☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

20度近く 材木座海岸の海を見に・ワカメ・光明寺

2025年03月02日 | Weblog
春の海が見たいと言う事で出発。
鎌倉の海までは歩いて行く範囲でしたが、昨年あたりから出かけるときは近場までバスがあるかどうかを探すようになりました。
横浜に着て38年に、我々も70歳を超えて体力が落ちてるなと思います。
今回は材木座海岸海でバスを降りて海に出ました。気温は18度で温かく春の海です。
お昼はパソコンで調べた「木こり食堂」、テラス席で海を見ながら食べる予定でした。



2時からの貸し切りの為、テラス席は12時半までに来たお客さんしか入れず残念。
部屋の中は広くてテラス席に出れないせいか満員でした。
料理はおしゃれな切り株の台に乗せて出てきました。
柔らかい豚肉の塊と魚の塊と野菜がゴロゴロと入って美味しい味噌汁でした。


食後、前の砂のトンネルを通って海に出ました。何か入ったビニール袋を持った何人かの人とすれ違いました。
丁度そばに来た人から【わかめ要る?】と聞かれて、一房もらいました。
朝打ち上げられているわかめを拾ってたそうです。
別れてから私も打ち上げられているワカメはあるかなと思って探しました。
ちぎれた小さいのはあちこちにありましたが、頂いた大きいのはありませんでした。
家に帰って、言われた通り良く洗ってお湯で茹でました。茹でるとワカメがいつも使う黒いワカメになりました\(^o^)/。

海を見た後そばの光明寺に行きました。
総門から入ると目の前に立派な山門がありました。
京都で山門を見てきたばかりですが、立派な山門です。
現在の山門は、1847年に再建されたもので、前はもっと大きかったようです。
中に入ると本殿は改装中で、横に立派な鐘楼がありました。
     

帰りは九品寺(くほんじ)を行き見学して前のバス停から鎌倉駅で帰りました。
新田義貞が鎌倉攻めの時の本陣をかまえた場所で、北条方の戦死者の霊を慰めるため1337年に建立したといわれてます。

 
鎌倉に着いて、いつも鎌倉駅前にある花が色々咲いてる大巧寺に寄りました。
目を引いたのが半蔓性の黄梅が大きな石の上につたが伸びて咲いていました。
椿は色々咲いていましたが、門の前に京唐子と言う名前の素敵な花びらに模様の入った椿に引かれました。
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京都5⃣ お好み焼き・東福寺の紅葉の名所の臥雲橋と通天橋と庭

2025年02月24日 | Weblog
荷物を預けていたので、お昼に京都風のラーメンが美味しい店まで歩いて行くと宴会で満席でした。
子供が近くで店を探したらお好み焼き屋さんがあり、細い路地を通って中に入ると、
私が50年ぐらい昔に食べに行った時代のお好み焼き屋さんが、そのまま目の前にありました。
店は満員でしたが、丁度隣が空いて食べる席を変えてくれました。
ほぼ焼いた状態で持って来てくれて、ソースが2種類をぬって、そこに鰹節と青のりをかけて食べました。皆で焼いて食べて面白かったです。
 


お昼を食べた後、東福寺を目指して、そばの東海道の陸橋を渡りました。
学校の間を通って、沢山の東福寺の塔頭が並ぶ緑多い良い道を歩きました。
歩いていると素敵な魅力的な姿の橋が目の前にあり、ここを通って東福寺に行きます。
  

橋に一歩入ると、あまりの景色のすごさにビックリしました。橋の名前は臥雲橋です。
東福寺内を流れる渓流洗玉澗入り口付近で一番下にある橋で、東福寺境内と一般道を分け隔てる境界沿いに位置する橋です。
この橋から下に洗玉澗の渓谷が見えて、向こうには東福寺の通天橋 が見えました。
東福寺にはこの渓谷を渡るために、もう1つの偃月橋を入れて 3個の橋があります。
紅葉の時期は素晴らしく何十万の観光客が。今は新緑もなく寂しい時期にきましたが、のんびりと素晴らしい景色と建物を見れました。


