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☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

⑦マンハッタン島クルーズ

2010年10月31日 | Weblog
ニューヨークの町の大きさと繁栄がマンハッタン島クルーズに乗ってよくわかりました。
船に乗って次々と変わる景色が、大きなビルの連続で驚きました。
一番高いのがエンパイヤーステートビル、
  

この下左側が国連のビル、横の黒いビルにヤンキーズ時代、松井が住んでいたそうです。
同じビルでワンフロアーを全部持っているのがビルゲイツさんのニューヨークでの住まいだそうです。
     


ずーっとマンハッタン島のビルを見続けていたら、前方から声が聞こえて前を見ると
自由の女神の緑色の像がありました。
心に描いていたよりずっと素敵frで凛々しい女神でした。
アメリカ建国100周年記念して、独立運動を支援したフランス人民の募金によって贈呈され1882年に完成されました。
銅製で、緑青の為に緑色になっているそうです。

        


ブルックリン・ブリッジ
  1883年に完成した橋で、鋼鉄のワイヤーを使った世界初のつり橋で、アメリカで一番古い吊り橋です。
     

クルーズの船乗り場(Pier83)のすぐ北側に、とても巨大な船、何だろう??
それは空母イントレピッドでした。   
空母とは 2,600名の人が乗って、100機もの飛行機が搭載できる船だそうです。
この空母は役目を終えて再利用され、1982年から海上航空博物館としてマンハッタンの名所の一つだそうです。
船の上には色々な種類の飛行機が並んでいるのが見えました。
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⑥ニューアーク・リバティー国際空港

2010年10月26日 | Weblog
旅の1日目カナダのオタワに行く前にニューヨーク傍のニューアーク空港に着きました。
コンチネンタル航空はニューアーク国際空港をハブ空港としているためです。
        
まずアメリカ入国の入管手続きで、指10本の指紋と顔写真を撮られました。
アメリカへ入る為の厳しい検査は2001年の9/11テロ事件の後です。
この空港はハドソン川の対岸のニュージャージー州にあるけど、
ニューヨークに一番近い空港の為、犠牲者を追悼して空港の名前にリバティーを加えて
ニューアーク・リバティー国際空港」の名称になったそうです。

カナダのオタワ行きの飛行機出発まで5時間待ちの為空港の中を見学。
オタワに着くのが遅い為、ホテルで配られるお弁当が夕食と聞いていたので、
まずはお酒と一緒に軽く食べようとお店入り、メニューを見ました。
英語メニューで写真も何にもなく、どういう料理が出てくるか全く分からないので、
私はお隣の人のランチ風の食事が美味しそうだったので、其れを注文したら、

 
お隣とは全く違う、大きなお皿一杯のフライドチキンが来ました。
夫はチリドッグを頼んでみたらとても大きなハンバーグに山盛りのフライドチキンが乗ってきました。
ビールをワインとでお腹一杯になりましたが。
語学力がないと大変と旅のスタートで思い知らされました。
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⑤ナイアガラ

2010年10月24日 | Weblog
ナイアガラの滝は雄大な自然の中にあると錯覚していました。
しかし実際は観光地のホテルやショッピング街の本当に目の前に大きな川の流れと滝がありました。

  

この日だけ雨でした。
滝の傍まで行くと川の流れの速さにびっくりし、そこから急に滝になっていました。
                         

配られる青いポンチョを着て霧の乙女号に乗って
アメリカ滝を通ってカナダ滝の滝の水煙が巻き上がる滝つぼまで行きます。

 
こぼれ話
① 1901年10月当時63歳の女性教師アニー・テラーさんと飼い猫の黒猫が
  樫のワイン樽に入りナイアガラ・フォールズを下ったのが最初です。
  有名になろうとマスコミや色んな人を滝近くに呼んで。
  無事、彼女と飼い猫は生きていましたが、黒猫があまりの怖さに白猫になっていたと。

