(ドイツ帝国の時計販売店における〝WEMPE〟とその両川のひとつ〝CHRIST〟)
ロレックスを失っていく恐怖感がこんなにも激しいものだとは想像もつかなかった。
私は当時、16013、14060、16570黒、14270と1カ半の間で次々と手放すことになった。
その直後であるが、
私は、フランクフルトのマルクト広場にいた。
それは1998年の3月だった。
平日の夕方、仕事を終えて旧市街を彷徨い、うまいビールと、ソーセージとジャーマンポテトの有名店にドイツ人と6人で向かっていた。
そこはゲーテの生家から歩いていける距離であり、さらに歩けば商店街があり、そして目の前に、いかにも、本店、といわんばかりの
時計店クリスト、が鎮座していた。
正直、ロレックスの大広告塔には驚いたし期待もした。
私はビールどころではなく、ドイツ人の仲間らに断りもせず、ウインドウに鎮座していた、カラトラバ5023を、見せてくれるよう、
店員に話、となりの地元客を圧倒する勢いで値引き交渉を展開した。
隣のドイツ人客は別の美人店員とサブマリーナの話をしていたが、店内には、コンビか無垢だらけで、ステンレスはドレッシーなものばかりだっ
た。それで即座にロレックスはあきらめて、16520なんて聞くのもナンセンスだと思ったので、パテックに向かったのだ。
最終的に免税で80万円程度にはなった。
日本の定価のおよそ半値ではあったが、こんなに簡単にドイツで見つかるならば、もう少し探せば、もっと良いものが見つかるだろう、
と思って、退店した。
結局、ドイツでは、テディーベアを2ツ購入して、シャルルドゴール空港に向かってしまった。
今に至ってこの5023は買えずにいるが、買わなくてある意味正解だったろう。
なぜなら、台北で3923をレア文字板で買えたのだから。
スモセコとのバランスで言うならば、5096、5023、5196のジャンボカラトラバの文字板上のスモセコ位置とのバランスが決定的に、
3923、3796と比べて非常に悪い、ということは、パテックエンスーでなければ、理解はできないだろう。
いまとなってはぜんぶ懐かしい。
何故だろうか、50歳をすぎると、不思議と31mm径の時計でもハメたくなる。
この当時から金無垢はイエローゴールドという強い認識とマルクト広場の風景が、いつも心の中で、オーバーラップしているのだろう。
秋風が待ち遠しい、今日この頃であります。
ロレックスを失っていく恐怖感がこんなにも激しいものだとは想像もつかなかった。
私は当時、16013、14060、16570黒、14270と1カ半の間で次々と手放すことになった。
その直後であるが、
私は、フランクフルトのマルクト広場にいた。
それは1998年の3月だった。
平日の夕方、仕事を終えて旧市街を彷徨い、うまいビールと、ソーセージとジャーマンポテトの有名店にドイツ人と6人で向かっていた。
そこはゲーテの生家から歩いていける距離であり、さらに歩けば商店街があり、そして目の前に、いかにも、本店、といわんばかりの
時計店クリスト、が鎮座していた。
正直、ロレックスの大広告塔には驚いたし期待もした。
私はビールどころではなく、ドイツ人の仲間らに断りもせず、ウインドウに鎮座していた、カラトラバ5023を、見せてくれるよう、
店員に話、となりの地元客を圧倒する勢いで値引き交渉を展開した。
隣のドイツ人客は別の美人店員とサブマリーナの話をしていたが、店内には、コンビか無垢だらけで、ステンレスはドレッシーなものばかりだっ
た。それで即座にロレックスはあきらめて、16520なんて聞くのもナンセンスだと思ったので、パテックに向かったのだ。
最終的に免税で80万円程度にはなった。
日本の定価のおよそ半値ではあったが、こんなに簡単にドイツで見つかるならば、もう少し探せば、もっと良いものが見つかるだろう、
と思って、退店した。
結局、ドイツでは、テディーベアを2ツ購入して、シャルルドゴール空港に向かってしまった。
今に至ってこの5023は買えずにいるが、買わなくてある意味正解だったろう。
なぜなら、台北で3923をレア文字板で買えたのだから。
スモセコとのバランスで言うならば、5096、5023、5196のジャンボカラトラバの文字板上のスモセコ位置とのバランスが決定的に、
3923、3796と比べて非常に悪い、ということは、パテックエンスーでなければ、理解はできないだろう。
いまとなってはぜんぶ懐かしい。
何故だろうか、50歳をすぎると、不思議と31mm径の時計でもハメたくなる。
この当時から金無垢はイエローゴールドという強い認識とマルクト広場の風景が、いつも心の中で、オーバーラップしているのだろう。
秋風が待ち遠しい、今日この頃であります。