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男女平等と言うけれど、そもそも男女は相当違う

2023-10-22 19:17:00 | 社会・政治
昭和の終わり頃から社会における女性の地位向上を目指した「ウーマンリブ」運動が盛んになり、当時流行った学生運動にも似た過激な主張をする女性達も現れたものである。翻って現代は、女性の地位の向上どころか、女性の方が立場が上になり、男性を見下し排除する風潮すらメジャーになっている。エジプト出身のタレントであるフィフィさんも「これは女尊男卑だよね」と「日本の外からの目線」で客観的に評価しているほどである。

政治の世界でも、「女性の大臣や政務官が少ない」などと言って「日本は遅れている」と一生懸命になって日本を貶める左派系勢力が喧しいが、そもそも政治家として優れていれば男性も女性もないのである、本来は。能力のある人がその人の得意とする分野を受け持てばいいのであって、機械的に男性大臣が◯人、女性大臣が◯人だから日本は駄目、とか、そういう問題ではないのである。こうした根本的なロジックがそもそも理解できてない人が多すぎるのが問題なのである。

今、ロジックと書いたが、ここが結構ポイントである。

根本的に女性は「情緒」や「感情」を重視する生き物であって、男性が得手とする「論理」を不得意とする。これはもう、そもそも生き物としての基本的な特性がそのようになっているのであり、性差の一部分であって仕方がないのである。ここが基本中の基本だ。

「論理」というのは「物事を切り分ける為の刃」である。その意味では、女性が下手に「論理」「ロジックの世界」に踏み込んでしまうならば、「論理という刃で本来必要のないところまで切り刻んでしまうような悲惨な結果」が生まれる事もあり、従ってトラブルになって問題化する場合もある。女性が得意とするのは「情緒」「感情」の世界であり、「論理」を超えたフィーリングを大切にすることを第一義に捉える傾向が強いのである。従って、女性が「これで良し」とする中には「自分はそれで良い」としながらも「論理的にはおかしい」場合も多々あり得るのである。

例えば、男性は自分が低く評価されることは嫌だが、論理的に正しい評価であればそれを受け入れてどう改善していくかを考える場合が多い。だが、女性は違うのだ。理由がどうあれ、ロジックがどうあっても自分が低評価されること自体が気に入らず、その途端不機嫌になる。(感情的になる)

その線で言えばこんなケースもある。謎解き統計学のサトマイさんが紹介している事例だ。結婚相談所を運営する女性が「一般的な会社に於ける女性の産休」についてX(旧・ツイッター)に意見を投稿したところ、批判が相次いだそうだ。その投稿内容は全く悪意のない、厳然たる事実を客観的に述べたものだ。その意見とは「女性が妊娠出産でキャリアが途絶えるのは”長く休むから”だと思う」というものだ。「だから最短で復職したらキャリアに穴が空きませんよ」という客観的な事実の発信をしたのである。

これが一部の母親達から大きな批判を浴びたのである。その内容は「産後の体調不良ですぐには復職できない人もいる」とか「子供を預けられない事情があるの!」というものであった。これを受けて、この結婚相談所を運営する女性は下記のような意見を表明した。

「Xの反応を見ていると女性って、正しいとか事実よりも”私を不快にさせるな。そして不快にさせたオマエが絶対的に悪い”…という論法を使う人が多いよね」
「わりと絶望するわ。そんなことやってる限り女性の社会進出なんて無理」

さらにこの運営の女性は「”長く休んで働かない人はキャリアは積めません。復職早い人はキャリアに穴が空きません”という事実の話に対して感情的に批判されてもねぇ…」

と述べていたのである。運営女性が伝えた客観的な事実に対して、自分の感情が害された(怒り・悲しみ・傷つく人がいる)ところに炎上のポイントがあるようである。こういった面がまさに女性の女性らしさなのだ。女性は論理・理屈を重視しない。それよりも自分が快適でいられる感情的な空気を大切にし第一に考えるのである。ここに記した事例では運営女性はあくまで客観的な事実(論理)を提示しただけであり、そこには何らの悪意も感情も無いのだ。しかし、その意見を受け取る複数の母親側はその論理や客観的な事実を冷静に受け止めるのではなく、感情的に「自分が傷つけられた」「自分の評価を不等に下げられてしまった」…だから私は不快だ、憤りを感じる、という事に変換されてしまうのである。サトマイさんはこの現象を「認知の歪み」として説明されていたが、要するに「自分は攻撃されて傷ついた。オマエは酷い奴だ」といった具合に本来客観的な事実に過ぎないものを自分の怒り・恨みに変換してしまうのである。これは典型的な認知」と名付けられている、とのことだ。一種の「ロジックと感情の混同」であろうか。ここで運営の女性はもちろん「論理」と「感情」の区別がきちんとついているのであり、だからこそ「感情」抜きで客観的にロジックのみを提示することができるのだ。

感情が精神の中心になる女性と、普遍妥当性のある論理・ロジックに重きを置く男性・・・結構精神構造の根本的なところからこれだけ異なるのである。

なので、何でもかんでもクソもミソも「男女平等」で同じように平準化しようとするのではなくて、男性は男性、女性は女性が得意とする分野で各々活躍することが最適解なのではないか、と思うのだ。(*1) そうでなければ、なぜ人間には男性と女性(オスとメス)の2種類存在しているのか…ということにもなる。全て同じなら人間にとって性は2つもいらない、ということになる。男と女に分かれて存在しているのは人間が考えるよりももっと深い(かなり深い)根本的な理由がある筈なのである。

「男女平等」を錦の御旗のように振りかざすのも悪くはないが、もっと基礎的な部分に着目すると、より魅力的で普遍妥当性のある平等の世界が実現できるのではないだろうか。




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(*1)
もちろん、運営の女性がそうであったように、男性的な領域であっても女性が真にそれをやりたいと望むなら、それを選択する自由はあってしかるべきであろう。「男女に差別があってはいけない」という話であって、就く「職掌」の押しつけという話ではないのだ。








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