りえ子のブログ

前小田原市議会議員田中利恵子です。
今後も子どもたち、高齢者、障がい者が大切にされる市政めざして頑張ってまいります。

石巻市にボランティアに行ってきました

2011年07月24日 | なんでもかんでもコーナ~

宮城県石巻市に20日~23日までボランティアに行ってきました。

 車で小田原を朝7時30分に出発して、仲間5人と共産党の石巻ボランティアセンター・東部地区委員会を目指しました。現地に到着したのは夕方の5時、途中台風の心配もありましたが、思ったより順調に着きました。センターではまず震災の被害状況と、翌日からの実際の作業についての説明を受けました。

 今度の震災では、岩手県、宮城県、福島県などに多くの死者・行方不明者が出て、改めてそのことが本当に悔やまれます。宮城県は死者9315人、行方不明者2811人(7月9日現在)で最も多く、そのうち石巻市は死者・行方不明者が4000人以上ということで、ことごとく被害の大きさに胸が痛みます。

 津波による市街地の浸水面積も、これも最も大きいのが石巻市ということで、市街地の23平方メートル・73%が浸水してしまいました。津波による冠水状況がひと目でわかる地図は、水色にしかも広範囲に塗りつぶされていて、これもショックでした。左の写真中央の、右より白くなっているのは、日和山公園というところ。ここは高い位置にあるので浸水はまぬがれましたが、でもごらんの通り、周囲はすべて浸水してしまい最悪の状態となっています。             

それと石巻市は女川原発から20キロ圏内に入っていているのも確認しました。今回の震災によって原子炉の冷却ができなくなる、一歩手前までの危険性があっただけに、市民の不安が非常に大きかったことも分かりました。

センター内を見回すと、日々の作業の様子を物語るさまざまな掲示がしてあったり、センターにも津波による浸水があったために、その位置をしるした場所もあるなど、とにかく目の前にあることが、当然ですがリアルだと感じました。そして、丁寧な状況説明と次の日の作業となる、側溝のヘドロ出しについて説明を聞いて、到着一日目は40キロ離れたところにある宿舎に向いました。

 次の日は、朝5時半には起床して、集合時間の8時15分にはセンターに居ました。神奈川県内や東京都からの多くのボランティアの方たちと、作業についての確認をしてから、行動を開始しました。作業現場はセンターから近いところでしたが、ヘドロ出しは思っていた通りけっこう大変でした。スコップで何度も掘り出すなどの力の要る作業では、特に男性の方たちには大変おつかれさまでした!の一言です。袋を持つ係りの私でも、ヘドロの重みにずしんときたので、もっとそれ以上大変だたっと思います。本当にお疲れ様でした。でも作業の後は側溝がきれいなっていて、山積みされた袋があって、それはそれでちょっと感激でした。

 その日は、被災の現状も目の当たりにしました。日和山公園に登って、目の前の建物が何にもない光景に言葉を失いました。下に降りて近くに行ってみると、もっと事の重大さが分かり、何ともいえない焦燥感みたいなものを感じました。ここに人々の生活の場があったなんて・・・考えられない、そんな思いでした。


すこやかに育て心と体。この文字が心に響きました。門脇小学校のこどもたちはどうしているのだろうか。廃墟と化した校舎に、迫ってくる何かを感じました。

                        つづく・・・
    

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