☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

開花から、あっという間に満開になりビックリです

2025年04月01日 | Weblog
ニュース開花宣言から満開になるまで10日間は掛かるのに、
今年は開花宣言の後の夏のようなあつさが続いて3~5日の速さで満開になっているそうです。
開花したと思ったらすぐ満開になりました。

今日はお天気なので電動自転車で近場の桜を見て回りました。
矢部公園では遊具が桜に覆われて良いですね。池のそばにはピンクの桜が咲いていて目を引きました。

この公園には色々な種類の桜があり、まだ小さいけど枝垂桜かな?素敵で目が留まりました。

次に泉中央公園に行くと桜が満開で、春休みの親子連れがお昼のランチです。

ピンクの桜もあり、ソメイヨシノと一緒に撮ると素敵に写ります。
直ぐ横に菜の花やチューリップやヒヤシンスが植えられていて、この公園に来た時は見るのがうれしいです。
     

桜咲く時に良く行く中の宮左馬神社の大きな白い桜が綺麗に咲いていました。
この桜は少し早く咲くのでこんなに満開の時に見れたのは初めてです。
神社の入り口上がった所にはピンクの桜も一緒に咲いて綺麗でした。

 
イトーヨーカドーそばの小さな公園に濃いピンクと薄ピンクの桜が同じ木に咲いて目を引きました。 


帰りに夫とかごの屋で遅いお昼のランチです。春らしいメニューですね。
                   花粉症ですが、飲み薬が効きだしたのか、1日外にいたけど軽く済みました。
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荻窪そばの荻外荘(てきがいそう)公園散策

2025年03月27日 | Weblog
久々の孫の居る東京へ。お昼を食べると孫たちはサッカーや部活へ。子供の成長は早いですね。
よって子供夫婦と大人4人で昨年末から公開された荻窪の閑静な住宅街にある荻外荘行きました。
下の芝生公園側から見ると大きな木が沢山あり歴史を感じます。
       
 
家の玄関前の大きな木はモクレンなくて、少し遅く咲くこぶし満開でした。
横に馬酔木が咲いてビックリ。この暖かさであっという間に色々な種類の花が一遍に咲きだしました。
家の中のガラス戸越しから見える景色は広く緑に覆われています。
荻窪一帯は空襲に遭わず、荻外荘も戦災を免れました。
2012年に荻外荘は近衛文麿の次男近衛通隆が死去で、杉並区が荻外荘を買い取り整備しました。


荻外荘は政治家の近衞文麿1937年第1次内閣期から第3次内閣そして1945年12月自決に至る期間住んでいた家です。
1940年7月19日に荻窪会談を初め、第二次世界大戦政治の転換点となる重要な会議を数多く行われた場所です。


玄関から入って、廊下は真直ぐ長くてとてもおしゃれで素敵でした。
その奥の応接室で、螺鈿の豪華な机と椅子に目がゆきました。
この部屋の床のタイルには龍の浮彫がデザインされていて、天井も竜の絵が描かれていて豪華です。
 
重要な会談が行われたのがこの客間です。東条英機も交えて話し合われ、
陸軍大臣だった東条は中国からの撤兵を頑なに拒否し、近衛内閣は総辞職して東条が内閣総理大臣となって日米開戦へと。
私は歴史的事実を全く知らずで、戦争前後の事を知りました。
荻外荘は、1927年に建築家の伊東忠太で、入澤達吉の別邸でとして建てられ、1937年に入澤より譲り受けた近衞文麿が移り住みました。

杉並区「グリーンスローモビリティ」は、時速20km未満で公道を走ることができる電動車を活用した小さな移動サービスです。
1周約2.5kmの路線で、荻外荘公園のバス停です。満員んで中々乗れないようです。
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弘明寺散策

