tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

規制の役割

2009年09月15日 12時11分46秒 | 社会
規制の役割
 政権交代の中で、規制についての論議が盛んになっています。
かつては「規制撤廃」こそが世の中をよくする政策だといった論議が中央でもまかり通り、「規制撤廃」こそが国民の味方だと首相や閣僚や学者が喧伝し、「規制撤廃」は国民のためになると信じた人も多かったのではないでしょうか。

 しかし今、「骨太の改革」(規制撤廃)は、いろいろな意味で「力の強い人」に有利で、結果的には、格差拡大などの「骨まで達する痛み」をもたらすものだということが次第にはっきりしてきて、振り子の振れ過ぎを止めようとする動きが強まっているように思います。

 前回、「リーマンショック1年」で、世界の金融問題についてのG20のコミュニケを取り上げましたが、その中では regulation and oversight つまり「規制と監視」が強調されています。
 金融業といった分野、特にその中でも、マネーゲームの分野などは、規制がなければまさに弱肉強食の修羅場になることは目に見えています。

 何が規制論議をおかしくしているのかというと、それは多分、もともとの論議の立て方、「規制は善」対「規制は悪」といった議論の立て方をすることが間違っていたのでしょう。

 こうしたDichotomy、二元論、二分論は、キリスト教、イスラム教などの一神教において極めて一般的で、「この世は神と悪魔が征服を争っていて・・・・・」といったストーリーは、皆さんご承知の通りです。

 一方、多神教のほうは、いろいろな神様がいて、神様どうし争ったりしますが(アマテラスオオミカミとスサノオノミコトは兄弟喧嘩をしています)、善と悪に割り切るようなことにはなりません。西洋人から見ると「日本人は曖昧だ」などと映るのもそのせいでしょう。

 二元論はわかりやすいのですが、人間の心の中にも神と悪魔が両方いるのでしょうから、人間社会の問題はそう簡単には割り切れません。結局「世の中の問題」は二元論では解決できず、自由と規制の「 バランス」をどう取るかが「人間の知恵」の発揮のしどころなのでしょう。

 良い知恵は、「中庸」とか「バランス」を生み出しますが、知恵が足りないと、振れすぎによるトラブル、社会の不満や不安を招いてしまいます。
 規制の問題は、まさに「如何に良い知恵を出せるか」の問題です。みんなでよい知恵を出しましょう。
 次回、もう少し具体的な例で、この問題を考えて見ましょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