東福寺は禅寺で今なお25か寺の塔頭を有する大寺院です。
庭園は近代の造園家重森三玲によって1939年に作庭され、方丈を囲んで四方に配され、八相の庭と命名されています。

南庭、西庭は市松模様にさつきの花が、北庭にはウマスギゴケに市松模様の敷石との対比が綺麗でした。



東福寺からタクシーで京都駅に着き、荷物を子供と孫が取りに行ってくれて楽しました。
我々はジパングクラブでゆっくりひかり号に乗って横浜に帰るので、ここで子供家族とは別れました。何回か一緒に旅出来てありがとうと思います。
横浜に夕方着いて、毎年節分の日に海苔巻きを作るけど、今日は駅で海苔巻きや寿司を食べて帰りました。
 
東福寺の山門側が開いていて素敵なモニュメントが並んでいて、みんなが写真を撮っていました。これはなんでしょうか?
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京都4⃣ 建仁寺・2月2日は節分三十三間堂で豆1個頂きました

2025年02月24日 | Weblog
京町屋の2泊した宿を出て、歩いて3分の所にある建仁寺の門を荷物を持って入りました。
この寺は栄西鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、元号を寺号とし建仁2年(1202年)、
京都の臨済宗の拠点として建立されました。 開基は源頼家、開山は栄西です
まだ早い時間で開いてなく中は見れませんでしたが、庭と建物を見学しました。
京都の豪商打它公軌(糸屋十右衛門)が建仁寺の為に、俵屋宗達に製作を依頼した風神雷神図 の国宝の複製画見れたようです。残念。


ここからタクシーですぐ次の目的地の京都駅そばの三十三間堂に着きました。
私は65年ぶり、戦国時代の戦いの時の血で染まった板を天井に貼ってある血天井の話を何故か10歳前の私は覚えています。
パソコンで調べると、三十三間堂前にある養源院血天井がありました

京都駅のそばだから法事の後に65年前に皆でこの寺院に見学したのかな?
父の兄弟等がいて面白く話していた記憶があります。

この時の事を聞ける人はもう誰もこの世に居ません。10歳の私はもう70代です。
この血天井は関ヶ原の戦いの前哨戦ともなる伏見桃山城での決死の攻防を物語る記念に血天井として飾られているそうです。
ここには俵屋宗達の杉戸絵や襖絵もあり、次回京都に来るときはこの神社に寄りたいと思います。左の写真は血天井の看板はパソコンからの写真です。


三十三間堂の名前の由来は、東方向を向いて南北に長い本堂の柱の数、間数が33あるところから呼ばれるようになったそうです。
三十三間堂は天台宗の寺院で本尊は千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂です。
中の景色は撮れないので、買ったパンフレッドの写真を写して載せました。


千手観音像が1,001体と守護像が28体と風神雷神像があり、合わせ1,032体です。
千手観音には40本の手があり、それぞれ25の救いの働きがあって40×25=1000は「千」の数の救いがあるそうです。

大きな千手千眼観自在菩薩は三十三間堂のご本尊、檜寄木造りの観音さまで高さは約330㎝もあります。1254年運慶の長男の湛慶の作。
この大きな菩薩様の前での読経が終わってたくさんのお坊様たちがぞろぞろ帰られると思ったら手に持った箱から豆が皆の方にまきました。
ビックリして慌てて落ちたのを探して1個見つけました。
あっという間の事で皆の分をと下を探しましたが何にも無しでした。
子供家族もどこにいるか分からず、後で聞いたら全く知らなかったと残念がりました。この日は2月2日で節分でした。
ラッキーな私は足腰が運動不足で弱った来ているので、あと10年は旅に行ける健康をと、その場でお祈りして頂きました。
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京都4⃣ 知恩院の三門は大きくて素晴らしい

2025年02月16日 | Weblog
高台寺を出て丸山公園を通り知恩院に入り山門を見ました。あまりの大きさに驚きました。 
前のキッチンカーで甘いサツマイモを食べて休憩です。 