2025年03月23日 | Weblog
横浜に来てもう38年もたちます。弘明寺近いのに初めて行くお寺です。
地下鉄の踊り場駅で待ち合わせて地下鉄弘明寺駅で降りて散策しました。
駅前の横浜大学付属中学校淡いピンク色の大寒桜が満開でびっくりしました。
8本以上あり、沢山の大寒桜に皆とまって眺めて写真を撮っていました。
名前の通り3月の初旬に咲くのが、今年は梅や河津桜の同じで遅れて咲いてくれて満開に出会えました。
この学校の前の道路は鎌倉道で石碑がたっています。
この鎌倉道の横浜市電が1968年9月に廃止となり、弘明寺電停と同じ位置に横浜市営地下鉄弘明寺駅が開業したそうです。
そして道路の向こうに弘明寺かんのん通り商店街が見えました。
地図で見ると商店街の中に大岡川が流れていて両側に桜があります。来週あたりが桜見ですね。

商店街の店を見ながら歩いて行くと、正面に弘明寺が見えました。
このお寺は737年に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、戦国時代は北条早雲から寺領を、
江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り坂東三十三観音の十四番札所として信仰を集めたそうです。 
明治に廃仏毀釈により公有地化で譲渡し、京浜急行の弘明寺駅が開業したりでかつての2割の広さになりました。
ここにはピンクの濃い色のおかめ桜が1本咲いていました。


神社の向こう側に京急の弘明寺駅があり、線路を渡って西側の丘陵に弘明寺公園があります。園内には散策路や遊具広場が整備されています。
一番上に展望台があり、上がると広い景色が見え、夜景が綺麗だそうです。


結構アップダウンがあり良い散歩になりました。
また線路を渡り弘明寺商店街に戻り、直ぐの店でお昼を食べました。
この近くの人らしい方が「ここのハンバーグは美味しいのよと」言われて。
その後昔の金物屋さんが閉店セールをしていて、草抜きを2割引きで買いました。昔からの店が無くなるのは寂しいですね。
  
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そばの河津桜も庭の梅も、昨年より15日遅く咲いたようです。

2025年03月15日 | Weblog
2月28日に家の庭の梅の蕾が膨らんで何時咲くかなと待っていると、
次の日3月1日に暖かくなってわが家の梅が、そして近くの河津桜も一緒に咲きました。
次の日には、両方とも沢山花が開きました。しかし次の日は雨から少しの雪で寒い冬に戻り花達もびっくりです。
横浜開港150周年記念の一環で2009年に20本ほどの河津桜を2か所に分けて植えられました。
そばの西が丘地区にも河津桜が一緒に植えられて、今みんな満開です。

河津桜は植えられて16年経ち大きくなり、可愛いピンクの花の色が良いなと思います。
      

10日ぐらい後に西が丘地区の緑道を見ると河津の桜が寒さが続いてまだ綺麗に咲いていいます。
その横にビックリな事にサンシュの黄色の花が満開で咲いて、横に雪柳の大きな垣根にも白い可愛い花が咲き始めています。

庭には小さな昔植えて、毎年咲く雪柳があちこちに小さな花を咲かせています。うれしいね。

 

昨日19日にそばのお菓子屋さんに行くと、隣のとても大きなモクレンが満開でビックリでした。花びら餅を買って食べました。
  
お祝いに渡せるように袋に詰めたフラワーアレンジメントです。
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雪が降り、いつもの素敵な雪の富士山に 山中湖・河口湖・新倉富士浅間神社

2025年03月14日 | Weblog
子供が孫に雪遊びをさせたくてよく御殿場からこどもの国へ行ってます。
今回6人乗りの子供の自動車に乗せてもらって、富士山の傍まで行けました。
前日に雪降って、行くのかなと心配してましたが、次の日は快晴で出発です。
前日の雪の為、山中湖近くまで行くと路肩には雪が一杯ありました。いつもは雪が無いそうです。
快晴で雪が降ったのでやっといつもの雪の富士山になり綺麗に見えました。良かったです。
キララの原っぱは雪で一杯でしたが、意外と子供が少なくて自由に雪だるまを広い原っぱで作っていました。フクジュソウが雪の中に咲いています。

  

誰かが作った雪だるまさん2体が\(^o^)/してました。
子供家族は雪だるまを作ってましたが、大きくなり重たすぎて上に乗せられず、並んでいます。
孫は雪でボールを作るプラスチックを持って来て、顔の目や歯に。
これは100均で買ったかと思ったら1800円もしたと言います。
この雪の重たさと固さだと100均ではすぐ壊れてしまいますね。

  

