☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

フィレンツェの街歩き ④

2018年10月27日 | Weblog

今日は朝7時半集合で歩いてフィレンツェの町巡りです。
早いスタートの理由は昼前にフィレンツェからナポリまでの特急電車に乗る為です。
アルノ川沿いを小雨の中歩きました。
中世のヨーロッパと言う美しい眺めの中をイタリアのガイドさんが先頭を早足で歩くので、我々も早足で。
   

その川に面白い橋が架かっていました。
14世紀からポンテヴェキオという両側に金銀細工の店が並ぶ橋です。寄れず残念。

   
この橋手前を曲がってシニョリーア広場に行きました。ヴェッキオ宮殿(今は市役所)の前のL字形の広場です。
フィレンツェ共和国の歴史の原点でもあり、今も市の政治的中心の広場です。
ダビデ像を始めたくさんの彫刻が並んでいます。
   
ヴェッキオ宮殿(市役所)の隣のウフィツィ(Uffizi)美術館へ入りました。
名前はトスカーナ方言でUffiziは、英単語officeの語源になったそうです。
メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館でイタリアルネサンス絵画の宝庫です。
展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシャ古代ローマの時代の彫刻や
イタリアルネサンスボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラッファエッロの絵画を中心に色々ありました。
     
ボッティチェッリのプリマヴェーラ             ミケランジェロの聖家族           フランチェスカのウルビーノ公夫妻の肖像
       
      レオナルド・ダ・ヴィンチの著名な「受胎告知」                  ボッティチェッリのヴィーナスの誕生

美術館を出てガイドさんの後を歩いていると、パッと目の前に明るく素敵な建物達が広がりました。
フィレンツェドゥオーモです。「花の聖母教会」とも呼ばれ、ルネサンスのシンボルの建物です。
1296年から140年もの歳月を掛けて完成されました。色々な色の大理石に装飾された壮麗な外観です。
ドゥオーモの隣の正方形型の縦長の建物がドゥオーモの鐘楼です。

    

ドゥオーモの向かい側にあるのがサン・ジョヴァンニの洗礼堂です。
ミケランジェロが「天国の扉」と絶賛した黄金の扉が正面に見えました。素敵絵が彫り込まれてます。
旧約聖書のストーリーフィレンツェの彫刻家、ロレンツォ・ギベルティによって製作されました。
3つの建物の外側の美しさ、手の込んだ作りに感激しました。

  

電車に乗るために、再び急ぎ足で駅に向かいました。
古い感じのフィレンツェの中央駅裏側に着きました。地下道をくぐって表駅へ。
何番線に特急列車が入るか、直前まで分からいのが不思議です。日本ではいつも同じホームから出発と思うのですが。
お客さん達もガイドさんも電光掲示板を常に見ていました。
掲示板に11番線と表示が出たので我々は慌ててそのホームへ向かいました。これでナポリ駅まで2時間半の鉄道の旅です。
  

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ピサの斜塔 ③

2018年10月25日 | Weblog
トスカーナ州でピサに向かう道中に木の植林の為の苗木畑が続いていました。
ピノキオの童話はこのトスカーナ州で生まれたそうで、木に縁がある地域です。
  

ピサに着きトロッコバスみたいな変な乗り物に乗りました。短い乗車時間でしたが、普通に他の車と同様に走り、信号待ちもして着きました。
  

門の中に入ると広い敷地の中に礼拝堂等、ドゥオーモ、その後ろにピサの斜塔が立っていました。
ピサの斜塔はピサのドゥオーモの鐘楼として1173年から建設し、途中地盤沈下で傾くままに続けられて1350年に完成しました。
屋上の中心は4.5m横にずれているそうです。
   
予約でみんなとピサの斜塔の中に入り登ります。足の悪い私等4人は中に入るだけで登らずに出ました。
斜塔の中は上まで空洞になっていました。そして中が床から傾いていてびっくりです。
中は円筒形の8階建てで、階段は296段あり、高さは55mだそうです。
頂上までゆっくり登って良いなら登りたかったですが、時間決めで長い行列があり、後ろの人への迷惑になると思いあきらめました。残念。
   
ピサの斜塔の後ろ側からの写真。反対側に傾いていますね。
そしてローマ時代のカピトリヌスの雌狼の彫刻です。これはピサの街がローマに支配されていた跡だそうです。

一人で広い敷地を歩いて先ほどのバス乗り場まで。途中にあった沢山の屋台風の店でピサの斜塔風に斜めに傾いたコーヒーコップを買いました。
イタリア語は分からないけど、親切なお店の人から簡単に買えました。
一人なのでしっかりバック斜め掛けして、その上に上着を着て盗まれないように注意。