一般的には山門と書きますが、知恩院では三門と書き日本三大山門の一つです。(他は南禅寺・身延山)
山門は寺院の入口であり、人々を迎え入れる役割を果たします。
三門は本堂への通路の入り口で、より格式の高い寺院に設置され

三門の階段は下から見て急階段です。手すりも無いので足の悪い私には上るのが危なそうです。
帰ってから調べたら、三門の階段は男坂と言い、簡単に攻めあがれないように一段が高い急階段の石段でした。
下から見て登れそうにないので階段の下を通り過ぎて歩いたら、横に楽な坂道を見つけて登りました。
これは後から作られた女坂でした。なだらかな坂道を上がった所の横が三門で行ってみました。 
とても大きな門で、門が持っている風格に圧倒されました。前を見ると景色は素晴らしく、後ろはまだ男坂の階段が続いています。

  後ろ側

階段を上がり切った所の前に立派な御影堂がありましたりました。その周りにも立派な建物が並んでいます。
京都の建物にはな回廊が多くて、素晴らしい景色になっています。

方丈庭園の門から庭に入りました。江戸時代初め小堀遠州と縁のある僧玉淵が作庭した庭園と言われてます。
 

拝観料にもう一つの庭の友禅苑を見る券もついていました。探すと女坂のそばにあり入りました。
友禅の技法を開発した宮崎友禅の生誕300周年を記念して作庭された昭和時代を代表する庭園だそうです。

まった町屋を探している時に井伊美術館(武具、甲冑 の専門美術館)名前を、見つけました。  
 
江戸時代の町家を、井伊達夫氏により武家屋敷風に改修した美術館だそうです。
この町屋の中の奥にひっそり静かにある美術館です。チョット入って甲冑を見たくなりました。

夕食は泊まった京町屋の宿で一緒に食事です。6人用の大きな鍋とコンロが用意してありました。
孫たちが野菜を切ったりのお手伝い。
夕食は温かいお鍋と、買ってきたいろいろな京都おばんざい、稲荷ず等のごはんで楽し夕食になりました。
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春 マンサクの花 梅とメジロ

2025年02月16日 | Weblog
1週間前に散歩仲間から緑道でマンサクの花が咲いているよとラインが来ました。
マンサクが見たくてその日の夕方寒いけど10分ほど歩いてマンサクの黄色の花に出会いました。
ラインには、さらに10分ほど歩くとシナマンサクの花もさいていたよと書かれています。
10分歩いて見つけましたシナマンサクの花を。初めて見ました。少しくすんだえんじ色で、形はマンサクと同じです。
    
バレンタインチョコの為に小学生の孫と娘とで近くに住む爺にも作って持ってきました。
耳と尻尾とおなかはチョコお菓子を買って、チョコレートでコーテイングです。
あんまりかわいいのにびっくりです。 

横浜球場の周りの横浜公園の中の一角の日本庭園にピンク色の花があり、引き寄せられて行きました。1本早咲きの可愛い梅が満開です。
近寄って撮っているとメジロが2匹来ました。メジロはじっとしていなくて中々撮れませんが、やっと撮れました。
こんなに近くでメジロが撮れるなんて、さらにウメの花の中でラッキーでした。


  

横浜県民ホールは老朽化が原因で2025年3月末で休館で建て替えるらしいです。
ここの6階の英一番館のからは、眼下に山下公園が広がる絶景で ランチを窓側の席で予約して行きました。
ランチはこの店の看板商品ビーフシチューセットで頂きました。お肉は柔らかくトロトロでした。


この辺りは中華街がそばにあり春節祭のオブジェがあちこちにありました。
山下公園の一角で大道芸もやっていて久しぶりにゆっくり見ました。
このお兄ちゃんは7個でお手玉をやっていました。
片方に火がついた棒を7本ぐらい持ってお手玉みたいになげあっています。


晴れて良かったです。関内駅そばの珈琲店でミルフィーユと珈琲を飲んでたくさんお喋りして帰りました。
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京都3⃣ 高台寺

2025年02月08日 | Weblog
高台寺北政所・ねねが秀吉の冥福を祈るために徳川家康の財政支援を得て1606年に建立したお寺です。
高台寺の西側で円山公園から清水寺へ抜ける全長約250mの美しい石畳の道がねねの道と名付けられています。
  
