ファンタジーなど

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蘇我氏滅亡後に大規模造成?

2023-05-27 08:32:07 | ニュース
蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があったとされる奈良・甘樫丘の発掘結果が公表されました。

ただし、最早、埋め戻した後で現地説明会もないんだとか。

何かヤバイものでも見つかったんでしょうか。
 ~蝦夷という名前も本人は絶対に名乗らないだろうという程の名前です。
  本名っぽいのが書かれた木簡が見つかった可能性が一番高そうです。

 おまけ:栃木県には御料牧場があります。
  そこの関係者が関わった事件はもみ消されるという噂があります。

日本誕生の長浜浩明氏の年代考慮でも、第29代欽明天皇以降は、
中国の年号との整合もあって、天皇の年代の誤差が1年以下に収ります。
~天皇年表示で、前天皇の死亡翌年を初年度にするケースと、死亡年を初年度にする
 ケースが混じっていて、この誤差がでるようです。
 干支が使われている記事は補正無しで有効と。
  ~欽明天皇以前は干支が使われていても怪しいようです。

で、蘇我氏滅亡の乙巳の変の西暦644年は干支なので確定です。
~中国が間違えていないことが前提です。

 木星の位置で12年あるので十二支ができたっぽいですが、周期11.86年では7年少々で
 誤差が1年程でますから、木星位置で年を求めるのは無理です。
 北斗七星などの向きで十二支を決めたっぽいから、月に使うなら誤差は少ないでしょうが
 年を数えるのに使ったら永年の管理団体が存続しない限り無理です。
 十干も天文には基づいていないから永年の管理団体が存続していない限り無理です。
 あれだけ滅亡と勃興を繰り返してきた国です。
 新たな皇帝と取り巻きがエイヤっと干支を決めたというのが正解ではないでしょうか。
 ~この前提に立つと日本の干支の方が正しい可能性もありますね。
  なんせ紀元前から続いている国ですから、暦担当も延々と続いてきたわけです。
  ~ただし、古事記・日本書紀は口伝から書き起こした書ですから口伝誤りの可能性はあります。
   古事記と日本書紀が一致しないまま残してあるのが正直です。

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