予定より1時間半ほど早くピサに着いたので、ピサの斜塔に登る予約時間まで余裕があって、ドゥオーモの中も見学がきました。
ドゥオモ(大聖堂)は緑の芝生が生える広場の中央にそびえ建っています。
都市国家であったピサが、1063年にパレルモの沖でサラセン艦隊を破ったことを記念して建築され、
1272年に完成しました。大聖堂は上から見ると十字架の形をしています。
     

身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプはガリレオのランプと言われています。
ガリレオがこのランプの揺れをみて振り子の等時性を発見したと伝わっています。
スペインで見たメスキータに似た模様があります。 
ピサの斜塔しか思っていなかったので、ピサの街は昔の都市国家の一つだと知りました。

ピサの斜塔に登った娘からの写真です。
上からの街の景色と、ドゥオーモが十字架の形をしていることが分かりました。
  
次はフィレンツェへ。
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ヴェネツィア 車の無い街 ②

2018年10月21日 | Weblog

ヴェネツィアはベネト州の州都で、アドリア海のラグーンに浮かぶ118の島、150の運河、400以上の橋からなり、大都市で唯一車が走っていない都市です。
バスを降りてサンタルチア駅前から水上バスに乗りかえて大運河沿いをサン・マルコ広場まで行きました。
ボートの中から両岸にヴェネツィアの街が見えました。
  
夕食を食べた後の自由時間、ホテルからサンマルコ広場まで歩きました。夏時間でも暗くなっていました。
広場には「カルロ・ラヴェーナ」・カフェ「フローリアン」・赤い椅子の「クアードリ」の3か所の喫茶店で生演奏が朝から晩までされています。

  
コーヒーを飲みながら演奏を聞きました。
演奏はイタリアのカンツオーネのサンタルチア、フニクリフニクラ、帰れソレント、オーソレミオ等。
他にゴッドファーザー愛のテーマ、さらにサウンドオブミュージックメドレー等知っている曲が流れて楽しめました。
帰りもヴェネツィアガラス店等を見てホテルまで海岸線を歩きました。
途中3箇所水路があり、その橋から夜もゴンドラに乗っている人がいました。
夜歩くとライトの光で魅力的な普段見ない世界が広がって楽しかったです。
   

次の日の朝食後歩いてまたサンマルコ広場に向かいました。
サンマルコ寺院は828年アレキサンドリアから運ばれた聖マルコ遺骸を安置する場所として礼拝堂が建てられました。
1063年から400年をかけて建て替えられたギリシャ正教のモザイク模様が荘厳な聖堂です。
聖堂の中の写真が撮れないので、写真を1枚買ってくれば良かったと思います。
    
右側の写真はベネチア映画祭の会場でとして有名な、ベネチア・ゴシックを代表するドゥカーレ宮殿です。
ここは中に入らず外からの見学でした。
歴代の総督の住居、政治、司法の中心で、建物に四つ葉のクローバが並んで見えます。

サンマルコ寺院やドゥカーレ宮殿に囲まれたサンマルコ広場は三方を大理石の柱廊に囲まれた空間です。
ひとつだけ高くそびえ立つ赤色の塔が
サンマルコ寺院鐘楼です。
もう一つ時計塔は1499年に完成で、機械を製作したジャンパオロ・ラニエリと息子のジャンカルロは、管理人として塔に移住したそうです。
住み込みで時計の面倒をみるのが当時の慣習だったのです。500年もの長い間、修理が繰り返され、今も同じように時を刻み続けています。
     
美しいヴェネツィアにとって最大の悩みは沈下と高潮の問題です。
海抜の低いサンマルコ広場周辺は正午過ぎに高潮で冠水するそうで、その為に観光客が水に濡れないように足場がありました。
海に浸かる事を避ける為の防潮堤もないようです。
ヴェネツィアでは防潮堤を作らなくてもよいぐらい、台風も地震もない世界なのかしら?

サンマルク広場の横からゴンドラに乗り、一旦海にでました。結構揺れて大丈夫かな?
   