お昼に真っ白な建物の「ほうとう不動 東恋路店」 入りました。富士山にかかる雲をモチーフに作られているそうです。
一人づつ鉄板の上にほうとうの鉄鍋が乗りました。
熱くて量もあり美味しかったです。お腹がいっぱいです。


次に河口湖に行き、富士山を見ながら池の周りを1周しました。この時が雲が一番少なくて富士山の山頂まで綺麗に見えました。
川口湖沿いにパン屋さんがあり美味しいパンを買いました。
その後に道路沿いに走って信号機を見てビックリしました。どの信号機にも可愛い富士山が付いています。いいねえ。

 
次に新倉富士浅間神社へ行きました。富士山が目の前に見える神社でテレビにもよく出ていて外国の観光客が多い神社です。
最初の階段から予備に持ってきた杖を出して登りました。
階段は登っても登っても続いていて、途中子供が横に上り坂で車でも通れる道がある事を教えてくれましたが階段で登っていました。
半分ぐらい行くと疲れて来て、私が足の悪いのが分かるのか、外国の家族連れのお母さんが横の道の方が楽だからこちらから行きましょうと声をかけてきました。
そこからは階段を止めて、上り坂の急な坂道を歩きました。
やっと着くと沢山の人が神社と富士山を見て景色を写真に。
 
子供はこんなに階段があると思わず計画したようです。
やっと上の神社前に着きました。良い景色が見れて私は大満足です😃

着いた途端の1歩目で気が緩んで転んでしまい失敗です😚
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20度近く 材木座海岸の海を見に・ワカメ・光明寺

2025年03月02日 | Weblog
春の海が見たいと言う事で出発。
鎌倉の海までは歩いて行く範囲でしたが、昨年あたりから出かけるときは近場までバスがあるかどうかを探すようになりました。
横浜に着て38年に、我々も70歳を超えて体力が落ちてるなと思います。
今回は材木座海岸でバスを降りて海に出ました。気温は18度で温かく春の海です。
お昼はパソコンで調べた「キコリ食堂」、テラス席で海を見ながら食べる予定でした。



2時からの貸し切りの為、テラス席は12時半までに来たお客さんしか入れず残念。
部屋の中は広くてテラス席に出れないせいか満員でした。
料理はおしゃれな切り株の台に乗せて出てきました。
柔らかい豚肉の塊と魚の塊と野菜がゴロゴロと入って美味しい味噌汁でした。


食後、前の砂のトンネルを通って海に出ました。何か入ったビニール袋を持った何人かの人とすれ違いました。
丁度そばに来た人から【わかめ要る?】と聞かれて、一房もらいました。
朝打ち上げられているわかめを拾ってたそうです。
別れてから私も打ち上げられているワカメはあるかなと思って探しました。
ちぎれた小さいのはあちこちにありましたが、頂いた大きいのはありませんでした。
家に帰って、言われた通り良く洗ってお湯で茹でました。茹でるとワカメがいつも使う黒いワカメになりました\(^o^)/。

海を見た後そばの光明寺に行きました。
総門から入ると目の前に立派な山門がありました。
京都で山門を見てきたばかりですが、立派な山門です。
現在の山門は、1847年に再建されたもので、前はもっと大きかったようです。
中に入ると本殿は改装中で、横に立派な鐘楼がありました。
 

帰りは九品寺(くほんじ)を見学して前のバス停から鎌倉駅で帰りました。
新田義貞が鎌倉攻めの時の本陣をかまえた場所で、北条方の戦死者の霊を慰めるため1337年に建立したといわれてます。

 
鎌倉に着いて、鎌倉駅前にあるいつも何か花が色々咲いてる大巧寺に寄りました。
目を引いたのが半蔓性の黄梅が大きな石の上につたが伸びて咲いていました。
椿は色々咲いていましたが、門の前に京唐子と言う名前の素敵な花びらに模様の入った椿に引かれました。
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京都5⃣ お好み焼き・東福寺の紅葉の名所の臥雲橋と通天橋と庭

