tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

経済成長の現実、対象は実体経済、マネーではない

2020年09月30日 16時32分13秒 | 経済

経済成長を可能にする付加価値の使い方-4
前回、経済成長は、人類社会にとって、いつの世でも必要であることは変わらないだろうという事を見てきました。

 今回からは、経済成長を可能にする条件について、検討していってみたいと思います。

 まず、経済成長の原動力は、人間が「より豊かでより快適な生活を目指す」という意欲や意思を持つ事からです。時として、その時代の雰囲気、国際情勢、為政者の在り方などによって、人々が、我々の時代は成長は期待できないといった悲観主義に陥ることもあります。こうした時期には、国民の意識を変えないと成長は困難でしょう。

 ある意味では、いまの日本にもそういう部分があって、少子高齢化が必至で、政府はすでに膨大な赤字の積み上げで動きが取れない、同盟国アメリカらの種々の要求は苛烈で、我々以降の世代では年金も先細り。我々は親の代より豊かになれないのではないか、といった雰囲気がかなり強いのではないでしょうか。

 肝心の人間が、成長の期待を持てないような状況の中では、やはり経済成長は難しいでしょう。
 これは一国のリーダーが、国民に将来への期待、希望を持たせられるかどうかにかかっている問題でしょう。すこし長い目で見れば、おそらく日本もいつかは、若い世代が将来に希望を持てるような国に復活していくと思いますが、先ず第一は一国の経済社会を構成する人間の意志、意欲が最大の決定要因という事を上げておきまでょう。

 さて、一国のリーダーと国民が、一致して経済成長を希求するという状態の中で、その実現を計画し、実行し、達成するには、何が重要かという事にありますと、経済成長の要素は「人間と資本」ですから、「活用できる資本があること」、そして、「関係する人間が、その資本を賢く使うこと」によるというのは当然でしょう。

 賢く使うという事は経済学の言葉でいえば資本の生産性を上げるとか、資本の収益率を高めるといった努力が必要という事です。言い換えれば資本を無駄にしない、間違っても、兵器を買ったり作ったりして戦争をし、すべてを廃墟や残骸、海の藻屑にしたり、戦争はしなくても、旧型兵器になって最後は廃棄処分などというのは最悪でしょう。

 此処で、技術開発の具体的分野に踏み込むつもりはありませんが、研究開発から生産技術の開発、更にはより効率的な生産の実現といったプロセスは、実体経済の分野にその目標を置くべきだという事が、このところ、特に重要になって来たような気がします。

 理由は、GDPを成長させる「実体経済」の分野でない経済活動、つまり、生産活動を省いて、カネでカネを作るマネー資本主義の分野、典型的には金融工学などの分野の技術開発が盛行するからです。
金融工学は、いくら発達しても、それは 付加価値を生むものではなく、付加価値の配分であるマネーをを他人の財布から自分の財布に「移転させるだけの、「ゼロサム」の中での資本(マネー)の移動が主たる仕事だからです。(これは格差社会への道でもあります)
 
 実体経済の分野での付加価値の創造、経済成長を中心に考えれば、付加価値の分配が、明日の生産を規定するという視点が明確になり。付加価値の分配が付加価値の成長に密接に関係する(国民所得の分配の在り方と経済成長率の間には、経験的にも理論的にも明らかな関係がある)ことが見えてきます。次回その関係を見てみましょう。