小脳失調症の弟がトラベルミンを処方されています。眩暈の症状を抑えるためなんだそうな。
なんと息の長い薬なんだな~と感心しまくり。
思い起こせば、私が小学校の修学旅行のバス旅行(今から50年以上前ですね)。車酔いしませんかの問いに、ありませんと答えたんですね~。実際最後にバスに乗った最後の記憶は、小学校入学前だったんですが・・・
複線はありました。小学校に入学したすぐ5月には、町へは徒歩しかなく道なりなら9Kmってとんでもないド田舎に引越しました(引っ越す前の所だって今では国立公園内の土地で十分ど田舎なんですけど:引越し先も国定j公園に十分近い・・・・)。そこは分校があって、4年生までは分校、5年生から本校に通うってシステムでした。朝6時起きで、山道を駆け下りて8時の始業時間に間に合わせるってものでした。当時同学年には360人以上いて、6クラス、分校は男4人、女4人で、女子は2人ずつ、男は1人ずつ振り分けられました。(冬は冬季分校として、5,6年生で1クラス、中1-3で1クラスが分校に置かれました)
さて、通い始めて2か月、5、6年生も分校に通うことになったのでした。私らはラッキーです。9Km(一番遠い子が10Kmでした)通うかわりに最短片道3Kmを通うだけで済むようになったのですから。2学年ずつの複式学級というものでした(それまでは、1~4年までを地元在住の先生が一人で見ていました:年にもよりますが20~30人を見ていたのですから、大変だったでしょうね~。先生はご存命なら、既に90代、お元気でしょうか・・・)。担任として来たのが大学出たての、遊びたい盛りで、例えば冬はスキー三昧で、授業はさっぱりやらないという子供にとっては有り難い先生でした(分校は山の裾、1Kmも離れれば、そこは天然の山岳スキー場:なんというとんでもないとこに住んでいたんでしょうか~:そうそう、私の両親は、引揚者で、開拓として入りましたが、私が中3の時に全戸離農して開拓は胡散霧消しました。国立公園の方は、家が建つこともない林と化しました。後者の国定公園に近いほうは、町が畑あるいは、牧草地を目指しているようですが、8年ほど前に訪れたときは、雑草さえまともに育たない赤土の土地が広がっているばかりでした)。
さて、修学旅行は元のクラスで実施されました。2か月の顔合わせでは、覚えきれてませんよねー60人なんて、せいぜい顔と名前が一致する程度だったかと(今とは大違いでしたね~やはり年のせい?)。仲間はずれもなく、いじめもありませんでしたけど、話ははずみません。ほぼ初対面みたいなもんですから、話題は、すぐ尽きちゃうわけです・・・
で、バスは大丈夫ですって言ったもんだから、私らのグループは、最後尾に並んで座ることになりました。話がはずまないからか、なんとゲロしちゃいました。で、薬のお世話になることに。名前が面白いから憶えてました。(薬は、もう少しあとなのかもですけど)
それ以後中3まで、バス旅行では、車酔いしますからと、私の属するグループは、バスの最前部を占めることになり、トラベルミンも毎回、予め飲むことになったのでした。おかげで、以後ゲロすることはなくなり、バス旅行を楽しめたのでした。ありがとうトラベルミン!