tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「もう経済成長の時代ではない」は正しいか

2020年09月29日 16時39分08秒 | 経済
経済成長を可能にする付加価値の使い方-3
 このブログの立場は、ホモ・サピエンスの社会である限り、経済成長が止まることはないだろうというものです。
 
 進化の頂点にある現代人(ホモ・サピエンス)は、海馬を含めて脳の構造の中に生存欲求・種の保存の欲求を持っています。
自分が生物としての生を全うし、種の保存を行い、結果として生き残ってきた生態系の頂点にある人間も、他の植物、動物とこの点は基本的に同じでしょう。
 
ただ、人間は、進化した脳を持ち、考える能力があるので、突然変異を待たなくても、自分で進化の真似事をすることが出来るようです。
 自動車や飛行機を作って、豹やピューマよりも速く走り、どんな鳥よりも高く速く飛ぶことが出来ました。

 人間同士でも、競争に勝ちたいという欲求は消えることはないでしょう。個人でも、企業でも、国でも競い合ってより豊かで快適な生活・社会を求めていくでしょう。

 確かに「モノからコトへ」といった変化の傾向はあるでしょう。しかし、「コト」が進歩発展するためにも、「モノ」の場合よりも結構大きな資本投下が必要になるようです。

 レジャーの高度化のためには巨大なエンタメ産業(行楽インフラ、○○ランド、スポーツ施設から劇場、美術館など)が必要ですし、「丈夫で長生き」の為には、膨大な医学、薬学、健康科学における研究や技術革新が必要でしょう。
 今、最も望まれる再生可能エネルギーの開発においても、全く同じで、巨大な資本投下が必要と言えるのではないでしょうか。

 増大する資本投下に必要な資本は、付加価値の配分としてしか得られません。より大きい付加価値を生み出して、その中からより大きい資本分配を賄わねばなりません。もちろん同様に、その資本投下の成果を楽しむ人間(消費者)もそうしたサービスを購入する購買力を持たなければなりません。それは、より多くの付加価値の中からより多くの労働分配を得なければ不可能です。

 つまり、より高い欲求を満たすためには、常により大きな付加価値生産、GDPの増加、その適切な配分の繰り返し、つまり経済成長が必要になるという事は人間が人間である限り続くのでしょう。

 人間がどこまで進歩するのか我々の知るところではないのかも知れませんが、この人類社会の進歩発展を往々にして阻止してくれるのが「戦争」です。
 戦争は、付加価値を使って兵器という破壊の道具を作り、それを使って積み上げてきたものを積極的に破壊をする活動です。
 そして、時に人間は思慮深くなく、戦争で生命や財産、せっかく作り上げた社会インフラを破壊することを認める衝動に駆られるのです。

 もう必要ないというのは、生産と破壊を繰り返す人類の愚かな歴史の部分であって、経済成長が必要でないということは、人類の本性から考える限り、多分あり得ないのではないでしょうか。

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