ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

タイムリープ小説のこと

2023-09-13 07:02:52 | 本と雑誌
タイムリープ、タイムトラベラー小説って、意外性で面白いのだけど、
現実の科学的な考えを入れると、完全な幻想でしか無いのが残念です。

その1:宇宙は拡大・拡散を続けている。銀河系は回転している。
    太陽系も回転している。さらに地球は自転もしている。

  この結果は、過去・未来のいかなる時点であっても、
  地球のどこも、同じ空間位置に存在することは、ありません。

  有意なタイムリープ・タイムトラベルを可能とするならば、
  数光年を越えるかも知れない位置への転移・ワープをも同時に可能と
  しなければならないのですから、必要能力は倍です。

  ~もしタイムリープだけの能力が存在しているとしても、能力発動=地上から
   宇宙空間のどこかへの移動ですから、即、窒息死です。確実に行方不明です。
   運が良ければ流れ星で地球に帰りますが燃え尽きます。
   燃え尽きないまま地上に落下する可能性もありますが、TVや映画はともかく、
   実例がありますか?

その2:運動エネルギー保存則の踏破。
  例えば、12時間後へのタイムトラベルを考えます。
  ~位置的には未来の方向に飛ぶことと、軌道の最大は地球の直径分の
   変更があります。
  地球の公転を考慮すれば公転速度と方向は同一と見なせます。
  地球の自転で見ると自転速度は逆方向です。

  タイムリープした瞬間、もし、エネルギー保存則が有効ならば、
  体は回転速度のまま水平方向にぶっ飛ぶことになります。
  公転速度は1日程度では方向の変化が少ないとして無視できるかも。
  ~1年だと、完全に逆方向になるので絶対に悲惨な結果を生みます。

  エネルギーが失われるとした場合、体は、自転に取り残されて、
  ぶっ飛ぶことになります。

  タイムリープやタイムトラベル小説の基本は、移動元の運動エネルギーを
  完全に失い移動した先の運動エネルギーを瞬時に得るというご都合主義で
  成り立っているのです。

その1、その2は、ジャンプやワープでも共通の問題です。
  小説・映画のジャンパーは、ジャンプ先のエネルギー条件を即座に得るとして
  逃げていました。
  山などからの落下中であっても、その影響は消えてジャンプ先の停止エネルギーだけ
  になるというものでした。
  これのワープ先は地球のどこでもだったので、無茶しすぎでした。

  ~この緩和策?にワープウインドウを開き、そのウインドウを一端くぐって移動する
   というものがあります。これだと移動前後は静止が前提です。
   そして移動距離制限も付いているようですから、少しは無理なく読めますが、
   移動先にどうやって開くのよという別の疑問も出ます。

   最近のは、結構な距離制限がつきものですからエネルギー保存則のままで済みます。
   ~「八男ってそれはないでしょう」、「おかしな転生」などなど。

コナン・ドイル原作のタイムトラベル映画は、未来への移行は、出発地に誰にも認識されない
まま存在し続けるという手法で誰にも認めることが可能な方法として許されましたが、
 (タイムトラベル装置の存在する位置を、何故ほかのものが占めることができないのかの
  説明・描写は、誤魔化しました。)
帰還方法だけは完全な幻想小説でした。
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舌を噛んで自殺するというフェイク 改

2023-08-25 05:13:20 | 本と雑誌
舌を自分で噛み切っても死ねないことはかなり
多く・広く、あちこちに書かれています。

 追記:出血多量で死因になった事件はあったようです。
    死ぬまでに何度も噛み切る事が必須と思われます。
    一度では死ねないことを覚悟してください。
    自殺するには最も痛い・辛い方法だと思います。

~舌を噛み切って簡単に死ねるというのは、日本映画・TVが作り出したフェイクです。
 ~武家の女性の常備品が懐剣という存在が武器を使わないと死ねないことを
  暗示・明示しています。
 ~舌を噛み切れるだけで死ねるなら、通州事件の死体の状態にまでには至らないのです。
  死体を相手ならそこまでしないだろうという想いを込めていますけど。

