伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「富戸」探訪 ウオーク

2016年02月18日 | ウオーク

2月17日     (水)       

富戸集落の海岸線に沿って走る県道109号線の両側にちょっとした桜並木がある。植わっている桜は「城ケ崎桜」、河津桜よりちょっと遅いが染井吉野に先駆けて咲く桜である。

近所のところどころに植えられた河津桜が満開、いやすでに散りかけようとしているので城ケ崎桜も咲き始めているに違いないと、水曜定例のikoiウオークのターゲットにして出掛ける。

今回はMr.ITと私だけの男性2人。他の人たちはそれぞれ用務があって不参加。

ところが、意外や意外、城ケ崎桜はまったく花が開いていない。なんだか蕾もまだ固そう。河津桜だけがあまりにも早々と咲いたからか。

富戸に来て、当てにしていた目標を失ってしまったことから、改めて歩くところを考えた。

富戸集落の中心地は「三島神社」らしい。その横を流れる「生川(うぶかわ)」に沿って富戸集落は形成されたとか、生川の源流には小さな祠があると聞いていたので、その生川の流れを辿ってその源流を確かめることにした。山をめがけてひたすら上るのだからかなりきつい道行だが、男性二人だけなので敢行する。

海岸からは急傾斜の道が続く。生川は途中で地下水道に変わり舗装道の下から水の流れる音が聞こえる。高いところに伊豆急行線が走っておりその上辺りに祠があるというのでさらに進むと小さな川筋が再び姿を現わした。

伊豆急行線の下をくぐり抜ける狭いガードを抜けるとにわかに人家は疎らになり、上に進むほど川の流れは小さくなっていく。

そのどん詰まりの家からたまたま出てきたご婦人に「ところ番地」をお聞きすると「富戸3番地」だという。その先に祠があり、そこが「富戸1番地」、富戸集落発祥の地であった。

 

この神社は「岡の不動」と呼ばれているらしい。こんなところに神社がひっそりと鎮まっているなんて、富戸集落に住む人の中にも知らない人が少なからずいるのではないか。

そこをついに究めた!景色の綺麗なところを歩くのもいいが、こうした達成感があるウオーキングも堪えられない。

往きはかなりきつかったが、帰りは下り坂で楽チン。右手に海に迫る「払火山」を眺めながら「三島神社」にお詣りして海岸まで戻る。

富戸の海岸ではこれまで全く気付かなかったことを発見。この海岸に見る石には球形、もしくは球形に近い丸石が多いということである。

これは過日、「かんのん浜」で甌穴にはまった巨大な丸石を見たのち熱川海岸で沢山の甌穴を探した影響で海岸の石を観察する癖が付いたからであろう。

この辺りの岩は固くて容易に甌穴はできないが、激しい波と固い岩に擦られて長い時間をかけるとこんな球形の石になるのではなかろうか。これはひょっとしたら他所ではあまり見かけない現象かもしれない。

この発見になんだか嬉しくなり、自分勝手にこの海岸を「球石海岸」と名付けて悦にいった。


帰って調べてみたら、富戸の集落は「岡の不動」に始まり、川筋に沿って広がり、やがて漁村「富戸村」として発達していったという。

ところで「富戸」という地名は全国に「富土」「布土」などといくつかあり、類似の「フト」「ホト」については数えきれないほどあるらしい。

民俗学の大権威柳田國男の「地名雑考」によると、「フト」「フット」「ホト」という地名の由来は女陰(古語は「ホト」)に似た形状・形質の地形から来たもので、二つの狭まった丘陵の間を小川が流れ込むような湿地を遠望した古代人によって名付けられたという。

古代人はなんともおおらかなというか、あけっぴろげの人たちだったらしく、富戸の自然の地形を見るにこの説にはおおいに納得がいく。

それはそれとして、今回の富戸探訪によって、富戸の地が随分身近なものに感じられるようになった。

 ちなみに、行政地域としての「富戸」はとて広く、「大室高原別荘地」のかなり広い範囲での正規地番は「富戸〇〇〇〇番地ー〇〇」となっている。(千桁)

この日の総歩数は6,268歩と少ないが、上った階段数は23階とありiPhoneを使い始めてから2番目に多い記録であった。Mr.ITの言うところによれば、この坂なら歩数は2割掛けでいいのではと……。だが、私の気分としては1万歩を超えたような感じ。

コメント (1)
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