仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

「天職」が初めからあるのか

2010年10月13日 | 教師修業
 「天職」・・・その人の天性に最も合った職業は、初めから存在するのだろうか。自分にはそうは思えない。

 最近、キャリア教育の中で、「自分にあった職業」を見つける学習がある。それ自体は結構なことだと思う。

 ただ、心配なことがある。「自分にあった職業が、初めから存在する」という錯覚を感じる若者がいるのではないかという点である。

 「自分にあった職業など、初めから存在する人は殆どいない」というのが正解であろう。 職業のやりがいは、仕事を通して見つけていくものである。

 「石の上にも3年」という言葉がある。3年間、必死にがんばれば、殆どの職業は天職になるはずである。

 特に、若いうちに3年間がんばれば、相当なスキルを身につけられるはずである。

 仕事を始めて間もないうちは、きつい思いをすることが多い。しかし、大変な時期は、そう長くは続かない。必死でがんばれば、きっと光は見えてくる。

 仕事を始めて間もないみなさん、がんばりましょう!
 必死でがんばれば、きっと仕事の楽しさを味わえる日は来ます。

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意味のある「余計な仕事」で力を付ける

2010年10月06日 | 教師修業
 自分は、意味のある「余計な仕事」で力を付けてきたと考えている。「余計」というのは、「絶対にしなくてはならい仕事ではない」という点で「余計」だという意味である。

 例えば、「学級文集づくり」がある。別に作らなくてはならないものではない。しかし、自分は、殆ど毎年作っている。子ども達にとっても、自分にとっても学びの記録として残るからである。

 例えば、「各種の民間の研修会参加」である。今度の野口芳宏先生の講座もそうである。参加しなくても勤務とは関係ない。しかし、参加することで得られる学びは大きい。

 例えば、最近たまに依頼されることのある「研修会への講師としての依頼」である。講師依頼を引き受けなくても勤務とは関係ない。しかし、自分自身の学びを整理して伝える貴重な機会である。

 例えば、「研究授業」である。校内の研究授業以外にも、自分で研究授業を企画し、見ていただく機会を作るのである。これも別にしなくてもいい仕事だが、研究授業で得られる学びは大きい。

そうそう、このブログを書くことも意味のある「余計な仕事」である。書かなくても誰も困らない。しかし、自分にとっては何か学びの1つにはなっていると考えている。

 意味のあるたくさんの「余計な仕事」で、自分は指導力を高めてきた。その分、仕事量は多くなる。

 しかし、「努力すればするほど楽しくなるのが仕事」だと考えているので、はやく「仕事の道楽化」を進めるためにも、自分は今後も「余計な仕事」を続けていくだろう。

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