頭を壁に叩き付けることが可能なら、これの方が確実な死に方です。
かなりの意志が必要ですが確実でしょう。

壁か床に力いっぱい頭をぶつければいいのですから頭と上半身に自由があれば可能です。
 高所から飛び降りるというのは、この頭をぶつけるという意志を、「しかたがない」に緩和し、確実にしてくれるのです。

さて、
舌を噛み切れば死ねるというフェイクに浸った日本人も多いかと。

これの対策に舌を噛めないようにという対策の小説が多いです。
頭を壁や床にぶつけて死ぬ手段がより確実な死に方ですので、その対策も、お忘れ無く。

以下追記:
映画などをを見れば、自殺するならやって欲しいぞになっているかも。

首つりなども防止策が無いようだし。
首つりは苦しいから意識を失うまでが短く結構楽な死に方みたいです。
特に高所からは一気・・・
ただし、死んだ後の酷さ(大小の垂れ流し)は無視ってことで。

  死亡したら直ぐに肛門に綿を詰め込みます。
   これ入院中の死亡なら看護婦さんがやってくれます。
  小の垂れ流しは尿取りパッドなどの出番で紙オムツになります。
   昔は尿漏れ対策は布オムツだったので様子見で交換というのもありました・・・

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感染症の終わらせ方 小名木善行記事 WiLL2023/6

2023-05-04 08:57:40 | 本と雑誌
WiLL 2023年6月号の連載記事です。

縄文時代の終わりから弥生時代にかけて急激な人口減少があった DNA解析で判明
2019.06.25
の記事が引用されています。

元記事です:
 東京大学大学院理学系研究科の大橋順准教授と大学院生の渡部裕介さんらは、同大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らと共同で、日本人男性345人の男性だけが持つY染色体の塩基配列を解析した。Y染色体は父親から息子へ受け継がれるため、変異をもとに系統を調べることができる。

 現在の日本人は縄文人と大陸からの渡来系弥生人の混血と考えられているが、解析の結果、日本人のY染色体は七つの系統に分かれ、縄文人に特有の型を持った系統の男性が122人いることが判明した。このため研究グループはこの122人を対象に共通祖先をさかのぼる遺伝子系図解析を実施。遺伝子の変異が起きる速度を基に、過去にさかのぼって人口の推移を推定した。
 ~大陸から多数の渡来があって弥生人が成立したとする説の影響を激しく受けていて、これが縄文人だと決めた遺伝子を持つ方々だけに限定したようです。
  通常の日本人のY染色体を調べたものには、大陸系の人と判定できる程の人って、ほとんど見かけないようでけど。
  まあ、大陸人と異なる遺伝子型なら、縄文人には違いないでしょう。
  ~先輩教授が全員、鬼籍に入らない限り直せないんでしょうが、後輩も自分たち先輩を否定できないだろうから永久に直らないかも。

 すると、約2500年前の縄文時代晩期から弥生時代初期にかけて、人口が大幅に急減していたことが明らかになった。男性の人口だけでなく女性を含めた全人口が急減したと推定できるという。この時期は、日本を含み世界的に気候が寒冷化しており、気温が下がったことで食料供給の減少が人口減につながったとみられる。研究グループによると、その後人口が増加したのは、気候が再び温暖化し、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給が可能になったためと考えられるという。
 ~この推定も渡来弥生人ありの影響です。稲作も水田も縄文時代には始まっています。
  ~マジに多数の渡来人が来たら、たとえ豊作であっても飢饉が始まります。さらに秋以降に来てくれないと蓄えの
   食料も無いのです。1年分の食料(+種など)を持参して移民できると考えるのは脳天気というものです。
   近代・現代の移民・流民の常態を見てください。それが古代から変わらぬ実態なのです。
  水田稲作や備蓄が完成したと思われる江戸時代ですら、飢饉では多数の死者を出しています。飢饉を甘く見ないことです。
  昭和時代ですら、飢饉では子女の身売りでしのいでいたのです。


さて:
小名木氏の推理は、2500年前の人口減少は崇神天皇の時代の記紀に記す疫病が原因であるとしています。
長すぎる皇紀に従えば、2600年前が神武天皇です。
この長すぎる皇紀では10代の崇神天皇は皇紀563年(BC97~BC30)
あたりになるようです。すると崇神天皇は2037年前の天皇となり、年代が
大きくはずれます。よって皇紀が正しいとすると時代が合いません。

