仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

 暑い時、寒い時に教員が取るべき行動

2013年11月28日 | 教師修業

 秋の運動会練習は、暑い時に行われる。そのような時、自分が尊敬する先輩教員は、テントに入るようなことはなかった。暑い時は暑い場所で指導をしていた。

 また、寒い時期に劇やオーケストラなどの鑑賞会がある。そんな時尊敬する先輩教師達は、けっしてヒーターの近くに来るようなことはなかった。寒い時は寒い場所で児童の指導をしていた。


 「暑い時は暑い場所で、寒い時は寒い場所で児童と同じ場で指導をする。」これは、尊敬する先輩教師から学んだ。 

 もちろん、体調不良の時に無理をする必要はない。もし自分だったら、子供達にその旨伝えて、体調不良の時に取るべき行動を身を以て示すように心がける。

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二重跳びができるようになる条件

2013年11月26日 | 保健体育

 短縄跳びで、二重跳びをしたがる子が多い。もしくは、できるようになりたいと憧れている子が多い。


 短縄跳びで二重跳びをさせる前に、必ずチェックしている技能がある。


 それは、「30秒間70回跳び」である。


 これができない場合、二重跳びはできない。


 リズムよく跳ぶ、縄をはやく回すという技能が身についていないからである。


 逆に言うと、「30秒間70回跳び」ができていれば、二重跳びはできる。


 できるようにさせるには、できている子を見せるのが一番よい。


 跳び方や縄の回し方を見せ、気付いてことを発見させる。(腕を大きく回さない。手首で回すなどである。)

 発見したことができるようにさせる。

 
 
 「30秒間70回跳び」ができるようになったら、次のステップに入る。


 次のステップは、また今度。

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「学問のすすめ」の主張は何か

2013年11月19日 | 本と雑誌

 

 学級では、古文や名文と言われる文章に触れる機会を作っている。


 最近読んでいるのが、「学問のすすめ」である。読めば読むほど分からなくなることがある。


 福沢諭吉著「学問のすすめ」と言えば、

「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と言えり。という一文が有名である。

 なぜこの一文が有名なのかが分からない。本当に伝えたい主張はここではないはずだからである。


 「学問のすすめ」は、次のように始まる。



 「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と言えり。

 されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。

 その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。

 されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。



 どちらかといえば、この

「されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」


 の方が、福沢諭吉の主張にあっている。


 「 学べば賢人、学ばなければ愚人になる。(だから学問をすすめているのだよ。)」


 というのが、福沢諭吉の主張であろう。

 
 
 書き出しの「天は~」が福沢諭吉の主張ではないはずである。

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ばあちゃん有り難うございます

2013年11月14日 | 人生観

 11月5日に祖母が亡くなった。99歳である。亡くなる1時間前から父母と一緒に祖母の病室にいた。午後8時35分に呼吸が止まり、5分後に心臓が止まった。45分に医師の診察で亡くなったことが確認された。実に静かな時間だった。

 死因は老衰である。「眠るように亡くなる」というが、まさしくその通りの亡くなり方だった。自分もこういう死に方が理想だと思えた。


 祖母は、幸せな生き方を実践して見せてくれた人だった。大正4年生まれで、「激動の」という形容詞が着く昭和を生き、苦労もたくさんしたにもかかわらず、そういうそぶりを一切見せない人だった。


 例えば、4人生まれた子供のうち、2人を亡くしている。4歳で三男を、29歳で四男を無くした。この世で最もつらい「わが子を自分より先に亡くす」という体験をしている。どんなにかつらかったことだろう。


 また、曾祖父、曾祖母、祖父の三人を介護している。合計で20年近く自宅での介護をしていた。親や夫を介護できるは幸せなことかもしれないが、重労働ではあったはずである。


 これ以外にも、苦労はたくさんしてきた方であった。


 しかし、それでも、子や孫には一切苦労話はしなかった。いつもどんなときでも上機嫌で接してくれた。

 自分も40歳を過ぎたが、いつも上機嫌でいることの難しさを感じることが多い。


 いつも上機嫌でいられる人は、芯が強いのである。もちろん祖母にも誰かに相談する、頼るということはあっただろう。ただ、子や孫にはいつも上機嫌で接してくれていた。

 葬儀では、孫である姉、妹、そして私が祖母への挨拶をする時間があった。参列者の前で姉や妹が祖母とのメッセージを語る。

 私は、いかに素晴らしい祖母だったかを、ひ孫である我が子や参列者の方にも伝えたいと思い、次のような挨拶をした。



 ばあちゃん、有り難うございます。

 私は、ばあちゃんから、人の悪口や愚痴を聞いたことがありません。ばあちゃんが一番よく言っていたのは、「おおきになあ」「ありがとなあ」という人様への感謝の言葉です。

 ばあちゃんの部屋に行けば、いつも温かい笑顔で、

「元気やったね。みんな元気しちょいね。(元気にしてる?)」

と迎えてくれました。


 大正四年生まれで「激動の」昭和を生きてきたばあちゃんには、つらい体験もしてきたと思います。しかし、そんな苦労は人に語らず、私たち孫やひ孫には、励ましの言葉、あたたかい言葉だけをかけてくれました。


 いつもばあちゃんの部屋に行けば会えた笑顔は、もうありません。


 ばあちゃんがいなくなった寂しさをこれからひしひしと感じることになります。


 ばあちゃんは、私たち孫やひ孫に、幸せに生きるお手本を見せてくれました。
 私もばあちゃんのように、温かさ、優しさを持って生きていきたいです。


 ばあちゃん、本当に有り難うございました。

 

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