先日、2024年度から新紙幣の図案が発表された。
たしかにキャッシュレスがはやりの昨今に、現金の存在は希薄となりつつあるが、
またまったくなくなってしまっては困る。
カネをチラつかせる。
現金買い。
などは現ナマの威力を物語る。
現ナマは強制力を内包しているからだ。
でもその現金が、こども銀行券並みだったら、こんな威力もあったものではない。
私が子供のころ、1万円札と5千円札は聖徳太子、千円札は伊藤博文、岩倉具視の5百円札もあって、まれに板垣退助の百円券も
流通していた。
しかし、聖徳太子が消えて日本経済は10年待たずして、暗黒の日本経済は転落し、弱きものどもが調子に乗ることを容認する
エセ寛容社会となった。
私が小学生のとき出た新紙幣は福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石が図案化され、その後も近代日本の文化人が登場することにある種の嫌悪感をいだい
たものだ(切手収集家ならばこれら文化人の配列はその後も予測は可能であった)。
というのも、こういった現行札につながる図案が、こども銀行券並みなのだから、お金を大切にしない。だから
逆にインフレターゲットに向かわせるためにちゃっちい日本銀行券を現政権は考えているのだろう。
まことに対外的にもはずかしい。
それに比べると、明治時代の日銀券はいつ見ても威厳がある。
私は新紙幣の人物を以下の偉人にすべきであると考える。
10万円券:(昭和30年代のようにまず、5万円券でテストしてから実行)日本武尊
5万円券:聖徳太子
1万円券:藤原鎌足
5千円券:和気清麻呂
2千円券:現行のまま
千円券:菅原道真
以上
人物図案は過去のものを踏襲し、デザインは古典的なもの。数字は漢数字とアラビア数字を使うが、外国人を気にしすぎるほど大きなアラビア数字の
使用は禁止する。
このような図案はにっぽん人としてのアイデンティティーをさらに喚起することは容易に察しがつくのだ。