TOPPO WORLD

TOPPO(ダックスフンド)から見た周りの出来事いろいろ。

海外の都市紹介、 その5の3 『アムステルダム』

2006年03月14日 | 海外の都市の紹介
今度は水の都オランダを紹介します。
素敵な水路をとりまく景観を、オランダの紹介と交えてご紹介します。



オランダの国土の20%は13世紀以降の干拓工事で作られました。
オランダには、『神は地球を創ったが、オランダはオランダ人が作った。』ということわざがあります。
これはねばり強く、勤勉なオランダ人気質を語っている言葉です。
(これだけ誉めれば、赤いマフラー叔父さんも、満足してくれるでしょう。)



液面下に位置するオランダでは、運河や水路が縦横に張り巡らされ、数多くのボートが繋留されています。 水上生活もオランダでは、珍しいことではないようです。



水の都オランダは日本との交流にも古い歴史があります。
1600年にオランダ船、『リーフデ号』が九州の豊後海岸に着いたのが日本との交流の始まりです。 
徳川家康の江戸幕府の始まりの年です。



主席航海士が、ウイリアム・アダムスです。 彼は、日本名を三浦安針として、家康の外交顧問になりました。
この話しが、バカ親父の1月8日にご紹介した『塚山公園』につながるわけです。
 
もう一度ここから覗いてくれると、嬉しいですね。
ウイリアムス・アダムス
 
ドルトレヒトで建造された開陽丸もそうですが、オランダと日本の歴史は密接な関係があるということが良く分かりますね。



もう一つ、本で調べて分かったことがあります。
この船の乗組員、ヤン・ヨーステンも徳川幕府に重用されたそうです。
後に、日本名、椰揚子(ヤンヨウス)と名乗り、今の東京駅の近くに邸宅を構えたそうです。

これが東京駅で八重洲口とか呼ばれている、あの八重洲という名は彼の名前から来ているのだそうです。 
これ、バカ親父も初めて知りました。



歴史の話から、オランダのご紹介に戻ります。
運河沿いの家屋は間口が狭く、奥行がある家が多いそうです。
17世紀の黄金時代には、船の積荷の揚げ下ろしに便利な運河沿いの土地は値段が高く、課税額が間口の広さで決められていた名残りだそうです。



綺麗な景色ばかりで、説明など必要ないので歴史の話もいれましたが、この写真面白いですね。 
木靴のボートです。 
実用しているようですが、乗り心地はどうなんでしょうね。



保湿性のある木靴は、昔から来たの低地に住むオランダ人には欠かせないものだったようです。 
白木のものや、絵付けしたものなど、いろいろあるようです。



最後に木靴の船をアップにして、水の都アムステルダムの川沿いの景観の紹介を終わります。 
アップで見ると、自動車と比較しても結構大きい船?です。

次回は、風車の景色をご紹介します。

続く....................。

神奈川の景勝50選、 その28の1 『洒水の滝』

2006年03月14日 | 神奈川の景勝50選
今回は洒水(しゃすい)の滝をご紹介します。
また原点にもどって、いつもの景勝50選の石碑の前で、まず記念撮影です。



JR御殿場線の山北駅から南西の方角へ約2キロ、足柄上郡山北町平山にある洒水の滝は、関東屈指の名瀑として有名である。

まずは、最勝寺の前でもバッグ犬状態でパチリです。



これでは、トッポがよくわからないので、ズームアップしました。



足柄道に沿った矢倉岳の北斜面を水源とする酒匂川の支流、滝沢川にかかる三段の滝の総称のことで、山間地の海抜200~300メートルの間に、下流から順に1の滝69.3メートル、2の滝16メートル、最上段3の滝が29.3メートルとある。

まずは、下の写真のような案内にしたがって奥に進みます。



鎌倉時代の初期、諸国の霊所を訪ねては、自らに苦行を課していた文覚(もんがく)上人が、この滝で百日間の修行をした所として知られ、滝壺右側の崖腹に彫られた不動の石像は、その名残だという。また、滝の近くにある天台宗の寺院、竜王山水(誓)源寺は、滝堂とも呼ばれ、文覚上人が不動明王を安置したと言われている。



附近一帯の地質はよく磨かれた大小の礫を含む礫岩層で第三紀の足柄層と呼ばれています。

続く..................................。