tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

赤米の収穫

2016年09月09日 17時04分31秒 | 環境

赤米の収穫
 知人から、都下国分寺由来の赤米の籾を50粒頂き、漬物桶を田圃にして育ててきました。
 6月11日に苗床から 田植えをしたことを書き、8月13日にその後の 中間報告をしました。
 今回はいよいよ収穫の報告です。

 収穫といっても知れたものですが、30本ほどの穂先をそろえて撮ったのが上の写真です。
 田圃代わりの桶は、庭先に置いてあるので、早朝気付かぬうちに、スズメに提供することになってしまった分もあって、少し目減りしましたが、一応収穫は出来ました。

 種籾は50粒でしたから、100粒ほど来年用に取り置いて、後は分配元の知人のところに供出することにします。
 1粒万倍とはいきませんが、国分寺赤米の再生のお手伝いも多少は出来たと喜んでいるところです。

2016年4-6月期GDP第2次速報と企業の設備投資動向

2016年09月08日 14時25分13秒 | 経済
2016年4-6月期GDP第2次速報と企業の設備投資動向
 今日、内閣府から、4-6月の第2次GDP速報値が発表になりました。
 結果はいくらかの上方修正という事で、具体的な数字を見ますと、第1次速報が実質経済成長「年率換算」で0.2パーセントのところ、今回は0.7パーセントになったという事でした。

 いずれにしても1パーセント以下の数字ですから、あまりどうこう言うほどの事ではないのですが、上方修正になった主な原因は、家計消費支出が0.1%から0.2%に微増したこと、民間企業設備がマイナス0.4%からマイナス0.1%と下げ幅が縮小したこと、政府の公共投資が2.3%から2.6%に増えたことによるようです。

 ちなみにいつも通り前年同期の動きを見ますと、成長率も0.8%で変わらず、内訳項目も変わっていません。
 つまりトレンドとしてみると、昨年から「1パーセント弱の伸び」でそろそろ動いていることに変わりがないようです。

 設備投資は法人企業統計季報の集計の関係で、第2次速報で実体に近いものが出るという事のようですが、「前年比2.1%」の伸びを維持していることに変わりはありません。
 各種の状況証拠のようなものから見ていますと、大企業の動きは鈍いですが、中小、ベンチャーといったところは結構活発な動きがあるようです。

 金融緩和で市中の資金は潤沢、大企業の資金量も豊富、そうしたものが、徐々に中小企業や活発なベンチャーに流れているといったことは十分考えられます。

 大学発のベンチャーも増えていますし、停滞する大企業からの分社やスピンアウトの頭脳や技術が、中小企業やベンチャーで生きて日の目を見るといったことも十分考えられます。大企業とベンチャーのコラボも結構盛んなようです。

 これまで蓄積された日本の基礎から応用までの幅広い技術力の蓄積が、停滞する日本経済をしり目に、多様な分野で花開くといったことが、そろそろ起きても不思議ではありません。

 堅実生活をモットーとする日本人の性格から、現状の社会情勢の中では消費需要はなかなか伸びませんが、こうした新たな多様なイノベーションが、この停滞に穴を穿ってくれるようであれば、矢張り日本経済は頼むに足るもののように思えるのですが。

「生命のバランスシート」からの発想

2016年09月07日 13時49分26秒 | 環境
「生命のバランスシート」からの発想
 前々回、里山の思想の背景にある日本人の本来の自然観を表す「生命のバランスシート」(日本創造経営協会:『日本学宗』より)を紹介させていただきました。
 関心を持たれた方が多かったようで、いつもより多くのアクセスを頂きました。


 矢張り、日本人の考え方の根底には「自然への返礼」という思想があるのではないでしょうか。人間も自然の一部であり、自然が豊かになることで人間も豊かになれるという理解が日本人、日本文化が形成された縄文の昔からあったのでしょう。

 縄文人は山に木を育てれば海も豊かな魚介類を提供してくれることを知っていたといわれます。日本が今でも国土の7割という森林を残していることの原点でしょうか。

 ところで、ここ僅か数十年の間に、人類は急激に地球の自然を収奪してきました。森林の伐採、砂漠化の放置、化石燃料利用の急拡大、核分裂エネルギー利用の加速化などなどです。

 今、世界で自然の回復が言われ、象徴的に生物多様性が注目されていますが、本当に地球人類が、自然の重要性に目覚め、自然を育てること(自然への返礼)に本気になっているかと言えば、必ずしもそうでないようです。

