期になれば声が小さくなるかもしれないが、いずれ大人になれば、また親のような挨拶をするようになる。)

 

 履き物揃えにしてもおなじである。

 履き物を揃えなさい。」と言うよりも、履き物を揃えている玄関や靴箱を見せ続ければ良い。

 「きっと、揃えるのが当たり前という感覚になってくる。



 履き物揃えと言えば、凄い躾をしている人の話を聞いたことがある。

 その人は、夫婦で話し合って、我が子が小さい時から、自分の履き物だけではなく、我が子の靴も玄関で揃えていたそうである。

 特に、「履き物を揃えなさい」と言うこともなく。

 子供が目にするのは、いつもきれいに揃えられた履き物だけである。

 そのうち、きれいに揃えられている状態が当たり前になってくる。揃っていないと気持ち悪いという状態になってくる。

 そうなれば、しめたものである。

 揃っている状態が気持ちいい、揃っていないと気持ち悪いという感覚が身に付いてくる。

 これは、 「子供は、親がやったとおりにする」の典型であろう。



 親の行動を真似するのが子供である。

 なぜ、子供は親の真似をするのか?

 それは、やはり子供は親のことが大好きだからだろう。

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もうすぐ小学1年生という子のエピソード

2020年02月03日 | 家庭教育
 以前、小学校に入学する前の入学説明会があった。保護者が入学説明を聞いている間、入学前の子供達は、1年生の教室で絵を描いて過ごす。

 絵を描いている途中、突然男の子がシクシクと泣き出した。

 「どうしたの?どこか痛いの?」と聴いても首を横に振るだけ。

 「何かあったの?」と聴いても首を横に振るだけ。

 「どうしたの?」と聴くと、

 「お母さんに会いたい」とのこと。

 もう少し詳しく聴いてみると、絵を描いていて、はじめは恐竜や木を書いていたのだけれども、そのうち人を描き始めた。

 いろいろ人を描いていたのだけれども、お父さんとお母さんの絵を描いているうちに、会いたくなって泣いていたのだそう。

 これを聴いて、「そうだよね、会いたくなるよね。」と言ってしまった。

 なんと可愛らしいのだろうと思った。

 10分ほどして、保護者のところにみんなを連れて行った。泣いていた子も、親の姿を見てにっこりである。

  そうである。1年生になるまでの頃は、(低学年くらいかな?)親が大好きである。いつも親といっしょに居たいのである。

 うちでは末っ子がもう6年生なので、「親に会いたくて泣く」ということはなくなった。
 だから、「親に会いたくて泣く子」がいることがうらやましい。
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子供の自立する心を育てるチャンス

2019年09月30日 | 家庭教育
子供の自立を願うなら、様々な場面で育てるチャンスがある。

例えば、店や飲食店、病院に行った時である。



子供の具合が悪くて、病院に診察に行った際、

「症状は子供に言わせる」

自分の症状は、自分が一番分かる。

きつくて会話もできない時は別として、基本的には、自分で自分の症状を言わせる。

「おなかの下の方が痛いです」

「吐き気がします」

「ご飯は食べたくありません」

等である。

これくらいは小学1年生でも言える。

自分の症状は言えるのに、それを親が言ってしまう場合がある。

言えそうになければ、事前に親子で何と言うか打ち合わせをすればよい。

ちょっとしたことだが、親が代弁することで自立心を育てるチャンスをなくしている。



もちろん、子供なので、医師に十分な情報提供できない場合もある。

聴いていて、補補足した方がよい情報があれば、最後に親が付け足す。

例えば、「昨日の朝から腹が痛いと行ってました」「夕べは、少し熱があって37度5分でした」などである。


子供が医者の前で、全く言葉を発さない場合もあると聞く。

親がすべて代弁するのだ。

自立するチャンスを奪っていることになる。もったいない。
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大好評の宿題

