先週は天気が良かったので何処へ行くも考えずに鎌倉駅へ。
鎌倉駅裏側の御成通を通り歩き、江ノ電の前で右に曲がって由比ヶ浜大通を歩くと六地蔵に出ました。
六地蔵は鎌倉時代付近にあった刑場において処刑された者たちを祀った地蔵様だそうです。
この可愛いお地蔵さまには鎌倉時代からの長い歴史がありました。
地蔵様の斜め向かいのお店「鎌倉ダイニング 由比っと」でお昼を食べした。
そこに昔の写真が載ったフォットブックが置いてあり、地蔵さまとこの店の昔の姿が写っていました。
そして2階の食事した店の窓から下に地蔵さまが見えました。
食後海に向かって真っすぐ歩くと、江ノ電鎌倉駅隣の和田塚駅に出ました。
和田塚駅の傍を歩いていると、和田一族の墓のある和田塚がありました。
駅の名前と同じと思いながら、説明書を見て鎌倉時代に和田一族というのがいた事を知りました。
頼朝亡き後専制政治を目指す北条義時氏にとって最大のライバルが三浦一族と支族の和田一族でした。
一族を率いた和田義盛は1213年に密かに北条氏打倒の挙兵の準備を進めていました。
同族の三浦義村.胤義親子は協力する約束をしていたのに土壇場で裏切り、北条に和田に謀反の企てありと訴えました。
和田一族は幕府を攻撃して幕府の建物は全焼し、将軍源実朝と北条義時は戦火をくぐって法華堂(現在の白幡神社)へ逃れました。
その後幕府軍の軍勢が増えて和田軍は劣勢に陥り義盛は江戸能範の手の者に討たれました。
こうして和田一族の乱は終わり、和田氏が滅び、三浦氏の権威も失墜し、北条氏の勢力はますます強まっていったそうです。
こういう路地を歩いていて、あまり知らない鎌倉の歴史に出会うのだと思いました。
海を見て帰りに由比ヶ浜駅の横を通って、和田塚駅、鎌倉駅まで歩いて帰りました。
松林が多く古い家並みで楽しい散策になりました。
2日前に近くの大池公園まで、初めて電動自転車で行きました。
今までは車で行く所でしたが、電動自転車だと意外と早く20分で着きました。
自転車で行くと道中の景色や花が見えて新鮮です。
公園では早咲きの梅の寒紅梅や玉牡丹等数本だけですがたくさん咲いて輝いていました。
梅が満開になる梅祭りは2月中旬だそうです。
右端の写真は野菜いっぱいパンで楽しくて載せました。金沢文庫辺りのパン屋さんだそうです。
一人1個づつ楽しく食べました。全部違う野菜達で面白く、美味しかったです。
沖縄4日目、那覇空港で会う事で子供家族とは別行動になりました。
我々は3度目の沖縄でも、レンタカーを返して空港までどのくらい掛かるか分からないので早めに行く事にしたのです。
少し時間があるので、道中の恩納村にある万座毛に寄る事にしました。
琉球王朝の尚敬王が「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)と賞賛したことが名の由来だそうです。
象に似た岩が見える景色が万座毛で絶景ポイントです。晴れていればもっと綺麗だと思うと残念です。
天候がいまいちでしたが、子供家族と4日間楽しく過ごせて良かったです。
それと暖かい沖縄の気候のせいか、喘息のヒューヒューというのが不思議な事に最後の日には無くなっていました。
年末に寒い横浜に帰って、10日ぐらい経つ頃には二か月ぶりに元の自分の体に戻った気がします。
晴れた寒い日が続き湿度30%台で乾燥しているので、喘息の為に加湿器を家に置くと良いのではと言われました。
家の2台の空気清浄機はカビが怖いので加湿器が付いていません。
カビが少ない衛生的に使えるスチーム式のを買いました。
ヒーターを使って水を暖め蒸気を発生させます。
空焚き防止機能と温度ヒューズフィルターの安全装置付きで長時間の利用も安心だそうです。
ペットボトルを逆さにして使います。
ペットボトルの水がドンドン減ってゆくのに驚きです。
暖かい蒸気がたくさん出ている為か?部屋が暖かくなったのが分かります。
昨年の春には体の調子がやっと良くなったのに、最後に風邪が長引き喘息になり大変でしたので、
今年は病気の無い元気な1年にしたいです。
沖縄行った記念に買った小さなシーサー、シーサーのコースター,コップの写真を加湿器の横に載せました。
今日は美ら海水族館です。
まずはここの一番の売りの大水槽「黒潮の海」のすぐ横で魚を眺める事が出来る喫茶でティータイムです。
前回と同様に今回も喫茶「カフェオーシャンブルー」特別席を予約してくれたので30分の間ゆっくり黒潮の海をゆっくり眺めました。
1年生の孫は大きな魚が来る度に写真を一生懸命撮っていました。
丁度水槽の掃除をする人が水槽をゴシゴシするのも見れました。
その他の水槽にも面白い形の生き物がいて、楽しい所です。
外に出てイルカショーも見に行きました。