        

ねねの道途中に上に登る細い階段の道を台所坂と言い、ここはねねが実際に秀吉の墓所へ参拝する際に使った道と言われています。

 台所坂を上った門に台所門と書いてありました。
     

拝観料を払って境内を進むと、左手に遺芳庵(いほうあん)があります。
遺芳庵を抜けてさらに境内を進むと素敵な回廊が見えました。反対に回るとさらに建物の向こう側に回廊が続いてます。
建物は重要文化財の観月台です。伏見城の遺構を移設して、ねねがその晩年、秀吉に想いを馳せて月を眺めたと伝えられています。



下の写真の左側の高台寺方丈が改装中で、中門を通って中に入ると高台寺庭園が広がっています。
      

庭園全体が小堀遠州の代表作の『池泉回遊式庭園』で、臥龍池偃月池の2つの池が配置されています。
庭園の東西に配された池の中央の建物が重要文化財で1605年の開山堂です。 開山堂の天井には秀吉の御座舟の天井と、ねねの御所車の天井を用いられ、その天井に狩野山楽の龍図が広がっています。
開山堂から向かって左側に延びている回廊が臥龍廊で,全長は約60メートルあり屋根が龍の背に似ていることからこの名が付きました。
回廊の先は境内の一番高い場所に建つ霊屋(みたまや)で北政所の墓所です。
この門の中の霊屋は赤、金の建物でびっくりしました。ねねは秀吉好みにしたのかなと思いました。
 

その後に方丈に上がって庭を見て、改装中で中が見れず残念でがありましたす。
ねねが高台寺を建てるときの鎮守社で1606年に創建した高台寺天満宮がありました。
そしてまたねねの道に出て、寒いので温かいお汁粉を食べて休憩です。
足が痛くなり、持ってきた杖で歩くのに助かりました。
     
 
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京都2⃣ 前田珈琲のモーニングセット・今井金毘羅宮・

2025年02月06日 | Weblog
京町屋には食事が付いていないので、そばの前田珈琲高台寺店で朝食です。
私はクロワッサンサンドセットです。コーヒーカップの模様が面白く写真に撮りました。セットには前側模様と、コップの写真は後ろ側模様です。ホットする気がするコップです。
そしてこの店は「高台寺御用達」の称号を頂いているそうです。

今日は子供家族は平等院へ。爺婆は3年ぐらい前に行ってるので別行動になりました。
昨日は15000歩で歩き疲れて、今日はあまり知らない高台寺辺りを散歩する事にしました。
朝喫茶店に来る途中に今井金毘羅がありました。崇徳天皇が讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断っていたそうです。

悪い縁との縁切りのご利益で有名だそうです。高さ1.5m幅3mの絵馬の形をした巨石の縁切り縁結び碑があり、
碑の左側にある形代あと呼ばれる身代わりのお札に願いごとを書き。形代を持って、
願いごとを念じながら碑の表から裏へくぐります。そして形代を碑の好きなところにに貼ります。
男女の縁.病気・酒・煙草・賭事をやめたいひとにもおすすめです、と。
アナが小さくて下の方にあり、コートを着てるとくぐるのに大変そうでした。
 

高台寺に向かってい歩く道は維新の道と言う名前でした。
この道の山の上に坂本龍馬をはじめ1043名の幕末維新の志士が眠る霊山墓地 があるそうでが上り坂でやめました。
道沿いの景色はまだまだ昔の瓦屋根の2階建ての京都が残っています・
 

途中観音様が見えたので入ってみました。拝観料を払うと大きなお線香を1本くれました。
霊山観音さまで太平洋戦争で没した約200万人の日本兵を慰霊するため1955年建立されたそうです。


この観音様の奥に階段の上に花塚があり、手前に林芙美子さんの言葉の入った説明書きがありました。
「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」という文章があり、続いています。
この始まりの文章を覚えていて懐かしく写真を撮りました。「放浪記」で有名で我々世代が読んだ作家さんですね。
この霊山観音の横が高台寺で、このそばから高台寺に入りました。
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京都1⃣ 京都の京町屋の宿で泊まる

