仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

なぜ授業づくりのイメージが湧かないのか

2015年10月30日 | 授業づくり
 飛び込みで授業をすることになった。

 自分が知らない子供達を相手に国語の授業をするのである。6年生国語科の随筆指導である。

 ここ1ヶ月は、指導案づくりをしていた。休みの日には近くの図書館に行って籠もって指導プランを考える。

 かなり頑張って指導プランを考えた。しかし、これまでで一番指導案が作れなかった。

 ここ1年半位は、学級担任を離れ、国語科の授業をしていないせいかなあと思っていた。

 よく考えると、そうではなかった。なぜか・・・。




 子供不在だったからである。

 誰に指導するかというイメージを持てていなかったので、全く指導のイメージが湧かなかった。

 当然と言えば当然だが、気付くのが遅い!



 勤務校の6年生をイメージしながら指導プランを考えると、やはりイメージが湧きやすい。

 これが6年生の学級担任ならば、我が学級をイメージできるので、さらに指導プランは考えやすいだろう。

 
 
 「誰に指導するのか、何のために指導するのか」が明確になってこそ、「何をどのように指導するのかが見えるのだなあ」と改めて感じた。


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家庭の役割とは?

2015年10月29日 | 家庭教育
 先日、野口塾in宮崎があった。

 講師は、野口芳宏先生である。

 教育の根本・本質・原点を踏まえた教えをたくさん語られた。

 例えば、家庭学習についての質問があったとき、

 野口先生

「家庭は、まず安らぎの場ですよ。子供が帰って安らぐ場です。」

 そうなのだ。原点としては、家庭は安らげる場である。これは、子供でなくても大人でもそうである。

 家庭で安らぎを得るからこそ、次の日の活力も湧くのである。



 野口先生は、次のようにも言われた。



「学力向上を家庭に期待するべきではない。」

「ただ、学習をする習慣は付けた方がいい。その習慣を付けるために家庭学習をするように指導したらいい。」


 このような教育の根本・本質・原点にこだわった野口塾in宮崎、平成28年度(2016年度)は、10月22日(土)開催予定です。(告知があまりにも早いかな?)
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授業を見ていて気になること

2015年10月28日 | 授業づくり
 最近、授業を見ていて気になることがあった。
 
 それは、「見ていない」ということである。



 まず1つめ・・・教師が、子どもを見て話していない。

 本来は、自分が発した問いに対する反応を知りたいはずである。表情を見れば、自分の問いが分かったか、引きつけられたのかが、分かる。

 教室の中央付近ばかりを見て、周りの子を見ていない教師がいる。



 2つめ・・・子供が教師を見ていない。

 これは、教師の責任である。教師の方を見ないで、学習に関係ないようなことをしている。

 中には、落書きをしたり、隣のことおしゃべりをしたりしている子がいることもある。

 教師が話をしているときは、教師を見るように指導することが、子供の集中力を高めることになると考えている。



 子供が教師を見ないでいることが平気なのかな?とも思ってしまう。

 自分には耐えられない。

 発問したら、教師の端から端までグルリと見ながら、子供の反応を見たくなる。



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一番人気のなぞなぞはこれでした。解答編

2015年10月27日 | うんちく・小ネタ
 昨日の続きである。

 子供達に「なるほど!」と言われた問題。

 「『かん』は『かん』でも、魚や果物は入っていなくて、水や木やお金が入っている『かん』は何だ?」

 




 答えは、・・・「一週間」でした。
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一番人気のなぞなぞはこれでした。問題編

2015年10月26日 | うんちく・小ネタ
 金曜日の遠足(バスの中)では、なぞなぞをたくさん出した。

 その中で、子供達に「なるほど!」と言われた問題が、次の問題である。

 「『かん』は『かん』でも、魚や果物は入っていなくて、水や木やお金が入っている『かん』は何だ?」

 子供達が言ったのが、「図鑑」である。

 「すごい!・・・でも、図鑑には魚や果物も入っているよね。」

 と言うと、「そうかあ・・・じゃ、何だろう?」


 
 また考え始めるが、答えが出ない。




 次のヒントを出した。

 「『かん』の中には、『土』や『お日さま』も入っているよ。」

 ここで、正解を出した子がいた。みんなのヒーローである。「すごい!」という声が上がった。



 もし、答えが出なければ、次のヒントを出そうと考えていた。

 次のヒントは、

 「『かん』の中には、『お月さま』や『火』も入っているよ。」



 さて、答えは何でしょう?

