PATEX HUNTER

マルクス経済学の視点で、「パテック・フィリップ」と「ロレックス」の世界を中立的私見で、社会科学的に分析しています。

金無垢イエロー、もしくはある広場の記憶

2024-09-09 | ニュース
(ドイツ帝国の時計販売店における〝WEMPE〟とその両川のひとつ〝CHRIST〟)



ロレックスを失っていく恐怖感がこんなにも激しいものだとは想像もつかなかった。

私は当時、16013、14060、16570黒、14270と1カ半の間で次々と手放すことになった。

その直後であるが、

私は、フランクフルトのマルクト広場にいた。

それは1998年の3月だった。

平日の夕方、仕事を終えて旧市街を彷徨い、うまいビールと、ソーセージとジャーマンポテトの有名店にドイツ人と6人で向かっていた。

そこはゲーテの生家から歩いていける距離であり、さらに歩けば商店街があり、そして目の前に、いかにも、本店、といわんばかりの

時計店クリスト、が鎮座していた。

正直、ロレックスの大広告塔には驚いたし期待もした。

私はビールどころではなく、ドイツ人の仲間らに断りもせず、ウインドウに鎮座していた、カラトラバ5023を、見せてくれるよう、

店員に話、となりの地元客を圧倒する勢いで値引き交渉を展開した。

隣のドイツ人客は別の美人店員とサブマリーナの話をしていたが、店内には、コンビか無垢だらけで、ステンレスはドレッシーなものばかりだっ

た。それで即座にロレックスはあきらめて、16520なんて聞くのもナンセンスだと思ったので、パテックに向かったのだ。

最終的に免税で80万円程度にはなった。

日本の定価のおよそ半値ではあったが、こんなに簡単にドイツで見つかるならば、もう少し探せば、もっと良いものが見つかるだろう、

と思って、退店した。

結局、ドイツでは、テディーベアを2ツ購入して、シャルルドゴール空港に向かってしまった。

今に至ってこの5023は買えずにいるが、買わなくてある意味正解だったろう。

なぜなら、台北で3923をレア文字板で買えたのだから。

スモセコとのバランスで言うならば、5096、5023、5196のジャンボカラトラバの文字板上のスモセコ位置とのバランスが決定的に、

3923、3796と比べて非常に悪い、ということは、パテックエンスーでなければ、理解はできないだろう。

いまとなってはぜんぶ懐かしい。

何故だろうか、50歳をすぎると、不思議と31mm径の時計でもハメたくなる。

この当時から金無垢はイエローゴールドという強い認識とマルクト広場の風景が、いつも心の中で、オーバーラップしているのだろう。

秋風が待ち遠しい、今日この頃であります。

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さようなら、僕のロレックス

2024-09-03 | ニュース



先月末、大雨の中、横浜から出てきた友人のT、と駒沢通りにある中華レストランでランチをともにした。

待ち合わせの中、Tがやって来るまで、2階から見下ろせる、東急東横線に私は頻繁に上り、下り、10数本の電車を目視していた。

ようやくやってきたTに、私の71年式の1601/4が欲しいと言われた。

唐突に。

Tはロレックスはおろか、ティソ、ミドー、エドックスレベルの機械式すら持っていない。

おそらく、ご尊父の形見であろう、キングセイコーにかつては鉄板のカレンダーを巻いていたであろう、よれよれの

80年代初頭の純正のブレスレットを着けていた。

このセイコーとそれを交換してくれないかと、T。

いやいや、それは君の御父さんの形見だろう。この1601は10万円で買ったやつだから、等価にはならないだろう。

と私は即座に返答した。

なぜ、私の1601/4が欲しいのか、聞かせてほしいと、質問した。

するとTはやりきれない顔で、3分間理由を話した。

せつない、同情し、感動した。

私の所有する個体の中で、一番低価格な個体であるが、2番目に想い出のある時計だ。

事務所のドア枠に、風貌とベゼルを打ち付けて、ジャンク扱いのようなロレックスだ。

ほとんど、着けて登場しなくなった時計だ。

それでも、そのキングセイコーと交換してほしいと言う。

私に、国産時計は似合わない。

私は翌日、私の1601/4を余っていた緑色のグラフトンの箱に入れて、宅急便で横浜に送ってやった。

きっと、Tとともに、これからも生き続けるだろう。

さようなら、僕のロレックス。

手元には、大崎善生の、『赦す人』があった。






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だから私は、ALTIPLANO

2024-09-02 | ニュース
(PIAGET ALTIPLANO 18KYG)



私は、デジタル時計が嫌いだし、スマホ、携帯も、時、を計るためには使わない。

その正確さ故、デジタル機械に縛られたくないからだ。

自分をコントロールできるのは自分の感性だけだ。

その自分と一体となって、補ってくれるのは機械式時計しかない。

それも、時限爆弾のような大きな時計ではいけない。

かといって、軽すぎてもいけない。

必ずしも、秒、まで正確である必要はない。

だから、大らかに、大まかに、針は長短2針だけでよい。

秒針は不要だが、あえて、動いて作動しているか瞬時に確かめたい。

ならば、裏スケとなる。

ひるがえって、時計ケースの素材と大きさだ。

もちろん、SSには見られたくないし、ホモにも思われたくない。

だったら、プラチナ、ホワイトゴールド、ピンクちゃんは選考落ちだ。

昔から、ゴールドウオッチと言えば、派手であろうと、イエローゴールドに決まっている。

その腕時計のケース径はできれば、1本目は40mmがちょうどいい。

老眼だから大きくなければいけないし、

文字板は、ローレックス流に、イエローゴールドならば、文字板は、グリーンサンレイ色にこだわりたい。

そうなってくると、

PIAGET ALTIPLANO 60周年記念世界限定280本18Kイエローゴールドグリーン文字板


という、私の場合の選択です。

でも、ここ3年ほど店頭では見かけていない。

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大崎善生『優しい子よ』

2024-09-01 | ニュース



先月、作家の大崎善生さんが亡くなった。

66歳だった。

大崎さんの文章はいつもちよっと引っかかりながら、そして後戻りしながら読んでいた記憶がある。

透き通った文章というものはそういう読み方をするものなのだろう。

作品はノンフィクション、私小説でも、大崎さん自身のエピソードがたびたび語られていて、親近感があった。

私は都内のサイン会に巡り合うチャンスが無かった。

特に大崎さんの著書の中で、胸を打ったのは、50ページほどの分量の『優しい子よ』でした。

主人公の男の子が亡くなるのですが、その男の子が大崎さんの有名な女流棋士の奥様とのやりとりの手紙が、

いたいけだ。

彼のその純真無垢な文章に、すさんだ私の心には響きわたり、地中貫通爆弾バンカーバスターのように、

邪心を引き裂いてくれた。

多くの読者に、亡くなったこの男の子の3か月ほどの大崎家とのやりとりが、永遠の話として生き続けるだろう。

そういった、やさしい気持ちにさせてくれる作家が、大崎善生であったことは、私たちの記憶の中にこれからも居続けるだろう。

合掌






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