きょう少し前、札幌の鈴木さんから『享年62歳ですか………』と、ただそれだけのメールをいただいた。
その短いメールに込められた、鈴木さんのいろんな思いが、なんだか、わたしもわかる。
キャロルが、フォノグラム・レコードからメジャーデビューして解散する短い期間(キャロルは3年しかやってない)、鈴木さんは、日本フォノグラムの道東担当の営業マンだった。そして、わたしは、道東・帯広のレコード小売店にいた。
わたしたち小売店に、革ジャン・リーゼントのロックバンド、キャロルを売りこむレコードメーカーの営業が、鈴木さんの仕事だった。
きっとレコードメーカーの営業の人たちと、わたしのような小売店の売り手と、ミュージシャン・アーティスト・アイドルに対する少し複雑な思いは、似ているのではないだろうか。
楽しむべき音楽であるが、まず、すでに出来上がった商品であるから、好き嫌いでは聴かない。”売れるか、売れないか”、いつも、それが問題だ。その商品を売って、わずかな利益を上げ、生活している。飯を食べ、子供たちを育て、そして、酒を飲む。
レコード・メーカーの営業の人たちは、その自社商品の出来不出来ではなく、すでに制作されたものを売ることがテーマで、それで社内の自分の評価が決まる。
キャロルが解散したあと(1975年)、ジョニー大倉と矢沢永吉が、それぞれソロデビューする。ジョニーさんも、矢沢さんも、北海道のプロモーターは、わたしだった。(
ソロになった矢沢永吉を北海道でやってほしい、と電話で依頼してきたのは、京都・サウンドクリエーターの清水さんだった。お会いしたことのない人だったが、リボンの奥田さんの紹介だという。奥田さんとは、モップス、井上陽水と何度か一緒に仕事をしていた。
今ではまったく信じられないことだろうが、キャロル解散後すぐの、矢沢永吉のソロ・コンサートは、道内どこも不入りで、わたしはとんでない赤字をくらった。
少しあとのこと。京都・サンクリの清水さんから別のオファーがあった。矢沢ソロで迷惑をかけて申し訳ありません。中村雅俊コンサートのブッキングをしているので、北海道をやりませんか? と、そんなわけで、中村雅俊さんの初期の北海道のプロモーターになったわけ。ツアーバンドのドラム、アイ高野さんと毎晩飲んだ。
アイ高野さんは、「好きさ、好きさ、好きさ」のカーナビーツのドラムでボーカル。
わたしが、中村雅俊・北海道コンサートツアーのプロモーターとして、アイ高野さんとお会いしたとき、テレビでみていたアイドルバンドのドラムス&ボーカルとまったく違う人だった。まさにプロフェッショナルなドラマーだ。(このことは、以前にも書いたかも知れないが、アイ高野さんのことは、もっと調べて、またいつか書きたいな。)
キャロル解散後、ジョニー大倉さんの、北海道でのブッキングをやるようになったのは、フォノグラムからのオファーだったのか、ジョニーさんの事務所からの話だったのか? 不思議になぜか、さだかでない。(わたしは、興行の仕事上で細部を思い出せないことは、ほとんどない)。
北海道の、ジョニー大倉ライブの最初は、函館の北斗電気のイベントだった。会場は、函館・拓銀ホールだ。
前座が、浜田省吾&帯広バンド、だった。
この函館の北斗電気のイベントのあと、ジョニー大倉・ライブを北海道で組んだ。打ち上げで毎晩、毎晩、ジョニーさんと飲んだ。
|
|
|