田中英道氏は、古代日本に多数のユダヤ人がいた説にこだわり続けているようです。
この説は、ユダヤの一部族が日本に来ていたという外人が唱えた説にもとづいています。
根拠は、
1:紀元前722年、古代イスラエル王国のユダヤ十二族の内の十族が連れ去られた
(今も連れ去られた先の情報は得られていない)
2:江戸、明治期の古い家系の日本人の顔がユダヤ人に似ていると異人訪問者は感じた
3:神道と古代イスラエルの祭祇に共通店が多い
4:神武東征が西暦1世紀の終わりに書かれた「エズラ第4書」の十部族の旅によく似ている
そして、ニチユ同祖論だったかにかぶれた御人達が、神社にイカモノを仕掛けまくったのでした。
東北の古墳だけに見つかる、現代のユダヤ人にしか見えないハニワも同時期の仕込みでしょう。
田中英道氏は、これに、しっかりと騙されているようです。
2については、田中英道氏は記紀などを描いた絵を持ち出しますが、幕末から明示中期の人が描いた絵です。
江戸時代以前に描かれた絵を見つけ出した訳では無いのです。(神社などの秘伝にありそうですけど)
近年の想像の絵を根拠に、そこから1900年も昔の人が同じ姿だと決めつけられても困ります。
履き物含めての衣装や武器や姿(髪や髭そしてイレズミ)は想像しただけの絵でしょう。
イエズス会が織田信長の時代には跋扈していますから、異人が持ち込んだ絵画・書物そして
異人そのものもいたはずですから当時の外人の当時の見かけはバッチリでしょうけど。
(ネットでは江戸時代以降の絵しか見つけられないようです)
さて、長浜浩明氏が「日本誕生」により、東征の時期がBC70年より少し前で、日本人しか
関与していないことを証明してくれましたので4は否定されました。
1に関しては、多数の渡来人が渡ってきた記述はないようですが、渡来人の家系はあったようです。
蘇我氏や秦氏も渡来系とされていますが、現地言葉を伝えるほどにはいなかったようです。
日本に大仙のような大規模古墳を作る技術は無かったから、大古墳を作ったのは渡来人だという
説はあります。でも、あれ、ピラミッドや大神殿のように岩石を加工して作った物ではありません。
山を崩して堀を掘っただけのものでしょうから大した技術は要しません。
明日香の石舞台などの石にしても積んだだけ・削っただけなので大した技術ではありません。
DNAでは、日本人のY遺伝子の共通な特徴を持つ人種が見つかっていません。
日本語では、親戚筋の言語すら、見つかっていません。
日本の祭りのかけ声や歌などに古?ヘブライ人の言葉との共通性を言う方々がいます。
でも、それだけです。生活の中には一切の共通性が見いだせていないようです。
稲作は縄文時代に始まり、水田も縄文時代に始まっている証拠も見つかりました。
他国から男が来たとしても、DNAに痕跡すら残せていないし、
日本語に何の痕跡も残せていないのです。
ヘブライ文字との共通性を謳った人がいましたが、
あ:漢字:綴りなどは少しは変わっていますが元は中国の文字です。日本が作った文字もあります。
ついでに、言葉=熟語としては、中国で使っている70%は日本語だそうです。
~発音が違うから同じ言葉には聞こえないけど。
い:カタカナ:漢字の一部を抜き出した文字です。元の漢字は特定されています。
漢字の音だけを借りています。
これが、どこかの文字に似ているというのは、大いにあり得ます。
元の漢字は絵から作られた字とそれらの字の組み合わせですから、
他国の文字を取り込んだ可能性は否定できません。
漢字の音からの借物ですから他国の字との関係は、漢字を選んだ人にも想像外です。
う:ひらがな:漢字の草書体から作り出された文字です。これも元の漢字は特定されています。
平安時代の朝廷に仕えていた女性達が作り出した文字で、漢字の音だけを借りています。
どこかの文字に似ていると言うのは良いですけど、実際は「偶然」です。
3については不明です。
似ているだけで、呼び方・名称には共通性が見出せないようです。
これで、起源は同じだと言えるのでしょうか。
かけ声については、似ているものがあるようですが、日本人は略語や通称が好みのようです。
いつの間にか略語などが通用しまくっています。
かけ声でも、お猿の籠屋のように作っては変えてを繰り返して、これが面白いからとして残ったのが
現在形というのが判明しているものもあります。
使っていた人はいなかったけど、歌のおかげで使う人が一杯に!
「どすこい」「どっこい」「どっこいしょ」も意味不明だけど使う人が一杯。元はセキトリか?