神武天皇はBC70年即位という研究があり、そちらによれば崇神天皇は西暦291年
あたりとなり魏志倭人伝、卑弥呼の時代にあたります。
 ~こちらでは、2600年前の飢饉は記紀にも残らない遙かに昔のことになります。

崇神天皇は神社の整理を行い、手水舎の設置浸透によってか疫病も収束したようです。
この時代、北九州は、邪馬台国その他の群雄割拠にありました。よって天皇支配下になら
存在した神社は北九州方面には未だ無かったと考えられます。
天皇の支配が及んでいない地域は疫病による人口減少が激しく、兵士の数の差もあって
天皇支配がすんなりと進んでいったとも考えられます。
 ~卑弥呼が祭られた時、そこに神社はまだ無かったのです。
  卑弥呼は巫女ではあっても神道の巫女ではなかったのです。
  巫女がいない神社は有っても神主がいない神社は、まずあり得ないのですから。
  ~現代でも一人の神主が地域全部の神社の神主を兼ねていたりします。
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十二国史シリーズ 小野不由美著 新潮文庫

2023-05-02 08:51:47 | 本と雑誌
当初、女史のシリーズを一気読みから20年以上経過しました。
そして、アニメ放映からも20年以上経過しました。

で、今日、NHKのアニメを一気見したのであります。
~見たつもりになっていたのですが、実は初見でした。

最新作の「白銀の墟 玄の月」からも既に3年以上経過しました。

ファンタジーとしては、すごく面白かったのですが、神が設定した世界という見地に
立つと問題がありすぎました。
~ファンタジーとして面白い世界であり、基本、人間無視の世界でした。
 ~最大問題は、麒麟が使役下に置く代償として麒麟の死後に妖魔に食わせて麒麟の
  能力を与えるというものがありました。つまり妖魔も不死ではないけど不老で、
  食ったものの能力を得られるという無茶振りの設定があったのです。
  麒麟がどんな妖魔でも使役できるというのがあったのですが、麒麟を食った妖魔は、
  麒麟+自分+その後に食らった妖魔の能力で無限に強くなるのです。

  そして麒麟と王が不老なのはいいのですが仙人と官僚相当までが不老という設定が
  あります。仙人も官僚も認定も除去も自由にできるようなので無限増殖が可能です。
  組織は固定化すると腐食するのはあたりまえ、定年で少し入れ替えがあるからいくらか
  救われているのが現実です。麒麟と国王以外にも不老を広げたのは間違いです。

これが、続編を書くのを辞めていた理由と思いました。

結局、玄の月も書き終えるのを放棄した感があります。
最後まで書くのは辛すぎたかなと。

お疲れ様でした。

追記:
 王の確立を叫び崩御を叫んで死ぬという2つの役目しか無い鳥が登場します。
 おとぎ話なら鳥の飼育や寿命無視で良いけど、小説として語るなら役人か人形か絵画にすべきでした。
 ~神が存在する世界だから無理が少ない方法にすべきでした。
  鳥は世界に12羽は必要ですし専用?の木も必要。麒麟が生きていれば王の交代は即日もあり得る
  から鳥が死んでからタマゴが成るようでは遅く、常に余分な成鳥がいて超速の配達人も必要。
  12国+木のために、少なくとも13人の世話人も必要と結構やっかいすぎる存在なのです。
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日本国の歴史上 田中英道著 卑弥呼を祭る神社が無い理由

2023-04-29 23:28:50 | 本と雑誌
「日本国の歴史上」 の売り宣伝に卑弥呼を祭る神社が無いことを理由に卑弥呼はいなかった、
邪馬台国など存在しなかったとしていますので、ここでイチャモンを付けておきます。

「日本の誕生 長浜浩明著 WAC」 によれば、卑弥呼は天皇家とは一切の関係がありません。
~神社を造るのは神道であり、元は天皇家の宗教であると言い切って良いでしょう。
 今でこそ日本人の宗教の様に思われていますが、天皇家と無縁の集団とは、宗教の実態が違うのです。