2025年02月03日 | Weblog
京都の京町屋の宿を1軒借りて2泊3日、子供家族と一緒に泊まりました。
子供家族は学校が終わってから来るので、我々は朝出発しました。

朝新幹線から青空の中富士山が素晴らしく素敵な姿を現しました。
岐阜羽島駅を超えた途端雪景色です。さらに進むと畑に雪がより多く積もっています。

しかし次の駅米原駅超えると畑に雪は無く雨がふっていました。京都も曇りで雪は無し、残念。
京都駅に12時に着いて1日地下鉄バス交通券を買って両親の墓参りに行きました。
地下鉄で国際会館まで行きバスに乗って妙満寺さんに着きました。

京都が遠いので両親が亡くなってからやっと法事で何度もこの寺へ来てなじみが出来ました。
電話で弟にやり方を聞いて、お寺さんへの挨拶、お墓を掃除、そしてお花を供え、水塔婆を書いていただきました。
お寺から国際会館窓戻って地図を見ていたら、どこに行くのですかと声をかけられて。

駅そばのじゅんさいと言うランチの店へ近くまで連れて行ってくださいました。
2時近くだったので人気のハンバーグランチは売れ切れで残念。他のランチも美味しかったです。
今回、京都で何度も親切に何度も声をかけられて案内をしてもらい助かりました。


京都駅に着いた時すぐ、そばの京町屋の宿のチェックインカンターに寄りました。
宿の説明を受けてチェックインの手続きをして荷物を宿まで送ってもらった荷物が宿に届いていました。
じゅんさいでランチの後、地下鉄で烏丸御池まで行き東西線に乗って東山まで行くと5時です。
そこから京町屋まで簡単に行けると思ったのですが、意外と距離があり疲れました。
着くと宿に明かりが付いて、2階建てで3つの部屋で寝れるように布団が置いてありました。

1階のトイレはドア無し、風呂はガラス戸で外から丸見えです。
外国では多い様式だそうですが、京町屋の1軒家なのに変です。2階にもトイレがあり良かったです。
少し休憩して南座の横を通って、7時半にそばの京町屋おばんざいこはくの店で子供家族と待ち合わせです。
ほぼ同じ時刻に子供家族と着き、一緒に楽しい夕食になりました。
大根らの薄味の煮物が幾種類か出て美味しかったです。大根の煮物を作ることが減ったなと思いました。
二人が偶然同じ1月30日に誕生日で、その店でお祝いの花火をつけてくれました。
  
今日は1日私は14500歩も歩き足が痛くて。途中から持ってきた折り畳みの杖を出して歩きました。
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野毛山を地図を見ながら歩く。

2025年01月20日 | Weblog
子供家族と現地で会う予定で出発です。野毛山辺りをあまり知らないので地図を片手に歩きました。
市営地下鉄桜木町駅を降りて野毛山方面に出て音楽通りを探すと、下の写真の所にすぐ行けました。
我々は右側に曲がり音楽通りへ。真直ぐ行くと動物園通りで西区の野毛山動物への道です。


   
音楽通りを進むと本町小学校の前に着きました。古風な意匠のガス灯が立っています。
我々はガス塔に気が付かず残念。写真んはパソコンより。
ここは1870年明治
3年にガス事業を興した高島嘉右衛門のガス工のあった場所で、小学校門の門に記念にガス灯があるそうです。
2年後明治5にそばの馬車道から本町通りに日本初のガスの灯が、その年の末には300基にも並んだそうです。
2年後東京銀座にもガス灯が。

さらに音楽通りを進むと,西へと登る紅葉坂に出て、地図の通りに左に曲がり進むと伊勢皇大神宮に出ました。
この神社もガス会社が出来たと同じ
明治3年に、横浜戸部の港と町を見下ろせる丘の上に横浜の鎮守府、さらに神奈川県の宗社として創建されました。
丁度屋台が出ていて甘酒でも飲もうと思いましたが時間で諦めました。
 
