☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

大池公園(こども自然公園) ・武相境道

2022年01月23日 | Weblog

車で20分の大池公園(こども自然公園)は散歩を兼ねてたまに行きます。
午前娘から池に氷が張っているけど、ほんの少し梅も咲いているよのメールが来ました。
我々も午後暖かくなってから、公園に車を停めていつもとは違うコースを歩いてみました。
日影の小道にはまだ霜柱が、こんなに綺麗に残っていて感動です。
   
公園の上のグランドから下を見ると大池があり、暖かそうで近辺の人達や小さな子供の家族連れも沢山見えます。
この公園は相鉄線沿線一帯の開発の際に相模鉄道から寄付された23.6haの土地を基に隣接地を買収,整備したそうです。
公園の中心となっている約6600平方メートルの池は、江戸時代中期に灌漑用水池としてつくられたと伝えられ、
天明の大飢饉の際には、この池の水と魚が多くの人々の飢えと渇きを救ったそうです。
その当時「本宿の大池」として親しまれていたところから大池公園と呼ばれています。
下に降りると池の表面は午後の2時でも凍っていました。
子供達が落ちていた木を持って来て氷を割っていました。割れたのを見ると意外と氷が厚いのに驚きます。
   
公園の梅園にゆくと蕾は膨らんでいるけど、まだまだですね。ちょびっとピンクと白の木に花が見えました。
この近くに転居して13年、梅が毎年見れてうれしいです。
   
公園の中を歩いていると南相模国北武蔵国の境の道「武相国境」の石碑がありました。昔の国境を表す道しるべです。
国境の尾根道が現戸塚カントリーの入り口付近まで続いており、途中には都(鎌倉)を一望できる都塚があったとのこと。
南は相州鎌倉郡岡津村 北は武州都筑郡二俣川村だそうです。
今もある地名の岡津(泉区)と二俣川(旭区)は近い距離ですが、その間に尾根があり国境があったのですね。
今は区が違いますが、同じ横浜市です。
           
律令の時代(8~12世紀)から、横浜市の戸塚区、泉区、瀬谷区辺りは相模国の鎌倉郡で,
1939年に横浜市に編入されました。
そして1949年に大船が鎌倉市に編入されて鎌倉郡が無くなりました。
この石碑のおかげで、パソコンで住んでいる所の歴史や変遷を知り楽しかったです。

ブロッコリーの中心の大きな1房を昨年取ってお正月に食べ、
1月中旬に行くと結構大きなブロッコリーが、葉に隠れるように横にたくさん実のっていました。

まだその横にも幾つかあり、大きく実ったのから順番に取っています。
2本の苗から寒いのにこんなにブロッコリーの収穫があるとは。驚きです。
畑は手がかかるのでめんどくさいと思うけど、収穫の喜びがあります。うれしいね。
絹さやが大きくなり昨年霜よけのカバーを掛けたら、今は寒さに負けず元気で、枯れずにホットしてます。
今日収穫    
スポンジボブと言う孫が喜ぶキャラクターです。
本当の100円のスポンジに絵を描いてつくったようです。楽しいね。

コメント (4)
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