人間がAIをうまく使いこなせるかという問題が起きています。
きっかけの一つは「チャットGPT」というAIのシステムが、無料で誰でもダウンロードでき、それを使って、あたかもベテランの先輩に質問して教えてもらうような感覚で、「回答を頂く」ことが出来るようになったことでしょう。
よく解らない事があったり、テーマを与えられて、それなりの意見を言わなければならないといった時に、自分でインタネットを検索し正しいと思われる答えを探し出したりしなければならない事は、学生でも、社会人の会社の仕事上でもよくあります。
それなりに解っている事であれば、適切なキーワードで検索したり、原資料である官庁統計などを使って、自分でも納得できる答えを探すこともできます。
しかし、慣れない分野や、最新の情報が必要だったり、複雑な判断が必要だったりすると、まず「どうアクセスするか」から模索しなければならず、試行錯誤の繰り返しになります。
そんなときに「チャットGPT」は、与えられた問題を、そのまま入力すれば、すんなりと、解り易い言葉で、恰好のいい答えを出してくれるようです。
これは正に救世主のような存在です。早速利用すれば、先生には褒められ、会社の上司は「お前よくやったな」とOKサインといったことになる様なのです。(時には良く出来過ぎていると疑われたりもあるようです)
特に自然言語処理の発達で、言葉や文章が確りしているし、下手な文章で、変換ミスがあったりもしないので、ますます立派なものに見えるようです。
こうしたことが一般的になった時、一体どんなことが起きるかを考えると「恐ろしい」というのが世界中で心配されているのです。
理由ははっきりしていて、AIが間違った答えを出したり、意図的に誤った方向への輿論づくりに使われるといったことも当然想定されるわけです。
どういう訳かそうした心配は欧米で強く、日本では、今のところ心配よりも、国会や官僚組織も含めて、「うまく活用したい」という動きの方が中心のようで、イタリアの様に当面使用禁止などといった事は起きないようです。
この辺りは大変難しい問題ですが、産業化革命以来、発達する機械に人間が使われるという意識は絶えないようです。
本当は機械に使われているのではなく、資本家や経営者に使われるのですが、機械が悪いと感じる気持ちも解ります。
これまでは機械が肉体労働に置き換わったのですが、AIの時代は頭脳労働まで置き換えてしまうのですから、仕事のなくなる人も沢山出るのではないかという惧れもあるようです。
しかし考えてみれば、AIの中に存在する知識は、総て人間が入力したものですし、深層学習と言っても人間の思考法を部分的に真似たものでしかありません。
人間より圧倒的に優れているのは、「絶対的な記憶力」と「計算(情報処理)のスピード」です。これは「答え一発カシオミニ」の電卓の時代から量子コンピュータまで想像を絶する進歩です。
人間は、自らの短所をそれで補い、人間の活動分野は、極微の世界から広く宇宙空間まで広がっています。
ここで重要なのは、人間がAIにいかなる情報を入れるかです。
今朝の新聞では、G7が連携して「責任あるAI」のために、入力する情報についての共通基準をつろうという動きが報道されています。
現状では、これがAIの人格(機械格?)を決めるのでしょう。G7の成果に期待しましょう。
きっかけの一つは「チャットGPT」というAIのシステムが、無料で誰でもダウンロードでき、それを使って、あたかもベテランの先輩に質問して教えてもらうような感覚で、「回答を頂く」ことが出来るようになったことでしょう。
よく解らない事があったり、テーマを与えられて、それなりの意見を言わなければならないといった時に、自分でインタネットを検索し正しいと思われる答えを探し出したりしなければならない事は、学生でも、社会人の会社の仕事上でもよくあります。
それなりに解っている事であれば、適切なキーワードで検索したり、原資料である官庁統計などを使って、自分でも納得できる答えを探すこともできます。
しかし、慣れない分野や、最新の情報が必要だったり、複雑な判断が必要だったりすると、まず「どうアクセスするか」から模索しなければならず、試行錯誤の繰り返しになります。
そんなときに「チャットGPT」は、与えられた問題を、そのまま入力すれば、すんなりと、解り易い言葉で、恰好のいい答えを出してくれるようです。
これは正に救世主のような存在です。早速利用すれば、先生には褒められ、会社の上司は「お前よくやったな」とOKサインといったことになる様なのです。(時には良く出来過ぎていると疑われたりもあるようです)
特に自然言語処理の発達で、言葉や文章が確りしているし、下手な文章で、変換ミスがあったりもしないので、ますます立派なものに見えるようです。
こうしたことが一般的になった時、一体どんなことが起きるかを考えると「恐ろしい」というのが世界中で心配されているのです。
理由ははっきりしていて、AIが間違った答えを出したり、意図的に誤った方向への輿論づくりに使われるといったことも当然想定されるわけです。
どういう訳かそうした心配は欧米で強く、日本では、今のところ心配よりも、国会や官僚組織も含めて、「うまく活用したい」という動きの方が中心のようで、イタリアの様に当面使用禁止などといった事は起きないようです。
この辺りは大変難しい問題ですが、産業化革命以来、発達する機械に人間が使われるという意識は絶えないようです。
本当は機械に使われているのではなく、資本家や経営者に使われるのですが、機械が悪いと感じる気持ちも解ります。
これまでは機械が肉体労働に置き換わったのですが、AIの時代は頭脳労働まで置き換えてしまうのですから、仕事のなくなる人も沢山出るのではないかという惧れもあるようです。
しかし考えてみれば、AIの中に存在する知識は、総て人間が入力したものですし、深層学習と言っても人間の思考法を部分的に真似たものでしかありません。
人間より圧倒的に優れているのは、「絶対的な記憶力」と「計算(情報処理)のスピード」です。これは「答え一発カシオミニ」の電卓の時代から量子コンピュータまで想像を絶する進歩です。
人間は、自らの短所をそれで補い、人間の活動分野は、極微の世界から広く宇宙空間まで広がっています。
ここで重要なのは、人間がAIにいかなる情報を入れるかです。
今朝の新聞では、G7が連携して「責任あるAI」のために、入力する情報についての共通基準をつろうという動きが報道されています。
現状では、これがAIの人格(機械格?)を決めるのでしょう。G7の成果に期待しましょう。