ゴンドラはすぐにため息橋のある水路に入りました。そのとたん、水路は静かな流れになりました。
「ため息橋」という名前は、ドゥカーレ宮殿と牢獄とを結ぶこの橋が、囚人たちが投獄される前に、
最後に見るヴェネツィアの美しい景色を見てため息を もらしたという事から、19世紀にジョージ・バイロンが名づけたそうです。
 ため息橋   
ゴンドラから見る景色がドンドン変わってゆきます。
   

幾つもの橋の下を通ました。どの橋にも観光客の姿が見えました。
私もこのヴェネツィアの町をゆっくり歩いて見たいと思いました。
  

30分ぐらい乗って海沿いのダニエルホテルの横の白い橋に出ました。向こうは海です。
この街の路地を歩いて、いくつもの橋の上に立ちたかったなと思いました。 
    
再度ここから水上ボートに乗ってサンタルチア駅前からバスに乗り換えてピサに向かいました。  

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イタリアの旅 ミラノ ①

2018年10月17日 | Weblog

1日目、成田から直行便の飛行機に12時間35分の長い時間乗りイタリアのミラノに着きホテルへ。
2日目の朝、ホテル前には屋台が出ていて新鮮な野菜や魚が並んでいました。
バスに乗って街を見ると所々に城壁が残っていました。
ミラノは大昔から城壁によって囲まれている街だそうです。
このバスの運転手さんがローマまでの6日間一緒に運転してくれました。
朝晩に水500ccを1ユーロで買えて、とても助かりました。
ホテルで買うと3ユーロ、偶然入った小さなお店屋さんでは60セントでした。 

     

バスがスフォルツェスコ城沿いに止まり、そこから歩いてスカラ座まで行きました。
   
スフォルツェスコ城15世紀にミラノの領主であったスフォルツァ家が完成させた居城です。
ミラノを代表するルネサンス建築でブラマンテやダ・ヴィンチも携わりました。
そして右の写真はイタリアを代表するスカラ座です。

その傍のレオナルド・ダ・ヴィンチ像のあるスカラ公園の横にヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアという
19世紀のレトロで美しいガラス張りのアーケードがあります。
イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から1877年の間に建設されました。
石造りの伝統工法を基盤にガラス、鉄、石、そして近代の鉄骨が組み合わさったミラノの建築技術の終結と呼べる傑作です。
   
入口の向こうは2本のアーケードが十字路を作る4階建てのガラス張りの屋根の美しいショッピングモールです。
高級ブランドブティックや様々なショップ、マクドナルドも立ち並んでいます。
   
こんなに美しいアーケード街を見た事がありません。
ここでこの麗しい景色を眺めながらイタリアの濃いコーヒー(エスプレッソ)が一杯飲みたかったな。
下のタイルもお洒落です。トリノの紋章牡牛の股間上でかかとを合わせて三回転すると幸せが訪れるそうです。

  

ヴィットリオ・エマヌエレ2世ガレリアのアーケードを出ると美しいドゥオモが見えました。
1386年から500年の歳月を掛けて完成したイタリア最大のゴシック建築の大聖堂です。
ドゥオモ広場での自由時間に、一人25ユーロを払ってエレベーターで上に登り、外廊下を歩き高い所から街の景色を眺めました。
さらに階段を登って屋上に上がりました。
   
再度エレベーターで地上に降りてドゥオモの中へ。
500年の歳月を掛けた大聖堂の中は立派で、ステンドグラスがたくさんあって綺麗でした。
  

見学の後スフォルツェスコ城にまで戻りバスに乗って傍のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。
ダ・ヴィンチの名画『最後の晩餐』があることで有名なドミニコ派教会です。
『最後の晩餐』は修道院の食堂だった壁に、床から2m程の高さから上に描かれているかれています。
描かれた当時からこの部屋は食堂として使用されており、食べ物の湿気、湯気などがこの絵を浸食する原因となったそうです。   
 
420 x 910 cm の巨大な絵をレオナルドは1495年から3年をかけて、遠近法・明暗法・解剖学の科学を駆使し新しい芸術作品を描きました。
左の写真からキリストの足元は食堂のドアになっていたようです。
1977年から1999年にかけて大規模な修復作業が行われて今の絵になりました。
この修復は洗浄作業のみで、表面に付着した汚れなどの除去と、レオナルドの時代以降に行なわれた修復による顔料の除去が行なわれました。
その結果、後世の修復家の加筆は取り除かれ、レオナルドのオリジナルの線と色彩がよみがえりましたが、オリジナルが全く残っていない箇所もかなりあるそうです。