② ナイアガラ周辺に住んでいた先住民の伝説
   に住んでいた美しい乙女レナワラが酋長の命令で村の長老と結婚することになりましたが、
   結婚式の最中逃げ出したので、乙女はから追放され、
   滝つぼに住む精霊の強い力に呼び寄せられ一体となりました。
   今でもナイアガラ瀑布から吹き上がる霧の中に乙女の姿を見ることが出来ると信じられています。
   滝のすぐそばまで行ける船の名前は「霧の乙女号(Maid of the mist)」です。
   そのお陰でこの船は創業1846年から事故は1件も発生していません。
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④首都オタワ

2010年10月22日 | Weblog
オタワの名前カナダの首都と言う事しか知りませんでした。
1958年にビクトリア女王の独断でカナダの首都は英仏両勢力のほぼ境界に位置するオタワに
ケベック、モントリオール、キングストン、トロントの候補を差し置いて決まったそうです。 
オタワはイギリス風の重厚な建築が建ち並び、花や緑の多い落ち着いた素敵な町だと思いました。
州境を渡ると、英語圏からフランス語圏に変わり、道路標識や人々の会話もフランス語になるそうです。
緑    
オタワ川の畔にある小高い丘でパーラメントヒルにカナダの国会議事堂やその他の重厚な建築物が建ち並んでいます。
夏にはロンドンのバッキンガム宮殿とも似た衛兵交代式を見ることができるそうです。
今回の旅で最初に降り立ったオタワは知らない町だったけど、
のんびりとした緑の多い素敵な落ち着いた町でした。

リドー運河
   
セントローレンス川からオタワ川へ流れ出す運河で、キングストンの町からオタワまでの約200kmを結ぶ水路です。
人工の運河と言うよりも自然の川のような流れで、冬には運河が凍りつき、天然のスケートリンクになるそうです。

私の大好きな花チューリップフェスティバル(毎年5月第3週)

第二次世界大戦中ドイツに占領されたオランダ王室一家オはオタワへ亡命。    
妊娠中のジュリアナ妃はオタワで出産、しかしオランダの王室継承者となるには    
オランダ領で産まれなければならないので、カナダ政府はジュリアナ妃の出産病棟を    
一時オランダ領とし、ジュリアナ妃は無事女の子(マーガレット王女)を出産したそうです。。
戦後ジュリアナ妃は滞在中のお礼として10万本のチューリップの球根をオタワに送り、  
その後もオランダ王室からの球根のプレゼントは続き、オタワ市もオランダから球根を買い続け。
チューリップが縁で、オタワのチューリップフェスティバルは世界でも最大規模だそうです

    拝借した写真です     

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読書 「永遠のO(ゼロ)」 

2010年10月20日 | Weblog
ここ数年本を読むことがあまりありません。
最近面白く読んだのは、ハリーポッター全巻、ダン・ブランの作品数点、

久しぶりに面白い本に出会いました
永遠のO(ゼロ)」 百田尚樹作です。
作者も本の名前も知らなかったのですが、娘が面白かったと言うので読みました。

O(ゼロ)はゼロ戦の事でした。
内容を全く知らずに読み始めました。
最初の導入部分が面白くて、そのままどんどん読んでしまいました。

戦争の話しと知っていたら読まなかったかな。
でも読んで本当に良かったです。
戦争時代の若者の考え方や、
その場にいて生き残った人が60年経っての話しが交互に出て。

丁度その主役に当たる人の生年月日が大正8年で、
今健在な私の父と同い年で、終戦の時、父は26歳だったのだと、改めて知りました。
私の父は大学を出てから戦争で中国に行った事、
終戦の時は運よく日本に戻っていてどこかの基地で敗戦を迎えた事しか知りません。
10月末に実家に行くので、少し詳しく聞いてみようと思います。
父は今年91歳で元気で囲碁を趣味にしています。

66年前の日本の戦争の中での若い人達が色々な考え方をしていた事、
戦争をやっているトップの人達の采配のまずさ等、知らないことが一杯でした。
難しそうにみえますが、読みやすかったです。
戦後に生まれた我々も、娘の世代も一度読むと良いなと思いました
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③ケベック

