パラグアイでは,先住民グアラニーが使っていたグアラニー語が,スペイン語と共に公用語になっている。同国民の約90%はグアラニー語を解し,地方に行くとグアラニー語しか通じない集落さえ現に存在する。新大陸の殆ど全てが旧ヨーロッパ宗主国の言語(スペイン語,ポルトガル語,英語など)に替わってしまった中で,このような事例は珍しいことだ。
同国に暮らしていた頃よく体験したことだが,仲間同士の挨拶やテレレを飲みながらの打ち解けた日常会話はグアラニー語で,改まった話題になるとスペイン語に替えるのが普通だった。例えば,私が「Buenos días」と声を掛けると,グアラニーで話していても直ぐにスペイン語に替わるのである。ある朝,グアラニー語で「Mba’éichapa((ン)バエイシャパ,Hola! que tal?)」と入って行ったら,彼らは今まで見せたこともないような笑顔になって声高に「Iporá Mba’éichapa!(イポラ (ン)バエイシャパ)」と返してきた。
スペイン人とインデイヘーナの混血が進みメステイーソが大勢(人口の96%と言われる)となった現在でも,スペイン語ではなくグアラニー語を誇らしげに喋る。民族のアイデンテイテイーを意識しているのかも知れない。グアラニー語がこのように残ったのは,先住民を辺鄙な地に排除せず混血が進んだこと,イエズス会の布教による協働集落の形成,鎖国の時代など歴史的背景が影響しているからだろうか。
だが,グアラニー語が書き言葉になったのは比較的最近のことらしい。発音をラテン表記に準じて記述しているが,アクセント文字や鼻音が多い。
「グアラニー語は日本語に似ている」と彼らは言う。
「どこが?」と尋ねる。
「ジュビア(雨の西語)のことをアメ(日本語)と言うだろう」と,カシアノが応える。
「おお,確かにそうだ。ガラニー語でもアメなのか?」
Diccionario Guarani-Español(Ñe’ Éryru,Avañe’ é -Karaiñe’ é,グアラニー・西語辞典)によれば,llubia=amaとある。「ama」と表記されるが,発音は「アメ(雨)」に重なるのだろうか。日本語に結び付けるのはかなり無理な気もするが,先祖は人類5万キロの旅の末裔でコロンブス以降の住人ではないと言いたいのだろうか。
北海道にアイヌ語由来の地名があるように,パラグアイにはグアラニー語地名が多い。
イグアスの滝で知られるイグアスはグアラニー語でイ(Y)=水(川),グアス(guasu)=壮大な,の意味から「大いなる水」と理解できる。
Recuerdos de Ypacarai(イパカライの想い出)で歌われるウパカライ(湖)は,グアラニー語でウ(Y)=水,カライ(Karai)=洗礼の意味から「洗礼の(洗礼を受けた)水」と言うことになろう。彼らがこのロマンチックな名曲に涙するのも頷ける。
パラグアイ国にピラポという日系移住地があるが,その住所イタプア県は「隆起した岩山のある所(陽が昇る岩山のある所)」,ピラポ市はピラ=魚,ポ=手の意味から「魚が手づかみできるほど多い場所」と言うことになろうか。
日系移住者の皆さんも日本語を大事にしている。言葉は民族のidentityなのだ。
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