tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「昭和の日」が揺れている

2023年04月29日 17時06分14秒 | 政治
今日は「昭和の日」です。
元号が国民の祝日の名称になっているのは他にはないでしょうしょう。

百科事典などによりますと「激動の日々を経て復興を遂げた昭和を省みて」などと書いてありますが、これだけでは、本当に事情はよく解りません。

関連して考えれば、「文化の日」は明治天皇の誕生日です。「昭和の日」も昭和天皇の誕生日ですから、天皇の誕生日が国民の祝日になっているのは、このお二人の天皇だけです。

誰かが意図してこのお二人の天皇の誕生日だけを選び出したという訳ではないでしょうが、結果的にそうなっています。
そして、国民もみんなそれに違和感を持たず、国民の祝日として認めているのです。

2020年の「昭和の日」に我家でも、何故、結果的にそうなって、それを国民が納得して認めているのだろうと話し合ったことがありました。
その時出てきた結論は、その日のこのブログに書いてあります。リンクしてありますから、御覧頂ければ幸甚です。

ところで、百科事典などに書いてある「激動の日々から復興へ」というのはその通りですが、これは周囲を見回して、最も当たり障りのない表現を選んだ結果でしょう。

昭和は、1945年8月15日の「終戦の日」を境に、まさに2つの昭和をなしているのです
「終戦の日」までは「富国強兵」を目指して戦争に明け暮れる日々で、結果的には自国を廃墟にするような無謀な戦争をする独裁国家になっていたのです。

そして、終戦の日を境に日本は生まれ変わりました。平和憲法を掲げ、世界の平和と発展に貢献する事を国是とする国になったのです。
そして、この変化の鮮やかさは日本人の伝統文化の所産であると私は考えています。

この変化が「昭和の日」の意義であり、日本人の本来の心を取り戻したという意味で、まさに国民の祝日に相応しいと考えています。

日本列島が海面上昇で大陸から離れ、そこに住む多様な人種が混血し、純血化した縄文人になリ、縄文文化の1万何千年か、日本列島には戦争がなかったと言われています。
魏志倭人伝にある「倭国大乱」といった状態は、戦争という外来文化を輸入した後の話なのです。

話を戻せば、昭和20年(1945年)のあの暑かった夏の日から、日本人は、日本人の本来の心に似合った、戦争のない平和な時代を、世界の平和と発展に貢献する事を旨とし、楽しみつつ懸命に努力してきたのです。

「昭和の日」に、歴史的な視点から意味を与えるとすれば、日本が戦争という破壊行為を捨てて平和と発展という人類社会の建設を志す国に生まれ変わったことを記念する祝日という事こそが、その大事な意義なのでしょう。

そう理解すれば、明治は、少なくとも日本国内で内戦をするようなことはやめよう、と日本人が意思統一をした、国内絶対平和への脱皮の時でした。

そして「昭和」には、国としての戦争放棄と前進したのですが、昭和100年を目前にして、今の状態はどうでしょうか。

未だに世界は戦争をしたい国、戦争をする国が殆どです。
そうした国々の圧力や影響を受けて「昭和の日」の存在意義が次第に揺らぎつつあるのではないでしょうか。

今の状況では、岸田政権は、再び戦争をしかねない、日本人の本来の心を踏みにじる道に踏み込みつつあるのではないでしょうか。

「昭和の日」が日本の歴史の中で、これ迄と変わらぬ意義を持ち続けることを心から願うところです。