2025年02月24日 | Weblog
荷物を預けていたので、お昼に京都風のラーメンが美味しい店まで歩いて行くと宴会で満席でした。
子供が近くで店を探したらお好み焼き屋さんがあり、細い路地を通って中に入ると、
私が50年ぐらい昔に食べに行った時代のお好み焼き屋さんが、そのまま目の前にありました。
店は満員でしたが、丁度隣が空いて食べる席を変えてくれました。
ほぼ焼いた状態で持って来てくれて、ソースが2種類をぬって、そこに鰹節と青のりをかけて食べました。皆で焼いて食べて面白かったです。
 


お昼を食べた後、東福寺を目指して、そばの東海道の陸橋を渡りました。
学校の間を通って、沢山の東福寺の塔頭が並ぶ緑多い良い道を歩きました。
歩いていると素敵な魅力的な姿の橋が目の前にあり、ここを通って東福寺に行きます。
  

橋に一歩入ると、あまりの景色のすごさにビックリしました。橋の名前は臥雲橋です。
東福寺内を流れる渓流洗玉澗入り口付近で一番下にある橋で、東福寺境内と一般道を分け隔てる境界沿いに位置する橋です。
この橋から下に洗玉澗の渓谷が見えて、向こうには東福寺の通天橋 が見えました。
東福寺にはこの渓谷を渡るために、もう1つの偃月橋を入れて 3個の橋があります。
紅葉の時期は素晴らしく何十万の観光客が。今は新緑もなく寂しい時期にきましたが、のんびりと素晴らしい景色と建物を見れました。


東福寺は禅寺で今なお25か寺の塔頭を有する大寺院です。
庭園は近代の造園家重森三玲によって1939年に作庭され、方丈を囲んで四方に配され、八相の庭と命名されています。

南庭、西庭は市松模様にさつきの花が、北庭にはウマスギゴケに市松模様の敷石との対比が綺麗でした。



東福寺からタクシーで京都駅に着き、荷物を子供と孫が取りに行ってくれて楽しました。
我々はジパングクラブでゆっくりひかり号に乗って横浜に帰るので、ここで子供家族とは別れました。何回か一緒に旅出来てありがとうと思います。
横浜に夕方着いて、毎年節分の日に海苔巻きを作るけど、今日は駅で海苔巻きや寿司を食べて帰りました。
 
東福寺の山門側が開いていて素敵なモニュメントが並んでいて、みんなが写真を撮っていました。これはなんでしょうか?
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京都4⃣ 建仁寺・2月2日は節分三十三間堂で豆1個頂きました

2025年02月24日 | Weblog
京町屋の2泊した宿を出て、歩いて3分の所にある建仁寺の門を荷物を持って入りました。
この寺は栄西鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、元号を寺号とし建仁2年(1202年)、
京都の臨済宗の拠点として建立されました。 開基は源頼家、開山は栄西です
まだ早い時間で開いてなく中は見れませんでしたが、庭と建物を見学しました。
京都の豪商打它公軌(糸屋十右衛門)が建仁寺の為に、俵屋宗達に製作を依頼した風神雷神図 の国宝の複製画見れたようです。残念。


ここからタクシーですぐ次の目的地の京都駅そばの三十三間堂に着きました。
私は65年ぶり、戦国時代の戦いの時の血で染まった板を天井に貼ってある血天井の話を何故か10歳前の私は覚えています。
パソコンで調べると、三十三間堂前にある養源院血天井がありました

京都駅のそばだから法事の後に65年前に皆でこの寺院に見学したのかな?
父の兄弟等がいて面白く話していた記憶があります。

この時の事を聞ける人はもう誰もこの世に居ません。10歳の私はもう70代です。
この血天井は関ヶ原の戦いの前哨戦ともなる伏見桃山城での決死の攻防を物語る記念に血天井として飾られているそうです。
ここには俵屋宗達の杉戸絵や襖絵もあり、次回京都に来るときはこの神社に寄りたいと思います。左の写真は血天井の看板はパソコンからの写真です。


三十三間堂の名前の由来は、東方向を向いて南北に長い本堂の柱の数、間数が33あるところから呼ばれるようになったそうです。
三十三間堂は天台宗の寺院で本尊は千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂です。
中の景色は撮れないので、買ったパンフレッドの写真を写して載せました。


千手観音像が1,001体と守護像が28体と風神雷神像があり、合わせ1,032体です。
千手観音には40本の手があり、それぞれ25の救いの働きがあって40×25=1000は「千」の数の救いがあるそうです。