 アイヌ人は明治まで日本人との関与は少なかったため神道とは無縁でしたから神社を造らなかったのです。
 ~コロボックル伝説みたいなのがあるようですから、縄文人とは全く違う宗教でしょう。
 ~アイヌ人が先住民族の縄文人を滅ぼしたと思われますが縄文人は天皇家とは無縁の人々だったはずだから
  神社を造ることはなかったでしょう。もっとも縄文遺跡の木造家屋が神社とは程遠いものなので判定不能
  でしょうけど。
 ~明治に大名以下の移住者が多数出ます。北海道の神社は彼らが造ったのです。
 沖縄の神社も結構ありますが、時代は、全部が新しいようです。
 ~沖縄は、先祖は縄文人のようですが大和王朝とは関係は無いようです。
  江戸時代に琉球王朝が鹿児島藩の支配下に置かれたのが最初で、天皇の支配が及んだのは明治時代からです。
  天皇の直接支配が届きだしてから神社も造られるようになったんだろうと思います。
  江戸時代に流民島に使われていた島はありますが、流民が神社まで造れたかは少し疑問です。

 ついでに:
  秋田県由利本荘市矢島町谷地沢には、神社も寺も、ありませんでした。
  開拓入れても30戸にも届かない小さい集落だったのが理由かも。
  でも、道祖神とか馬頭塚なども見かけませんでした。あったのは盗賊の墓を兼ねた塚のみ。
  お寺は住職などを置かないと成立できませんし宗派があって面倒ですが、神社は、無人であっても良いと
  開拓民が分祀して建立した神社を、開拓民がいなくなった後に、小さな社と大きな鳥居をどこかに
  埋めてしまったのです(社も鳥居もコンクリート製でした)。
  町あげての夏祭りは山車はいくつも出す・・・夏祭って神社には無関係だった?
  こんな地域では、神社造って維持し続ける理由は無いです。
  どこの地域にも神社があるという思い込みは捨ててください。

長浜氏は、大和朝廷の邪馬台国併合を垂仁・景行天皇(290~320)あたりに置いています。
大和朝廷の支配が北九州に及ぶまでには、邪馬台国は滅んでいたと思われます。
~大和朝廷は、邪馬台国の存在が魏志倭人伝に書かれていることを認知していたようですが、それが
 どこにあったのか分からなかったのです。
 現地近くの人々に聞き回ったことは確実ですが、誰の記憶にも残っていなかったということです。
 ~山や塚にだけ名前が残っているようです。後世の偽作か?
卑弥呼の属する集団が卑弥呼が生きている間に、神道に接する機会は金輪際無かったのです。
そしてその集団が大和朝廷支配下に下ったとしても卑弥呼を祭る神社は造らなかった=そこまで卑弥呼を敬う集団は
残っていなかったのです。
~卑弥呼を祭る神社が無い=卑弥呼はいなかったというのは時代の宗教の伝搬を無視した暴論です。

でも卑弥呼は、巫女をやらされるような宗教集団にはいたようでは、あります。
これが、縄文人に共通な宗教だった可能性はあります。
でも、邪馬台国にしろ、奴国にしろ、そして熊襲や隼人にも神社を造るような宗教は持っていなかった
のです。
~卑弥呼の墓とされる古墳もあるようですから、そこが発掘調査されたら何か出てくかもです。

天皇支配下にあった・なった集団には神社を造り先祖を祭る習慣が伝わったのです。
一方、大和朝廷と対立する集団には、墳墓、塚、陵などを造ることはあっても、
神社を造ることはなかったから先祖の口伝が残る程度だったのです。
 ~口伝などは、天皇家の指示で造られた各地の風土記で残されることになりました。
  卑弥呼の口伝が残らなかったと言うことは戦いで負けて全滅してしまい、忘れ去られるほどの
  年月が経過していたからというのもありそうです。

秦始皇帝を祭っているのは、日本に流れてきた弓月氏が秦氏と改名し、自分たちは秦始皇帝の
子孫であると吹聴して祭ったのが理由でしょう。
まったく無関係の人を祭ったのではないのです。

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