今度は水の都オランダを紹介します。
素敵な水路をとりまく景観を、オランダの紹介と交えてご紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/6f/226cfdd0aa5deefe200bdf26529691a4.jpg)
オランダの国土の20%は13世紀以降の干拓工事で作られました。
オランダには、『神は地球を創ったが、オランダはオランダ人が作った。』ということわざがあります。
これはねばり強く、勤勉なオランダ人気質を語っている言葉です。
(これだけ誉めれば、赤いマフラー叔父さんも、満足してくれるでしょう。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3b/f5ad4c19d93c1946051c796dcb5a9c0d.jpg)
液面下に位置するオランダでは、運河や水路が縦横に張り巡らされ、数多くのボートが繋留されています。 水上生活もオランダでは、珍しいことではないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/7a/076a91b7432d42709d4dde5771a6ba52.jpg)
水の都オランダは日本との交流にも古い歴史があります。
1600年にオランダ船、『リーフデ号』が九州の豊後海岸に着いたのが日本との交流の始まりです。
徳川家康の江戸幕府の始まりの年です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/46/f439641374acfeb81f8ebfad782a12b8.jpg)
主席航海士が、ウイリアム・アダムスです。 彼は、日本名を三浦安針として、家康の外交顧問になりました。
この話しが、バカ親父の1月8日にご紹介した『塚山公園』につながるわけです。
もう一度ここから
覗いてくれると、嬉しいですね。
ウイリアムス・アダムス
ドルトレヒトで建造された開陽丸もそうですが、オランダと日本の歴史は密接な関係があるということが良く分かりますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c2/8060b46546a220ddfc5acb5bf4dc4e86.jpg)
もう一つ、本で調べて分かったことがあります。
この船の乗組員、ヤン・ヨーステンも徳川幕府に重用されたそうです。
後に、日本名、椰揚子(ヤンヨウス)と名乗り、今の東京駅の近くに邸宅を構えたそうです。
これが東京駅で八重洲口とか呼ばれている、あの八重洲という名は彼の名前から来ているのだそうです。
これ、バカ親父も初めて知りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a2/26c8411c31e4e7c8fb5d5132366c6980.jpg)
歴史の話から、オランダのご紹介に戻ります。
運河沿いの家屋は間口が狭く、奥行がある家が多いそうです。
17世紀の黄金時代には、船の積荷の揚げ下ろしに便利な運河沿いの土地は値段が高く、課税額が間口の広さで決められていた名残りだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/70/86bc96665d6e5eb40ad119933ea7bae1.jpg)
綺麗な景色ばかりで、説明など必要ないので歴史の話もいれましたが、この写真面白いですね。
木靴のボートです。
実用しているようですが、乗り心地はどうなんでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a8/82be6edae26b30c6435ba83666e3734b.jpg)
保湿性のある木靴は、昔から来たの低地に住むオランダ人には欠かせないものだったようです。
白木のものや、絵付けしたものなど、いろいろあるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/91/f86843971d29b826c5132a368790025e.jpg)
最後に木靴の船をアップにして、水の都アムステルダムの川沿いの景観の紹介を終わります。
アップで見ると、自動車と比較しても結構大きい船?です。
次回は、風車の景色をご紹介します。
続く....................。
素敵な水路をとりまく景観を、オランダの紹介と交えてご紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/6f/226cfdd0aa5deefe200bdf26529691a4.jpg)
オランダの国土の20%は13世紀以降の干拓工事で作られました。
オランダには、『神は地球を創ったが、オランダはオランダ人が作った。』ということわざがあります。
これはねばり強く、勤勉なオランダ人気質を語っている言葉です。
(これだけ誉めれば、赤いマフラー叔父さんも、満足してくれるでしょう。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3b/f5ad4c19d93c1946051c796dcb5a9c0d.jpg)
液面下に位置するオランダでは、運河や水路が縦横に張り巡らされ、数多くのボートが繋留されています。 水上生活もオランダでは、珍しいことではないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/7a/076a91b7432d42709d4dde5771a6ba52.jpg)
水の都オランダは日本との交流にも古い歴史があります。
1600年にオランダ船、『リーフデ号』が九州の豊後海岸に着いたのが日本との交流の始まりです。
徳川家康の江戸幕府の始まりの年です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/46/f439641374acfeb81f8ebfad782a12b8.jpg)
主席航海士が、ウイリアム・アダムスです。 彼は、日本名を三浦安針として、家康の外交顧問になりました。
この話しが、バカ親父の1月8日にご紹介した『塚山公園』につながるわけです。
もう一度ここから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/down.gif)
ウイリアムス・アダムス
ドルトレヒトで建造された開陽丸もそうですが、オランダと日本の歴史は密接な関係があるということが良く分かりますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c2/8060b46546a220ddfc5acb5bf4dc4e86.jpg)
もう一つ、本で調べて分かったことがあります。
この船の乗組員、ヤン・ヨーステンも徳川幕府に重用されたそうです。
後に、日本名、椰揚子(ヤンヨウス)と名乗り、今の東京駅の近くに邸宅を構えたそうです。
これが東京駅で八重洲口とか呼ばれている、あの八重洲という名は彼の名前から来ているのだそうです。
これ、バカ親父も初めて知りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a2/26c8411c31e4e7c8fb5d5132366c6980.jpg)
歴史の話から、オランダのご紹介に戻ります。
運河沿いの家屋は間口が狭く、奥行がある家が多いそうです。
17世紀の黄金時代には、船の積荷の揚げ下ろしに便利な運河沿いの土地は値段が高く、課税額が間口の広さで決められていた名残りだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/70/86bc96665d6e5eb40ad119933ea7bae1.jpg)
綺麗な景色ばかりで、説明など必要ないので歴史の話もいれましたが、この写真面白いですね。
木靴のボートです。
実用しているようですが、乗り心地はどうなんでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/a8/82be6edae26b30c6435ba83666e3734b.jpg)
保湿性のある木靴は、昔から来たの低地に住むオランダ人には欠かせないものだったようです。
白木のものや、絵付けしたものなど、いろいろあるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/91/f86843971d29b826c5132a368790025e.jpg)
最後に木靴の船をアップにして、水の都アムステルダムの川沿いの景観の紹介を終わります。
アップで見ると、自動車と比較しても結構大きい船?です。
次回は、風車の景色をご紹介します。
続く....................。