1日目、ミラノのホテルでカメラの充電をしようとした時、
メモリーが入ってません
旅をカメラで撮って、旅行記やブログに載せるのが私の楽しみです。
それなのにカメラの大事なメモリーが入っていないとは。どうしよう
幸いな事に娘が新品のメモリーを新しく使うつもりで持っていて、それを譲り受けました。ありがとう

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台風、強い風と塩害

2018年10月05日 | Weblog

水曜日の朝散歩で緑道やいくつかの公園を通って歩いています。
この自然に囲まれたコースが快適でいつの間にか同じ道を歩く事が多くなっています。
台風の後の水曜日に同じコースを通って、自然林の公園に入りお喋りしながら歩いていました。
その公園の一角が明るくなって向こうの景色が見えます。
そこに茂っていた杉の木が数本ポキンと同じ向きに折れて倒れていました。
一時的にものすごく強い風が通り抜けたようです。
杉の木もわが庭の南京ハゼや酔芙蓉の木みたいに風に弱い木なのでしょうか?

   

次にもう一つの公園に行くと、ランドマークの大きなイチョウの木の枝が折れて下に落ちていました。
そしてイチョウの葉が黄色でなくて茶色でへなっています。やはり台風による塩害でしょうか?
二つの公園はこの辺りで一番高台にあり風が強かったようです。
  
上の右端の写真は、次の日にちょっと歩いて寄った傍の公園です。ここは風で葉が落ちただけのようです。
公園を残して作られた住宅地で、緑道や公園が多いのが住んでうれしい事です。

少し前に散歩で見つけた可愛い白い花も載せました。
右端の写真はハナミズキの実です。
    

庭のプランターに赤い茎の植物が伸びて実がなりました。ヨウシュヤマゴボウです。こんな小さく可愛らしいです。
ピラカンサスの実も赤くなり玄関が華やかになりました。
子供がごはんと豆入りのパンを持ってきたので、
スライスしてサンドウィッチにしてお昼ご飯をしました。パンだけでもとても美味しかったです。
  

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テレビにミハスの偶然立ち寄った家が

2018年10月02日 | Weblog

夫が脚の痛みでこの二か月の間、出かける事がありませんでした。
治すためにいろいろ試みて、やっと急に改善してきてお昼を食べに行く事になりました。
前回、偶然寄ってワインを飲んだスペイン料理屋「テソロ・デル・マル」さんに予約しました。
その後子供の家が近いので電話したら土曜日なのに仕事。丁度終わった所でした。
二人で前菜をおかずにビールをゆっくり飲んでいたら、子供が来て一緒にワインを1本頼んで食事をしてました。
      
私はキノコとエビのアヒージョを初めて2日前に家で作くりました。そしたらこの店でも出てきました。
私はアヒージョのレシピのオリーブ油の量があまりたくさんだったので半分以下の量で作りました。
お店のアヒージョを見るとたっぷのオリーブ油の中にキノコが入っいて、パンに付けて食べる事が分かりました。
私も残ったキノコとオリーブ油を、次の日に卵に入れてスクランブルエッグにしたらとても美味しかったです。
アヒージョを作る時はレシピの量のオリーブ油をで作ろうと思います。
         

今日たまたまテレビをつけると、見た事のある町が写っていました。スペインのミハスの街歩き」という番組でした。
我々が通った道が写っていました。そして赤と白の植木鉢の家の前に出ました。
4年前にミハスでの自由行動で、素敵な赤と白の植木鉢が一杯ある家を見ていたら、家のご主人が家の中のベランダを見せてくれました。
驚いた事に「この街歩きの番組」もこの家のベランダに入って行きました。
ビックリしてビデオに慌てて撮りました。この家を再度ビデオでゆっくり眺める事ができました。
ここの家のご夫婦は結婚して60年,ここに46年住んでいて子供が9人いらっしゃるそうです。2000鉢以上の鉢があるそうです。
   
ミハスの町は青色の鉢を市民に提供しているそうです。だから赤色と白の植木鉢に目がゆきました。
ここのベランダからは下に青い海が見える素敵な景色です。
    
 
台風が来ると毎回木の枝が弱いのか?酔芙蓉や南京ハゼの枝が折れます。
酔芙蓉は毎日朝に白い花を咲かせていたのに、台風で折れてみる影もないくらい木が萎れてしまいました。
台風の後1本の大きく育ったナスも、全体が枯れかかってきました。
この一本のナスで50個以上も実り、秋ナスを期待していたのに。残念。
キンモクセイも台風の風で、一晩で花が無くなりました。
    
少し前に撮った彼岸花です。頑張って咲いています。 

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