痛ましい表層雪崩事故に思う
那須のスキー場で、痛ましい雪崩事故が起きてしまいました。前途有為の高校生たち、引率の先生、ご冥福を祈るばかりです。
ブログの趣旨からは外れますが、敢て、こんなことも何かの役に立てばと思い書くことにしました。
私がスキーを始めたのは昭和30年ごろからで、その頃はリフトもなく、赤倉の宮様ゲレンデに木組みのリフトがやっと1本出来た頃でした。今でいうバックカントリーを滑っていたことになります。
その頃毎冬行っていたのは燕温泉スキー場でした。帰途は燕温泉を出てすぐ下が七曲りという難所(当時の話)で、その先少しくと関温泉スキー場でした。確か、七曲りでは一度表層雪崩で1人死亡者が出たことがあったと記憶します。
その燕温泉の宿のおばあさんが、いつも言っていたことを思い出したのです。
「うわ雪崩(表層雪崩)は、雪がやんでから出れば大丈夫だから。雪がやむまで出ちゃだめだよ。」
こうした昔からの知恵の伝承が、今回生かされなかったのが残念です。
ラッセルは足腰を鍛えるのには大切ですが、表層雪崩の可能性が大きい天候状態のもと、降り続く雪の中では矢張り危険だったのでしょう。
もうひとつ気になったのは、助かった方が、雪崩が来た時「伏せろ」という声が聞こえたと言っていることです。
私共の頃は、「表層雪崩の中を泳いだ助かった」という話をよく聞きました。表層雪崩は底雪崩(全層雪崩)と違ってふわふわだから、泳げるんだよ」というのです。
なるべく上に顔を出せという知恵だと思っていました。
雪崩への対応の理論も、時代と供に変わるのかもしれませんが、古老の知恵も、場合によっては役に立つのではないかと思って、あえて書いた次第です。
那須のスキー場で、痛ましい雪崩事故が起きてしまいました。前途有為の高校生たち、引率の先生、ご冥福を祈るばかりです。
ブログの趣旨からは外れますが、敢て、こんなことも何かの役に立てばと思い書くことにしました。
私がスキーを始めたのは昭和30年ごろからで、その頃はリフトもなく、赤倉の宮様ゲレンデに木組みのリフトがやっと1本出来た頃でした。今でいうバックカントリーを滑っていたことになります。
その頃毎冬行っていたのは燕温泉スキー場でした。帰途は燕温泉を出てすぐ下が七曲りという難所(当時の話)で、その先少しくと関温泉スキー場でした。確か、七曲りでは一度表層雪崩で1人死亡者が出たことがあったと記憶します。
その燕温泉の宿のおばあさんが、いつも言っていたことを思い出したのです。
「うわ雪崩(表層雪崩)は、雪がやんでから出れば大丈夫だから。雪がやむまで出ちゃだめだよ。」
こうした昔からの知恵の伝承が、今回生かされなかったのが残念です。
ラッセルは足腰を鍛えるのには大切ですが、表層雪崩の可能性が大きい天候状態のもと、降り続く雪の中では矢張り危険だったのでしょう。
もうひとつ気になったのは、助かった方が、雪崩が来た時「伏せろ」という声が聞こえたと言っていることです。
私共の頃は、「表層雪崩の中を泳いだ助かった」という話をよく聞きました。表層雪崩は底雪崩(全層雪崩)と違ってふわふわだから、泳げるんだよ」というのです。
なるべく上に顔を出せという知恵だと思っていました。
雪崩への対応の理論も、時代と供に変わるのかもしれませんが、古老の知恵も、場合によっては役に立つのではないかと思って、あえて書いた次第です。