☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

大庭城址(大庭景親)・船地蔵の歴史を知りました。

2022年01月31日 | Weblog

今日は晴れて車で30分で行ける大庭城址に行きました。
大庭城は12世紀関東平氏の雄の大庭氏の拠点でした。
頼朝の挙兵たに対抗した平家方の大庭景親(國村準)が出陣して石橋山で圧勝しました。
安房に逃げた頼朝は再挙して、平家軍に勝ち大庭景親は捕まり処刑されました。
そして北条義時に反抗した和田義盛側に付いていた大庭一族は滅んだそうです。
15世紀になって関東管領上杉家に仕え江戸城を築造した太田道灌が大庭城を本格的に築造しました。
その後小田原北条早雲大庭城を改修しその後、先週行った玉縄城を作りました。
大庭城址の地名は近いので知っていましたが、パソコンで初めてその歴史を知りました。

駐車場から登って上の城跡に出ると、広くて平たいなっていて木々が植わって良い散歩コースになっています。
引地川小糸川に挟まれた、小高い大庭城址から周りの景色が広く見えます。
   
この高台は住むに良い場所だったのか縄文時代より弥生時代、平安時代集落があったようです。
南門から尾根を下って下に降りて見ました。
降りた所に船地蔵があり、隣りは船地蔵公園です。

  
この舟地蔵には大庭城落城にまつわる悲しい伝説があります。
1512年北条早雲が大庭城を攻めた時城の周りは一面の沼で、なかなか攻め入ることが出来ず苦戦
稲荷でボタ餅を売っていた老婆に、武将の一人がどうしたものかと尋ねたところ、
「南の堤を切ればたちまち水は干上がってしまう」と教えてくれました。
武将は、この秘密がもれることを恐れ、その場で老婆を切り捨ててしまいました。
やがて堤は切られ沼の水は引き、なんなく城を攻め落とすことができたそうです。
土地の人は老婆の死をあわれみ、舟にのった地蔵尊をたてて供養したということです。
今ある舟地蔵の左手に乗せられている宝珠は、土地の人々は左手の実は老婆が売っていたぼた餅であると言い伝えています。
大庭城はその後は北条早雲のものとなりましたが、北条氏の滅亡と共に大庭城は廃城となりました。
前の道を渡って大庭遊水地を歩き引地川親水公園まで歩きました。

お食い初め
と言う赤ちゃんが「一生、食べ物に困らないように」という願いを込めた儀式があります。

次女の初めての赤ん坊が生れた時にお食い初めのセットを頼んで、わが家でする事になりました。
赤ちゃんが生まれてから100日後にお祝いで「100日祝い(ひゃくにちいわい)」と言うそうです。
100日目が1月30日で、偶然爺72歳と息子43歳の誕生日とも重なりました。
長女がこれに合わせて素敵んクッキーを焼いて持って来ました。

お食い初めのセットを初めて見ました。デパートの注文したそうです。
私の子供達の時は知らなかったですね。
年取った祖母の私が、形だけですが食べる順に孫の口に運びました。
食欲が良い孫は本当に口に運ばれた物を食べようとする勢いでパクパクと口を開けて。
元気に生まれて良かったなと思います。健康に大きくなる事を願います。

コメント (4)
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