 頻発する国際紛争の背後には、化石燃料資源の争奪があることは明らかですし、森林の消滅、砂漠化は相変わらず進んでいるようです。
 サステイナビリティー、持続可能性という言葉は知られてきましたが、人類がその言葉の本当の意味するところ(地球生命の減衰のプロセスからの脱出のための必須要件)を理解し、そのための行動をとっているかと言えば、いまだイエスとは言いにくいようです。

 地球を収奪する行為は、結局、自分たちの存在の基盤を損なう行為で、必ず自分たちに負の遺産となって戻ってくることをより多くの人々が理解することが、ますます必要になってきているように思われます。

杭州G20、多国間より2国間?

2016年09月06日 11時13分03秒 | 国際関係
杭州G20、多国間より2国間?
 今回のG20の舞台、中国杭州の西湖は、杜牧が「千里鶯鳴いて緑紅に映ず」と謳った名勝です。
  蘇軾もまた「雨の西湖もまた奇なり」と詠み、松尾芭蕉も「奥の細道」の中でそれを引き、安倍総理もG20終了後の記者会見で、客観情勢が良くない中でという趣旨でそれを引きました。

 中国はこうした歴史的名勝に主要20カ国の代表を招き議長国として世界の融和を狙ったのでしょう。
 しかし、中国の拡張主義的な行動の下ではG20の結束よりも、それぞれの国の個別の事情から、「G20の場を利用して2国間の対話を実現する」といった雰囲気が強まったように感じたのは私だけではないでしょう。

 首脳宣言の主要内容は、会議以前に報道され、最終案では、成長下振れ防止のための財政、金融、構造政策の総合的活用、為替の安定に重要性、タックスヘイブン対策、保護主義に反対、鉄鋼過剰生産問題、英国とEUの緊密な関係の維持、パリ協定の発効促進と、必要なものはすべて盛り込まれていますが、マスコミは2国間対話重視のようです。

 世界経済社会が様々な問題を抱えつつも、主要国が一致して求心力を持って取り組もうという以前に、各国が、多様な問題を抱える2国間の問題により大きな関心を抱かなければならにないような状態になってしまったのは、恐らく、20カ国の協調の邪魔になる、主要国各国間の意識や行動の不揃いが目立ってきたからでしょう。

 しかもそれは、G20が担当する経済問題というより、政治的な問題の分野にかかわるものが多いといった状態でしょう。
 経済における協調や協力は、政治的な安定状態の上で初めてなり立つものでしょう。如何に政経分離といっても、それは現実にはいささか違うようです。

 誰しもが、G20は、主要国が求心力をもって知恵を出し、世界の平和、安定と、経済的な発展をリードしようという目的を持った会合だと思っています。
 議長国中国も、まとめ役になってみれば、主要国の意見がまとまらなければ、本当の成果は得られないという感覚を当然に感じたはずです。

 主要国が国際協調の可能な思想・行動を堅持し、2国間関係の調整は2国間できちんと行い、多国間の会合の場で、求心力のある話し合いができるような主要国の知恵と行動を、G20には期待したいものです。

地球の自然と人間との関係

2016年09月04日 17時45分13秒 | 環境
地球の自然と人間との関係
 前回、里山の思想に触れました。里山についての理解は、「里山の知恵」で述べたようなものと考えていますが、その背後にある考え方について、ちょっと示唆的な図がありますので、何らかのご参考までにと、載せてみました。

 この考え方の原型は「日本創造経営協会」の創始者である故薄衣佐吉氏が「生命のバランスシート」という形で残されたもので、人間と自然の関係を会計のバランスシート(B/S)に例えて表現したものと考えられています。

 氏は、複式簿記の発明者であるイタリアの修道僧ルカ・パチョリの研究者としても著名で、また日本の高度成長期に、もはや「労働」は、喜んで働く「喜働」であるべきだと「喜働経営学入門」を著されたことでも知られています。

 原型は左右の借方・貸方をそれぞれ上下に基盤部分(下)と具体的活動部分(上)に分けた4つの象限に分けた簡単なものでしたが、その後、創造経営協会の方々が中心になり、中身の項目を入れこの形にしたものです。(日本創造経営協会『日本学宗』参照)