神社そばの市民ギャラリーで作品展を見た後に、一緒に目指すピザやさんに行くと予約で満員と。近くのカレーでランチをして図書館へ。
ここで本を借りて、近くの区の図書館で本を返せば良いという事を初めて知りました。
そして孫達が行きたがっていた野毛山動物園はきつい坂を登って着きました。
3年前に着た時居たライオンさんが亡くなっていました。寒いのでキリンさんはお部屋の中でした。アライグマさんは元気で皆の被写体です。
  

野毛の坂水道管が展示されていました。明治20年日本最初の近代水道がイギリス人パーマーにより、横浜に誕生しました。
相模川と道志川の合流点(現津久井町)に水源を求め、
44Km離れた野毛山貯水場に運ばれた水は浄水され横浜市内に給水されました。

帰りに入った喫茶店の隣に鉄道創業当時、実際に走行していた110形蒸気機関車がありました。
桜木町駅は日本で最初の鉄道駅である「旧横濱駅」だそうです。

今日は1万歩を超えて、疲れ果てて帰りました。しかし子供家族と一緒に横浜が急発展した場所に行けて良かったです。
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鎌倉宮の破魔矢・覚園寺・ウメ

2025年01月13日 | Weblog
お正月が終わって近くの神社の破魔矢が売り切れていたので、
久々に鎌倉宮の破魔矢を買いに大塔の宮までバスで行きました。
鎌倉宮の破魔矢には獅子が付いていて可愛いです。昔はこの破魔矢が好きで買いに行きました。
鎌倉宮は明治維新の後に後醍醐天皇皇子大塔の宮の護良親王を祭神として作られたそうでう。新しいです。
護良親王は元弘の乱で鎌倉幕府を打倒する功績を挙げ、建武の新政では征夷大将軍に補任。
しかし父醍醐天皇や足利尊氏等とすれ違い鎌倉に幽閉され殺害されたそうです。 



昨年末に建長寺から天園へ出て、天園から写真の横の地蔵様細い道まで降りて目的の紅葉が綺麗な覚園寺に行く予定でした。
しかし地蔵様から200mの道が、疲れはていて行くのをあきらめて帰りました。
今日2025年鎌倉宮へ行くために大塔の宮のバス停まで来たので、昨年行けなかったそばの覚園寺にも行きました。
大塔の宮バス停から500m歩いてお地蔵様まで行きさらに200mの歩くと右端の写真の覚園寺に着きました。

500円の拝観料を払い、そこより先は撮影や写生禁止で「祈りをささげる空間」となっています。
人は少なく、薬師堂に薬師如来がいて右横に日光菩薩左横に月光菩薩
さらにお堂を守護して参拝者に勇気づける、干支の象徴の12神将をゆっくり見れました。
干支の12枚の神将の絵ハガキセットを買いました。写真は今年の巳年の神将です。
富士山は雪で綺麗。
 
電動自転車で走っていると公園の細い木に花が咲いているのが見えました。
自転車を降りて木に近寄って花を撮りました。何の花かと調べるとウメでした。
小さくて細い木なのに、さらに寒いのに満開です。早く咲くウメでしょうか。
家に帰って庭の梅を見るとまだまだ蕾が固いです。


前の公園にシロサギ大シロサギアオサギの3匹が時々来ていています。
今日はどの鳥が来ているかなと池まで見に行きます。
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今日はあっという間に1月6 日・春日神社の鹿

2025年01月04日 | Weblog
12月22日に珍しく1万3千歩以上歩いて疲れ、次の日に卓球をして、
その次の日24日にインフルエンザでダウン。5日分のタミフルをもらって飲み終わりましたが。
いつまでも咳が続き口内炎で口の中は痛くてお正月の間も本調子でなくて、
よって年末はお正月の買い出しや,子供用のお箸を買う事が出来ませんでした。

10歳の孫が折り紙を組みせで素敵な自分達用の子供の箸袋を作って来ました。
お雑煮用の丸餅も米3kg分を頼んで丸餅にしてもらいました。
おせちもできる範囲のを宅急便で送ってもらり、持って来てくれて助かりました。