2019年03月04日 | 家庭教育
 勤務校では、年に一度、全校児童に宿題が出る。

 1週間毎日、同じ宿題である。

 1年生から6年生まで、みんな同じ宿題をする。



 それは、「おうちの人にギュッと抱きしめてもらう」である。

 保護者には、「ギュッとする時に時に、何か一言言ってください」と伝えてある。

 保護者は、「大好き」「生まれてきてくれて有り難う」「かわいいかわいい○○ちゃん」などと、言うそうである。



 この宿題は、もう15年以上続いている。

 なぜかというと、大好評だからである。



 学級通信の返信欄には、保護者の感想がたくさん書いてある。


 6年生の保護者からは、「6年間で我が子の成長したことを特に感じる1週間でした。」
 
 「来年から、この宿題がなくなると思うと寂しい。」「これからもこの学校では続けてほしい。」という感想があった。



 自分にも子供がいるので、その気持ちはよく分かる。(うちでは毎日小学5年の末っ子に「ハグ」してます。)



 保護者の感想の中で、特に共感できたのがある。自分も常々思っていたことである。

 それが、次の感想である。



 「アメリカ人に生まれ変わりたい」



 自分も、これだけは昔からアメリカ人がうらやましかった。

 映画を見ると、アメリカ人は家族で、大人になっても「ハグ」をしている。

 そんな習慣があるようである。

 「日本人に生まれてよかった」といつも感じてはいるが、映画で「ハグ」する映像を見る時だけは、アメリカ人がうらやましい。

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幾つになっても我が子は

2018年03月05日 | 家庭教育
 お笑い芸人コンビの「カミナリ」が、茨城の実家に帰った。

 その時の様子がテレビで放映されていたが、あるシーンで涙が出そうになった。

 そのシーンとは、「カミナリ」のまなぶさん(頭をはたかれる方)の実家でのシーンである。

 まなぶさんの帰省が分かったとき、スーパーマーケットを経営しているお父さんは、お店から両手いっぱいに刺身をもってきた。

 まなぶさんに食べさせるためである。

 まなぶさんは、

 「そんなに食えないよ。」

 というが、お構いなしなのである。どんどん開けてごちそうを並べる。食べてもらいたいのである。



 帰省した息子に、ごちそうを腹一杯食べさせてあげようとするお父さんの姿を見て、涙が出てきた。

 幾つになっても我が子はかわいいようである。その愛情が伝わってきて、泣けた。



 自分の両親も同じである。帰省すると、家にあるおいしそうなものをどんどん出してくる。
 
 「腹減ってないからそんなに食べれん。」

 と言っても、お構いなしである。

 食べてほしいのである。

 

 私自身の子供も、あと何年かしたら、独立して、家を出て行くことだろう。

 きっと自分も帰省した我が子に対して、うまいものを食べさせようとすることだろう。

 (そして、きっと「そんなに食べれん。」と言われるに違いない。それでいいのだ。)


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ちょっと変わった我が家のルール

2017年11月29日 | 家庭教育
 ちょっと変わった我が家のルールは、これである。

 外食の後は、お店の人だけでなく、お父さんやお母さんにも「ごちそうさまでした。」と言う。

 作ってくれたお店の人には「ごちそうさまでした。」と言わせる。

 ただ、お金を出したお父さんやお母さんにも「ごちそうさまでした。」と言うようにさせている。

 理由は、ごちそうしてくれたからである。

 おごってもらったら、感謝の気持ちを伝えるのは、大人であれば当然である。

 ただ、それができない若い人もいる。できない責任はその人にもあるだろうが、他の人にも責任がある。

 それは、その人ではなく、それまで育ててきた大人のせいである。

 ただ、中学生や高校生になってからは、初めて教えるようでは遅い。恥ずかしくなって言えない子もいるかもしれない。

 だから、我が家では、小学生になるかならないかの頃から習慣づけてきた。

 外食をした後は、お金を払ってくれた人に感謝の気持ちを伝えるのである。

 それは、初めは親に言えばよい。そのうちに、お爺ちゃんやお婆ちゃんがごちそうしてくれることもあるだろう。

 とうぜんお店を出たら、「ごちそうさまでした。」と、お爺ちゃんやお婆ちゃんにも言うようにさせている。

 子供のうちから癖をつけた方がよい。だから、言わせている。

 当然のように言っている子は、社会人になっても、ごちそうしてくれた方に対して、「ごちそうさまでした。」と、すっと言えるだろう。

 (ひょっとして、これは「変わったルール」ではないかな?)



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