 左上・第2象限が人間の具体的な活動で、自然の恵みに返礼をする、右上・第1象限はそれを受けた自然が豊かさを増し、それが、右下・第4象限の豊かな自然の蓄積(B/Sなら自己資本の充実)となり、左下・第3象限の人間生活のより良い基盤になる。その基盤の上で、右上・第一象限の豊かな自然への更なる働きかけが始まるという循環の形です。

 企業における資本蓄積が企業の新たな発展につながるように、豊な自然を創ることが地球生命の発展を支えるという循環が見えてくるのではないでしょうか。

 自然を大切にすれば第4象限(自己資本)は増加してB/Sは成長し、自然を収奪すれば、第4象限は枯渇しB/Sは縮小を余儀なくされる、正に里山の知恵、思想、哲学そのもののように思えます。

地球環境、地球人類に嬉しいニュース

2016年09月03日 22時05分24秒 | 環境
地球環境、地球人類に嬉しいニュース
 干ばつ、洪水、巨大台風などが世界各地で頻発しています。地球温暖化ガスの増加、大気汚染などで異常気象が日常化し、世界中がその被害に神経質になっている中で、「遅きに失した」感はありますが、中国とアメリカがやっと、パリ協定の批准に踏み切るというニュースが入ってきました。

 先ずは地球市民のために喜びたいと思います。

 ご承知のように中国とアメリカはCO₂排出量で、正にダントツの1位と2位です。中国が世界の排出量の27パーセント、アメリカが16パーセント(2015年)で、この2国で43パーセント、世界の排出量の半分近くを占めています。

 この議論をするたびに、日本も率先してやらなければならないと言いながら、日本が排出をゼロにしても、日本は世界の排出量の4パーセント弱だから、効果は知れたものですよ、などと言われて、複雑な気持ちになったものです。

 中国、アメリカが踏み切ったことで、地球環境問題に曙光がさしたというところでしょうか。

 日本には、 里山に代表されるように、地球の自然を育て、そこから人間へのより豊かな恩恵を得るという思想と行動があります。
 これは、地球の天然資源を収奪して地球の自然を破壊し、人間だけが豊かに暮らすという「自然征服」の思想とは正反対のものです。

 日本もこれまで多くの過ちを犯しましたが、今は、再生可能エネルギー重視の方向の大きく舵を切っていると思いますし、そのための技術の蓄積も本格化しています。

 中国、アメリカが本格的に動き出せば、ますます多様な関連技術が重視され、活用され、さらに新たな技術開発も進むでしょう。
 克服すべきボトルネックがあれば、それは新しい世界経済成長の起爆剤になるかもしれません。

 今日のニュースが、新しい技術開発、経済成長の契機になることを願い、さらに地球人類の一体感の醸成にもつながるような良い結果をもたらすことを望むところです。

5回のナゼ:「なぜなぜ分析」の効用

2016年09月02日 11時06分56秒 | 経営
5回のナゼ:「なぜなぜ分析」の効用
 企業とは何かを一言でいえば「人間が資本を使って付加価値を創り、社会をより豊かで快適なものにするための組織」という事になるのではないでしょうか。
 かりそめにも「企業は出資者の所有物で、出資者に最大のリターンを齎すための組織」などと言わないでください。

 古くは三種の神器と言われたモノクロTV、洗濯機、冷蔵庫、その後は新3Cと言われたカー、クーラー、からーTVなどで我々の生活は豊かで快適になりました。宅配便やコンビニの登場がなかったら、我々の生活は随分不便なものでしょう。
 企業は社会のためにいろいろと役に立つ 多目的な存在なのです。

 ですから社会にとって、企業はいつまでも発展存続してほしい組織です。企業による製品やサービスの提供がストップすると市民生活は混乱します。

 社会の多様な期待に応えるために活動する企業にとって恐ろしいのは「失敗」です。前回も触れましたように、大きな失敗は企業の命運に関わります。
 これも前回触れましたが「日本的経営」の特技である「 QC 5S、JIT、カイゼン」などは、如何に失敗を防ぐかの優れた技法です。

そして今回のメインテーマ「なぜなぜ分析(5回のなぜ)」はこうした技法を支えるもので、失敗の原因究明のために必須というべき「頭の回転させ方」のノーハウです。創始者は「トヨタ生産方式の始祖」大野耐一氏、トヨタグループは勿論、日本中の多くの企業で活用されていますが、最近ホンダでの活用の様子が日経産業新聞(2016/9/1)で紹介されました。