 答えは、明日のブログで!
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遠足のバス酔いを防ぐ方法

2015年10月25日 | うんちく・小ネタ
 金曜日の遠足では、片道40分のバス乗車、その後登山だった。心配だったのが、車酔い。

 しかし、バスの中では、みんなでなぞなぞを考えていたので、思考することに夢中になり、結局バス酔いは1人もでなかった。行きも帰りも。

 私がなぞなぞを出し、子供達が考える。

 答えに近ければ、「惜しい!」

 難しそうであれば「ヒントは○○」という。

 問題を出すときに使ったのが、次のサイトである。

 「なぞなぞ クイズ」

 初級から中級、上級まで揃っている。

 オススメのサイトである。

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えびの高原では、紅葉し始めている。

2015年10月23日 | 旅行
 えびの高原は、少しずつ紅葉し始めている。

 からくには、紅葉しているが、不動池や白紫池の周りは、まだこれからである。



 ゆっくり紅葉を眺めながらの景色もいいものである。

 えびの高原に行けない人は、えびの市のサイトを見れば、素晴らしい写真がある。少しは行った気持ちになれるかもしれない。

 About of えびのカラーズ 
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大学卒業後10日後に教育現場にいた自分が体験したこと

2015年10月22日 | 仕事術
 平成元年に、大学卒業して10日後くらいに小学校教師として教壇に立った。

 大学で学んだ内容は、殆ど役に立たなかった。

 教室で初めて子供と出会った時に何と言えば分からなかった。
 
 学級通信はどのように書けばよいか分からなかった。

 楽しみにしている体育の授業をどのように進めればよいかが分からなかった。

 体育に限らず、国語でも算数でも、どの教科でも、何をすればよいかが分からなかった。

 分からないが、周囲の状況は確実に変化していく。その変化に対応するどころか、その状況さえ分からなかった。



 例えが悪いかもしれないが、次のような状況である。

 戦いの最前線、例えば中東で紛争があるまっただ中、その最前線に、武器はおろか地図も情報もないままで放り出されたような感じである。

 状況は変わるが、自分が何をすればよいかが分からない。おそらく周りの先輩方にかなりカバーされながら生き延びているような状況である。

 
 
 今の若い先生方は、採用された頃の自分よりもかなり優秀である。

 まじめで熱意があり、よく勉強している。

 
 しかし、教育現場では、即戦力になる大学卒業後すぐの人材はまれである。

 2~3年の修行期間を経て、やっと一人前の教師になる基礎が作られるような気がする。

 だから、自分が若いときにしてもらったように、自分が今度は若い先生方のお役に立つ番だと考えている。




 今の大学でも、教育現場で即役に立つような内容は指導していないのだろうか。
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なぜ親孝行を心がけるのか

2015年10月21日 | 家庭教育
 先日、介護の話を聴いた。

 年老いた母親が同居を望んでもそれを拒否する子が居るそうである。

 同居するしないは、各家庭で事情があるから、どうすべきかは分からない。

 しかし、重要なのは、年老いた親に対して、親孝行ができているか、心がけているかという点である。



 自分だったら、親が本当に望むことをかなえたい。なるべく意に沿うように、幸せな気持ちで老後を過ごしてほしいと願い、行動したい。

 そして、老いた親が幸せそうに過ごしている様子を我が子にも見せるのである。我が子にも老いた親と一緒に楽しく過ごさせたい。



 なぜか?

