間もなく八月も終り、九月に入ります。私がちょっと気にしているのは、九月に鳴くセミです。実は九月に鳴くセミは物悲しいの代表だからです。もう秋の訪れが近いのに、仲間に遅れて生まれたセミの鳴く声が、雲は高くなり、風の香りも変わるなか、時を惜しんでいるのかそれとも終りを急いでいるのか興味がわくからです。セミは長い年月を土の中で過ごすというから余計儚さが目立つのです。セミの大合唱は真夏の最中にはうっとうしいと思ったものですが、さりとて行く夏には何かと寂しさがつきまとうのは人間の我が儘なのではないでしょうか。
町中のセミの声に変わって間もなく、学校の校庭に児童の声が戻って来ます。これも平和な光景です。しばらくは児童たちの夏休みの思い出話が飛び交うことでしょう。中でも今年の夏はオリンピックの思い出が一杯、感動の顔つきで語るのではないでしょうか。そしてスポーツを始めて、こうして憧れのスポーツのすそのが拡がっていきます。
こちらはセミと違って、長く花を開かせるでしょう。
町中のセミの声に変わって間もなく、学校の校庭に児童の声が戻って来ます。これも平和な光景です。しばらくは児童たちの夏休みの思い出話が飛び交うことでしょう。中でも今年の夏はオリンピックの思い出が一杯、感動の顔つきで語るのではないでしょうか。そしてスポーツを始めて、こうして憧れのスポーツのすそのが拡がっていきます。
こちらはセミと違って、長く花を開かせるでしょう。