 紙面では、ホンダは「ホンダ版のテキスト」を作って、品質管理担当者の教育訓練を徹底していること。その具体的な考え方、やり方についての説明が解り易く書かれていますが、その中身はそちらをご覧いただくとして、私が感じたのは、「ホンダ版」の理念が、基本的に人を育て、人を生かす方向で考えられているという点でした。

 最初の「なぜ」で、トラブルの起きた原因はAさんが○○をしなかったと解った場合、次の「なぜ」、なぜしなかったのか、に対して、「知らなかった」「忘れていた」「出来なかった」「やりにくかった」などの理由が出てきます。

 その時、「知らなかった」は本人の問題ではなく教育訓練の不徹底が問題、「忘れていた」は忘れられない為の仕組みの欠如、「出来なかった」の場合は技能訓練の不足、「やりにくかった」のならやり易い方法の開発、が必要といったアプローチが説明されていました。

 こうした徹底した「企業のシステムを改善し」誰もが良い仕事ができる「人を生かすためのシステム」に作り替えるという志向があってこそ、人を育て、人を生かす人間中心の日本的経営が世界の驚嘆する製品やサービスを生み出すベースになっていることを強く感じさせられました(「出来ない人は切り、出来る人を探す」といった使い捨て人事ではないのです)。 

 「日本的経営は賞味期限切れ」などと事もなげに言う人の多いこの頃ですが、「モノづくり」から「おもてなし」まで、人を生かす日本的経営の本質を理解し、確り活用する企業が世界から注目されていくのではないでしょうか。

日本的経営:人を生かす知恵を大事に

2016年09月01日 11時09分33秒 | 経営
日本的経営:人を生かす知恵を大事に
 企業に関する嫌な言葉で「ブラック企業」というのがありあります。多分、その企業の経営者が、企業の何たるか、経営の何たるかを知らず、単純に当面の利益だけを求めて従業員を使い捨てにするといったことから起きる現象なのでしょう。

 かつては日本経済の発展を支えたいわゆる「日本的経営」が広く学ばれ、QC、5S、JIT、カイゼンなどがどこの企業でも「合言葉」になっていた時期もありましたが、「失われた20余年」の中で、企業に余裕がなくなり、経営者は勉強より当面の利益優先、従業員の教育訓練もコスト削減で切り捨てとなった企業も多かったようです。

 しかし企業とは本来、創業の目的があって、それに向かって人間が協力しあって働くというシステムですから、トップから新入社員、パートまで、企業を構成する全員が、仕事を上手にやるか下手にしかできないかで結果に雲泥の差が出るのは当然です。

 日本の企業は伝統的に、素材としての人間を雇用し、教育訓練で育て、育成された従業員の優れた仕事によって発展していくという形をとってきました。
 企業は技能訓練と階層別訓練を併用し、仕事の熟練度や中身のの高度化を進め、人間関係やリーダーシップなどの社会的訓練技法も活用、仕事でも社会でも役に立つ人間を育ててきました。

 こうした優れた人間が育てば、企業は優れた製品やサービスを社会に提供し成長や繁栄を達成できるという考え方です。
 一方この対極にあるのがブラック企業で、人は育てるのではなく使い切ることで利益を出そうという事でしょうか。

 しかし人間が育たない企業では、商品もサービスも、そして企業も育たないでしょう。なぜならば、すべての仕事は人間によってなされるからです。
 多分ブラック企業は長続きしないでしょう。そしてその原因は経営上の失敗や職場における事故、トラブル、不良品の発生といった問題でしょう。時にこれらは巨大なコストを生み、企業の致命傷になります。

 冒頭にあげたような日本的経営の多くの技法は、人間の犯す多様な失敗をいかにしたら減らせるかというところにあって、それは教育訓練によってのみ可能という視点が基本です。

 失敗学の大家、畑村洋太郎氏は、失敗の主要な原因を、大きく10に分類していますが、最も基本的なものは、矢張り、「知らない」「不注意」「きちんと守らない」「判断が出来ない」「十分検討しない」などといったもので、これは本人の責任というより、きちんとした教育訓練がなされていないことに原因があると考えるべきことのように感じられます。
 次回この辺りを、トヨタやホンダでやられている「5回のナゼ」を取り上げて、日本的経営の真髄を見てみましょう。