tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

小池都知事の所信表明「責任の所在の明確化」が鍵

2016年09月29日 12時12分07秒 | 政治
小池都知事の所信表明「責任の所在の明確化」が鍵
 昨28日、小池都知事の「所信表明演説」が行われました。
 都議会では異例の「全くヤジのない」状態だったという事も含めて、状況も、内容も、いままでとは大きく違った新しいもので、多くの都民からの評価も極めて高く、マスコミも総じて高評価のようです。

 好評だった理由は、矢張り率直に本当の事、「本当に必要な事」をズバリと表現したことにあるのでしょう。
 特にオリンピックにも関連の深い豊洲の問題について、

「誰が、いつ、どこで、何を決めたのか。何を隠したのか。原因を探求する義務が、私たちにはあります。」

という下りが「鍵」と感じました。
 このくだりは、いわゆる政治や行政という民間と違った社会に民間であれば当然の常識を持ちこんだ点で、まさに画期的なものだったように思われます。

 例えば、民間の企業では、国際的超大企業から地場の中小企業まで、製品やサービスに不具合があり、それが問題になれば、その原因を究明し、どこでどのように発生したかを突き止め、それを除去しないと仕事は成り立ちません。

 このブログでも、古くは「 付加価値率を上げる経営」の特性要因図、最近では「 5回のナゼ、なぜなぜ分析の効用」などで、価値の連鎖の失敗が「どこで」また「どんな原因で」発生するかを明らかにし、失敗の原因を「元」から絶つことが最も重要と指摘してきたつもりです。

 こうした民間企業では当然に必要な「原因の特定」、「責任の所在の明確化」が、企業と同じように目的(都民の生活の安定・向上)を持った人間集団である都の議会や行政といった場所でキチンと行われていなかったとすれば、その方が正に異常なのです。

 小池都知事が指摘したのはまさに民間企業の常識を、都庁でも、さらに拡大解釈すれば、「政」や「官」一般にも、当たり前の常識とし実行されるようにしていきましょうという事ではないでしょうか。

 「官」には、官と民とは違うという意識が強いことは私自身も折に触れて感じてきていますが、官も民も同じであるべき所は同じにすることが出来るかどうかが、あらためてとわれていると感じると共に、小池都知事がそこにはっきりと切り込んだことに、改めて市井の片隅から敬意を表すところです。