大きな千手千眼観自在菩薩は三十三間堂のご本尊、檜寄木造りの観音さまで高さは約330㎝もあります。1254年運慶の長男の湛慶の作。
この大きな菩薩様の前での読経が終わってたくさんのお坊様たちがぞろぞろ帰られると思ったら手に持った箱から豆が皆の方にまきました。
ビックリして慌てて落ちたのを探して1個見つけました。
あっという間の事で皆の分をと下を探しましたが何にも無しでした。
子供家族もどこにいるか分からず、後で聞いたら全く知らなかったと残念がりました。この日は2月2日で節分でした。
ラッキーな私は足腰が運動不足で弱った来ているので、あと10年は旅に行ける健康をと、その場でお祈りして頂きました。
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京都4⃣ 知恩院の三門は大きくて素晴らしい

2025年02月16日 | Weblog
高台寺を出て丸山公園を通り知恩院に入り山門を見ました。あまりの大きさに驚きました。 
前のキッチンカーで甘いサツマイモを食べて休憩です。 

一般的には山門と書きますが、知恩院では三門と書き日本三大山門の一つです。(他は南禅寺・身延山)
山門は寺院の入口であり、人々を迎え入れる役割を果たします。
三門は本堂への通路の入り口で、より格式の高い寺院に設置され

三門の階段は下から見て急階段です。手すりも無いので足の悪い私には上るのが危なそうです。
帰ってから調べたら、三門の階段は男坂と言い、簡単に攻めあがれないように一段が高い急階段の石段でした。
下から見て登れそうにないので階段の下を通り過ぎて歩いたら、横に楽な坂道を見つけて登りました。
これは後から作られた女坂でした。なだらかな坂道を上がった所の横が三門で行ってみました。 
とても大きな門で、門が持っている風格に圧倒されました。前を見ると景色は素晴らしく、後ろはまだ男坂の階段が続いています。

  後ろ側

階段を上がり切った所の前に立派な御影堂がありましたりました。その周りにも立派な建物が並んでいます。
京都の建物にはな回廊が多くて、素晴らしい景色になっています。

方丈庭園の門から庭に入りました。江戸時代初め小堀遠州と縁のある僧玉淵が作庭した庭園と言われてます。
 

拝観料にもう一つの庭の友禅苑を見る券もついていました。探すと女坂のそばにあり入りました。
友禅の技法を開発した宮崎友禅の生誕300周年を記念して作庭された昭和時代を代表する庭園だそうです。

まった町屋を探している時に井伊美術館(武具、甲冑 の専門美術館)名前を、見つけました。  
 
江戸時代の町家を、井伊達夫氏により武家屋敷風に改修した美術館だそうです。
この町屋の中の奥にひっそり静かにある美術館です。チョット入って甲冑を見たくなりました。

夕食は泊まった京町屋の宿で一緒に食事です。6人用の大きな鍋とコンロが用意してありました。
孫たちが野菜を切ったりのお手伝い。
夕食は温かいお鍋と、買ってきたいろいろな京都おばんざい、稲荷ず等のごはんで楽し夕食になりました。
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春 マンサクの花 梅とメジロ

2025年02月16日 | Weblog
1週間前に散歩仲間から緑道でマンサクの花が咲いているよとラインが来ました。
マンサクが見たくてその日の夕方寒いけど10分ほど歩いてマンサクの黄色の花に出会いました。
ラインには、さらに10分ほど歩くとシナマンサクの花もさいていたよと書かれています。
10分歩いて見つけましたシナマンサクの花を。初めて見ました。少しくすんだえんじ色で、形はマンサクと同じです。
    
バレンタインチョコの為に小学生の孫と娘とで近くに住む爺にも作って持ってきました。
耳と尻尾とおなかはチョコお菓子を買って、チョコレートでコーテイングです。
あんまりかわいいのにびっくりです。 

横浜球場の周りの横浜公園の中の一角の日本庭園にピンク色の花があり、引き寄せられて行きました。1本早咲きの可愛い梅が満開です。
近寄って撮っているとメジロが2匹来ました。メジロはじっとしていなくて中々撮れませんが、やっと撮れました。
こんなに近くでメジロが撮れるなんて、さらにウメの花の中でラッキーでした。


