tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

景気回復策あれこれ

2008年09月09日 12時24分17秒 | 経済
景気回復策あれこれ
 8月下旬、ヨーロッパに行って来ましたが、ユーロ高のせいもあって、物価は高いですね。日本の物価が世界一高かった頃に比べると大違いです。輸入インフレの部分は別として、そろそろデフレも止まるでしょうが、アメリカ経済の問題もあり、日本の景気は、いささか心配です。政府は何をすればいいのか、何が対策になるのかわからないようですし、その上、政治がこれでは・・・。
 
 戦後の日本の景気回復策の歴史を見てみると、いろいろヒントもあるようです。第1次オイルショックごろまでの日本では、景気がよくなると輸入が増えて貿易赤字になり、外貨準備が不足すると困るので引き締めをし、不況。その結果、内需が減って輸出が増えて黒字回復、金融緩和、景気回復といった循環が見られます。

 その中でも、当事、戦後最大の不況といわれた昭和40年不況からの回復は特徴的です。39年から景気がおかしくなって、このときも株が大暴落し、四大証券の一角、山一證券が倒産に瀕し、いわゆる「山一特融」で生き残るのですが、株価低迷に困った政府は、株価維持のために、共同証券や株式保有組合などを作って一生懸命株を買って見せるのですが、「そこまでやるほど悪いのか」というのが世間の見方で、株は一向に上がりませんでした。

 この株価の下落を一変させたのは当時の福田赳夫蔵相の「国債を発行します」という一言でした。戦後の日本は、太平洋戦争の戦費調達の経験に懲りて、昭和39年までは国債を発行してきませんでした。

たとえて言えば、「うちは先代が借金をして破産したのを教訓にして借金はしない。だから学校は私立はダメ、公立にしなさい。だめなら就職です。」といっていたのを、「学資ローンを借りるから好きな大学を受けなさい」と変更したようなもので、国債発行(借金)というそれまでの禁じ手を「思い切って使う」といったのです。その後発行された国債は40年度の一部を除いて「建設国債」でした。

 そして昭和41年からは、毎年発行される建設国債をベースに(もちろんそれだけでということではないにしても)日本経済は「いざなぎ景気」にはいっていくことになります。

 建設国債は、企業で言えば、設備投資の金を長期負債で調達するようなものですから、固定長期適合率(有形固定資産/自己資本+長期借入金)は悪化しないので、まあまあ、それなりに健全ともいえるのですが、日本はその後赤字国債をどんどん発行するようになります。これはまたの機会にしたいと思います。

 「国債を発行する」という一言で、何をやっても下がり続けた株価が反転上昇し、景気が回復し、新たな経済成長が始まる。こんな、株価と景気と経済と国債の関係を、どう見ればよいのでしょうか。景気、経済を動かすのは、世間の人々の心の持ち方に関係あるような気がします。


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