人魚伝説のマナティーも愛らしい仕草で見惚れました。
美ら海水族館は手にハンコを押してもらって、外に出る事ができます。
昨年もそばの備瀬のフクギ並木へ行き、今回は今帰仁城跡に行きました。
今帰仁を「なきじん」と読みます。
14世紀琉球王国成立以前の沖縄は北部の北山、中部の中山、南部の南山が支配していました。
沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する今帰仁城は北山王の居城でした。
外壁を含めると7つの壁からなりその面積は首里城とほぼ同規模で,
城を囲む石垣は、地形を巧みに利用し曲線を描き、美しく外壁で沖縄屈指の名城だそうです。
入口から階段を上がって行くと海が見えて素敵な景色です。
雨から曇りになりましたが、天気が悪くて美しい海がもっと綺麗なはずですが。
また美ら海水族館に戻ってまた色々な動物を見て楽しみました。
下から見れる場所から撮ったジンベイザメ2匹が上手く撮れました。
その他に深海魚等がいましたが、写真には上手く撮れませんでした。
沖縄で過ごして驚いた事は、横浜では5時過ぎると暗くなるのに、
沖縄では6時近くまで明るく長く観光が出来ました。
それと美ら海水族館から車で5分で泊っている宿に着きびっくりでした。
後になりましたが、沖縄3日目の朝ご飯はインターネットで調べた「食処ニライ 亀蔵」へ車で本部町まで行きました。
入口には可愛い鬼さんや牛さんのお迎えです。
人気の店で、朝食時も混んでいました。
私はパンの付く洋食にしましたが、この店は和食の朝食が人気のようでした。
和食の写真はインターネットより拝借しました。。これで各々600円の安さにびっくりです。
夕食は買いだした野菜が一杯あったので息子夫婦中心に作ってくれて、楽しく食べました。
後片付けは爺も入ってみんなで楽しくやりました。
沖縄2日目、雨の予報が曇りになったので近くの瀬底島の海岸で遊ぶ事になりました。
青い空の瀬底大橋を渡って、カーナビの通り細い道を進みました。
やっと海が見えて、狭い路地に車が順に留まっていました。
子供家族は何度か来てその辺りの地形を知っていて、同じように車を路地にとめました。
曇っていましたが、海は綺麗で孫は水着に着替えていました。
しかし海岸の綺麗な砂を見て写真を撮っていると、急に遠くから暗くなって雨がふりだしてきました。
慌てて車に戻り、海遊びをあきらめて近くにあるネオパークへ。
名護市立の公園ネオパーク沖縄に入って2階から沖縄軽便鉄道の機関車に乗りました。
園内のみどころを面白く説明してくれて、最初の湖の所でしばらく停車して景色や鳥を見せてくれました。
いつの間に買ったのか、孫たちは鳥にあげる餌を持っていて機関車から投げていました。
鳥たちもそれを知っているのか、我々の乗っている機関車についてきます。
上の写真の場所で、餌やりはここまでですよの放送が入りました。
その後オセアニア、アマゾンのジャングルと園内を全長1.2kmを20分で走りました。
大正3年に那覇方ら営業を開始されて終戦で無くなった沖縄軽便鉄道の機関車を使っているそうです。
初めての我々は機関車に乗る事で園内の大体の様子が分かりました。
電車の出発点にある「フラミンゴの湖」はアフリカ大陸のケニアにあるナクル湖をモデルにして10種類、500羽もの鳥たちが自由に飛び交っています。
歩いているとソーセージとそっくりの形の不思議な木がありました。
ふれあい広場では大きな亀に乗ったり、見たことのない大きな動物への餌を上げたりと子供たちはたのしそう。
雨もあがり、我も動く動物をそばでみれて、餌をあげたりの動物との触れ合いはとても楽しかったです。
そのあと園出て、名護市で人気の宮里そばでお昼ご飯です。
観光客よりも地元のお客さんでいつも賑わっているお店だそうです。
この店でソーキそばを食べて急にソーキという物に興味を惹かれました。
次の日に今帰仁でも食べました。また違った味のソーキが乗っていてソーキが美味しいなと思いました。
この後行った道の家許田でお土産にソーキと沖縄そばを買って帰り、2018年末にソーキそばにして食べました。これも美味しかったです。
今帰仁
11月中旬に風邪から咳と痰がて12月中旬になっても治らず、
寝るときに呼吸のヒューヒューの音がして眠れず、心配で大きな病院の呼吸器内科に行きました。
病院で薬をもらい、4日後に沖縄に行く計画が在ると言うと、
行っても良いですよの返事で、私の方が拍子抜けしました。
年末に子供家族と沖縄の旅に誘われ迷っていました。
薬をもらって4日間経ち、26日から沖縄に行きました。
薬で大分楽になっていましたが、沖縄の3泊4日で喘息のヒューヒューという音が消えて無くなりました。