  

横浜県民ホールは老朽化が原因で2025年3月末で休館で建て替えるらしいです。
ここの6階の英一番館のからは、眼下に山下公園が広がる絶景で ランチを窓側の席で予約して行きました。
ランチはこの店の看板商品ビーフシチューセットで頂きました。お肉は柔らかくトロトロでした。


この辺りは中華街がそばにあり春節祭のオブジェがあちこちにありました。
山下公園の一角で大道芸もやっていて久しぶりにゆっくり見ました。
このお兄ちゃんは7個でお手玉をやっていました。
片方に火がついた棒を7本ぐらい持ってお手玉みたいになげあっています。


晴れて良かったです。関内駅そばの珈琲店でミルフィーユと珈琲を飲んでたくさんお喋りして帰りました。
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京都3⃣ 高台寺

2025年02月08日 | Weblog
高台寺北政所・ねねが秀吉の冥福を祈るために徳川家康の財政支援を得て1606年に建立したお寺です。
高台寺の西側で円山公園から清水寺へ抜ける全長約250mの美しい石畳の道がねねの道と名付けられています。
  
        

ねねの道途中に上に登る細い階段の道を台所坂と言い、ここはねねが実際に秀吉の墓所へ参拝する際に使った道と言われています。

 台所坂を上った門に台所門と書いてありました。
     

拝観料を払って境内を進むと、左手に遺芳庵(いほうあん)があります。
遺芳庵を抜けてさらに境内を進むと素敵な回廊が見えました。反対に回るとさらに建物の向こう側に回廊が続いてます。
建物は重要文化財の観月台です。伏見城の遺構を移設して、ねねがその晩年、秀吉に想いを馳せて月を眺めたと伝えられています。



下の写真の左側の高台寺方丈が改装中で、中門を通って中に入ると高台寺庭園が広がっています。
      

庭園全体が小堀遠州の代表作の『池泉回遊式庭園』で、臥龍池偃月池の2つの池が配置されています。
庭園の東西に配された池の中央の建物が重要文化財で1605年の開山堂です。 開山堂の天井には秀吉の御座舟の天井と、ねねの御所車の天井を用いられ、その天井に狩野山楽の龍図が広がっています。
開山堂から向かって左側に延びている回廊が臥龍廊で,全長は約60メートルあり屋根が龍の背に似ていることからこの名が付きました。
回廊の先は境内の一番高い場所に建つ霊屋(みたまや)で北政所の墓所です。
この門の中の霊屋は赤、金の建物でびっくりしました。ねねは秀吉好みにしたのかなと思いました。
 

その後に方丈に上がって庭を見て、改装中で中が見れず残念でがありましたす。
ねねが高台寺を建てるときの鎮守社で1606年に創建した高台寺天満宮がありました。
そしてまたねねの道に出て、寒いので温かいお汁粉を食べて休憩です。
足が痛くなり、持ってきた杖で歩くのに助かりました。
     
 
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京都2⃣ 前田珈琲のモーニングセット・今井金毘羅宮・

2025年02月06日 | Weblog
京町屋には食事が付いていないので、そばの前田珈琲高台寺店で朝食です。
私はクロワッサンサンドセットです。コーヒーカップの模様が面白く写真に撮りました。セットには前側模様と、コップの写真は後ろ側模様です。ホットする気がするコップです。
そしてこの店は「高台寺御用達」の称号を頂いているそうです。

今日は子供家族は平等院へ。爺婆は3年ぐらい前に行ってるので別行動になりました。
昨日は15000歩で歩き疲れて、今日はあまり知らない高台寺辺りを散歩する事にしました。
朝喫茶店に来る途中に今井金毘羅がありました。崇徳天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断っていたそうです。

悪い縁との縁切りのご利益で有名だそうです。高さ1.5m幅3mの絵馬の形をした巨石の縁切り縁結び碑があり、
碑の左側にある形代あと呼ばれる身代わりのお札に願いごとを書き。形代を持って、
願いごとを念じながら碑の表から裏へくぐります。そして形代を碑の好きなところにに貼ります。
男女の縁.病気・酒・煙草・賭事をやめたいひとにもおすすめです、と。
アナが小さくて下の方にあり、コートを着てるとくぐるのに大変そうでした。
 

