tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「決める政治」、何を決めるか、誰が決めるか

2020年09月13日 15時51分35秒 | 政治
「決める政治」、何を決めるか、誰が決めるか
 7年8か月前、安倍政権がスタートし、「決める政治」を標榜しました。
 勿論政治は国の進む道を決めなければなりません。ですから「決める政治」というのは当然のことを言っているだけなのですが、国民の多くには新鮮に響いたのでしょう。

 当然国民は、新政権は、国民の望んでいることを手際よく決めてくれると期待し、支持率は高かったという事でしょう。
 しかし、安倍政権の末期には支持率は30%台に落ち、決める政治にも、アベノミクスにも期待できないという雰囲気になってしまいました。

 その中で安倍さんは、自分の目指すのは憲法改正だというようになっていきましたが、国民は憲法改正は急ぐ必要はないという意見が圧倒的のようで、これはでいくら「決める政治」でも駄目だと思われたのでしょう。

 そのうえ、面倒な新型コロナの問題が起き、良いアドバイザーもなく、「決める政治」は留守になり、持病もこれあり、任期までやっても決めることは叶わないので退陣を選ぶ気になったとしても解るような気がします。

 まだお若いので、少し時間をおいて三度登場され、今度こそ本命の「決める政治」に取り組むということだってありうるのではないでしょうか。

 この7年余の「決める政治」を見てみますと、仕組みとしては、政治主導ということで、官邸に権限を集中して来たようですが、それを可能にしたのはまず人事権の掌握で、「決める」ためには異論を排除、忖度には報いるという信賞必罰を徹底したようです。

 共産党一党独裁の国はこれは当たり前で、自由圏ではトランプさんが実践しておられるようです。
 高級官僚の左遷や栄転は新聞に出ますからこの辺りは、国民は広く知るところとなります。結果的に忖度が一世を風靡するような流行語になりました。

 国会での「決める政治」で目立ったのは強硬採決でした。これは、絶対多数を持つ者の絶対的な強みです。
 その源泉は、選挙の巧みさと、第二党に勝つために第三党と組むという戦略です。

 国民は、国会中継で強行採決の場面を何度も見せられ、最後には野党も、反対しても無駄だ、といった様相さえみられるような状況だったのではないでしょうか。
 掉尾を飾ったのは、日本にカジノ、統合リゾートいう名の導入の強硬採決でした。日本にカジノを売り込みたいというどなたかの希望によるものだという事だと言われました。

 これが、決める政治のスタートと結末ですが、問題は、何故「決める政治」が人気を落としたのでしょうか。
 
 民主主義の国で、「決める政治」を標榜するのであれば、「何を決めるか」も、「誰が決めるか」も、主語は「国民」でなければならないのでしょう。

 国民の望むところを政治が代表して決めてくれれば、それは民主主義社会としては自然のことですし、政権は国民に信頼され、支持率は高いはずです。

 民主主義の国では、政権は国民の意識を代表するようになっているとうのが本来の姿のはずです。その本来と違う事を政権がやるという事は、政権という権力が、国民より、自分の都合か何かを優先するように変化したという事の証左ではないでしょうか。

 世にいう「権力の腐敗」とい言葉で言い表される状態というのが、それで、国民は落胆し支持率は下がるという結果が来るのです。

 この現象の世界でも最大の事例と思われるのが、マルクスの資本家の搾取を排し「社会正義」に則る社会を目指した思想が、最終的にはソ連の独裁政治に行きついた挙句、結局70年余で崩壊したという事例でしょう。