tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

主体性確立のチャンスを逸した労使関係

2017年03月14日 12時16分32秒 | 労働
主体性確立のチャンスを逸した労使関係
 先日3月10日に「労使の主体性奪回に期待:労働時間問題が契機!」書きました。しかし大変残念な結果が、昨日報道されてしまいました。

 労使の代表が、総理官邸で、安倍総理から繁忙期の残業の上限は100時間「未満」がいいのではないかと言われている様子が、TVの映像になっていました。

 官製春闘などと揶揄されるこの所の労使ですが、今回の労働時間問題は最終的には労使の自主性で決着するものと信じていましたが、「未満」の2文字で自主解決が出来ず、総理に決断を仰ぐという、醜態(言い過ぎかもしれませんが)で終わりました。
  かつての日本の労使関係では考えられないと感じた方も多いでしょう。

 労働時間観管理は職場の管理者の問題です。管理者を教育し、育て、良い管理を現場で行うのは経営者の責任です。
 コスト削減では管理者は現場の協力を得て、寸毫の努力を積み重ね、日本産業を強くして来ました。

 この努力を、労働時間問題に応用すれば、100時間を100時間未満にすることが可能か不可能かではなく、可能にするための努力をしようという発想はなかったのでしょうか。

 経団連の首脳役員の中に、労使間の問題なのだから「未満」で済む程度の譲歩なら、連合の顔を立てて、「自主解決」をしましょうや、という意見はなかったのでしょうか。日本の伝統的な知恵「負けるが勝ち」を理解する人はいなかったのでしょうか、残念です。

 状況から見れば、総理の裁断を仰げば、「未満にしてほしい」という事は誰しも解っていたはずです。経団連も当然そう思いながら、敢て自ら決断せず、労使の自主性という労使関係の本義を捨てて、決断の責任を回避し、他人に任せたという事でしょう。

 経営が本当に「未満」では経営できないというのなら、当然、総理の意見にも反対すべきでしょう。総理の意見を聞いて笑顔で話す余裕はないはずです。

 日本は欧米にない企業別労働組合という特質を持っています。これは日本の社会文化的伝統に根ざすもので、経営者は一様に、日本の企業別組合は良い制度だと認識しています。このシステムの中では、労使関係の改善には経営側の懐の深さが極めて重要です。
 「失われた20年」の中で、日本の経営者は、懐の深さを失ってしまったのでしょうか。