高台寺に向かってい歩く道は維新の道と言う名前でした。
この道の山の上に坂本龍馬をはじめ1043名の幕末維新の志士が眠る霊山墓地 があるそうでが上り坂でやめました。
道沿いの景色はまだまだ昔の瓦屋根の2階建ての京都が残っています・
 

途中観音様が見えたので入ってみました。拝観料を払うと大きなお線香を1本くれました。
霊山観音さまで太平洋戦争で没した約200万人の日本兵を慰霊するため1955年建立されたそうです。


この観音様の奥に階段の上に花塚があり、手前に林芙美子さんの言葉の入った説明書きがありました。
「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」という文章があり、続いています。
この始まりの文章を覚えていて懐かしく写真を撮りました。「放浪記」で有名で我々世代が読んだ作家さんですね。
この霊山観音の横が高台寺で、このそばから高台寺に入りました。
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京都1⃣ 京都の京町屋の宿で泊まる

2025年02月03日 | Weblog
京都の京町屋の宿を1軒借りて2泊3日、子供家族と一緒に泊まりました。
子供家族は学校が終わってから来るので、我々は朝出発しました。

朝新幹線から青空の中富士山が素晴らしく素敵な姿を現しました。
岐阜羽島駅を超えた途端雪景色です。さらに進むと畑に雪がより多く積もっています。

しかし次の駅米原駅超えると畑に雪は無く雨がふっていました。京都も曇りで雪は無し、残念。
京都駅に12時に着いて1日地下鉄バス交通券を買って両親の墓参りに行きました。
地下鉄で国際会館まで行きバスに乗って妙満寺さんに着きました。

京都が遠いので両親が亡くなってからやっと法事で何度もこの寺へ来てなじみが出来ました。
電話で弟にやり方を聞いて、お寺さんへの挨拶、お墓を掃除、そしてお花を供え、水塔婆を書いていただきました。
お寺から国際会館窓戻って地図を見ていたら、どこに行くのですかと声をかけられて。

駅そばのじゅんさいと言うランチの店へ近くまで連れて行ってくださいました。
2時近くだったので人気のハンバーグランチは売れ切れで残念。他のランチも美味しかったです。
今回、京都で何度も親切に何度も声をかけられて案内をしてもらい助かりました。


京都駅に着いた時すぐ、そばの京町屋の宿のチェックインカンターに寄りました。
宿の説明を受けてチェックインの手続きをして荷物を宿まで送ってもらった荷物が宿に届いていました。
じゅんさいでランチの後、地下鉄で烏丸御池まで行き東西線に乗って東山まで行くと5時です。
そこから京町屋まで簡単に行けると思ったのですが、意外と距離があり疲れました。
着くと宿に明かりが付いて、2階建てで3つの部屋で寝れるように布団が置いてありました。

1階のトイレはドア無し、風呂はガラス戸で外から丸見えです。
外国では多い様式だそうですが、京町屋の1軒家なのに変です。2階にもトイレがあり良かったです。
少し休憩して南座の横を通って、7時半にそばの京町屋おばんざいこはくの店で子供家族と待ち合わせです。
ほぼ同じ時刻に子供家族と着き、一緒に楽しい夕食になりました。
大根らの薄味の煮物が幾種類か出て美味しかったです。大根の煮物を作ることが減ったなと思いました。
二人が偶然同じ1月30日に誕生日で、その店でお祝いの花火をつけてくれました。
  
今日は1日私は14500歩も歩き足が痛くて。途中から持ってきた折り畳みの杖を出して歩きました。
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野毛山を地図を見ながら歩く。

2025年01月20日 | Weblog
子供家族と現地で会う予定で出発です。野毛山辺りをあまり知らないので地図を片手に歩きました。
市営地下鉄桜木町駅を降りて野毛山方面に出て音楽通りを探すと、下の写真の所にすぐ行けました。
我々は右側に曲がり音楽通りへ。真直ぐ行くと動物園通りで西区の野毛山動物への道です。


