☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

玉縄城址

2022年01月16日 | Weblog

今日は天気が良く暖かくなるので、気になっていた玉縄城址へ行ってみました。
大船駅そばのマーケットに車を停めて、地図を片手に歩きました。
結構きつい登りの道を登って、途中パン屋でカレーパン2種類買ってさらに上に登りました。
玉縄城跡七曲坂の標識があり、その道に沿ってあるきました。
       
玉縄城大手門跡と地図に在りましたが、そこは清泉女学院の敷地の中らしく門があり入れませんでした。
さらに奥に行くと、ここの町の植木1号市民緑地の看板んがあり、そこを上に登ってみました。
玉縄城太鼓櫓としてまた狼煙台としても使われた遺構らしく、少し盛り上がった小さな緑地でした。
この1号緑地看板に玉縄城に付いて書いてありました。
 
  『玉縄城北条早雲によって、三浦半島の相模国の三浦氏を攻略するための拠点として築かれた城です。
   城主は早雲の次男の氏時をはじめ代々小田原北条氏の近親者が務めました(玉縄北条氏と呼ばれています)。
   上杉謙信「この城当国無双の名城なり」といわしめるほどの堅城で、約80年にわたって一度も落ちたことがなかったそうです。
   しかし1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、小田原城主である北条氏勝が玉縄城に落ち延び籠城していましたが、
   徳川家康の説得に折れ無血開城となり、そして1619年に廃城になったそうです。』  

     
玉縄城想像図を載せました。
公園の下に戻ると降りる道があり下りました。これが七曲坂だそうです。
七曲坂は玉縄城の壁面沿いの坂を登り太鼓櫓址、焔硝蔵址を経て大手門(現在の清泉女学院裏門)にと向かう道を言うそうです。
地図を片手に急坂を歩いて玉縄城の城の事と知り楽しかったです。
歴史で習った豊臣秀吉の小田原攻めがこんなに身近にあったとは。
途中のバス停の名前が陣屋坂で城廻中村コースと書いてあり、名前が良いですね。

コメント (4)
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