20度近くある冬の沖縄へ来て良かったです。
羽田から飛行機に乗る時に可愛いスターウォーズのヨーダが向かえてくれました。
乗った飛行機もスターウォーズ塗装だったようで、私は頭の黄色だけ見たのでインターネットからの写真を載せました。
向かい側の飛行機は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けた特別塗装機でした。
パソコンより
沖縄空港でダウンコートをかたずけて、長袖の上着一枚でレンタカーに乗り美ら海水族館そばの宿屋へ。
途中休憩に寄った伊芸サービスエリアからの景色は雨で何も見えず残念。
まだ気管支炎が治りきっていない私には暖かい風が心地よかったです。
宿のそばの「ステーキハウス88」でアメリカ風の夕食です。
私は写真が無いですが、サイコロステーキで一緒に入っていた玉ねぎとジャガイモが美味しかったです。肉は普通。
伊芸SA 美ら海88
今回の宿屋は一軒家でした。我々夫婦で一棟、子供家族で一棟と別々に借りました。
ベランダにはハンモックが付いていて孫達がそれに乗って遊んでいました。
この宿屋の中央広場にはトランポリンがあり、泊まりにきた子供たちの遊び場になっていました。
各家に洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、食器洗い機、料理する道具と油を始め調味料まで揃っていました。
2日目の夜は子供家族の家のベランダでバーベキューです。
火力が強くてドンドン焼けて、食べるのに忙しかったです。
沖縄産のシイタケ、カボチャ等の野菜が美味しかったです。
デザートは冬に今帰仁のスイカです。
沖縄の今帰仁では12月にスイカの第一期が収穫されるそうです。甘く美味しかったです。
バーベキューをしていたら、イモリの小さいのが出てきました。
その時逃がしたので孫は再度イモリ取です。
やっと捕まえてザルの中で少し様子をみて逃がしましたまだ小さいイモリでした。
子供家族の家で朝ごはんや、さらに3日目の夜も買い込んだ野菜や肉を料理して食べました。
40年昔の私の時は民宿に泊まっていたけど、今は料理や洗濯等ができる宿舎が多くなっているようです。
前回子供と行った沖縄のカフーリゾートフチャクコンドホテルも、同じように料理や洗濯ができるようになっていました。
今日だけ15度の暖かい1日になるとの天気予報を見て
富士山が綺麗に見える稲村ケ崎まで浮かれ出てしまいました。
海は最高に綺麗でした。
波の打ち寄せてぶつかるのを見ていると飽きませんね。
稲村ケ崎でゆっくり海岸に出て海を眺めた後、
前方に江の島を見ながら稲村ケ崎から七里ガ浜に向かって歩きました。
江の島の横に雲の合間に富士山の裾がわずかに見えたり隠れたりです。
しかしこんなに美しい海に出会っただけで今日は良しです。海のそばに住みたくなりますね。
江ノ電の行き先表示の所に可愛い絵が一緒に載っていました。
シチリアーノという店でランチ。
外のベランダしか空いてないと言われて、店の外でランチする事になりました。
前菜 サラダ
冬に外で食べるのかと思って座ると、太陽がさんさんと当たって暖かでびっくりです。
店の中と違って目の前に海が広がって最高です。
海苔のスパゲッティ メイン料理肉と魚のどちらか
のんびりと広い海をみて食事ができました。
明けましておおめでとうございます。
横濱に転勤になり30年目です。
私は親が転勤族の為に愛知県、大阪、高松、福岡、刈谷、豊川、
結婚して豊川、横浜と生活が変わって行きました。
結婚してから40年間の習慣で、紅白が終わって神社に初詣です。
破魔矢を買うのと、縁起の良いお神酒と美味しい甘酒がいただけるので続いています。
今の家に転居して10年、少し遠く20分ぐらいの所の神社に寒い為の重装備をして歩いてゆきます。
末子が飲み会の後に酔っ払って、昨年同様付いてきます。
甘酒を飲みながら神社で松明を見て、帰りにお寺に寄って鐘をついて帰ります。
お正月なので真夜中にぞろぞろと人が歩いて同じ事をしています。良いね。
昔からの習慣に沿っていると、新しい年が来たと思います。
朝はお神酒を飲んでおせちとお京風の白みその雑煮です。
2日目は毎年箱根マラソンを20分ぐらい歩いて見に行きます。
大東大
最後のチームが走った後に、これでれで終わりましたと書いてある最後尾の自動車が走りました。
しかしその後は普通に一般の自動車が走りだすのに、車が全く来ない状態が続きました。
転んだ大東大の選手が来るのではと思いまっていると来ました。
皆で応援しました。
折紙が好きな子がお酒を飲みお喋りをしながら作った折紙です。
孫たちが大喜びです。