私っも見書きニシンと鮭の昆布巻きと取れたて大根でなますを作りました。
1月2日のお昼ご飯は丸餅で京都風の西京味噌のお雑煮をみんなで食べれました。その後は外食したり、テイクアウトでにぎやかく過ぎました。

  
2025年はいつもより遅い2日に集まりました。
いつもは10時頃に全員で箱根マラソンの花の2区を応援に行けず残念でした。
12歳違いの6人の孫達、家の中ではゲームしたり、そばの公園でボール遊び等をしているのを見ると成長したと思います。


12月31日に紅白歌合戦終わってから、三島神社への初詣をしなくなって何年経つのかしら。
三島神社まで片道20分歩くのが大変な年齢になっていて、3番目の子供が結婚して家を出てから、元旦の初詣に行く事が無くなりました。
大きな木の焚火見ながらお酒と甘酒を頂いて体を温めていた事懐かしいです。
よってここ数年はお正月終わって皆が帰った後に、春日神社に初詣に行って破魔矢を買っています。
5日にやっと私も調子が良くなってきたので春日神社に行くと、

破魔矢は売り切れと書かれていました。初詣して鹿を見て帰りました。



年末にインフルエンザでお稽古に行けず、花だけもらいました。
自分流で生けたのでバランスが良くないけど、花が立派で玄関が輝きました。

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30分の霰(アラレ)で庭は冬景色・・食洗い乾燥機

2024年12月25日 | Weblog
12月半ばの日に霰降り30分ぐらいのあっというまに庭が冬景色になりました。
ガラステーブルの上のあれとは金平糖みたい形で可愛いですね。
30分でこんなにテーブルの上が真っ白に。
  
止んで30分で外を見るとなんと白いあられの冬景色は消え果ていて、元の黒い土の庭に戻っていました。

年寄夫婦の二人の生活では食洗器は必要無いと思っていました。
しかし最近夕食後、洗い上げがとても疲れてやりたく無いと思う時があります。
そう思ってるときに娘が転居した家に大きな卓上の食洗器があり、早々にちゃんと使っていました。
聞くと食器洗いが楽になるのと、とてもきれいになるからと。
それを聞いた途端、私も急に食洗器が欲しくなりヤマダ電機に行って見ました。
食洗器は私の予想以上に大きくて、わが家の台所に収まりきらない事がわかりました。
結局上に置くのはあきらめてビルトインの大型の食洗機のなりました。
 

食洗機は洗剤を一番奥底に入れるために最初に洗剤を入れます。
最初は食器の入れ方で四苦八苦でしたが、これも慣れですね。
24日のクリスマスの頃に二人ともインフルエンザに掛かり、早々この器械が食器を洗ってくれて助かりました。


クリスマスローズがきれいな色で良い感じです。
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アナと雪の女王のクリスマスツリー・走りながらオルゴールを鳴らすバス

2024年12月22日 | Weblog
アナと雪の女王のクリスマスツリーの映像が子供から来て、それが見たくて桜木町の美術館の前のマークイズみなとみらいまで行きました。
人形とツリーがとても合っていて素晴らしかったです。どうやってツリーを作るのかなと。 
次にそばのランドマークの大きなクリスマスの今年バージョンを見ました。
大きくてとても品があって素晴らしいです。   
隣のクイーンズスクエアのクリスマスは、後ろから撮ったのでキティ ちゃんが写って無くて残念です。

桜木町駅近くの3個のビルに行くと、3個の素敵なクリスマスツリーに出会えるので、毎年暖かい日にクリスマス気分を味わいに行こうかな。
    


次に赤レンガで見ようと思ったリスマスマーケットが、あまりの人の多さにビックリです。
昨年もマーケットに入り買ったのであきらめて帰る事にしました。赤レンガから10分で行けるみなとみらい線の駅を素通りしてしまい、

関内駅まで歩く事になりました。
日本大通りを歩くと真黄色のイチョウの葉と銀杏が一杯落ちて綺麗でした。
夜に点灯して輝くトナカイさんたちがあちこちに置かれています。
 