 それは、歴史は繰り返すからである。



 老いた親が幸せそうに過ごしていれば、孫は、老後はそのように過ごせるものと理解するだろう。

 きっと老いた親(つまり私)に対しても、同じように親孝行をしようとする可能性は高い。



 もっと重要なのは、孫(つまり私から見て我が子)も、その子供から親孝行される可能性は高くなる。

 老後は、子供や孫から大事にされるものだという意識を子や孫が持っていれば、どの世代が年老いても幸せな老後が過ごせる。



 そういう意味でも親孝行は心がけたい。我が家では、爺ちゃん婆ちゃんは、幸せな老後を過ごしているという家風を作りたい。

 それが、爺ちゃん婆ちゃん、自分、そして我が子や孫が幸せな人生を送ることにつながると考えるからである。


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家庭教育で意外と教えられていないこと

2015年10月18日 | 家庭教育
 子育てをしていて、もしくは子育てをしていて、大事な事はたくさんある。

 一番は、親の愛情を子どもに伝えることであろう。これが一番重要で、ある意味すべてかもしれない。

 しかし、他の大事なことが今は意外と教えられていない。これをいうと反発される可能性もあるので、あまり書きたくはないのだが・・・。



 それは、家庭内の上下関係である。

 親よりも子どもは下である。親あってこその子どもである。

 親に対して失礼なことをいうべきではない。もし言ったならば、叱るべきである。本当は、失礼なことを言いにくいような雰囲気にしておくべきである。

 こんなことを言うと、自由ではないと反発を受けるので、言いたくはないのだが、言ってしまおう。



 親に失礼なことを言うような自由はなくてよいのである。

 親子で会話しているのが耳に入ってくることがある。聞き耳を立てていなくても入ってくるときがある。

 子どもが親に対してきついことを言っているときがある。

 きっとこの子は10年後、20年後にその言葉を言ったことを反省するときが来る。

 「言わなきゃよかった。」「お父さん、ごめん。お母さん、ごめん。」と言うときが来る。

 そう言わせているのは、親の責任でもある。親が少したしなめておけば、しかも幼いうちに指導していれば子どもは後悔しなくてすむのである。

 子どもには、親に対して失礼な発言をする権利はないのだ。


 人格者の父母の子どもが荒れている場合の殆どは、家庭内の上下関係を教えていない場合が多かった。(少なくとも自分の周りはそうである。)


 今日はちょっと書きすぎかなあ。
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昔の歌は幸せ

2015年10月17日 | 音楽
 職場で昔の歌が流れた。いわゆる昔の「歌謡曲」である。


 「サボテンの花」チューリップ

 「『イチゴ白書』をもう一度」バンバン

 「木綿のハンカチーフ」太田裕美

 「学園天国」フィンガー5


 きいていた職員みんな(50歳前後)が、みんな知っていた。曲と一緒に口ずさんでいた。

 そうなのだ。昔のヒット曲というのは、誰もが知っていて、誰もが歌えるのだ。



 今のヒット曲は、聴く人が細分化されていて、ヒット曲をみんなが知っているわけではない。

 それだけ曲数もジャンルも増えて、多様な曲を楽しめる時代になっているのである。

 
 
 豊かな時代になったのである。



 ただ、今の曲、音楽はかわいそうだなあとも思う。誰もが知っているヒット曲にはなかなかなれないからである。

 昔のヒット曲は幸せだった。誰もが知っていて、くちずさめるような立場にいたから。  
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季節外れだけど得した気分

2015年10月16日 | 理科
 桜が咲いていた。




 9月下旬に寒い朝晩があったからだろうか。

 晴れの日が続き、暖かい日になったため、桜が咲いたのかもしれない。

 季節が違うとは言え、桜を見ることができ、少し得した気分である。
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パソコン使用時間の上限は45分

2015年10月15日 | 仕事
 「がっちりマンデー」という企業の取り組みを紹介する番組を見ている。

 録画して、まとめてみるのだけれども、この前見た「アイリスオーヤマ」という会社の取組にはびっくりした。


 「パソコンが必要な時は1回45分を上限に共用パソコンを利用。コミュニケーションや集中力が増し、企画力・作業効率がアップしました。」

 と言うのである。


 パソコンは、個人のデスクにはない。パソコンが必要な際は“パソコン島”と呼ばれる共有のパソコンスペースへ移動する。

 「パソコンの中にアイデアはない」との考えに基づき、デスクは考える仕事やコミュニケーションの場、パソコン島は集中して「作業」をする場と切り分け、メリハリをつけているそうである。

 使用時間についても連続45分を上限とし、45分経過したら15分はパソコンを離れて仕事をする、というルールがある。

 

 確かに、パソコンの前に座っていて、知的生産をしている時間は少ない。

 自分の場合、関係のない内容について調べ物をし、無駄な時間を過ごしていることが多い。目的地に向かわずに、寄り道をしながら進んでいるようなものである。(またそれが楽しいのだけれども)

 生産的な仕事をするには、確かに寄り道をせず、目的地に向かって真っ直ぐ進んだ方がよい。パソコンで余計な調べ物をせず、今やっている仕事のゴールに向かう方がよい。

 じゃあ、自分はどうするか?

 今のところ考えているのは、「パソコンは基本的にはスリープ状態にして仕事する。」である。

 使いたいときに起動からしていては間延びしてしまう。かといって、起動しっぱなしではきっと余計な調べ物をしてしまう。ニュースを見たり、気になる言葉を検索したりして、道草を食ってしまう。

 、「パソコンは基本的にはスリープ状態にして仕事する。」・・・これで少しは、仕事が早く進むかな?
 

