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ルーベン・シコラの水彩画(Ruben Sykora)、パラグアイ

2020-05-04 13:05:30 | 南米で暮らす<歴史・文化・自然>

ルーベン・シコラの水彩画

拙宅にパラグアイで入手した二枚の絵がある。一枚はピンクのラパチョを描いた水彩画、もう一枚はルーベン・シコラの水彩画である。

◇ラパチョ(水彩画)
エンカルナシオンで暮らしていた頃のことである。国道6号線を45kmほど行ったところ、ベジャ・ビスタ市の手前に雰囲気の良いレストランがあり、週末にはしばしば食事に訪れた。名前は「パピヨン、Papillón(仏語で蝶)」、レストランとシュラスケリア(焼肉)の看板が出ていた。レストランに繋がってホールがあり、中庭に面したホテルの部屋は樹々に囲まれていた。レストランはドイツ系らしい若い夫婦が切り盛りしており、豚肉や鶏肉を野菜と煮込んだ田舎料理もメニューにあった。
レストランの白い壁には何枚もの絵が飾られ、地元画家の絵を展示販売しているように見えた。もしかしたら、オーナーの作品だったのかもしれない。桜の花のようなラパチョが咲く風景画、田舎の景色が多かった。記念に一枚買って帰ろうという話になり、妻が選んだのがこの小品である。サインはあるが、画家の名前は分からない。聞いたかもしれないが記憶にない。値段も覚えていないが、その場で買えたので高価なものではなかったろう。
素人画家の上手な水彩画と言った感じだが、パラグアイの懐かしい風景を思い出させてくれる一枚である。玄関脇に飾ってある。

◇ルーベン・シコラの水彩画
帰国が決まった時、家主の清美さんから頂いた。黄色の花が満開なラパチョが3本、その開花を喜ぶように大勢の人々が踊っている。開拓前のパラグアイは自然豊かで、人も動物も植物も、誰もが春の訪れに欣喜雀躍する。ファンタジーと現実が織りなすハーモニーを感じる芸術性高い一枚。
浅学にしてルーベン・シコラの名前を知らなかったが、同封のパンフレットやネット情報によれば、パラグアイ国エンカルナシオン市生まれの造形画家。会計学と行政学の学位を持つが、独学で絵を学び25年のキャリアを有する。造形画、油絵、水彩画、セラミック彫刻、壁画、本のイラストでも活躍。アルゼンチン、ブラジル、ドミニカ、米国、ドイツ、日本、トルコ、台湾、ポルトガルなどで展示会に出品。
彼の画風は独特なファンタジックの世界とでも言えようか。グアラニー族が主役であった当時のパラグアイは、広大な亜熱帯雨林、湿地帯が広がっていて、人々は自然の中で動物や鳥や魚たちと共存していた。朝日が昇り、鳥たちがさえずる一日があり、夕方には太陽は地平線に静かに沈んで行く。ルーベン・シコラはそのような自然を深く愛し、自分自身をその中に反映させようと思っているのではないか。そして、自然を大切にしようと呼びかけているのではあるまいか。芸術性を感じる、味わい深い一枚である。

  (Ruben Sykora のパンフレット表紙)

◇アルゼンチンの画家、キンケラ・マルティン
アルゼンチンで暮らした頃、アルゼンチン・タンゴ発祥の地と呼ばれるボカ地区のカミニートをたびたび訪れた。この地区は昔、ヨーロッパからの船が行き来する港町として栄え、移住してきた貧しいイタリア系移民たちが暮らしたカラフルな家々が保存されている。この貧しいエリアで、労働者たちが楽しんだのが「タンゴ」の音楽であり、ダンスであったと言う。
この地区にあるキンケラ・マルティン・ボカ美術館を訪れるのも楽しみのひとつであった。キンケラ・マルティンはアルゼンチンでよく知られる画家。ブエノス・アイレスで捨て子として修道女に発見され、6歳で養子に出され、14歳からボカ地区の夜間美術学校に通い才能が見だされ、画家として活躍する。原色の力強い筆致で描いたボカ地区の風景、港で働く労働者の作品が多い。晩年には篤志家としても知られる。
彼の絵がプリントされた絵皿を一枚購入したが、帰路の途中で一部欠けてしまった。そんなことも、今は懐かしい。

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