「ヨイショ」「ヨッコイショ」「ヨッコラショ」「ヨッコラセ」も似たクチか。
何かみんな少しでも独自性出したがるよね。
この説は、ユダヤの一部族が日本に来ていたという外人が唱えた説にもとづいています。
根拠は、
1:紀元前722年、古代イスラエル王国のユダヤ十二族の内の十族が連れ去られた
(今も連れ去られた先の情報は得られていない)
2:江戸、明治期の古い家系の日本人の顔がユダヤ人に似ていると異人訪問者は感じた
3:神道と古代イスラエルの祭祇に共通店が多い
4:神武東征が西暦1世紀の終わりに書かれた「エズラ第4書」の十部族の旅によく似ている
そして、ニチユ同祖論だったかにかぶれた御人達が、神社にイカモノを仕掛けまくったのでした。
東北の古墳だけに見つかる、現代のユダヤ人にしか見えないハニワも同時期の仕込みでしょう。
田中英道氏は、これに、しっかりと騙されているようです。
2については、田中英道氏は記紀などを描いた絵を持ち出しますが、幕末から明示中期の人が描いた絵です。
江戸時代以前に描かれた絵を見つけ出した訳では無いのです。(神社などの秘伝にありそうですけど)
近年の想像の絵を根拠に、そこから1900年も昔の人が同じ姿だと決めつけられても困ります。
履き物含めての衣装や武器や姿(髪や髭そしてイレズミ)は想像しただけの絵でしょう。
イエズス会が織田信長の時代には跋扈していますから、異人が持ち込んだ絵画・書物そして
異人そのものもいたはずですから当時の外人の当時の見かけはバッチリでしょうけど。
(ネットでは江戸時代以降の絵しか見つけられないようです)
さて、長浜浩明氏が「日本誕生」により、東征の時期がBC70年より少し前で、日本人しか
関与していないことを証明してくれましたので4は否定されました。
1に関しては、多数の渡来人が渡ってきた記述はないようですが、渡来人の家系はあったようです。
蘇我氏や秦氏も渡来系とされていますが、現地言葉を伝えるほどにはいなかったようです。
日本に大仙のような大規模古墳を作る技術は無かったから、大古墳を作ったのは渡来人だという
説はあります。でも、あれ、ピラミッドや大神殿のように岩石を加工して作った物ではありません。
山を崩して堀を掘っただけのものでしょうから大した技術は要しません。
明日香の石舞台などの石にしても積んだだけ・削っただけなので大した技術ではありません。
DNAでは、日本人のY遺伝子の共通な特徴を持つ人種が見つかっていません。
日本語では、親戚筋の言語すら、見つかっていません。
日本の祭りのかけ声や歌などに古?ヘブライ人の言葉との共通性を言う方々がいます。
でも、それだけです。生活の中には一切の共通性が見いだせていないようです。
稲作は縄文時代に始まり、水田も縄文時代に始まっている証拠も見つかりました。
他国から男が来たとしても、DNAに痕跡すら残せていないし、
日本語に何の痕跡も残せていないのです。
ヘブライ文字との共通性を謳った人がいましたが、
あ:漢字:綴りなどは少しは変わっていますが元は中国の文字です。日本が作った文字もあります。
ついでに、言葉=熟語としては、中国で使っている70%は日本語だそうです。
~発音が違うから同じ言葉には聞こえないけど。
い:カタカナ:漢字の一部を抜き出した文字です。元の漢字は特定されています。
漢字の音だけを借りています。
これが、どこかの文字に似ているというのは、大いにあり得ます。
元の漢字は絵から作られた字とそれらの字の組み合わせですから、
他国の文字を取り込んだ可能性は否定できません。
漢字の音からの借物ですから他国の字との関係は、漢字を選んだ人にも想像外です。
う:ひらがな:漢字の草書体から作り出された文字です。これも元の漢字は特定されています。
平安時代の朝廷に仕えていた女性達が作り出した文字で、漢字の音だけを借りています。
どこかの文字に似ていると言うのは良いですけど、実際は「偶然」です。
3については不明です。
似ているだけで、呼び方・名称には共通性が見出せないようです。
これで、起源は同じだと言えるのでしょうか。
かけ声については、似ているものがあるようですが、日本人は略語や通称が好みのようです。
いつの間にか略語などが通用しまくっています。
かけ声でも、お猿の籠屋のように作っては変えてを繰り返して、これが面白いからとして残ったのが
現在形というのが判明しているものもあります。
使っていた人はいなかったけど、歌のおかげで使う人が一杯に!
「どすこい」「どっこい」「どっこいしょ」も意味不明だけど使う人が一杯。元はセキトリか?
「ヨイショ」「ヨッコイショ」「ヨッコラショ」「ヨッコラセ」も似たクチか。
何かみんな少しでも独自性出したがるよね。