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プロデュースするということ

2015年10月13日 | 修養
 昨日は、「ご縁紡ぎ大学 鹿児島校 第3期」の第4講義として、中村典義氏のお話を聞いた。

 テーマは「プロデュース」である。


 中村氏は講演の初めに、次のようにいった。

 「プロデュース」というのは、


 どうせやるなら少し工夫して、少し考えて、工夫して、少しでもましなものを作ろうじゃないかということです。」




 なるほど、初めて「プロデュースとはなんぞや」の答えが分かった気がする。

 このあと、結婚式プロデューサーの中村氏は、プレゼンで結婚式の具体例を示して下さった。



 どの結婚式でも、「どうすれば、参加した人たちが幸せに過ごせるのか」という点を重視していた。

 そのための視点として、「未来の視点から考える」がある。

 10年後の財布を預かった主婦の立場で見たら、出費の仕方に違いが出る。新婦の方も本当に意味のある物にお金をかけようとする。
 


 また、違う視点として、「式に参加して下さる方の視点で考える」がある。

 例えば、式に参加する人にとっては、自分のテーブルに飾る花は背が低い方がよい。背が高い花の方がひな壇から見ると見栄えがよいし豪華に見える。



 このように、視点を変えてみたり考えたりすると、工夫の余地や考える余地がいろいろと見えてくる。

 結婚式の具体例を通して、時間や立場を変えた視点をもつ大切さを学んだ。



 最後は、自分でイベントを考え、プロデュースする演習もさせていただいた。

 皆さんが考えるイベントの面白さと工夫の視点にも驚いた。
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自転車のライトにこだわる理由

2015年10月10日 | ブログ
 自転車が好きである。夜にも乗ることがある。当然ライトにもこだわる。かなり明るいライト(電池式、LED)を付けている。

 明かりにこだわるのは、中学生の頃、かなり怖い体験をしたからである。

 あれは、ちょうど今頃、秋のことである。

 十五夜の準備をした帰りだった。昔は、中学生が十五夜のお祭りの準備をしていた。廃品回収をして景品代を集める。文房具やお菓子を買って、十五夜の際の相撲の景品にする。

 翌日のお祭りの準備を終え、夜8時頃だったかなあ・・・自宅へ向かった。

 お祭りがある地区の公民館から自宅までは距離にして1キロメートル弱。下り坂のあと、平坦な道路が続く。

 下り坂でスピードを付ければ、あとは漕がなくても自宅に着く。

 ライトを付けると、スピードが落ちてしまう。ライトを付けるには、ダイナモを回さなければならず、重くなるからである。(最近の自転車にはダイナモはないだろうなあ。)

 ダイナモなしで、つまり無灯火でスピードを出した。秋の夜風が気持ちよい。

 下り坂を終え、一番スピードが乗っているときに、その事故は起こった。

 前方20mに、赤い電球のようなものが見えたのである。はじめは何か分からなかった。分からなかったけれども、よけないとぶつかると思い、ハンドルを枉げたけれども、スピードが乗りすぎていたため、自転車ごと斜めにこけ、そのままのスピードで回転しながらこけて進んでいった。

 柔道部に入り、受け身だけはかなり練習させられていたので、頭は打たなかったけれども、手も足も傷だらけになった。

 さっきの赤い光は何だったのだろうと思い、光が見えていたアタリを見ると、またその赤い光が強くなったり弱くなったりしている。

 近づくと、酔っ払ったおじさんが、

「どげんした?」

 とたずねてきた。手には、たばこを持っている。

 さっきの赤い光は、タバコの火だったのだ。

 もしぶつかっていたら、自分だけでなく、おじさんも大けがをしていただろう。

 ちょうどおじさんがタバコを吸って、光が強くなったときに自分が気付いてよかった。

 もしちょっとでもタイミングがずれていたら、おじさんに大怪我をさせていただろう。

 それ以来、自転車の明かりは付けるようになった。

 この体験は、一種のトラウマになっていて、夕方自転車に乗るときは、早めにライトを付けてしまう。

 相手にぶつからないようにするとともに、周りの人にも自分の存在、自転車の存在に気付いてほしいからである。

 これからも、自転車のライトにはこだわるだろう。

 最近の自転車のライトは深化している。ただ照らすだけではなく、点滅して自分の存在、自転車の存在をアピールしてくれるライトもある。
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