今日,
赤レンガで買った木のバスです。
バスを後ろから押して走リ出すと、となりのトトロオルゴールが鳴ります。楽しくて衝動買いです。
昔この店で買った赤い帽子のおもちゃがまだ家にあります。写真の木の板の坂道をチョコチョコとゆっくり降りてゆきます。

歩く姿が可愛くて。孫たちが遊んでいます。
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法事の集まり良いね。 誕生会に呼ばれてうれしい。

2024年12月17日 | Weblog
法事で愛知県に帰りました。
法事で兄弟や親族が集まり、食事しながお喋りをして小さな子供もいて楽しい時でした。
70代になって、法事は人が集まって行き会う昔からの良い習慣だなと改めて思いました。
翌日私の兄弟4人の内3人は愛知県にいるので、兄弟の伴侶も含めて8人で久々に食事とお喋りしました。良いね。
岡崎城と、ジャズの岡崎名鉄駅のクリスマスツリーです。


もう一つ泊まった豊橋駅で食べに行く時に子供に聞くと,豊橋カレーうどん菜めし田楽と 言われました。
豊橋カレーうどんの特徴は、カレーうどんの下に、とろろご飯が入っていて、 残りのカレールーが最後まで美味しく食べれるそうです。
丁度お喋りした妹二人が、40年前に豊橋の高校の時は「そんなうどんは無かった」そうで、近年の創作料理のようです。
連絡を受けた時にはもう普通の店に入っていて残念です。
豊橋は何度か来るのでその時に菜めし田楽と豊橋カレーうどんを。
帰りの新幹線で夕暮れ時に富士山が見えました。雪が少ないのにびっくりです。

6歳の女の子の誕生パーティーに呼ばれてフィリピ料理を頂きました。
プレゼントは何にしようかと悩んでいたら、娘が文具用品が良いのではと。
綺麗な何種類かの折り紙をとクレパスに、娘と孫で作った折り紙をつけて贈りました。子供達や沢山の外国人が多く入って楽しい会でした。
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3歳と5歳の七五三のお祝い

2024年12月02日 | Weblog
先週は3歳の孫の七五三でした。
着る前に孫の背格好に合わせて七五三の着物と長襦袢肩上げ腰上げをします。
刺繍仲間で着物に詳しい人に、やり方を教えてもらいました。
3人目の孫で、初めて婆の私がやってみました。
まず嫌がる孫に着物を着せてメジャーで計って、どれだけの袖丈着丈にするか計ります。
待ち針での止めでは絹の着物の布が動くので、結局糸でしっかり仮縫いして、
再度孫に着せてみました。まあまあの着丈だったのを確認して、
二目落としで絹糸で仮縫いの上げを止めました。次に長襦袢も絹糸で止めました。

   

この着物は私の娘が3歳の七伍三の祝いで親が用意してくれたもんです。
この時まだ3歳だったのに、娘はちゃんと帯を締めている写真が残っています。

今3歳の孫達の七五三は帯をしないで、被布を着るから孫は楽に動けてます。
その後下の娘も七五三で着てクリーニングしてしまったままでした。

最初の孫娘が着るまで30年経っていました。
30年経った着物を見てみると、食べ汚れがやはり少しあったので、再度クリーニングして、

そのきもの屋さんで汚れた所に四角の金を張り付けて、さらに金粉で点々を入れてくれて前より素晴らしくなっていました。

   
今回3人目の孫娘の七五三をしました。そばの神社と後ろ姿と神社のイチョウの写真です。
長襦袢は着物より短くなるよう2㎝腰上げをしたのに、着せると長襦袢が少し見えたりしたけど。良しですね。

この着物は、まだ1歳の孫娘が2年後に七五三で着る予定です。
着物さん沢山の七五三のお祝いに、着てもらえて良かったね。

次の週は5歳になる孫の七五三でした。
今週は晴れて雪の富士山がきれいに見えました。イチョウも黄色になりました。
この着物は子供の友の父親が七五三で着た昔の着物をお借りしました。素敵です。
    
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