   
音楽通りを進むと本町小学校の前に着きました。古風な意匠のガス灯が立っています。
我々はガス塔に気が付かず残念。写真んはパソコンより。
ここは1870年明治
3年にガス事業を興した高島嘉右衛門のガス工のあった場所で、小学校門の門に記念にガス灯があるそうです。
2年後明治5にそばの馬車道から本町通りに日本初のガスの灯が、その年の末には300基にも並んだそうです。
2年後東京銀座にもガス灯が。

さらに音楽通りを進むと,西へと登る紅葉坂に出て、地図の通りに左に曲がり進むと伊勢皇大神宮に出ました。
この神社もガス会社が出来たと同じ
明治3年に、横浜戸部の港と町を見下ろせる丘の上に横浜の鎮守府、さらに神奈川県の宗社として創建されました。
丁度屋台が出ていて甘酒でも飲もうと思いましたが時間で諦めました。
 
神社そばの市民ギャラリーで作品展を見た後に、一緒に目指すピザやさんに行くと予約で満員と。近くのカレーでランチをして図書館へ。
ここで本を借りて、近くの区の図書館で本を返せば良いという事を初めて知りました。
そして孫達が行きたがっていた野毛山動物園はきつい坂を登って着きました。
3年前に着た時居たライオンさんが亡くなっていました。寒いのでキリンさんはお部屋の中でした。アライグマさんは元気で皆の被写体です。
  

野毛の坂水道管が展示されていました。明治20年日本最初の近代水道がイギリス人パーマーにより、横浜に誕生しました。
相模川と道志川の合流点(現津久井町)に水源を求め、
44Km離れた野毛山貯水場に運ばれた水は浄水され横浜市内に給水されました。

帰りに入った喫茶店の隣に鉄道創業当時、実際に走行していた110形蒸気機関車がありました。
桜木町駅は日本で最初の鉄道駅である「旧横濱駅」だそうです。

今日は1万歩を超えて、疲れ果てて帰りました。しかし子供家族と一緒に横浜が急発展した場所に行けて良かったです。
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鎌倉宮の破魔矢・覚園寺・ウメ

2025年01月13日 | Weblog
お正月が終わって近くの神社の破魔矢が売り切れていたので、
久々に鎌倉宮の破魔矢を買いに大塔の宮までバスで行きました。
鎌倉宮の破魔矢には獅子が付いていて可愛いです。昔はこの破魔矢が好きで買いに行きました。
鎌倉宮は明治維新の後に後醍醐天皇皇子大塔の宮の護良親王を祭神として作られたそうでう。新しいです。
護良親王は元弘の乱で鎌倉幕府を打倒する功績を挙げ、建武の新政では征夷大将軍に補任。
しかし父醍醐天皇や足利尊氏等とすれ違い鎌倉に幽閉され殺害されたそうです。 



昨年末に建長寺から天園へ出て、天園から写真の横の地蔵様細い道まで降りて目的の紅葉が綺麗な覚園寺に行く予定でした。
しかし地蔵様から200mの道が、疲れはていて行くのをあきらめて帰りました。
今日2025年鎌倉宮へ行くために大塔の宮のバス停まで来たので、昨年行けなかったそばの覚園寺にも行きました。
大塔の宮バス停から500m歩いてお地蔵様まで行きさらに200mの歩くと右端の写真の覚園寺に着きました。

500円の拝観料を払い、そこより先は撮影や写生禁止で「祈りをささげる空間」となっています。
人は少なく、薬師堂に薬師如来がいて右横に日光菩薩左横に月光菩薩
さらにお堂を守護して参拝者に勇気づける、干支の象徴の12神将をゆっくり見れました。
干支の12枚の神将の絵ハガキセットを買いました。写真は今年の巳年の神将です。
富士山は雪で綺麗。
 
電動自転車で走っていると公園の細い木に花が咲いているのが見えました。
自転車を降りて木に近寄って花を撮りました。何の花かと調べるとウメでした。
小さくて細い木なのに、さらに寒いのに満開です。早く咲くウメでしょうか。
家に帰って庭の梅を見るとまだまだ蕾が固いです。


前の公園にシロサギ大シロサギアオサギの3匹が時々来ていています。
今日はどの鳥が来ているかなと池まで見に行きます。
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