PATEX HUNTER

マルクス経済学の視点で、「パテック・フィリップ」と「ロレックス」の世界を中立的私見で、社会科学的に分析しています。

さようなら、僕のロレックス

2024-09-03 | ニュース



先月末、大雨の中、横浜から出てきた友人のT、と駒沢通りにある中華レストランでランチをともにした。

待ち合わせの中、Tがやって来るまで、2階から見下ろせる、東急東横線に私は頻繁に上り、下り、10数本の電車を目視していた。

ようやくやってきたTに、私の71年式の1601/4が欲しいと言われた。

唐突に。

Tはロレックスはおろか、ティソ、ミドー、エドックスレベルの機械式すら持っていない。

おそらく、ご尊父の形見であろう、キングセイコーにかつては鉄板のカレンダーを巻いていたであろう、よれよれの

80年代初頭の純正のブレスレットを着けていた。

このセイコーとそれを交換してくれないかと、T。

いやいや、それは君の御父さんの形見だろう。この1601は10万円で買ったやつだから、等価にはならないだろう。

と私は即座に返答した。

なぜ、私の1601/4が欲しいのか、聞かせてほしいと、質問した。

するとTはやりきれない顔で、3分間理由を話した。

せつない、同情し、感動した。

私の所有する個体の中で、一番低価格な個体であるが、2番目に想い出のある時計だ。

事務所のドア枠に、風貌とベゼルを打ち付けて、ジャンク扱いのようなロレックスだ。

ほとんど、着けて登場しなくなった時計だ。

それでも、そのキングセイコーと交換してほしいと言う。

私に、国産時計は似合わない。

私は翌日、私の1601/4を余っていた緑色のグラフトンの箱に入れて、宅急便で横浜に送ってやった。

きっと、Tとともに、これからも生き続けるだろう。

さようなら、僕のロレックス。

手元には、大崎善生の、『赦す人』があった。





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