表題の短編はファンタジーです。
ファンタジーなのであまり、つっこむのもなんなんですが:
その1:文革時代のシナの農民のしかも娘が漢字を書けた?
むちゃすぎでしょう。
なので圧巻となる母親の遺書は作りすぎです。
その2:ばったり会った他郷のシナ人と会話ができた?
絶対無理というものです。隣村の人とも会話できなかったと言われています。
有名なところでは毛沢東の話す言葉を理解できる人がいなかったという・・・
(別のとこでも書いていますが、
30年ほど前、カンザスシティの中華レストランでのこと。3人の留学生がバイトでウェイターをしていました。
料理名は英語で言うし、互いの会話の全部が英語なのです。
で3人に聞いて試した所、彼らが自分が使う故郷のシナ語では会話が全く成り立たないのでありました。
もちろん繁体字を書くと通じるのですが、なんと料理の発音すら、まったく違うのでありましたw
マーボドウフ、チンジャオロースー、チンジャオローペン、ホイコーローなども一致しなかったのです)
その3:母親の遺書が漢字で書かれているならば、母親が早い時期に香港に逃げたのですから、
詠み書きできたとしても繁体字でしょう。
現代の旅行者のシナ人に頼んでも繁体字では読めないでしょう。台湾人なら読めるはずですけど。
ついでに、その女性は普通語で読んだはずです。母親の読み方とは違う音になったと思います。
母親の読み方を習った主人公には理解できなかった可能性が高いのです。
その4:問題は遺書の内容です。日本語や英語では、遺書の内容のように書けるはずですが、
中国語では無理です。語彙が少なすぎるせいです。
このせいでしょうか、会話で使い、シナ人ならば誰でも理解できる単語・言葉なのに、
誰も書くことができないシナ語というものが存在しているのです。
ファンタジーなのであまり、つっこむのもなんなんですが:
その1:文革時代のシナの農民のしかも娘が漢字を書けた?
むちゃすぎでしょう。
なので圧巻となる母親の遺書は作りすぎです。
その2:ばったり会った他郷のシナ人と会話ができた?
絶対無理というものです。隣村の人とも会話できなかったと言われています。
有名なところでは毛沢東の話す言葉を理解できる人がいなかったという・・・
(別のとこでも書いていますが、
30年ほど前、カンザスシティの中華レストランでのこと。3人の留学生がバイトでウェイターをしていました。
料理名は英語で言うし、互いの会話の全部が英語なのです。
で3人に聞いて試した所、彼らが自分が使う故郷のシナ語では会話が全く成り立たないのでありました。
もちろん繁体字を書くと通じるのですが、なんと料理の発音すら、まったく違うのでありましたw
マーボドウフ、チンジャオロースー、チンジャオローペン、ホイコーローなども一致しなかったのです)
その3:母親の遺書が漢字で書かれているならば、母親が早い時期に香港に逃げたのですから、
詠み書きできたとしても繁体字でしょう。
現代の旅行者のシナ人に頼んでも繁体字では読めないでしょう。台湾人なら読めるはずですけど。
ついでに、その女性は普通語で読んだはずです。母親の読み方とは違う音になったと思います。
母親の読み方を習った主人公には理解できなかった可能性が高いのです。
その4:問題は遺書の内容です。日本語や英語では、遺書の内容のように書けるはずですが、
中国語では無理です。語彙が少なすぎるせいです。
このせいでしょうか、会話で使い、シナ人ならば誰でも理解できる単語・言葉なのに、
誰も書くことができないシナ語というものが存在しているのです。