2010年10月17日 | Weblog

 先住民が「ケベック川が狭まったところ)」と呼んでいた岬に、
 フランス人探検家が1608年に植民地を作り、フランス人によるアメリカ大陸での開拓が進みました。

 観光バスから降りると目の前に強大な船が見えました。
      
 あんまり巨大なので川を上ってきたとは思えず、
 船の形をしたビルディングかしらと思うほどでした。
 しかし城砦の上からみると大きな川、セントローレンス川沿いに停泊していました。

      
 セントローレンス川は五大湖と大西洋を結ぶ大河です。
 川幅は広大で中州として大小無数の島々が点在するそうです。
 あの巨大な船も航行できることに納得しました。

 ケベックは北米唯一の城塞都市で、城壁に囲まれた旧市街はカトリックの教会や聖堂が並び、
 石畳の通りを等中世ヨーロッパ風です。世界遺産にも登録されています。

         
 この町にそびえ立つ建物はシャトー・フロントナック・ホテル1892年の開業だそうです。
 
 良い所を急ぎ回ったのでゆっくり見れず残念。素敵な店の飾りつけ。

   

 これは壁に描いた絵です。  なんて素敵に描いて。

少し紅葉。   木の実も黄色
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②メープル(楓)

2010年10月13日 | Weblog
 真赤になったカナダの楓(メープル)
 カナダの国旗に描かれているカエデはラテン語でAcerと書き、  葉が切れ込んでいる意味だそうです。

      

    パソコンから拝借した、メープル(砂糖楓)の紅葉する葉の色の移り変わ写真です。                                   

 紅葉の時期のモン・トランプランでは、いろいろなメープルのお土産屋や食べ物がありました。
 メープルタフィを作っている所です。
       
 温かいメープルシロップをかき氷の状の氷の上に 細長く伸ばして、棒に巻きつけてできあがりです。
 食べるとじわじわっと水あめ状になったシロップが口の中で溶け出してきます。

 もう一つのお土産がメープルバターと言う物でした。
 バターとメープルがいっしょになっていると思って買いましたが。
 帰って調べると、本当はメープル100%で、
 メープルの樹液を煮詰めてバター状にしたものだそうです。
       


カナダの一番のおみやげがメープルシロップです。
サトウカエデの樹液を濃縮した甘味料で独特の風味でホットケーキやワッフルにかけたり。

ブログを書いていてこのシロップの効用を知りました。
メープルシロップはミネラル分が多く含まれ低カロリーで、血糖値の急上昇を抑えて糖尿病の予防効果。
また含まれているカルシウムは、交感神経と副交感神経のバランスをとり、
独特のコクのある香り成分も脳に働いて、ストレスを解消するのに有効だそうです。
                
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①紅葉 ローレンシャン高原

2010年10月10日 | Weblog

 春のサクラは必ず見るけど、秋の美しい紅葉を見に行く事はなかなかできませんでした。 
 紅葉が見たくなる年頃になったのかな?
 カナダのローレンシャンの紅葉のパンフレッド目に飛び込んできました。  
 術後半年の検査も終えて体調も良いので、
 思い切って紅葉を見るために10月1日出発のツアーに参加しました。 
                    

 まさに紅葉の見頃に時期にローレンシャン高原(ケベック州の中~北部に広がる丘陵地帯)に着きまよした。
 標高960mの、トランブラン山の麓のリゾートの町モン・トランブランに泊まりました。
 丁度土曜日でカナダでも紅葉を見に来る人で車がちょっと渋滞していました。
 
  町の位置が分かる地図をインターネットから拝借しました。
      

 町の上下を結ぶ、無料で乗れるリフトが見えます。
 自分で乗るので怖いと思いましたが、自動的にドアもロックされて上まで出発です。
               


まずロープウェイに乗り場へ。混んでいて15分ぐらい並んで乗りました。
楓の赤の紅葉が全山に広がっていました。
       
上に行くに従い広い景色が見えてきました。
               

さらに上に行くと針葉樹林も多くなってきました。
               


観光地、みんな楽しそうにゆっくり休暇を過しています。
  
                                            

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