毎日よく書くことがあるね、と
ときどき言われます
まあそれでもおもったこと、考えていることを
毎日書けるほどには
もやもやを文章にするのは
うまくないので
ふ、とこたえが出たそのときに
そのまま書くようにしています。
今日ふとこたえが出たこと。
日々手をかけるのだけども
手をかけすぎないことも
だいじなことです
どーいうことでしょうか?
じっさい手をかけたことによって
お店が育つのではなく
手をかけたことによって育つのは
お店に対するこだわり、なのです
(わかりにくいですね)
お店が育つためにひつよーな
やるべきことや、保つべきラインは
ほぼ決まっているわけで
(こうすれば新しいお客さまがくる、とか
こうすれば満足度はプラスになる、とか
こうすればリピートしていただける、
というよーなことです)
それを日々遂行していくことによって
お店はかくじつに育っていきます
そこを基本としたうえで
「もっとこうしたい」という
職業人としての あるいは
個人としての思いをのせた
ひとてまをかけることで
お店(や料理)に対するこだわりが
心のなかにふえていきます
それがお店の個性や空気感をつくる
もとなのです。
ですからそのこと自身はよいこと
なのですが
それが増えすぎると、
こだわりから外れるものが許せなくなって
許せないものがふえていって
気持ちが疲れてしまうのではないか、
とおもいます。
できる限り手をかける、
そうしたい、と思う気持ちは気持ちとして
続けていくことに無理がないくらいには
余裕をもつこともまた
必要なことです
なぜかって
よい仕事はよい状態から生まれる
ものだとおもいますし
(身体も心もです)
よい状態は気持ちに余裕がないと
保てないものですし
すこしの余裕は仕事のなかに
やさしさを生むものだからです
背伸びはするけど無理はしない、
無理をしたら、回復するまですこうし緩める、
それを守りながら成長していく、
きっとこれからもそうして
やっていくとおもいます。
ときどき言われます
まあそれでもおもったこと、考えていることを
毎日書けるほどには
もやもやを文章にするのは
うまくないので
ふ、とこたえが出たそのときに
そのまま書くようにしています。
今日ふとこたえが出たこと。
日々手をかけるのだけども
手をかけすぎないことも
だいじなことです
どーいうことでしょうか?
じっさい手をかけたことによって
お店が育つのではなく
手をかけたことによって育つのは
お店に対するこだわり、なのです
(わかりにくいですね)
お店が育つためにひつよーな
やるべきことや、保つべきラインは
ほぼ決まっているわけで
(こうすれば新しいお客さまがくる、とか
こうすれば満足度はプラスになる、とか
こうすればリピートしていただける、
というよーなことです)
それを日々遂行していくことによって
お店はかくじつに育っていきます
そこを基本としたうえで
「もっとこうしたい」という
職業人としての あるいは
個人としての思いをのせた
ひとてまをかけることで
お店(や料理)に対するこだわりが
心のなかにふえていきます
それがお店の個性や空気感をつくる
もとなのです。
ですからそのこと自身はよいこと
なのですが
それが増えすぎると、
こだわりから外れるものが許せなくなって
許せないものがふえていって
気持ちが疲れてしまうのではないか、
とおもいます。
できる限り手をかける、
そうしたい、と思う気持ちは気持ちとして
続けていくことに無理がないくらいには
余裕をもつこともまた
必要なことです
なぜかって
よい仕事はよい状態から生まれる
ものだとおもいますし
(身体も心もです)
よい状態は気持ちに余裕がないと
保てないものですし
すこしの余裕は仕事のなかに
やさしさを生むものだからです
背伸びはするけど無理はしない、
無理をしたら、回復するまですこうし緩める、
それを守りながら成長していく、
きっとこれからもそうして
やっていくとおもいます。